24日(日)。21日の朝日新聞夕刊に「回顧2023 クラシック音楽」が掲載されていました 吉田純子編集委員による1年間の「回顧」と2人の音楽評論家の「私の3点」が取り上げられています
吉田編集委員の回顧は「民族音楽に光 問い直される価値観」という見出しのもと、次のように書き出しています
「坂本龍一と西村朗の死、リゲティ生誕100年、サマーフェスでの三輪眞弘の企画公演などが、ガムランを中心に様々な民族音楽に光を当てた コロナ禍がもたらした深い思考は、西洋中心の権威的な価値観の問い直しへと明らかに舵を切った」
その上で、内外の音楽家の活躍を紹介していきます 限られたスペースの中で今年活躍したアーティストを紹介するには無理があり、どうしても総花的になってしまいますが、仕方ありません 吉田さんが取り上げたアーティストは登場順に次の通りです
元宝塚の上田久美子、狂言の野村萬斎、内田光子、アルゲリッチ、レヴィット、ホロデンコ、コパチンスカヤ、アームストロング、藤田真央、オノフリ ✕ ハイドン・フィル、トネッティ ✕ オーストラリア室内管弦楽団、濱田芳通、アントネッロ、鈴木秀美、佐藤俊介、鈴木優人 ✕ バッハ・コレギウム・ジャパン、山田和樹、カーチュン・ウォン、ポリャンスキー ✕ 九州交響楽団、沼尻竜典 ✕ 神奈川フィル、パシフィック・フィル、井上道義、村川千秋、坂入健司郎 ✕ ユベントス・フィル、大野和士の「シモン・ボッカネグラ」、ペトレンコ ✕ ベルリン・フィル そして訃報の外山雄三と飯守泰次郎
上記の中で私が今年聴いた音楽家は、パトリツィア・コパチンスカヤ(✕ 都響)、鈴木秀美(✕ 山形響)、佐藤俊介(✕ 東響)、鈴木優人(✕ 読売日響、✕東響)、山田和樹(✕ 読売日響)、カーチュン・ウォン(✕ 日本フィル)、沼尻竜典(✕ 神奈川フィル)、井上道義(✕ 読売日響、✕音大フェス)、坂入健司郎(✕ 日本フィル、✕読売日響)、大野和士(✕ 東京フィル、✕都響)、飯守泰次郎(✕ 東京シティ・フィル=公開リハ―サル)です
次に、音楽評論家2氏の「私の3点」は以下の通りです
Ⅰ。東条碩夫氏
①オスモ・ヴァンスカ ✕ 都響:シベリウス「交響曲第5,6,7番」
②ジョナサン・ノット ✕ 東響:ベートーヴェン「交響曲第6番」
③新国立劇場「シモン・ボッカネグラ」(大野和士 ✕ 東京フィル)
私は②と③を聴きました 「シモン・ボッカネグラ」は舞台・演出が鮮烈でした
Ⅱ。布施砂丘彦氏
①mumyo(成田達樹、山根明季子、梅本佑利):「ゴシック・アンド・ロリータ」
②古楽オケ「ラ・ムジカ・コッラ―ナ」:第10回記念特別大編成
③セバスティアン・ヴァイグレ ✕ 読売日響:アイスラー「ドイツ交響曲」他
私は③を聴きました 東ドイツ出身のヴァイグレの指揮による反ナチス、反共産主義の強烈な作品でした
さて今年の「マイ・ベスト3」はどの公演になるか・・・今年聴いた180公演の中から独断と偏見で選んで31日に発表します
ということで、わが家に来てから今日で3266日目を迎え、ロシアの民間軍事会社ワグネルの創設者プリゴジン氏が8月に搭乗機墜落で死亡したことに関し、米紙ウォールストリート・ジャーナルは22日、プーチン大統領の側近、パトルシェフ安全保障会議書記が暗殺命令を出したと報じた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
あまりにもリアル過ぎて誰も驚かないよ プーチンは世界中で政敵を狙ってるからね
昨日、早稲田松竹でエリア・カザン監督による1951年製作アメリカ映画「欲望という名の電車」(125分)を観ました
アメリカ南部の没落した大地主の名家に生まれたブランチ(ビビアン・リー)は、若くして夫を亡くして親の看護や葬儀で財産を使い果たして家を失い、ニューオーリンズで暮らす妹ステラ(キム・ハンター)の元へ夜逃げ同然でやってきた ステラの夫スタンリー(マーロン・ブランド)はお嬢様気取りのブランチのことが気に入らず、気高く振る舞うブランチも粗野で暴力的なスタンリーを嫌っていた やがてブランチはスタンリーの友人ミッチとの結婚に希望を見い出そうとするが、スタンリーは彼女の暗い過去を執拗に暴き出してミッチに密告し、妨害する
この作品は、ピューリッツァー賞に輝いたテネシー・ウィリアムズの戯曲を映画化したもので、1952年の第24回アカデミー賞で主演女優賞をはじめ4部門を受賞した人間ドラマです
この映画は、とにかくビビアン・リーとマーロン・ブランドの迫真の演技が凄い ビビアン・リーは、過去のお嬢様気質が抜けきれず、庶民を低く見る性癖のあるバツイチ女性を、役に成り切って演じています 本作より12年前に出演した「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラ役の時と比べて円熟味が増したせいか、この映画を観て初めて彼女が凄い女優だと思いました またマーロン・ブランドは、懸けトランプ・ゲームに夢中の暴力的な工場労働者でステラの夫を見事に演じていました 彼が怒った時のシーンなどは野性味に溢れ、本気でやっているとしか思えませんでした こういう人たちだからこそ、後々まで映画界の第一線で活躍していけたのだろう、と思わずにはいられませんでした
また、この作品は「演劇」として舞台で観たら 別の魅力を発見することが出来るかもしれない、と思いました
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