21日(木・祝)。朝日新聞によると、ハノイで2月末に開かれた米朝首脳会談が物別れに終わったことを受け、朝鮮労働党が今月、党員らが自己批判し合う集会を各地で始めたと、脱北した元党幹部が明らかにしたとのこと 一番 自己批判しなければならないのは いったい誰なんでしょうねぇ 金正恩さん
昨日、夕食に「クリーム・シチュー」を作りました 昼間は4月並みの陽気なのに、夜になると冷え込んでくる昨今なので、まだまだシチューが食べたくなります
昨夕、サントリーホールでロサンゼルス・フィルのコンサートを聴きました プログラムは①J.アダムズ「Must the Devil Have All the Good Tunes?」、②グスタフ・マーラー「交響曲第1番ニ長調”巨人”」です ①のピアノ独奏はユジャ・ワン、指揮は同オケの音楽監督グスターボ・ドゥダメルです
この公演はロサンゼルス・フィルの創立(1919年)100周年を祝うとともに、ドゥダメルの音楽監督就任10周年を祝うコンサート・ツアーの一環という位置づけにあります
自席は2LD5列8番、センター左ブロック左から2つ目です。会場は満席近い状況です
オケのメンバーが配置に着きます。弦は左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります コンマスは、有料プログラムの楽員名簿によると Martin Chalifour さんです
1曲目はJ.アダムズ「Must the Devil Have All the Good Tunes?」です この曲はアメリカの作曲家ジョン・アダムス(1947年~)が今年=2019年に作曲したピアノ協奏曲です タイトル「悪魔は全ての名曲を手にしなければならないのか?」は、かなり昔の雑誌「ザ・ニューヨーカー」のバックナンバーに載っていた社会活動家ドロシー・ディに関する記事に由来するそうです 単一楽章の切れ目のない30分弱の音楽ですが、構成としては3楽章形式の協奏曲の「緩・急・緩」の速度設定にならっています
スリット入りの濃いピンクのドレスを身にまとった北京生まれのユジャ・ワンがドゥダメルとともに登場し、ピアノに向かいます 2階席の上方の席なのでステージがよく見えないのですが、ピアノの譜面台には(多分)電子楽譜が置かれています おそらくフット・スイッチでページをめくるのでしょう。ドゥダメルの指揮で演奏が開始されます
ピアノは終始アグレッシブに弾かれ、オケとの丁々発止のやり取りが楽しめました はっきり言って超絶技巧曲ですが、ユジャ・ワンは何の苦もなく音楽に乗っていきます 彼女はカーネギーホール、ウィーン・コンツェルトハウス、フィルハーモニー・ルクセンブルクの各アーティスト・イン・レジデンス(2018/2019)を務めるほどの実力者なので、スリット入りの際どいドレスやミニスカートを着用して魅力をアピール必要はないと思うのですが、あえてこだわるのが彼女のアイデンティティーなのでしょうね ステージに近い前方の男性客は、スリットの隙間から見えるユジャ・ワンの美しい”おみ足”に気を取られて、落ち着いて演奏を聴くどころではないでしょう お気の毒と言うか、羨ましいと言うか・・・
終演後は客席からステージに呼ばれた作曲者がハグしていました。羨ましいと言うか何というか・・・以下省略
プログラム後半はマーラー「交響曲第1番ニ長調”巨人”」です この曲はグスタフ・マーラー(1860-1911)が、ジャン・パウルの小説「巨人」から着想し1883年から88年にかけて5楽章の「交響詩」として作曲し、1889年11月20日にブタペストのフィルハーモニック・コンサートでマーラーの指揮により初演されました その後、マーラーは1893年から96年にかけて改作し第2楽章「花の章」を除いた4楽章の交響曲として発表しました
第1楽章「穏やかに、引きずるように」、第2楽章「力強く動いて」、第3楽章「あまり穏やかになることなく、荘厳かつ荘重に」、第4楽章「嵐のように激動して:アレグロ・フリオーソ」の4楽章からなります
ドゥダメルの指揮で第1楽章が開始されます。かなりゆったりしたテンポです 局面に応じてテンポアップしますが、基本はゆるやかなテンポを維持しています。ドゥダメルはもっとイケイケドンドンのイメージがあったので、これは意外でした 第2楽章では、ホルンや木管のクラリネットやオーボエにベルアップ奏法を求めます 第3楽章冒頭のコントラバス1本による「葬送」のテーマは これまで聴いてきたどの演奏よりも叙情的でした この楽章ではフルート、オーボエ、クラリネットといった木管楽器がよく歌っていました
さて、間を置かずに第4楽章の冒頭「嵐のように激動して」に突入します 標題どおりの嵐のような激しい演奏ですが、その後はテンポを落として緩やかな音楽が奏でられます そして、終盤の”あの場面”になると、ホルン8人に立奏を、木管楽器にはベル・アップ奏法を求め、オーケストラの持てる力を総動員して 高速テンポで輝かしいフィナーレを迎えます あたかも、第1楽章から第4楽章の中盤までが このフィナーレに向かって演奏される「前奏曲」であったかのように感じます このフィナーレは、高倉健主演のヤクザ映画のような「我慢して、我慢して、最後に爆発する」という時のカタルシスに通じる感触です
最後の一音が鳴り終わるや否や、間髪入れずに「ブラボー」の発声が会場のそこかしこからかかりました 「お客様に申し上げます。コンサートの余韻を楽しむため、拍手などは指揮者の手が降ろされるまでご遠慮くださるようご協力をお願いいたします」という事前アナウンスは、この際 何の役にも立ちません この圧巻のフィナーレを聴いて、指揮者の手が降りるまで待っていたら反って不自然です
さて、この日のドゥダメルの指揮は、当初私が抱いていたイメージとは異なり、総じて理知的な印象を受けました これが本来の彼の姿だとすれば、明日のマーラー「交響曲第9番」は彼本来の持ち味を生かした演奏になるはずです もちろん聴きに行きます