レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

アドヴェント、師走直前のアレコレ

2024-11-30 20:21:40 | 日記
こんにちは/こんばんは。

なんと前回のブログ更新から一ヶ月以上も経ってしまいました。以前と違って、土曜日(普段ブログのために使っている時間)にも仕事が入ってくることが多くなったのが主な「言い訳」ですが、集中力の欠如が年々増加していることの方が大きいかな?(^-^;




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Jeremy_bishop@unsplash_com


この一ヶ月余りの間にもいろいろなことがありました。

その一:レイキャネス半島のまたまたのマグマ噴出。これは11月20日の真夜中近くに始まりました。実はワタシ、この前日の朝に飛行機からこの辺りの様子を見る機会があって、「なんもないか」と不謹慎なガッカリ感を覚えていたのでした。

今回の噴出では、グリンダビクの町は被害がありませんでしたが(今のところ)、超人気ツーリストスポットのブルーラグーンは「超ヤバいよ、ヤバいよ」となり、その広大な駐車場はすっかり溶岩の下へ消えてしまいました。

ラグーンの浴場と施設なども「手を伸ばせばマグマ」みたいな距離感になってしまっています。今のところ人工的に土盛りをした防御壁によって被害を免れていますが、当分の間営業は難しいでしょうね。

割と最近に相当な投資をしてリニューアルしたばかりなので、これはマジで国益に関わるような危機です。マネージャーの女性もインタビューでは平静を装っていますが、内心泣いているでしょう。

その近所にはSvartsengiスヴァルトゥスエンギ地熱発電所もあり、こちらは市民生活上さらに重要な施設なので、防御壁を強化する仕事が日夜なされています。

本当にこれらの重機を動かしているのは、燃え盛るマグマのすぐ手前のようにニュースカメラでは見えますので(実際はもう少し距離があるのでしょうが)、事故なく作業が進んで欲しいものです。大変な仕事だと思いますよ、あれは。

いろいろあったこと、その二:二週間ほど日本へ帰ってきました。ブログの更新も日本からしようかとも思ったのですが、できない理由がありました。

最近、レイキャビク界隈ではまたまた空き巣被害が多いのです。空き巣といってもおそらくは外国とも繋がった職業的空き巣集団によるもの。彼らはFacebookやインスタで、呑気に海外滞在の様子を載せている人たちの自宅を突き止めてお仕事をするそうなのです。

私の西街の古アパートなどは眼中にないだろうと思いはするものの、わざわざ餌を撒く必要もなかろう、ということでいっさい口外せずに帰省していました。レイキャビクも先進国並みになってしまいましたね、要らんところで。

日本滞在記は、また別の機会に。




ヤバいよ、ヤバいよのブルーラグーン
Myndin er ur Visir.is/VILHELM


その三:「いろいろあった」ではなくて、今起きていることですが。アイスランドも選挙です。今日の土曜日が投票日なのですが、実は北部、東部から南部にかけての広範な地域で、非常な荒天が予報されており投票に行けない事態が起こり得ます。

そのため、事前から「投票日/時間を火曜日に延期することもあり得る」とアナウンスされていました。今、これを書いているのが午前10時42分なのですが、今の時点では投票が延期されている、というニュースは入っていません。

普通なら即日開票なのですが、「すべての投票が完了するまでは開票できない」と定められているそうで、もしかしたら開票は火曜日夜からとなるかもしれません。

今回の選挙では、いろいろ激変していることが多く、まず政権交代は必至。過去七年間政権を担当してきた、独立党、進歩党(という名前の保守等)そして緑の党は軒並み支持率低下。

緑の党などは、支持率が3%くらいまで落ち込んでしまい、議席ゼロの危機に立っています。あまりの小党乱立を防ぐため、5%の得票率に満たない政党は議席を没収される決まりがあるのです。

今回の選挙。各党の支持率のアップダウンが、毎日ジェットコースター並みに上下してきました。しかもリサーチ元により、かなり数字に違いがある。なんか、リサーチそのものが「息がかかった」ものではないかと勘ぐりたくなる部分もあります。とりわけ独立党系のリサーチの場合。

まあ、選挙については結果が確定してから、また書いてみたいと思います。事前予想はあまり意味のあることではないですからね。




投票日直前のプル 後日解説します
Myndin er ur RUV.is


(いろいろあったこと)その四:ワタシ、また歳を重ね六十六歳となりました。この「66」という数字を客観的に見ると、「ふるっ!」という気がしてしまいます。フライトのEチケットかなんかの確認証で年齢記載されるんですが、それで65(その時点で)とかあるのをみて愕然。

自分ではまだ四十五歳くらいの心持ちなのですが、周囲からはそうは見られていないのだ、という事実を突きつけられたような気がしてしまいます。そんなに年寄りに見えるのかなあ...  オラ、そんなに老けたつもりないんだけど...  否認期か。

その五:今日からアドヴェントです。つまりクリスマスを待ち備える「待降期」「降臨節」という時期に教会は入ります。今日の日没から。ついでに言うと、この時期からが教会歴の新年になります。

明日の日曜日の礼拝では、牧師さんが「新年おめでとうございます」と言うところが少なからずあることでしょう。

はっきりと覚えていないのですが、ここ数年のうちに、アドヴェントが12月に入ってから、というパターンが非常に多かった気がします。普通は11月の最終週から始まるものなのですが。

でもこれは、定められた周期で動いているものなので、ワタシがそう感じるだけかもしれません。ヒマな時に確かめてみましょう。




アドヴェント準備の装飾 これも後日ご紹介
Pic by Me


その七:忘れてました。本当は「その一」で挙げるべきこと。ドジャース優勝! おめでとうございます。ヤッター!! オータニさん、紛れもないスーパースターになりましたね。もう「日本の」という限定詞というか、修飾語は不要かつ不適切になった気がします。

ですが、全米と日本中が沸き返ったこのニュース。こちらでは誰も知らないし、話す相手もいません。当然、喜びを分かち合う仲間も。アイスランドでの慢性的なガッカリは「誰も野球を知らない」なのです。

普段はともかく、こういう特別なニュースを共有できないというのは寂しいことです。構わずFacebookとかでアップしても、「いいね」は同情票の二つ、三つ。まったく、つまらん土地だ。

というところからの邦人発ブログ。今月はもう少しマメに更新するつもりです。明日から師走。健康に気をつけてお過ごしください。(*^^*)


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


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アイスランド語の二者択一 文法か実態か?

2024-10-19 20:48:26 | 日記
こんにちは/こんばんは。

またしても二週間ぶりの更新となってしまいました。秋めいた陽光に包まれていたレイキャビクですが、一時期マイナスにまで気温が落ち込み、雪も降りました。ひどくはありませんでしたが、「舞ってる」以上のもので道路が白くなるくらい。

慌ててスパイクタイヤへの交換にラッシュした人も多いようです。私はそれ以前から交換の予約を入れてあったので、14日の月曜日にスパイクタイヤ・レディー。スパイクタイヤは粉塵公害に加えて、道路を傷めるという副作用があるため、禁止を求める声もあります。ただワタシは道路よりも自分の生命の方が愛おしいので、遠慮なくスパイクを履きます。




清涼感アップ用ピック1
Myndin er eftir Koushik_Chowda@unsplash_com


ああ、それからアイスランドでも選挙です。11月30日投開票。独立党、進歩党(という名前の保守党)、それに緑の党による三党連立政権は任期約半年を残して崩壊しました。それでも七年間も続いたんですけどね、ウソみたいに。

ポリシーに相当の開きがあるこの三党を繋げていたカトリーン前首相が、大統領選出馬のために政権を去ったことで、いよいよ「接着剤」がなくなってしまったようです。

ちなみに現段階での緑の党は2,3%の支持しかなく、おそらくこの選挙で国会から姿を消します。こちらでは5%条項というものがあり、得票総数が5%に満たない党(正式には比例代表名簿のようなリストですが)は、アウト! となります。

私はいまだに名前だけは緑の党のメンバーですが、まあ、仕方ないですね。やり直すためには、一度そういう時期を経験すべきかも。

さて、今回はアイスランド語についてです。ちょっとマニアックな話しになりますがご容赦。今日(19日)のモルグンブラウズィズ紙に面白い記事が出ていたのでそれを元にして書いてみます。記事はバルドゥルさんというアイスランド語の教授によるもの。

実はこのバルドゥルさん、私の一家(まだ妻帯中の頃)が、レイキャビクに移った際に同じ家の上下というお隣さん。バルドゥルさんの小学生の娘さん二人が、うちの子供たちのお守りをよくしてくれたものです。

そのお嬢さん方も、今は成人して自身の家庭を築いています。いつの間に?という感じもしますが、そりゃそうだよな。お守りしてもらってたうちの娘に子供がいるんだから。(歳を実感する時 (^-^; )




清涼感アップ用ピック2
Myndin er eftir Anton_B@unsplash_com


Baldurさんは定期的にアイスランド語に関しての記事を投稿しています。モルグンブラウズィズ紙は保守系で、アイスランド文化や言語の保護にも当然積極的。バルドゥルさんもこの点では同様。

アイスランド語には単語の「性」というものがあります。男性、女性、中性の「ジェンダー」です。ドイツ語やフランス語にもありますよね。スェーデン語やデンマーク語では、進歩し簡略化されて「両性」(男女性)と中性のふたつだったと記憶しています。

アイスランド語で、普通に「人たち」の意味で使う言葉はfolkフォルクなのですが(ドイツ車のVolksvagenのVolkと同じルーツ)、これは意味的には複数なのですが、名詞としては中性単数となります。したがって、folkを代名詞で受ける際には中性単数のthadを使います。

ところが、最近のアイスランド語の風潮に、folkといった後にそれを複数代名詞で受けるものがあります。バルドゥルさんが記事の中であげている例は「いろいろな階層のfolkが集まり、thauソイは現状について苦言を呈した」このthauは中性複数の代名詞なのですが、文法的にはthadが正解。

このような風潮の裏には、文法の正確さよりも描写している事柄の実態により重きを置くような考え方があると思います。実際に集まっているのは複数の「人々」であるわけですから。でも、それならfolkそのものを複数名詞にしたら?ということもできますが... へへ。

この風潮の伏線には「男女同権」へのプレッシャーがあります。どういうことかというと、例えば議長を意味する言葉はformadurフォルマーズルなのですが、このマーズルは「男」を意味する男性名詞。

そこで、男女同権の考えを持つ人々が「なぜ議長は『男性』なのか?formanneskjaフォルマンネスキャ(manneskjaは『人物』を意味する女性名詞)の方が公正では?」

バルドゥルさんは、確か以前の記事でこの点を論じていて、「madurという名詞は、単に『男』だけではなく、性にとらわれない『人』をも意味する」と。




バルドゥルさんの投稿記事
Myndin er ur Mbl.is


これはひとつの例ですが、他にも似たような言葉は山ほどあるわけですよ。大統領forsetiは男性名詞ですが、現大統領は女性です。ですから、大統領と言った後にはhannハン(男性単数)で受けるのが文法的には正解なのですが、みんな実際は女性だと知っているので、hunフン(女性単数)で受けることも多く見受けます。

もっともバルドゥルさんの意見では、これは文法的にも許されている例外であり、forsetiは女性形で受けてもいいのだそうです。

アイスランド語の文法を守ろうとする人々は、まあ基本的に保守的になりますが、別に変化を否定しきっているわけではなく、なし崩しに文法が無視されることを警戒しているようです。

生徒たちを意味するのはnemendurネーメンドゥル(nemandi男性単数の複数形)です。当然これを受ける代名詞はtheirセイル(男性複数)なのですが、「実態」を見る風潮から、これをthau(中性複数)で受ける人も多いようです。生徒たちは男女共にいますから。

バルドゥルさんは、このような言葉の置き換えは気に入らないようです。「代名詞の性について、実際のジェンダーと結びつけて考えることは間違っている。代名詞の性は実際には『性なし』なのだ」としています。

わかるような、わからないような。




清涼感アップ用ピック3
Myndin er eftir Vincent_Guth@unsplash_com


例えば慣例句でallir velkomin アットゥリール・ヴェルコーミン「皆さん歓迎」と言いますが、このallir は形容詞allur(英語のallの男性複数形)なのですが、意味はジェンダーに縛られずに普遍的な意味での「皆さん」を意味しています。

ところが文法的には、修飾語のvelkomin(英語のwellcome)は中性複数の語尾変化をしています。つまり、allirは男性複数なのに、velkominの方は中性複数なのです。これも「実態」を意識してのことなのか?

ちなみにここでのallirは代名詞ではなく形容詞なのですが、おそらく文法的には「形容詞の代名詞的用法」とかいうのだろうと思います。間違ってたらごめんなさい。Akakuraさん、教えて!

アイスランド語、学ぶ身としては「これが正しい」というものを示して欲しいのですが、年がら年中「例外」そして「これは『非』例外」に直面するのが実際です。文法はきちんと学びたいものですが、あまり突き詰めて「正解」を追求しようとすると墓穴を掘ります。

こういうのを「奥が深い」というのだろうか?ちょっと違う気がする。「ダブルスタンダード」?「トリプル」?「その場その場主義」?あるいは「カオス」?アイスランドの皆さん、移民に「しっかりアイスランド語を勉強しろ」と言うなら、もう少ししっかりしてくれ〜〜!


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「すべて世は事も無し」ってか?

2024-10-05 20:49:06 | 日記
こんにちは/こんばんは。

十月の最初の週末。ここ数日、レイキャビクは美しい秋の陽光に包まれる時を与えられています。やはり気持ち良いですね、風もないし。爽やかというか、平穏というか、ロバート・ブラウニングのPipa’s song という詩を思い浮かべてしまいます。




今朝の寝室兼仕事部屋からの景色
Pic by Me


時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀 なのりいで、
蝸牛 枝に這い、
神 そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
(上田敏・訳)

まあ、これは春の詩(うた)だけど...

「すべて世は事もなし」この詩は小学校だか中学校の国語の教科書に出ていたもので、以来、最後のこの一句だけ覚えてしまっていました。今朝(5日の金曜日)のような、穏やかな日に時折思い出します。

ただし、「すべて事もない」のは、私の視野にあるごくごく限られた「世」というものであって、実際には「世」はこれでもか!と言わんばかりの「事」に満ち溢れてしまっています。ウクライナ、ガザ、レバノン そして今日のニュースによるとハイチでもひどい事件が... まったく、どうなるんでしょうね、世界は?

もう少し身近な「世」でも「事」はたくさんあります。前回ご紹介したように、アイスランドでも殺人事件が –しかも子供が巻き込まれた– 複数回起こってしまっていますし、傷害事件も増加しています。

もうひとつ気に入らないのは、アイスランド社会の中にある「反外国人キャンペーン」みたいなもの。最近、政治家やメディア関係でUtlendingamalウートレンディンガマウルという言葉が頻繁に使われます。Utlendingaというのは外国人(utlendingur)の複数連語形でmal(問題)が付いて「外国人問題」ということです。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Rory_hennessey@unsplash_com


「移民問題」でもなければ「難民問題」でもなく、「外国人問題」なのです。ということはオイラもその問題の仲間ということになります。

まあ、「外国人」と言っても人類の総人口は81億1900万人だそうですから、移民を差し引いたアイスランド人の総数を35万人程度とすると、81億1865万人を相手にしているわけで、まあ大きく出たもんだ、と感心させられます。

皆さんも日本のニュースとかで見聞きすることがあるかと思いますが、ヨーロッパの多くの国々では反移民感情が高まっています。反移民を掲げるいわゆる「民族主義的右派」の政党がドイツやフランスでも躍進してしまっています。

アイスランドにも、そういう主張をするグループはこれまでにもありましたが、政府の公式な見解やコメントレベルではそう顕著になることはありませんでした。

(*脱線しますが、私の使っているMacOS、最新のSequoia15.0.1. なのですが、ローマ字入力からの漢字への転換が信じられないほど間抜けです。これまでの転換の学習もしないし。しかも、転換なしでひらがなのままを入力したい時に、勝手に漢字に変えられてしまうことが多々あります。疲れる。どうにかしてほしい)

それが一年前くらいに、独立党の党首ビャルトゥニ氏(現首相)が「外国人問題」という言葉を使い始めて以来、メディアもその言葉を使い始めました。最近では他党の政治家までutlendingamalを口にします。




シィンクヴァットゥラ公園も秋めく
Myndin er eftir Vigdis V. Pallsdottir med leyfi


とりわけ率先してこの反外国人キャンペーンの音頭を取っているのが独立党系の大手新聞のMorgunbladidモルグンブラージィズ紙。

以前から党派性はありましたが、それでも一応クオリティペーパーだったのですが、今ではなりふり構わぬ感じの民族紙の感があります。連日、例えば難民に関する否定的記事のオンパレード。

これは、何も批判的な明言をしなくとも、「タクシー運転手が料金詐欺をしました。この運転手は元難民でした」的な書き方で、要するに「煽り記事」の範疇です。

こういう記事をですねえ、毎日々々目にしていると、それほど世の中の事情に通じていない人は「そういうものか」と信じ込んでしまうに違いありません。刷り込み成功。

こういうキャンペーンが発展するのは、まずいずれの場合も庶民の生活の窮状に関係しています。例えばアイスランド、特に首都圏では住宅事情がひどい状態です。「アイスランド人の間にホームレスが出ている一方で、難民は住宅を無料であてがわれている」「難民が住宅を我々から盗んでいる」こういうのが典型的な理屈。

住宅問題は今から十年も前から論じられています。政府は何もしていません。例えば新しく大きなマンションが建築されても、超富裕層が多くの部屋を「賃貸用」に買い取ってしまい、結局庶民には無縁。

また、観光業の発展につれて、従来の賃貸住宅が、儲けの良いツーリスト向けのAirBNBとかに変わってしまったことが住宅難に拍車をかけたのですが、それに対しても無制限のまま。

ウクライナ難民が増加した際も、住宅の需要がさらに増えるとわかっているのに、政府は仮設住宅等の建設よりは、すでに不足している賃貸アパート等の借り上げに奔走しました。結果は反移民・反難民の連中に「奴らが住宅を盗んでいる」と言わせる格好のネタを提供しただけ。

要するに住宅難は政府の失政・怠慢と、住宅難からウハウハの利益を得ている一部の富裕層の貪欲のせいであって、移民や難民の故ではありません。




これは思いつきのアングルで撮った教会
Pic by Me


日本と同様に、ウクライナ侵攻の煽りで物価が上昇していることも庶民の生活を苦しめています。そこで言い始めたのが「ウクライナ支援が我々の生活を苦しめている」

アイスランドがウクライナを支援しているのは、何も人道上の理由からだけではなく、ウクライナに持ちこたえてもらわないと、政治的にも長い目で見ればアイスランドの権益にマイナスになると見込まれるからです。

民族主義的右派は、そういうことにはまったく触れず、あたかもウクライナ人のせいでアイスランド人の生活が圧迫されているかのように問題を取り上げ、吹聴します。これも一般大衆への刷り込み戦略ですね。

以前、日本史や世界史を学んでいた際に、「なんで日本は戦前ファシスト政権をゆるしてしまったのだろうか?」とか「頭の良いはずのドイツ人が、なんでヒトラーなんぞを盲信したのだろうか?」と不思議に思ったことがあります。

今、こうしてアイスランドでの「反外国人」キャンペーンを毎日目にしていると、「なるほど」と以前からの疑問に対する答えのようなものを見出す気がします。

こういう状況を認識しながらも、「疲れるから反論しない」知識人や、「反外国人の方が支持を得やすいから」という目算でものを言う連中も少なからずあるようです。

私自身、これまで随分ものは言ってきた方なので認めますが、確かに反論するのは疲れるんです。だけど「黙ったまま」っていうのは、やっぱりダメだよな。民主主義とか、人権とか、勝手には来てくれないし、放っておくとどこかへ雲散霧消ということもあり得ます。

日本の皆さんも、いろいろと似たような状況が思いあたるかもしれませんが、言論の自由を含めて、権利は行使しないと減っていってしまうものです。頑張りましょうね。

というような時勢だからこそ、それが許される時には穏やかな天気の下、散歩でもしながら「すべて世は事も無し」と落ち着くひと時も必要か?そういうことにしておきましょう。(*^^*)


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残念な現実 – これもアイスランドです

2024-09-21 20:22:11 | 日記
こんにちは/こんばんは。

九月も半ばになりましたね。中秋の名月とは今頃かいな?と思いつきネットで検索したところ、今年は9月17日だったそうで、チョと遅かった。もっとも満月というのは、世界のどこから見ても同じなのでしょうか?

いやいや、そんなことがあるわけない。と思うのですが、それはまた気が向いた時に調べてみます。




アイスランドの月
Myndin er ur Vikurfrettir.is


日本とアイスランドではものの風情は随分と異なるのが普通ですが、それでも「中秋の名月」ということを思い浮かべると、結構同じような風情かなあ?という気もします。こちらの原野にぽっかり浮かぶ満月は、ススキの向こうのお月様と似たものがあると感じ入ります。

こちらで足りないのはお団子か?まあ、自分で作れば何とかなります。

さて、今回は愉快なトピックではありません。殺人についてです。このマイナーブログは、そもそもレイキャビク在住の日本人が感じる実際の生活感覚を気楽な感じでご紹介しよう、ということから始まっています。

楽しいことをご紹介できれば、それに越したことはありませんが、どの社会にも「闇」の部分はあります。アイスランドでのそういう「闇」のひとつがこのところ増加してしまっている「暴力」と「殺傷事件」なのです。

統計によりますと、1999年から2019年の二十年間にこちらで起きた殺人事件の犠牲者数は38人。年平均で1,9人となります。それが、2020年から2024年の五年間では犠牲者数23人、年平均で4,6人に跳ね上がります。二倍以上ですね。

今年に限っていうと、事件数は6件。犠牲者数は7人ということです。このうち3人が子供(未成年者)。殺人事件そのものが悲惨なものなのでしょうが、子供が犠牲者の場合はその度合いがはるかに増す気がします。




気分転換用ピック
Myndin er eftir Martin_jarnberg@unsplash_com


無差別事件は別として、大人が犠牲者の場合は、何かしらの関わりというか脈絡があることが多いでしょうから、「まったく予想外ではなかっただろう」とか勘ぐる余地があります。もちろん、それでも殺人が許されるわけではないですよ。

ですが、子供が犠牲者となると、ただただ「不条理」としか感じられません。

今年の一月、六歳の男の子が自宅で殺害されました。殺したのは何と母親。この家族は紛争地域からの難民として受け入れられた家族で、母親は精神的に病んでいたのではないか?と噂されました。

その後の詳細は... 私は聞いた覚えがないですねぇ。発表されたかも?しれません。

そして八月。レイキャビク市のカルチャーナイトのイベントの夜、十六歳の少年が、ティーンエージャーの男女二人をナイフで刺す事件が起こりました。男の子は大事に至りませんでしたが(刺された時点で大事か?)、女の子は数日間の集中治療の甲斐もなく亡くなりました。享年わずか十七歳。

何が起こったのかは、いまだにきちんと公表されていませんが、少なくとも亡くなった女の子は、ドラッグやその他の危険な行為にはまったく関わっていなかったことが明らかにされています。




女の子のための追悼会
Myndin er ur Facebook


アイスランドと日本では、このような事件の報道に違いがあるように思えます。それは事件を扱う当局、伝えるメディア双方の違いです。日本では、わりと捜査が進展する傍から情報を伝えてくれるようですが、こちらでは警察は極めて慎重で、なかなか事件の詳細や経過を発表しません。メディアも敢えて深追いしないようです。

これはですねえ、やはりアイスランドが「極小」社会であることに起因するものだと思われます。レイキャビク市の人口は15万弱、周辺の町を含めても25万強です。まさしく日本の小さな地方都市の大きさしかありません。

ですから何か事件が起きた場合、全住民にとって「身近で起きた事件」となるわけです。変に情報が与えられ過ぎたりすると、捜査や被害家族のプライバシーに思わぬ悪影響が出てしまうことは容易に推測できます。

かつ、捜査が終了して事件そのものは落ち着いたとしても、事件の顛末の詳細は特に発表されないこともあります。これはそれらの詳細がいたずらに被害者家族等に迷惑をもたらすものでしかない、と判断された時のようです。

この十七歳の女の子の父親は、娘さんが亡くなった後、すぐにSNSで名乗りを挙げ「娘は本当に罪のない明るい子供だった。このような若者による暴力事件がなくなるように、社会全体で考えて欲しい」訴えました。

数日して、この女の子が所属していた教会で追悼式が持たれ、さらに大きなハットゥルグリムス教会でも、追悼の祈祷会が超教派で行われました。

最近の大きな社会問題が、若者のナイフ等の凶器による暴力事件なのです。ファッションなのかブームなのか、おそらくはもっと根の深い精神的不安・不満足の故なのか、若者がナイフ等を携帯することが多くなっています。

多くの議論がなされており、そのようなナイフ等を扱うお店では、商品を鍵かかった棚に移したり、購入時にID提示を求める等の対策を取り始めました。




十七歳の女の子の追悼祈祷会、さらに葬儀が持たれたハットゥルグリムス教会
Myndin er eftir Ferdinand_stohr@unsplash_com


ところが、このカルチャーナイトの事件の暗い影響がまだ漂っていた先週の日曜日の夜。また殺人のニュースが報道されました。

成人男性から警察に「娘を殺してしまった」という通報が入り、警察が現地の郊外の溶岩地帯で十歳の女の子の遺体を発見。居合わせた四十五歳の父親を逮捕したというのです。この事件も詳細はまったく公表されていません。

私のいる教会の女性牧師の人は、「これが、娘が誤って足を滑らせるかどうかして落命してしまい、父親が責任を感じて『殺してしまった』と言ったようなもので、せめてあって欲しい」と話しましたが、確かにそのような事件性のない悲劇であってくれれば、という気はします。今の段階では、何も言えません。

この事件では、事件が起きた直後からある教会の女性牧師さんが警察に同行して、被害者の女の子の母親等、遺族の方々を慰め鎮めるために働いています。こちらでは、事故・事件の知らせる役目を牧師が受け持つことが伝統的に多いのです。

先の十七歳の女の子の家庭も、今回の十歳の女の子の家庭も、私のいる教会と同じレイキャビク東という区域の教会に属しています。先に「実際は事故であってほしい」と話した女性牧師さんは、この地域の地域長の牧師さんなのです。起こる事件のひとつひとつが「身近なもの」になってしまう、ということがおわかりいただけるかと思います。

というわけで、この二、三週間は重く暗い空気とピリピリした雰囲気が、そこかしこに漂っています。残念なことですが、これもアイスランドの現実です。もしアイスランドへのご旅行を準備されている方がありましたら、このような現実も頭の片隅にキープしておいてくださいますように。


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これもアイスランドの伝統 – ビショップ叙任式

2024-09-14 18:35:41 | 日記
こんにちは/こんばんは。

レイキャビクでの今年の夏は、結果的に冷夏となってしまいました。加えて「秋化」が早い気がします。九月初旬の段階で、すでに外出の際にはユニクロのウルトラライトダウンを着ていますし、部屋で物書きをする際にも、ひざ掛けのブランケットを使ったりしています。

やれやれ、どういう冬になることやら... 昨年は十二月になるまでシャツは半袖だったのを覚えていますからね。




式後の記念写真 難産の一枚
Myndin er ur Kirkjan á Facebook


さて、今回は今月の一日の日曜日に行われたbiskupsvigslaビスクプスヴィグスラについてご紹介したいと思います。biskupはビショップ(教会の監督)のことでbiskup-sで「監督の」ということです。

Vigslaは「叙任」とか「叙階」を意味し、biskupsvigslaで新監督の就任式のことになります。前ビショップのアグネスさんの叙任式は2013年でしたから、十一年ぶりの儀式になりますね。

「日本で言うならば...」と例えを考えたのですが、う〜ん、ピッタリとくるものが思いつきません。皆さんに馴染みのある(かもしれない)例を挙げると、イギリスの国王の就任(?でいいのかな)みたいな感じです。もちろん規模ははるかに小さいですが。

それでもアイスランドでの行事としては大規模で、会場のランドマーク的なハットゥルグリムス教会は満杯になります。半分は招待客。大統領を始め、閣僚や政界の要人も参列し、周辺の外国の教会の監督方も招かれています。テレビでも生中継。

八月一日のハットゥラ新大統領の就任の際には、ほとんど簡略な式しかなかったのに比べると大仕掛けです。

式の内容を先にお伝えすると、別に特別なことはありません。讃美歌を歌い、聖書を朗読し、前監督(その時点ではまだ現監督)の勧めの言葉。ついで就任の誓いと新監督の説教。聖餐式と呼ばれるパンと葡萄酒をいただく儀式、そして退場となります。

ただ、それが教会が満杯の状態で行われると、時間がかかります。合間合間にクワイアの合唱が入ったり、聖書の朗読がゲストによりグリーンランド語やスウェーデン語、はたまたパレスチナからのゲストのアラビア語まで加わったりして、つまり、そういう「念入りな」儀式なわけです。




ヒラの行進 私もここに写ってますよ
Myndin er ur Kirkjan á Facebook


私たちヒラの牧師さんたちは、実は叙任式の開始前三十分の時点で、隊列を組み入場しています。式の開始は午後2時でしたので、1時半には所定の席に着席。式から式後の記念撮影を終えて「解放」されたのは4時半くらいでしたからほぼ三時間かかりました。長いよ、いくらなんでも。

さて、元へ戻って、私たちヒラ牧師連。昼過ぎに教会に隣接するTECカレッジに参集。そこでhempaヘンパと呼ばれる、アイスランドの牧師の伝統的装束をまといます。これは厚手の黒い生地でできたドレスのような服に、白くて丸い天使の輪っか状の首カラーを付けたものです。

いまだにこれを使っているのは、アイスランドとオリジナル国のデンマークだけと理解しています。ちなみにワタシは「そんなの関係ネエ」とヘンパを持たずに過ごしてきたのですが、ここへ来て監督オフィスが一着支給してくれました。これが最初で最後の一回の着用かもしれないのに。(^-^;

で、先に述べましたように列を組んで行進して教会に入ります。これは牧師になった年の若い順に並んでいくのですが、1990年製の私、気が付けば随分と後ろの方。そういうもんか。このプロセッションは珍しい光景なので、偶然居合わせた観光客の皆さんは大喜びでスマホをかざしていました。

我々だけで130人くらいはいるはずなのですが、国外ゲストの司祭たちを含めて、全員「聖卓」と呼ばれる教会の前方の壇上部分に押し込まれます。私たちは壇上から一般の参列の方々に向き合う形で座ることになります。さて、終わるまでここにジョッとしていなくては。信心のための勤行(ごんぎょう)です。

じっと座っていると、何の合図も無しに前方から立ち始めました。なんだ?と私も立ち上がりながらいぶかっていると、それが新大統領夫妻の到着だったことがわかりました。儀礼上の起立です。どうもどうも、始めまして。

教会の鐘が鳴り始め、午後2時きっかりに奏楽のトランペットが鳴り響きました。まさしく国王的だな。いや女王か。新監督のGudrun Karls Helgadottirグビューズルン・カルス・ヘルガドティールさんは女性です。




グビューズルン新監督の説教
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キャンドル持ちの子供を先頭にして、入場が始まり、海外の教会の来賓らが続き、現ビショップ(その時点)のアグネスさんや新ビショップになるグビューズルンさんらで締めくくり。儀式の始まりです。

荘厳?な音楽に、来賓司祭たちのきらびやかな祭服の数々。正直言って、時代とズレてるなあ、感じました。こんな見せかけで権威をひけらかすようなのはアナクロニズムだと思うんだけど...

伝統文化というものはあるのでしょうが、この権威主義は国民教会が「国教会」であった頃の無残りだと私は思っています。私がここの牧師になったのは、まだ「国教会」であった「末期の始まり」くらいでしたが、日本の小さな教会で育った私には鼻につくものが多く、ずいぶんと反発を感じたものです。

「国民教会」となった今の時代、ただでさえ教会は世間で不人気なんだから、もう少し庶民目線になって然るべきだと思うのですがね。

まあ、とにかく三時間で「勤行」は終わり、私は「さっさ」と帰りました。夕方から別の場所でレセプションがあったのですが、それはスルー。

で、新ビショップのグビューズルンさんは、女性で確か五十五歳。私よりも十歳も若いのですが、それは気になりません。

ビショップの役割も「国教会」時代とはかなり変わってきました。以前は、何と言うか、教会内の「ミニ独裁者」みたいだったし、それ故に多くの弊害がもたらされました。

そのため、様々な改革の試みがなされ、今では財政や行政の最終的決断はkirkjuthingiキルキュシンク(kirkju「教会の」 thingi「議会」)という、教会内でのミニ国会のような機関に委ねられています。




式を終え退出する一同
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私の考えでは、現在のビショップの主な役割はPRだと思います。マスコミの扱いが不得手だったアグネス前監督は、PRの面では失点を重ねてきました。私にとっては良い監督だったのですけどね。

私は新監督の選挙の際から、グビューズルンさんを支持してきました。それは第一に基本的なものの見方が、候補者の中では一番私の考えに近かったこと、そしてマスコミの扱いが上手だったことによります。

まあ、人というのは、権威の座につくと変わることがあります。ネガティブな変化の例も多く見てきました。そうならないことを願います。

主がアグネス全監督にねぎらいと祝福を、そしてグビューズルン新監督に指導と支えを与えてくれることを祈ります。

今回は、おそらくは皆さんにとっては馴染みのないであろう、biskupssvigslaというアイスランドの伝統儀式についてご紹介しました。すべて「ワタシの目を通した」ということでお願いいたします。(*^^*)


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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コメント (2)
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