人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ドゥダメル ✕ ユジャ・ワン ✕ ロサンゼルス・フィルでマーラー「交響曲第1番」、J.アダムズ「Must the Devil Have All the Good Tunes?」を聴く

2019年03月21日 01時12分33秒 | 日記

21日(木・祝)。朝日新聞によると、ハノイで2月末に開かれた米朝首脳会談が物別れに終わったことを受け、朝鮮労働党が今月、党員らが自己批判し合う集会を各地で始めたと、脱北した元党幹部が明らかにしたとのこと 一番 自己批判しなければならないのは いったい誰なんでしょうねぇ 金正恩さん

 

         

 

昨日、夕食に「クリーム・シチュー」を作りました 昼間は4月並みの陽気なのに、夜になると冷え込んでくる昨今なので、まだまだシチューが食べたくなります

 

     

 

         

 

昨夕、サントリーホールでロサンゼルス・フィルのコンサートを聴きました    プログラムは①J.アダムズ「Must the Devil Have All the Good Tunes?」、②グスタフ・マーラー「交響曲第1番ニ長調”巨人”」です   ①のピアノ独奏はユジャ・ワン、指揮は同オケの音楽監督グスターボ・ドゥダメルです

この公演はロサンゼルス・フィルの創立(1919年)100周年を祝うとともに、ドゥダメルの音楽監督就任10周年を祝うコンサート・ツアーの一環という位置づけにあります

 

     

 

自席は2LD5列8番、センター左ブロック左から2つ目です。会場は満席近い状況です

オケのメンバーが配置に着きます。弦は左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります コンマスは、有料プログラムの楽員名簿によると Martin Chalifour さんです

1曲目はJ.アダムズ「Must the Devil Have All the Good Tunes?」です この曲はアメリカの作曲家ジョン・アダムス(1947年~)が今年=2019年に作曲したピアノ協奏曲です タイトル「悪魔は全ての名曲を手にしなければならないのか?」は、かなり昔の雑誌「ザ・ニューヨーカー」のバックナンバーに載っていた社会活動家ドロシー・ディに関する記事に由来するそうです 単一楽章の切れ目のない30分弱の音楽ですが、構成としては3楽章形式の協奏曲の「緩・急・緩」の速度設定にならっています

スリット入りの濃いピンクのドレスを身にまとった北京生まれのユジャ・ワンがドゥダメルとともに登場し、ピアノに向かいます 2階席の上方の席なのでステージがよく見えないのですが、ピアノの譜面台には(多分)電子楽譜が置かれています おそらくフット・スイッチでページをめくるのでしょう。ドゥダメルの指揮で演奏が開始されます

ピアノは終始アグレッシブに弾かれ、オケとの丁々発止のやり取りが楽しめました はっきり言って超絶技巧曲ですが、ユジャ・ワンは何の苦もなく音楽に乗っていきます 彼女はカーネギーホール、ウィーン・コンツェルトハウス、フィルハーモニー・ルクセンブルクの各アーティスト・イン・レジデンス(2018/2019)を務めるほどの実力者なので、スリット入りの際どいドレスやミニスカートを着用して魅力をアピール必要はないと思うのですが、あえてこだわるのが彼女のアイデンティティーなのでしょうね   ステージに近い前方の男性客は、スリットの隙間から見えるユジャ・ワンの美しい”おみ足”に気を取られて、落ち着いて演奏を聴くどころではないでしょう お気の毒と言うか、羨ましいと言うか・・・

終演後は客席からステージに呼ばれた作曲者がハグしていました。羨ましいと言うか何というか・・・以下省略


     


プログラム後半はマーラー「交響曲第1番ニ長調”巨人”」です この曲はグスタフ・マーラー(1860-1911)が、ジャン・パウルの小説「巨人」から着想し1883年から88年にかけて5楽章の「交響詩」として作曲し、1889年11月20日にブタペストのフィルハーモニック・コンサートでマーラーの指揮により初演されました その後、マーラーは1893年から96年にかけて改作し第2楽章「花の章」を除いた4楽章の交響曲として発表しました

第1楽章「穏やかに、引きずるように」、第2楽章「力強く動いて」、第3楽章「あまり穏やかになることなく、荘厳かつ荘重に」、第4楽章「嵐のように激動して:アレグロ・フリオーソ」の4楽章からなります

ドゥダメルの指揮で第1楽章が開始されます。かなりゆったりしたテンポです 局面に応じてテンポアップしますが、基本はゆるやかなテンポを維持しています。ドゥダメルはもっとイケイケドンドンのイメージがあったので、これは意外でした 第2楽章では、ホルンや木管のクラリネットやオーボエにベルアップ奏法を求めます 第3楽章冒頭のコントラバス1本による「葬送」のテーマは これまで聴いてきたどの演奏よりも叙情的でした この楽章ではフルート、オーボエ、クラリネットといった木管楽器がよく歌っていました

さて、間を置かずに第4楽章の冒頭「嵐のように激動して」に突入します 標題どおりの嵐のような激しい演奏ですが、その後はテンポを落として緩やかな音楽が奏でられます そして、終盤の”あの場面”になると、ホルン8人に立奏を、木管楽器にはベル・アップ奏法を求め、オーケストラの持てる力を総動員して 高速テンポで輝かしいフィナーレを迎えます あたかも、第1楽章から第4楽章の中盤までが このフィナーレに向かって演奏される「前奏曲」であったかのように感じます このフィナーレは、高倉健主演のヤクザ映画のような「我慢して、我慢して、最後に爆発する」という時のカタルシスに通じる感触です 

最後の一音が鳴り終わるや否や、間髪入れずに「ブラボー」の発声が会場のそこかしこからかかりました 「お客様に申し上げます。コンサートの余韻を楽しむため、拍手などは指揮者の手が降ろされるまでご遠慮くださるようご協力をお願いいたします」という事前アナウンスは、この際 何の役にも立ちません    この圧巻のフィナーレを聴いて、指揮者の手が降りるまで待っていたら反って不自然です

さて、この日のドゥダメルの指揮は、当初私が抱いていたイメージとは異なり、総じて理知的な印象を受けました これが本来の彼の姿だとすれば、明日のマーラー「交響曲第9番」は彼本来の持ち味を生かした演奏になるはずです もちろん聴きに行きます

 

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新国立オペラでマスネ「ウェルテル」初日公演を観る ~ サイミール・ピルグ、藤村実穂子、黒田博、幸田浩子、ポール・ダニエル ✕ 東響にブラボー!

2019年03月20日 01時01分35秒 | 日記

20日(水)。報道によると、フランスのフィリップ首相は、16日に反政権運動「黄色いベスト」が暴徒化して大きな被害が出たことを受け、パリの観光名所シャンゼリゼ通りなどで過激派がデモで暴力行為をした場合、すぐにデモを解散させる措置を今週末から新たに取ると発表したとのこと たしかに「黄色いベスト」を着てデモをやり暴力行為をするのはベストの選択ではないし、来ている人はベスト・ドレッサーとは言えない

 

         

 

昨日、夕食に「トマトと豚肉の重ね蒸し」を作りました これは河野雅子先生のレシピですが、簡単で美味しいです

 

     

 

         

 

昨夕、初台の新国立劇場「オペラパレス」でマスネ「ウェルテル」を観ました キャストは、ウェルテル=サイミール・ピルグ、シャルロット=藤村実穂子、アルベール=黒田博、ソフィー=幸田浩子、大法官=伊藤貴之、シュミット=糸賀修平、ジョアン=駒田敏章。管弦楽=東京交響楽団、合唱=新国立劇場合唱団、児童合唱=多摩ファミリーシンガーズ、演出=二コラ・ジョエル、指揮=ポール・ダニエルです

 

     

 

若き詩人ウェルテルは、シャルロットに恋心を抱くが、彼女にはアルベールという婚約者がいることを知り絶望する  数カ月後、アルベールと結婚したシャルロットに、ウェルテルは再び愛を告白するが、シャルロットは彼に町を去るように言う   クリスマス・イヴの夜、ウェルテルからの手紙に心乱れるシャルロットの前にウェルテル本人が現われ、激しく求愛し彼女を抱きしめる シャルロットは やっとの思いで抱擁を逃れ、永遠の別れを告げる。絶望したウェルテルは自らの命を絶つ

 

     

 

新国立オペラの「ウェルテル」を観るのは2016年4月に次いで今回が2度目ですが、演出は前回と同じ二コラ・ジョエルです

あらすじからも分かるように、このオペラは一人の女性を、結婚してからも諦めきれず、再び愛を告白する一途な若者の姿を描いています これを現代用語で「ストーカー」と言います でも、そう言ってしまっては、あらゆるオペラが成り立たなくなってしまうので、もう言わないことにします

結論から言えば、今回の公演は主役級の歌手4人が世界レヴェルで、それに加えてポール・ダニエル指揮東京交響楽団が素晴らしい演奏を繰り広げました

まず、主役のウェルテルを歌ったサイミール・ピルグは、ブルネッティやパヴァロッティにも師事した経歴を持つアルバニア生まれのテノールですが、歌も演技も申し分なく、第3幕で 思い出の詩文を読み上げる「オシアンの歌~なぜ私を目覚めさせるのか?」をはじめ、自然で無理のない輝くテノールを聴かせてくれました

シャルロットを歌った藤村実穂子は、バイロイト音楽祭で9年連続出演した実力の持ち主で、決して声を張り上げることがないのに声が良く通り、「世界レヴェルのメゾソプラノ」を証明しました

アルベールを歌った黒田博は、新国立オペラでは日本人作曲家の作品を中心に歌って定評のあるバリトンですが、深みのある歌声で聴衆を魅了しました

シャルロットの妹ソフィーを歌った幸田浩子は、ウィーン・フォルクスオーパーで長年活躍するなど、主に明るく快活な役を中心に歌っていますが、このオペラでも明るい性格のソフィーがピッタリでした

今回の公演で特筆に値する働きをしたのは、イギリス出身のポール・ダニエルのダイナミックかつドラマティックな指揮と、彼のタクトにしっかりと応えた東京交響楽団の演奏です 第1幕冒頭の前奏曲といい、第3幕冒頭の前奏といい、これから起こる悲劇のドラマを暗示するかのような渾身の演奏を展開しました 劇中ではしっかりと歌手に寄り添い、局面に応じてオケ自らが流麗に歌っていました

 

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新日本フィル「NJP特典コンサート」を聴く~ブラームス「クラリネット・ソナタ第1番、第2番」他:ピアノ=上岡敏之 / 新国立オペラ「ジャンニ・スキッキ / フィレンツェの悲劇」ゲネプロの案内届く

2019年03月19日 01時03分22秒 | 日記

19日(火)。新聞報道によると、米運輸当局がハンドルのない自動運転車の公道走行の認可について広く意見を集めるパブリックコメントを始めることが分かったとのこと   ハンドルがない状態で自動運転することには 手放しで賛成は出来ませんね

 

         

 

昨日、夕食に「ビーフ・カレー」を作りました アメリカン・ビーフのブロック肉を使ったのでちょっと硬かったですが、美味しかったです

 

     

     

         

 

昨日、新国立劇場友の会「クラブ・ジ・アトレ」から「オペラ『フィレンツェの悲劇/ジャンニ・スキッキ』ゲネプロ見学会のご案内」が届きました これは友の会のポイントアップ特典の「抽選アイテム」に応募しておいたのが当選したものです ツェムリンスキー『フィレンツェの悲劇』とプッチーニ『ジャンニ・スキッキ』のダブルビル公演のゲネプロ(ゲネラールプロ―ベ:本番の衣装を着けて舞台上で歌い演じる総舞台リハーサル)はオペラパレスで4月5日(金)午後2時から開始予定です 私は その2日後の7日(日)午後2時からのプルミエ公演(初日)を観るので、同じ公演を2度観ることになります

 

     

 

         

 

昨夕、すみだトリフォニーホールで新日本フィル「プレシャス・ストーン(NJP特典コンサート)」を聴きました   これは新日本フィルの定期会員向けの無料招待コンサートです プログラムは①グリエール「プレリュードとスケルツォ 作品32」、②同「インテルメッツォとタランテラ 作品9」、③ブラームス「クラリネット・ソナタ  ヘ短調作品120‐1」、④同「クラリネット・ソナタ変ホ長調作品120-2」、⑤J.ダドウル「スノーブラインド」です 当初のプログラムから①②と③④の順番が入れ替わっています ①②のコントラバス独奏=藤井将矢、③のクラリネット独奏=中館壮志、④のクラリネット独奏=マルコス・ぺレス・ミランダ、⑤のパーカッション独奏=腰野真那、①~⑤のピアノ伴奏=上岡敏之です

 

     

 

自席は1階15列14番、センターブロック左から2つ目です 会場は9割以上埋っていると思われます。無料招待コンサートとはいえ良く入りました

1曲目はグリエール「プレリュードとスケルツォ 作品32」です この曲はグリエール(1875-1956)が1908年に作曲した作品です 

福岡県出身の新日フィルのコントラバス奏者・藤井将矢氏が指揮者・上岡敏之氏とともに登場、さっそく演奏に入ります と言っても、上岡氏は指揮をするわけではなくピアノを弾きます はっきり言って、彼のピアノ演奏はプロ並みというよりはプロです

この曲は初めて聴く作品ですが、同じ低音楽器のチェロと違って演奏が重い感じがします さらに曲自体が起伏の少ない作品なので集中力が削がれます

2曲目の「インテルメッツォとタランテラ 作品9」は歌うような旋律で始まり、速いパッセージに移る形式なので面白く聴くことができました

一昨日のブログに書いた通り、ヨハネス・ブラームス(1833-1897)がクラリネット曲を書いたのは、1891年3月にマイニンゲンを訪れた際に現地のオーケストラでクラリネットを吹いていたミュールフェルト(1856-1907)の演奏を聴いて深い感銘を受けたからです ブラームスはその年の夏に「クラリネット三重奏曲作品114」と「クラリネット五重奏曲作品115」を作曲し、その後、1894年夏に保養地バート・イシュルで、ミュールフェルトのために2曲の「クラリネット・ソナタ作品120」を書き上げました 言うまでもなく、ミュールフェルトはこの曲の初演を行いました

「クラリネット・ソナタ  ヘ短調作品120‐1」は第1楽章「アレグロ・アパッショナート」、第2楽章「アンダンテ・ウン・ポコ・アダージョ」、第3楽章「アレグレット・グラツィオーソ」、第4楽章「ヴィヴァーチェ」の4楽章から成ります

茨城県出身の新日フィル副主席クラリネット&Esクラリネット奏者・中舘壮志氏が上岡氏とともに登場、さっそく演奏に入ります 中舘氏の演奏は、ブラームス晩年の寂寥感は感じられず、どちらかというと明るい壮年期の音楽のように聴こえました あれもブラームス、これもブラームスです

次の曲は「クラリネット・ソナタ変ホ長調作品120-2」です 第1楽章「アレグロ・アマービレ」、第2楽章「アレグロ・アパッショナート」、第3楽章「アンダンテ・コン・モート」、第4楽章「アレグロ」の4楽章から成ります

スペイン出身の新日フィル副主席クラリネット&バスクラリネット奏者、マルコス・ぺレス・ミランダ氏が上岡氏とともに登場、さっそく演奏に入ります 彼の演奏は押しの強い説得力のあるもので、音楽の流れが自然に感じました   あれもブラームス、これもブラームスです


     


プログラム後半は J.ダドウル「スノーブラインド」です ステージ中央にはシロフォン、マリンバ、木魚などの打楽器が並べられています

群馬県出身、2016年新日フィル入団の越野真那さんが上岡氏とともに登場、さっそく演奏に入ります 越野さんは両手にマレットを2本ずつ持って、シロフォンを中心に新幹線並みのスピードで演奏します 曲想としてはミニマル・ミュージックのようでもあり、そうでもないようでもありの不思議な曲です 次の楽章はピアノによるゆったりした音楽から始まり、マリンバが活躍します そして3つ目の楽章では再びシロフォンを中心にボーイング社のジェット旅客機並みのスピードで演奏します 上岡氏は右手で指揮をする仕草を見せながらピアノを弾きます まさに指揮者のピアノ演奏です

聴く前は「いったいどんな曲なんだろうか」と思っていましたが、コンサートの最後を飾るのに相応しいエキサイティングで楽しい演奏でした 会場のそこかしこからブラボーがかかり、カーテンコールが繰り返されました

上岡敏之氏は2016年9月から新日本フィルの第4代音楽監督を務めていますが、前述のとおりピアノの腕前はプロ並みというよりはプロです それは彼のドイツの歌劇場での地道な経験があるからだと思います それにしても、作曲家に応じて弾き分ける手腕には舌を巻きます この日のプログラミングは多分 上岡氏によるものだと思いますが、普段は縁の下の力持ち的な役割に徹しているコントラバス奏者や打楽器奏者を表舞台に登場させ、自らは引き立て役に徹しているところは流石と言うしかありません

さて、最後に書いておきたいことが一つあります

入口で配布された2つ折りのプログラムには 曲名、演奏者、各作品の演奏時間の目安、出演者のプロフィールが載っていますが、曲目解説は一切ありません ブラームスの2曲は有名なので まだ良いのですが、グリエールの2曲とJ.ダドウルの曲は ほぼ99パーセントの人が知らないだろうし一度も聴いたことがないのではないかと推測します   ダドウルの「スノーブラインド」に至っては三省堂の「クラシック音楽作品名辞典」にも載っていないし、ネットで検索してもヒットしません    そもそもJ.ダドウルってどこの国のどういう時代の作曲家なのでしょうか。まったく情報がありません

「無料招待コンサートなんだから、曲目解説を載せるサービスまでやる必要はない」という徹底的な合理主義と、「足を運んでくれた定期会員には最良の演奏で期待に応えたい」という出演者の意識とのギャップを埋める方法を、私は思いつきません これを機会に 定期会員が増えこそすれ 減ることはないことを願って止みません

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピエール・ルメートル原作 アルベール・デュポンテル監督「天国でまた会おう」を観る ~ 観てから読むか、読んでから観るか? / 新日本フィル2019-2020シーズン会員継続案内届く

2019年03月18日 07時18分34秒 | 日記

18日(月)。新聞報道によると、福岡県警は 人気アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のキャラクターをイメージしたコスプレをして空き巣に入ったとして、福岡県飯塚市の無職F容疑者を窃盗などの疑いで現行犯逮捕し送検したが、本人は容疑を認め「コスプレすると泥棒したくなる」と話しているとのこと   一昔前はコソ泥と呼ばれましたが、今回のケースはコス泥と呼びたいと思います   皆さん、よろしかったでしょうか

 

         

 

新日本フィルから「2019‐2020シーズン定期演奏会」継続案内が届きました 現在 私はサントリーホールを会場とする「ジェイド」の会員ですが、トパーズ(トリフォニー・シリーズ)とルビー(アフタヌーン・シリーズ)を含めた3コースのラインアップを比較してコースを選択しようと思います その際、新年度のシーズンが同じ9月から始まるN響の日程・コースと照らし合わせて選択しなければなりません N響からは まだ新シーズンの継続案内が届いていませんが、日程とプログラム一覧は公開されているので、それを参考にしながら慎重に検討したいと思います

 

     

 

私が新日本フィルの新シーズンで注目しているのは、シューベルトの交響曲(全7曲)を3つのコースで分担して演奏することです 「ルビー」では第1番、第2番、第3番、第5番、第8番(グレイト)を、トパーズでは第6番、第7番(未完成)を、「ジェイド」では第4番をそれぞれ取り上げます 私にとっては東京交響楽団(2008-2009年シーズン)でユベール・スダーンが振ったシューベルトの交響曲全集が忘れられない名演奏だったので、新日本フィルにも大きな期待を寄せています したがって、最有力候補はトリフォニーホールで演奏される「ルビー(アフタヌーン・シリーズ)」です このコースは金曜と土曜が選択できるのもメリットです さらに、このコースでは大好きなアンヌ・ケフェレックが上岡敏之の指揮でベートーヴェン「ピアノ協奏曲第1番」を演奏するので、もう決まったようなものです

 

     

 

         

 

昨日、TOHOシネマズ  シャンテで「天国でまた会おう」を観ました これはアルベール・デュポンテルがピエール・ルメートル原作の同名小説を2017年に映画化した作品(フランス・117分)です 原作はハヤカワ文庫から上・下巻として出ています。ピエール・ルメートルは1951年パリ生まれ。2006年に「悲しみのイレーヌ」でデビュー、2011年に発表した「その女アレックス」はリーヴル・ド・ポッシュ読者大賞、英国推理作家協会賞インターナショナル・ダガ-賞を受賞、さらに2013年に発表した本書はフランスで最も権威ある文学賞ゴンクール賞を受賞しています

時は1918年11月、第一次世界大戦の休戦が近いと噂されていた対ドイツ戦線。上官ブラデルは最後の手柄を立てようと部下を犠牲にして自分だけ生き残ろうと画策、味方の背中を撃って兵士たちの闘争心を煽り立てようとするが、その現場を部下のアルベールに見られてしまう そこでブラデルはアルベールを生き埋めにしてしまう しかし、年下の青年エドゥアールに救い出され かろうじて命拾いする しかし、助けた側のエドゥアールは爆撃の余波で顔の半分を失い、モルヒネがなければ生きていけない身体になってしまう アルベールは命の恩人エドゥアールのためにモルヒネを求めて東奔西走する。父親に反感を持つエドゥアールが家に帰りたくないと言うので、アルベールは彼が戦死したものとして家族に手紙を書く 一方、抜け目のないブラデルはエドゥアールの姉マドレーヌに接近し結婚に漕ぎつけるが、そんなことを弟のエドゥアールが知る由もない エドゥアールは美術の才能を生かし、復員兵に冷たい戦後のフランス社会に復讐するため、あるアイディアをアルベールに打ち明ける。それは、戦没者追悼記念碑詐欺作戦だった 戦争で亡くなった兵士たちを追悼するための記念碑を製作・販売すると宣伝して、実際には記念碑は製作せず カタログのみを作成し申し込みを受け付け、銀行に振り込まれたお金を持って海外に逃亡するという大胆なものだった 一方、抜け目のない悪漢ブラデルは、前線に埋葬されている兵士の遺体を掘り起こし、戦没者追悼墓地に収容するという国の仕事を落札する しかし、経費節減のためサイズを縮小した棺桶、無能で貪欲な作業員、フランス語を理解できない外国人労働者たちなどが原因で、埋葬者リスト通りに遺体が指定の棺桶に納められない事態となり、ブラデルは責任を追及され追い詰められる

 

     

 

私は最初に原作を読んでから映画を観ましたが、原作と違い、映画の冒頭はアルベールがどこかの国の警察署のような一室で尋問されているシーンから始まります つまり この映画は、アルベールがこれまでに起こった一連の出来事を回想する形で進められていくのです  原作と違うと思われるところが何カ所かありましたが、大きな相違点は次の2点です

1点目はブラデルの死に方です。原作では、ブラデルはエドゥアールの姉マドレーヌから離婚された後、刑務所暮らしをし、出所後に独り寂しく死んでいくように書かれています 一方 映画では、アルベールにピストルを突き付けられて後ずさりしたブラデルが、誤って大量の大豆の中に蟻地獄のように吸い込まれて埋没していく姿が描かれます つまり、戦場でブラデルに生き埋めにされたアルベールが同じような方法で復讐を遂げたように描いています

大きな相違点の2点目は、ラスト・シーンです 冒頭のシーンで尋問していた警察官はアルベールの語る一連の顛末を聞いた後、アルベールを拘束していた手錠の鍵と部屋の鍵を卓上に置き、「私はうっかり鍵を置き忘れて席を外したことにする」と言ってアルベールが自由に逃亡できるようにします。「なぜ?」と訊くアルベールに 警察官は写真立てを裏返します。そこには、対ドイツ戦線でブラデルから背中を撃たれて死亡した青年が その警察官と一緒に写っていました。「私の息子です」と言い残して彼は外に出ていきます   このシーンは原作にない映画オリジナルの魅せる場面です

さて、映画を観て最初に思ったのは、アルベールは原作のイメージから離れていて 歳を取り過ぎではないか、ということでした 後で調べたら、演じているのはアルベール・デュポンテル監督自身であることが分かりました 同じアルベールなので親近感を感じたのでしょうか ちょっと残念だったのは、音楽です 原作者のピエール・ルメートルは相当のクラシック好きで、原作にもヴェルディ「アイーダ」の凱旋行進曲やモーツアルト「クラリネット協奏曲」などが出てきます 個人的にはこうした音楽をどこかで使って欲しかったと思います

さて、あなたは観てから読みますか? それとも読んでから観ますか

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「東京・春・音楽祭2019」始まる=「都響メンバーによる室内楽」を聴く~モーツアルト「フルート四重奏曲第1番」、ブラームス「クラリネット五重奏曲」、シューベルト「弦楽五重奏曲」

2019年03月17日 00時23分48秒 | 日記

17日(日)。報道によると、ニュージーランドのモスクで起きた銃乱射事件について、トランプ米大統領は「少数の非常に問題がある人々が起こした」と主張し、白人至上主義が広がっているとの見方を否定したが、容疑者の男はトランプ氏を「新たな白人アイデンティティーの象徴」として支持しているとインターネットに投稿したとされているとのこと トランプがどう主張しようが、白人至上主義者はトランプを白人アイデンティティーの象徴として見ているということだ トランプの影響を受けた こういう危険な輩は世界中で身を潜めている。世界のどこで同じような事件が起こっても不思議ではない アメリカはいつまでトランプを大統領の地位に据え置いておくつもりか

 

         

 

今年も上野の森で開かれる「東京・春・音楽祭」が開幕しました 昨夕、東京文化会館小ホールで「都響メンバーによる室内楽」を聴きました  プログラムは①モーツアルト「フルート四重奏曲第1番ニ長調K.285 」、②ブラームス「クラリネット五重奏曲ロ短調作品115」、③シューベルト「弦楽五重奏曲ハ長調D956」です 演奏はヴァイオリン=矢部達哉、双紙正哉、ヴィオラ=村田恵子、チェロ=清水詩織、森山涼介、フルート=小池郁江、クラリネット=三界秀実です

 

     

 

自席はG列右ブロック左通路側です。会場は9割近く埋まっているでしょうか

1曲目はモーツアルト「フルート四重奏曲第1番ニ長調K.285 」です この曲はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756‐1791)が 1777年に富裕なオランダ商人でアマチュア音楽家だったド・ジャンの依頼により作曲した数曲のフルートのための作品の一つです

第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「ロンド」の3楽章から成ります

4人の奏者が登場、配置に着きます 左からフルート=小池郁江、ヴァイオリン=矢部達哉、チェロ=森山涼介、ヴィオラ=村田恵子という並びです

第1楽章は明るく喜びに満ちた曲想です 第2楽章は一転、悲しみを湛えた沈痛な曲想ですが、間を置かずに演奏される第3楽章は「泣いてたカラスがもう笑う」といったような破顔一笑の曲想に転換します 聴く側が悲しみを引きずっている間に、モーツアルトはもう笑顔で空を飛びまわっています 一瞬のうちに明から暗へ、暗から明へと変化するモーツアルトの音楽の神髄を、小池さんのフルートを中心とするアンサンブルが的確に捉えていました

2曲目はブラームス「クラリネット五重奏曲ロ短調作品115」です この曲はヨハネス・ブラームス(1833-1897)が1891年にマイニンゲンのオーケストラのクラリネット奏者ミュールフェルトに刺激を受けて作曲した作品です それはモーツアルトの「クラリネット協奏曲」の誕生からちょうど100年目のことでした ミュールフェルトがブラームスに果たした役割は、アントン・シュタードラーがモーツアルトに対して演じた役割と似ています

第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アダージョ~ピゥ・レント」、第3楽章「アンダンティーノ~プレスト・ノン・アッサイ、マ・コン・センチメント」、第4楽章「コン・モート」の4楽章から成ります

左からヴァイオリン=矢部達哉、双紙正哉、クラリネット=三界秀実チェロ=清水詩織、ヴィオラ=村田恵子という並びです

第1楽章のクラリネットの演奏を聴いて思ったのは、独特の「寂寥感」です 第2楽章に入ると「渋いなぁ」となりますが、全体を聴いた印象は、モーツアルトの「クラリネット五重奏曲」が天上の音楽とすれば、ブラームスのそれは地上の音楽だということです 別の言葉で言えば、モーツアルトは人間界を超越しているのに対し、ブラームスはあくまで人間的な慈愛に満ちているということです 三界氏のクラリネットをはじめとする5人の演奏は、慈愛に満ちた素晴らしい演奏でした

 

     

 

プログラム後半はシューベルト「弦楽五重奏曲ハ長調D956」です この曲はフランツ・シューベルト(1797ー1828)が1828年8月から9月にかけて作曲した作品です 楽器構成はモーツアルトの「弦楽五重奏曲」がヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ1なのに対し、シューベルトのそれはヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ2と低音重視の編成になっています 第1楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「スケルツォ:プレスト~トリオ(アンダンテ・ソステヌート)」、第4楽章「アレグレット」の4楽章から成ります

左からヴァイオリン=矢部達哉、双紙正哉、チェロ=森山涼介清水詩織、ヴィオラ=村田恵子という並びです

この曲で一番好きなのは第2楽章「アダージョ」です ここにはナイーブなシューベルトがいます この美しさは「未完成交響曲」の美しさに匹敵します 5人のアンサンブルは何とニュアンスに満ちていることか

全体を通して、チェロが2本となっていることから低音が強調され、弦楽五重奏曲というよりも交響曲に近いシンフォニックな印象を受けます

さて、この曲は前述の通り1828年8月から9月にかけて作曲されましたが、完成して約2か月後の11月19日にシューベルトは帰らぬ人となっています したがって、31歳の彼がこの作品を音として聴いたかどうかは不明です 初演はシューベルトの死の22年後、1850年9月 ウィーンで行われました 第4楽章「アレグレット」のフィナーレを聴きながら、若くして死去したシューベルトがこれほどまでに美しい作品を聴けなかったとすれば、どんなに悔しい思いをしただろうか、と思いを馳せました

 

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿部智里著「発現」を読む ~ カルトか? ミステリーか? カルトっぽいミステリーか? 「発現」とは何を意味するのか?

2019年03月16日 08時07分36秒 | 日記

16日(土)その2。よい子は「その1」も読んでね

阿部智里著「発現」(NHk出版・2019年1月30日 第1刷)を読み終わりました  この本は1か月ほど前にバレンタインのプレゼントとして頂いたハードカバーです 手元に読むべき本が数冊あったので、この本を読み始めるのが遅くなってしまいました

奥付の「著者のプロフィール」によると、阿部智里さんは1991年生まれ。群負県出身。早稲田大学文化構想学部卒業、同大修士課程修了。2012年に「烏に単は似合わない」で松本清張賞を史上最年少の20歳で受賞 デビュー以来「八咫烏(やたがらす)シリーズ」を7冊刊行し、累計100万部を突破したとのこと シリーズ名だけはどこかで見たことがありますが、阿部智里という作家は私にとっては「未知との遭遇」です 恥ずかしながら、著者はてっきり男性だと思い込み 名前を「あべ ともさと」と読んでいて、本当は「あべ ちさと」と読み 女性であることを知ったのは「発現」を読んだ後でした

 

     

 

表紙を開いてアッと驚いたのは、そこに著者のサインと印が押されていたからです わざわざサイン会でもらったんだろうか

 

     

 

物語は平成(30年~31年)と昭和(40年)の2つの時代で起こった不可解な事件、さらに遡ること53年前に起きた忌まわしい事件を描いています

平成30年。村岡さつきは、母親が幻覚に悩まされて自殺した忌まわしい過去を持っています。結婚して独立していた兄・大樹の様子がおかしくなり、やはり幻覚に悩まされて病院に通っていることが分かります 医者の見立ては「統合失調症」というものでした 幻覚というのは、幼い少女がこちらを見つめ「ねえ、どうしてあなた、生きているの?」と非難する傍らで彼岸花が咲いているというものでした 兄を心配するさつきでしたが、いつしか彼女も同じような幻覚を見るようになります そして、自殺した母親も二人と同じ幻覚を見ていたことが分かります。3人に共通する幻覚に出てくる少女はいったい何者なのか? その謎を解くのが昭和40年における彼らの祖父の物語です 戦争のあった53年前に満州で祖父が犯したある事件が明らかにされ、3人の幻覚に現れる少女の正体が明かされます

この本を読んでいて思ったのは、「他人には見えないものが見える。自分は狂っているのではないか」ということから、カルト的な小説だろうか、あるいはミステリー(イヤミス)なんだろうか、という疑問です でも、小説の早い段階で「統合失調症」という言葉が出てくることから、カルトのままでは終わらないだろうとは思っていました

この本を読む限り、小説のスタイルとしては、カルトっぽいミステリーという意味で、「背の眼」「龍神の雨」「球体の蛇」などを著した道尾秀介に似ているような気がします。しかし、阿部智里さんによる7冊の「八咫烏(やたがらす)シリーズ」を1冊も読んでいないので、何とも言えないというのが正直なところです

さて、著者は親子で同じ幻覚を見ることを「祖父から受け継がれたトラウマの遺伝」という言葉で表していますが、そんなものが遺伝で伝わってきたら堪りませんね 個人的には 夢の中に 虎と馬が「発現」するのに留まってほしいと思います

時代が2つに分かれ、登場人物も少なくないので、それぞれの相関関係がどうなっているのか 時々整理が付かなくなってしまうことがありましたが、総じて文章力・構成力は優れていると思いました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川瀬賢太郎 ✕ 仲道郁代 ✕ 東京交響楽団でベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」、リムスキー・コルサコフ「シェエラザード」、ドヴォルザーク「謝肉祭」を聴く~2019都民芸術フェスティバル

2019年03月16日 00時25分11秒 | 日記

16日(土)その1。報道によると、米議会上院は14日、トランプ大統領が「国境の壁」建設費を確保するために出した非常事態宣言を無効とする決議案を可決したが、トランプ氏は同日、就任後初となる拒否権を発動すると表明したとのこと トランプが築けるのは「メキシコとの国境の壁」ではなく「バカの壁」です

 

         

 

昨日、夕食に「ホッケの塩焼き」と「インゲンの胡麻和え」を作りました 最近、1週間に一度は魚料理というローテが崩れているので、これはまずい!と思って焼きました。とても美味しかったです

 

     

 

         

 

昨夕、池袋の東京芸術劇場コンサートホールで東京交響楽団のコンサートを聴きました これは「2019都民芸術フェスティバル」参加公演です プログラムは①ドヴォルザーク:序曲「謝肉祭」、②ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58」、③リムスキー・コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」です ②のピアノ独奏は仲道郁代、指揮は神奈川フィル常任指揮者・川瀬賢太郎です。川瀬氏は4月から名古屋フィルの正指揮者に就任予定です

 

     

 

自席は2階N列4番、左ブロック最後列の右から2つ目です 頭上に屋根がある席なので、音響はあまり期待できません 会場はほぼ満席です

オケのメンバーが配置に着きます。弦は左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの東響の並びです

1曲目はドヴォルザーク:序曲「謝肉祭」です この曲はアントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)が1891年に作曲した演奏会用序曲『自然と人生と愛』=第1部:自然の中で、第2部:人生(謝肉祭)、第3部:愛(オセロ)の一部で、1892年4月にプラハでドヴォルザークの指揮、国民劇場管弦楽団によって初演されました

川瀬氏の溌剌とした指揮で色彩感豊かなカーニバルが奏でられます 私の耳には「スラブ舞曲」の一部として聴こえました

2曲目はベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58」です この曲はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)が1806年頃に作曲し、1808年12月22日にアン・ディア・ウィーン劇場での自主演奏会で、「交響曲第5番」、「同第6番」、「ピアノ・合唱とオーケストラのための合唱幻想曲」等とともに公開初演されました 1楽章「アレグロ・モデラート」、第2楽章「アンダンテ・コン・モート」、第3楽章「ロンド:ヴィヴァーチェ」の3楽章から成ります この曲の大きな特徴は、冒頭から独奏ピアノが演奏されることです

上が黒、下がシルバーのゴージャスな衣装を身にまとった仲道郁代が指揮者とともに登場しピアノに対峙します 第1楽章がソリストの独奏により開始されます この楽章を聴いていて思ったのは、ソリストはあくまでも美しく弾こうとしているのではないか、ということです こういう演奏を聴いて思うのは、ベートーヴェンはこれで良いのだろうか?という疑問です 革新者ベートーヴェンの作品は必ずしも美しく弾く必要はないのではないか。多少濁っても もっと強く主張した方が良いのではないか、と思うのです

第2楽章は素晴らしいですね デモーニッシュな力強さと美しさが交互に現われ、ベートーヴェンらしさが良く出ていると思います タイトルは忘れましたが、数年前に観た映画でこの楽章が使われていたことを思い出しました

第3楽章は、羽目を外すくらいのつもりでアグレッシブに演奏してほしいものです

この日の演奏は、若き指揮者がベテランのソリストに合わせる形で、あくまでも美しさを追求した演奏のように思えましたが、逆にソリストの方が元気溌剌な若い指揮者に合わせる形で演奏したら面白かったかも知れません

ソリストのアンコールはシューマン「トロイメライ」でした

 

     


プログラム後半はリムスキー・コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」です この曲はリムスキー・コルサコフ(1844-1908)が1887年から翌88年にかけて作曲した作品です 周知の通り、シェエラザードとは「千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)」の語り部である王女のことです 第1楽章「海とシンドバッドの船」、第2楽章「カランダール王子の物語」、第3楽章「若い王子と王女」、第4楽章「バグダッドの祭り。海。船は青銅の騎士のある岩で難破。終曲」の4楽章から成ります

この日の演奏はさながら「コンマス水谷晃 オン・ステージ」の様相を呈していました この曲は第1楽章冒頭に現れる独奏ヴァイオリンによる「シェエラザード」のテーマが各楽章間で演奏されるなど 全曲を支配しますが、水谷コンマスの抒情感溢れるヴァイオリンの美しい音色が会場に浸みわたり、ひいては聴衆の心に沁みわたりました 首席チェロの西谷牧人の独奏も良かったです 全体的に木管楽器群が検討し、フルート首席の甲藤さち、オーボエ首席の荒絵理子、ファゴット首席の福井蔵、クラリネット首席のエマニュエル・ヌヴ―の演奏が冴えていました

若き指揮者・川瀬賢太郎によるメリハリのある音楽作りを通して、東響の面々は色彩感豊かな演奏を展開し、アラビアン・ナイトの壮大な絵巻を描き出しました

会場いっぱいの拍手に川瀬 ✕ 東響はチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」から「花のワルツ」を華麗に演奏、コンサートを締めくくりました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読響の歴史に残る名演! ~ カンブルラン ✕ レイチェル・ニコルズ+クラウディア・マーンケ+ロバート・ディーン・スミス他 ✕ 読売日響 ✕新国立劇場合唱団でシェーンベルク「グレの歌」を聴く

2019年03月15日 01時14分27秒 | 日記

15日(金)。報道によると、同業他社に転職する際に靴の性能データを不正に持ち出していたとして、アシックス元社員が不正競争防止法違反の疑いで逮捕されたそうです 業種が悪かったですね。すぐに足がつきます

 

         

 

月曜日の夕食に「鶏の唐揚げ」を作って見事に失敗した話は火曜日のブログに書きましたが、昨日の朝、「リベンジはいつやるの?」と、娘から挑発的な言葉が発せられました 「来週かなぁ」とはぐらかすと、「すぐでなくてもいいんだけどさ~」と、すぐにでも食べたい気持ちをほのめかす言葉が 「どうせリベンジするんだから」と考え直し、さっそく3年前に作ってビギナーズ・ラックで上手に出来た栗原はるみ先生のレシピを必死に検索し、やっと探し出しました まず、先生の「うまみじょうゆ」を作るところから始めました。材料は醤油とニンニクと生姜と削り節で、ニンニクと生姜は薄切りします これを冷蔵庫で4時間寝かせておいたものを、鶏肉に沁み込ませます。そして片栗粉をまぶして揚げますが、180度に熱した油に入れたら3分間は触らないのが鉄則です 3分経ったら裏返してまた3分揚げます。これで出来上がりです。3年前の味が復活しました

 

     

 

         

 

昨夕、サントリーホールで読売日響第586回定期演奏会を聴きました   プログラムはシェーンベルク「グレの歌」です 出演は、ヴァルデマル=ロバート・ディーン・スミス(テノール)、トーヴェ=レイチェル・ニコルズ(ソプラノ)、森鳩=クラウディア・マーンケ(メゾ・ソプラノ)、農夫・語り=ディートリヒ・ヘンシェル(バリトン)、道化師クラウス=ユルゲン・ザッヒャー(テノール)、合唱=新国立劇場合唱団、指揮=読響常任指揮者シルヴァン・カンブルランです

 

     

 

「グレの歌」はアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)が1900年から1903年にかけて作曲し、その後オーケストレーションを手掛け1911年に完成させました 内容はデンマークの詩人・作曲家のイェンス・ペーター・ヤコブセンの未完の小説「サボテンの花開く」の中の詩をローベルト・フランツ・アルノルトがドイツ語に翻訳したものに基づくもので、5人の独唱者、ナレーター、合唱と管弦楽のための大規模編成による作品です 初演はフランツ・シュレーカーの指揮で1913年2月23日にウィーンで行われましたが、シェーンベルクの作品としては珍しく聴衆からも批評家からも支持され、成功を収めたと言われています

作品は全3部構成で、第1部はヴァルデマル王とトーヴェの恋の歌が交互に歌われます 第2部は恋人を失ったヴァルデマル王が神を呪う悲痛な歌が歌われます 第3部は王と部下の亡霊の百鬼夜行の暴虐ぶりと、困惑する道化師と農夫の歌が歌われ、それに続く「夏風の荒々しい狩」ではおぞましい夜が去り、新しい生命の息吹が朝とともに訪れる有様が歌われ、最後に太陽を賞賛して曲を閉じます

演奏時間は第1部が約70分、第2部が約6分、第3部が約40分と、かなり偏った構成になっています 第2部が終わったところで休憩となります

ステージ上には100人規模のオケのメンバーが所せましと並んでいます 弦は左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの読響の編成です ステージ左サイドにはハープが4台スタンバイしています コンマスは小森谷巧氏、その隣は長原幸太氏です

カンブルランに伴われて、テノールのロバート・ディーン・スミス、ソプラノのレイチェル・ニコルズ、メゾ・ソプラノのクラウディア・マーンケが登場、ステージ中央の指揮台近くにスタンバイします 指揮台の上には新聞紙大の巨大なスコアブックが置かれています

カンブルランの指揮で第1部の「序奏」がフルートとピッコロにより奏でられます これを聴いて、これはワーグナーの影響を相当受けているな、と思いました そしてロバート・ディーン・スミスによりヴァルデマルの歌が歌われますが、これはマーラーの影響を受けているな、と思いました スミス氏はここ数年の「東京・春・音楽祭」のワーグナー・シリーズで見事な歌唱力を披露して喝さいを浴びているテノールです この日出演の歌手陣の中でただ一人 終始暗譜で歌い切ったのは立派でした

次いでソプラノのレイチェル・ニコルズによりトーヴェの歌が歌われますが、伸びのある美しい声を聴いて、「バッハ・コレギウム・ジャパン」の定期演奏会でカンタータを歌った時の姿を思い出しました

第1部の後半になると、メゾ・ソプラノのクラウディア・マーンケによる野鳩の歌が歌われますが、深みのある声で聴衆を魅了しました


     


休憩後は第3部です。カンブルランに伴われて、農夫・語りを担当するバリトンのディートリヒ・ヘンシェルと、道化師クラウスを歌うテノールのユルゲン・ザッヒャーが登場しスタンバイします ステージ後方のP席には新国立劇場合唱団の面々(男声75名、女声45名)が配置に着きます

道化師クラウスを歌うテノールのユルゲン・ザッヒャーは、いかにも道化師のようなアイロニカルな歌い方で聴衆を魅了しました

農夫と語りを担当したディートリヒ・ヘンシェルは「夏風の荒々しい狩」で、歌うような語るような独特の唱法で物語を紡ぎました

そして最後の「見よ太陽を!」を歌った新国立劇場合唱団の混声合唱は迫力満点で、輝かしいフィナーレを歌い上げました 「現在の日本で、世界に通用するコーラスはどこか?」と問われたら、躊躇なく新国立劇場合唱団とバッハ・コレギウム・ジャパン合唱団を挙げます

今月いっぱいで常任指揮者を退任するシルヴァン・カンブルランに率いられた読売日響の面々は、最後の持てる力を最大限に発揮してシェーンベルクの大曲に対峙し、演奏は成功裏に終わりました

この日の演奏は2017年11月のメシアンの歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」に並ぶ読響の歴史に残る名演奏だと思います とか何とか言ってますが、実を言うと私はシェーンベルクが大の苦手で(無調って何よ?)、CDの保有枚数を比べてみてもモーツアルトの約700枚に対してシェーンベルクは「清められた夜」1枚だけという情けない状況にあります そんな訳で 今回の「グレの歌」は生まれて初めて聴いたのですが、「へえ、シェーンベルクってこんなに分かり易くて素晴らしい作品を書いていたんだ」と驚くとともに 一度聴いただけですっかり気に入ってしまいました これは言うまでもなくカンブルラン ✕ 読響のお陰です

読響の機関誌「月間オーケストラ3月号」にカンブルランのインタビューが掲載されていますが、「マエストロの人生の中で読響とはどんな存在ですか?」という質問に対し、「私の人生における大きな贈り物であり、私の『今』の姿を表す存在です」と答えています。私たち聴衆にとっては、シルヴァン・カンブルランが読響とともに残してくれた数々の名演こそ「大きな贈り物」だったと思います マエストロ、9年間ありがとうございました また 読響を振りに来てください。その時を楽しみにしています

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本モーツアルト協会第607回演奏会「大司教のターフェルムジーク」を聴く~モーツアルト「ディヴェルティメントK.213、K.240、K.252、K.253、K.270」「12のホルン二重奏曲」

2019年03月14日 07時26分57秒 | 日記

14日(木)。報道によると、英議会下院は12日夜、メイ首相が示した欧州連合からの離脱案を採決し、反対多数で否決したとのことです メイ首相はまたしても気がメイる毎日を過ごすことになりそうです 「メイ・アイ・ヘルプ・ユー?」「かえってメイ惑です」

 

         

 

昨日、夕食に「豚バラ麻婆茄子」を作りました COOKPADのレシピですが、豚ミンチの代わりに豚バラ肉を使うところがミソです

 

     

 

         

 

昨夕、東京文化会館小ホールで日本モーツアルト協会第607回演奏会「大司教のターフェルムジーク」を聴きました プログラムはモーツアルトの①12のホルン二重奏曲K.487、②ディヴェルティメント・ヘ長調K.213、③同・変ロ長調K.240、④同・変ホ長調K.252、⑤同・ヘ長調K.253、⑥同・変ロ長調K.270です 演奏は オーボエ=荒木奏美(東響首席)、浅原由香(国際オーボエコンクール東京の最高位)、ホルン=濱地宗(群馬響第一ホルン)、鈴木優(都響)、ファゴット=長哲也(都響首席)、坂井由佳(東響)です

 

     

 

全席自由なので、いつもより早めに文化会館に行ったのですが、すでに長蛇の列が小ホールの坂道の下まで達していました それでも、I列27番、センターブロック右通路側を押さえました 日本モーツアルト協会の例会だけあって、会場は9割以上埋っています(正会員が全員来ると626席が埋まる計算でしょうね。私は会員でも何でない ただの渡世人でございますが)。日本モーツアルト協会の例会だけあって、平均年齢は相当・・・以下省略

最初の曲は「12のホルン二重奏曲K.487」です この曲はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756‐1791)が2つのホルンのために書いた作品です 柴田克彦氏のプログラム・ノートによると、第1曲の自筆譜に『1786年7月27日ウィーンにて。九柱戯をしながら』と記されているそうです 作曲時期は「ホルン協奏曲第4番K.495」 完成の約1カ月後で、その約1週間後に『ケーゲルシュタット(九柱戯)・トリオK.498』が書かれています 「九柱戯」というのは現代のボーリング・ゲームのようなものだそうです

群馬交響楽団第一ホルン奏者の濱地宋氏と東京都交響楽団ホルン奏者の鈴木優さんが登場、さっそく演奏に入ります 二人は最初に①アレグロ、②メヌエット:アレグレット、③アンダンテ、④ポロネーズ、⑤ラルゲット、⑥メヌエット~トリオをの6曲を演奏し、一旦舞台袖に引き上げ 再度登場して、⑦アダージョ、⑧アレグロ、⑨メヌエット~トリオ、⑩アンダンテ、⑪メヌエット~トリオ、⑫アレグロ~アンダンテの6曲を演奏しました

1曲1曲は短いのですが、1曲終わるごとに楽器を分解して中に溜まったつばを排出する作業があるので結構時間がかかりました しかしこれは仕方ないことです。二人の演奏で聴く12曲は、それぞれの曲は短いながらも、モーツアルトのDNAがハッキリと読み取れる曲想で驚きます 二人の演奏はニュアンスに満ちた素晴らしいアンサンブルでした


     


休憩後のプログラム後半は5つの「ディヴェルティメント」(ヘ長調K.213、変ロ長調K.240、変ホ長調K.252、ヘ長調K.253、変ロ長調K.270)です

モーツアルトは人生の3分の1を旅で過ごしたと言われていますが、1775年3月に2回目のミュンヘン旅行から故郷ザルツブルクに戻ったモーツアルトは、2年半後の1777年9月にマンハイム・パリ旅行に出るまでの間、ザルツブルク大司教ヒエローニュムス・コロレドのもと、宮廷音楽家として仕えました これらのディヴェルティメントはコロレド大司教の食卓のBGMとして作曲されたと考えられています ところで、コロレド大司教と言えば、モーツアルトが「テレビはねぇ、スマホはねぇ、そして何より自由がねぇ、おら、こんな村イヤだ~ 」と不満をぶつけてウィーンに飛び出した喧嘩相手でした しかし 冷静に考えればコロレドさんとしては当時の常識の範囲内でモーツアルトに仕事をさせていたようなので、世間から非難を浴びる理由はないみたいです 考えようによっては、モーツアルトはコロレドさんと喧嘩したお陰で、狭いザルツブルクから大都会ウィーンに出て名曲の数々を作曲していったのですから、コロラドさんはクラシック愛好家にとってモーツアルトの才能を最大限に引き出した最大の貢献者と言えるかも知れません

6人の奏者が登場し配置に着きます 左からオーボエ=荒木奏美、同・浅原由香、ホルン=鈴木優、濱地宗、ファゴット=長哲也、坂井由佳という並びです 荒木さんと浅原さんが交替で第1オーボエを務めるので立ち位置が変わりますが、他の4人の位置は変わりません

1曲目の「ディヴェルティメント・ヘ長調K.213」は1775年に作曲されました。第1楽章「アレグロ・スピリトーソ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「メヌエット」、第4楽章「コントルダンス、モルト・アレグロ」の4楽章から成ります

2曲目の「ディヴェルティメント・変ロ長調K.240」は1776年1月に作曲されました。第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アンダンテ・グラツィオーソ」、第3楽章「メヌエット」、第4楽章「アレグロ」の4楽章から成ります

3曲目の「ディヴェルティメント・変ホ長調K.252」は1776年1月から8までの間に作曲されました。第1楽章「アンダンテ」、第2楽章「メヌエット」、第3楽章「ポロネーズ、アンダンテ」、第4楽章「プレスト・アッサイ」の4楽章から成ります

4曲目の「ディヴェルティメント・ヘ長調K.253」は1776年8月に作曲されました。第1楽章「アンダンテ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「アレグロ・アッサイ」の3楽章から成ります

5曲目の「ディヴェルティメント・変ロ長調K.270」は1777年1圧に作曲されました。第1楽章「アレグロ・モルト」、第2楽章「アンダンティーノ」、第3楽章「メヌエット、モデラート」、第4楽章「プレスト」の4楽章から成ります

いずれの曲も第1オーボエがリードして演奏を進めることになりますが、何と言っても荒木奏美さんのオーボエが素晴らしい いつもは東京交響楽団のオーボエ奏者としての演奏を聴いていますが、よく歌うオーボエが印象的です 今回はより間近で表情豊かな演奏を聴くことができ、とてもラッキーでした

交替で第1オーボエを務めた浅原由香さんは愉悦感に満ちた演奏が魅力的でした

ホルンの濱地宗氏と鈴木優さんは表情豊かな演奏で主役を引き立てました

ファゴットの長哲也氏と坂井由佳さんは、メインメロディーを支えながら、しっかりと自らの存在感を示していました

6人に共通していたのは、演奏するのが楽しくて仕方がないという気持ちが表情に現われていて、それが聴く側に伝わってきたということです これは特にモーツアルトの演奏では大切なことのような気がします

この日は生で一度も聴いたことのないモーツアルトの作品を一度に6曲も、しかも最良の演奏で聴くことが出来て、とても幸せでした ケッヘル番号だけでも626曲あるモーツアルトの作品を「すべて生で聴く」のは並大抵のことではありませんが、チャンスがあれば1曲1曲聴いていきたいと思います

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

METライブビューイングでビゼー「カルメン」を観る ~ クレモンティーヌ・マルゲーヌ、ロベルト・アラーニャ、アレクサンドラ・クルジャックにブラボー!:ホセが死ぬ間際のカルメンに指環をはめるのはなぜ?

2019年03月13日 07時22分17秒 | 日記

13日(水)。報道によると、民主党のペロシ下院議長は、トランプ大統領に対する弾劾動議に関して「(発議が)やむを得なかったり、超党派の賛成が得られたりする理由がない限り、その道を歩むべきではない。弾劾は国を分断するものだ」と指摘したとのこと 最後のセリフが振るっています。「トランプ氏は単純に弾劾に値しない」。この時点でトランプはニクソンに負けた、かな

 

         

 

昨日の夕食は豆乳鍋にしました 緑色の野菜は豆苗(とうみょう:エンドウ豆の若菜)です。ビタミンが豊富で健康に良いです

 

     

 

         

 

昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、ビゼー「カルメン」を観ました   これは今年2月2日に米ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演されたオペラのライブ録画映像です キャストは、カルメン=クレモンティーヌ・マルゲーヌ、ドン・ホセ=ロベルト・アラーニャ、ミカエラ=アレクサンドラ・クルジャック、エスカミーリョ=アレクサンダー・ヴィノグラドフ。管弦楽・合唱=メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団、演出=リチャード・エア、指揮=ルイ・ラングレです

 

     

 

オペラ「カルメン」はフランスの作曲家ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)が、P.メリメの同名小説をオペラ化したもので、ビゼー最晩年(といっても36歳)の1875年3月3日にパリのオペラ・コミック座で初演されました その当時「人殺しをするような悪い兵士と タバコ工場の女工の恋」はオペラの舞台にそぐわないという風潮があり、初演は「下品でふしだら」と不評をかったようです 今ではとても考えられませんね

現在シンシナティ交響楽団の音楽監督を務めるフランス出身のルイ・ラングレの指揮で勇ましい序曲が開始されます これほど人の気持ちを高揚させる序曲も珍しいでしょう 序曲の後、ミステリアスな音楽に合わせて男女のペアによるバレエが踊られますが、これが天下一品です このペアによるバレエは第3幕の冒頭でも踊られます

第1幕冒頭ではタバコ工場から女工たちが一様にタバコを手にして出てきます タバコからは煙が出ていないので演技のための小道具だとすぐに判断できますが、これが もし煙が出ていて女工たちが本当に吸ったらどうでしょうか?「禁煙・嫌煙」が当たり前の現代では、「あの演出はけしからん」と非難するお堅い人もいるかも知れませんね

カルメンを歌ったクレモンティーヌ・マルゲーヌは1984年生まれの若手メゾ・ソプラノですが、「ハバネラ」「セギディーリャ」をはじめとして陰影に富んだ深みのある声と迫真の演技力で聴衆を魅了しました ただ、第2幕のリリアス・パスティアの酒場でカルメンがジプシーの歌「にぎやかな楽の調べ」を歌って踊るシーンでは、これまで観たどの演出でもカルメンはカスタネットを鳴らしながら歌い踊っていましたが、マルゲーヌはカスタネットを持ちませんでした 実際問題として歌って踊るだけで精一杯なのかも知れません

ドン・ホセを歌ったロベルト・アラーニャはMETを代表するスター・テノールです 最近のMETライブではサン=サーンス「サムソンとデリラ」にエリーナ・ガランチャとともに出演し、熱唱を聴かせてくれたのが記憶に新しいところです 彼の一番良い点は、あらゆる役柄に体当たりで取り組むことです 今回のドン・ホセでも その本気度が観る側に伝わってきました

ミカエラを歌ったアレクサンドラ・クルジャックは1977年ポーランド生まれのリリック・ソプラノですが、母親からの伝言をホセに伝えるアリアを聴いていたら思わず涙が出てきてしまいました 幕間のインタビューで、「今回のカルメンとの勝負は私の勝ちよ だって舞台が終わったら愛する夫を家に連れて帰るんですから」と語っていましたが、それもそのはず、ドン・ホセ役のアラーニャは彼女の実生活上の夫なのですから

スカミーリョを歌ったアレクサンダー・ヴィノグラドフは1976年モスクワ生まれのバスですが、品位のある美しい低音と映える舞台姿で聴衆を魅了しました

ルイ・ラングレ指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団は歌手に寄り添い、間奏曲では美しい音楽を奏でました

メトロポリタン歌劇場合唱団と、MET児童合唱団の合唱は活力があり とても魅力的でした

リチャード・エアの演出でMETライブ「カルメン」を観るのは2009年(カルメン=エリーナ・ガランチャ)、2014年(カルメン=アニータ・ラチヴェリシュヴィリ)に次いで今回が3度目ですが、今回初めて第4幕のラスト・シーンで「おやっ」と思いました。ドン・ホセが「お前の言うことなら何でもやるから、俺を捨てないでくれ」とすがると、カルメンは以前ホセからもらった指環を投げ捨てます それを見たホセは逆上しカルメンをナイフで刺します。そして「俺を逮捕してくれ。俺が殺したんだ。カルメン 大好きなカルメン」と叫んで幕が降ります このラスト・シーンでカルメンが息を引き取る間際に、ホセはカルメンが捨てた指環を拾ってカルメンの指にはめるのです この演出は過去の2回の公演の時には気が付きませんでした あるいは、今回 演出を変更したのかも知れません

オペラの台本にはありませんが、この後、ホセはカルメンを刺したナイフで自害するはずです。なぜなら、第3幕でカルメンがカード占いをしたとき、「ダイヤ、スペード。死よ まず私が死んで、次は彼が死ぬんだわ」と叫んでいたからです 占いが当たり、まずカルメンが死にます 当然、次はホセの番です。ホセが死ぬ間際のカルメンに指環をはめる演出は「あの世でいっしょになろう」というホセの想いが込められていたのではないか、と推測します

 

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする