レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

来なかった八月 そしてSeptember

2024-09-07 02:43:21 | 日記
こんにちは/こんばんは。

気がつけば秋。「September そしてあなたは September 秋に変わぁった... 」昭和です。本当に気がつくと、前回の更新からまるまる一ヶ月が経ってしまっていました。




清涼感アップ用 ーだけではない氷河の洞窟ピック
Myndin er eftir Davide_cantelli@unsplash_com


私の怠惰のなせるわざですが、八月はちょっと特別で、ワタシにとっては八月は無かった気がしています。私は基本的に健康な人間で、二十年以上も熱を出して寝込んだ、というようなことは皆無でした。

二年前の八月にコロナに感染して、以来多少身体の中の免疫システムとが変わってしまったのかもしれません。今年は五月の前半に、流感なのかなんなのか調子が悪い時期が長く続きました。

そして、今度は七月の終わりからなんと喘息が発症してしまったのです。気管支はそれほど強くないタチなので、以前より年に何回か咳をしやすくなる時期はありました。

そしてそれが、コロナ感染のあときれいさっぱりなくなっていたのです。不思議ですよね。ところが急に喘息です。わけがわかんねえ。

それもホンマもんの喘息で、夜中に目が覚めると息が苦しいのです。息をしようと思って息をしないと呼吸できなくなりそうな... おまけに、ベッドで横になるとさらに息が苦しくなり、仕方ないので八月はずっとソファで上半身を起こし気味にして就寝しました。飛行機の中で寝るときみたいな。

運悪く、それが巷のカレンダーで夏休みの真っ只中。過去十五年間で二回しか会ったことのない(それも病気ではなく健康診断のため)ホームドクターに助けを乞おうと思ってヘルスケアセンターに電話すると、「あなたのホームドクターは十一月末まで空きがありません」

いやいや、それでどうやって病人の役に立つんかいな?




あるお宅の綺麗なお庭
Pic by ME


前回のブログを更新した直後くらいに、仕方なく娘にそのことを話してみました。実は娘は医者なのです。「そうそう、今はお医者さん不足だから。電話して看護師の人に状況を話すと、看護師さんが診断が必要そうな人から予約入れてくれるから」

どうやら、最近はそういうシステムらしいのです。知らなかったし、それならそうとウェッブのサイトにもちゃんと書いておけよ、と言いたい!

自分の健康状態を、電話でアイスランド語で説明するのはハードルが高いのですが、その頃には「もしかしたら致命的な病気では...」という病人特有の幻影がちらつき始めていたので、それでも昼前に電話しました。

看護師さんのおばさんと、10分ほど話しをすると「じゃあ、今日の午後一時にヘルスケアセンターに行ってちょうだい。少し待つことになるかもしれないけど、あなたの番を用意しておくから」いきなりスムーズに話しが進むな。

というわけで、アイスランドへ来て初めて「病気のために」ヘルスケアセンターに足を踏み入れました。「待つかも」と言われていたので、長期戦の構えでいたのですが、受付後わずか10分で若い女性の看護師さんに迎え入れられました。

「英語?アイスランド語?」と聞かれたので「アイスランド語」それで血液を指先からちょこっと取ったり、血中酸素の濃度を測ったりおよそ10分。途中何回か英語で話しかけ始めて「あはは、御免なさい。今日は朝から英語ばかりだったので」それだけ外国人が多いということですな。




大好きデイジー
Pic by ME


そこで一旦放免され、また待合室に。するとまた7〜8分という常識的な間合いで専門医の方に招かれました。ホームドクターではありません。「ちょっと血中酸素の濃度が低いから、もう一度測ろう」と再び指先をパッチンされ測定。

さっき、看護師さんのところでやった時には93とかだったのです。ワタシ、どのくらいの数値なら良いのか知らなかったので気にもしなかったのですが、帰宅してからネットで調べてみると、96くらいあるのが普通で、93はちょっと「ヤバいよ、ヤバいよ」に踏み込んでいたようなのです。

で、再測定すると96ありましたので、ドクターも納得。私はその時点では93の意味を知らなかったので、それだけのこと。

そこで聴診器とかで診察を受けてから、薬を処方してもらいました。抗生物質を三日分と、苦しいときの呼吸式の薬。「明日か明後日、レントゲンを別の場所へ行ってもらって撮ってください」

了解。その足で薬局へ向かい、処方してもらった薬をゲット。翌々日にレントゲンの撮影。これも待ち時間ほぼゼロで終了。どうも、はじめの「ホームドクター、十一月まで埋まってます」に比べて、信じられないようなスムーズさ。一体どちらが医療の実態を正直に伝えるものなのか...?

抗生物質が効いてくれて、夜中に呼吸困難で目が覚めるようことは無くなりました。それでも喘息そのものはまだ残っていて、煩わしい限りです。いまだにソファで眠っています。モルダーか?(昭和...じゃないX- ファイルは平成ギャグです(^-^; )

で、八月はずっとこんな感じ。大事をとってせっかく軌道に乗っていた筋トレもお休み。もう一ヶ月も経ってしまいました。そろそろリハビリから再開したいものです。

実は八月後半は、仕事上でもかなりの予定が入っていて、それらを「ゴホゴホ」と咳をしながらこなすのは結構難儀でした。それこれで、ブログにまで手が回らなかったのです。




これはなんという?時々見るけど名前を知らない花
Pic by Me


でも、八月中にもいろいろなことがここでは起きていました。良いことも悪いことも。それらの中のいくつかはちゃんとブログに書きたいですね。

良いことというのは、国民教会が新しいビショップ(監督)を迎えたことです。前任のアグネスさんに続いて、また女性牧師。このことは回を改めてまた書きます。

悪いことは、これは本当に悲しいことですが、未成年の若者による未成年の女性の殺害事件です。なくなった女性はわずか17歳。この事件だけではなく、最近、若者がナイフなどの刃物で傷害事件を起こすことが顕著に増加してきているのです。

これも、アイスランドの実態ですから、機会を見てご紹介したいですね。楽しい話題ではありませんが。

もうひとつ、悪いこととして挙げなくてはならないのは、氷河ツアーでの事故です。観光客のアメリカ人夫妻が崩れた氷の下敷きとなり、ご主人は死亡。身重の奥さんは重症と報じられました。

事故後、「夏に氷河は危険なことは皆知っているはずだ」という批判が観光ビジネス界に対して投げかけられました。当然です。業界からの返答はしどろもどろで、このことも書いた方がいいかなあ。

もし、アイスランドへ観光にいらっしゃる方がありましたら、十分に気をつけてください。とんでもない危険なところへ連れて行かれるかもしれませんから。決して百パーでツアーを信用されませんよう。これもアイスランドです。

まあ、99パーセントの業者の方はきちんとしているのでしょうが、たとえ一二件でも「安全より儲け」が露呈してしまうと、信頼というものは総崩れになります。厳しいようですが、それ故に安全コードを維持監督するのは業界全体の責任のはずですから。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation

Facebook: Toma Toshiki
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近づく晩夏の「やれやれ、またかいな」

2024-08-06 18:49:32 | 日記
こんにちは/こんばんは。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Matt_Palmer@unsplash_com


またまた中途半端な間隔での更新となってしまいました。二週間の夏休みが終わるタイミングで書いています。

毎年書いていることをまた繰り返してしまいますが、八月のアイスランドは -特にレイキャビク界隈では- 盛りだくさんの行事で埋め尽くされています。

まず、8月1日には新大統領のハットラ・トマスドティールさんが就任しています。割りと静かな就任式で、あまり大騒ぎはなかったですね。

第一の週末であったこのウィークエンドはThodhatidショウズハウティーズという「野外ワイワイどんちゃんパーティー」がヴェストゥマンナエイヤルという島(正確には諸島)で開催され、万単位の人が参集しました。

今年は天気に恵まれていたようなので、皆さん楽しまれたことでしょう。以前にはこの祭りの最中に、特に酔いに任せたレイプ暴行事件が多発することが話題になり、注意喚起されたのですが、最近はあまり耳にしないような気がします。改善されたのやら、気にしなくなったのやら。ちょっと心配。

同様の野外パーティーは、全国あちこちで開催されます。ちなみに第一の週末は月曜日まで祝日で、パーティーも足掛け月曜までとなります。




こんな感じのヴェストゥマンナ島のフェス
Myndin er ur Eyjafrettir.is


その翌日の火曜日から、即Hinsegin Dagarヒンセイイン・ダーガーという第二週末にかけてのお祭りが始まります。これは俗に言うGay Prideというイベントです。

Hinseginという言葉は、こちらではよく使われるもので、要するにLGBTqの人たちを指すものなのです。私自身も「雰囲気的」に使ってしまってることが多いのですが、Geminiのサジェスチョンに従ってLÓA Language Schoolというサイトで調べてみました。

すると「HINSEGIN: 『異なる』しかし、異性愛者や一般的な性と性別の定義に当てはまらない人々のための包括的な用語でもあります。これは(英語では) queerと訳されますが、queerはhinseginという言葉よりも急進的で政治的なイデオロギーを表します。他に適切な言葉がないため、この投稿ではqueerを使ってhinseginコミュニティを指します。」とのこと。

このイベントは、三十年近く前から企画開催されていたもので、1999年以降は毎年レイキャビク市で持たれるようになりました。当初はゲイの人たちの権利の拡張を訴える機会でしたが、最近ではもう少し包括的になりLGBTqの人たちや、はっきりしなくとも「ちょとフツーでない」人たちのことも含むようです。「『フツー』ってなんや?」という紳助さんのCMがかつてあったような。

とにかく、これも万単位での人出となります。




Gay Prideパレードからの一コマ
Myndin er ur Hinsegindagar.is


第三週は今年は何もなくて、次の第四のウィークエンド。レイキャビクではMenningarnottメンニンガーノホトというカルチャーナイトのイベントが持たれます。夜だけではなくて、朝からレイキャビクマラソンとかが始まります。

あと、この辺りから「晩夏」の気配かなー?

というわけで、八月はワサワサした時期となります。加えて夏休みが終わり、みんな仕事に戻ってきます。ことらでは学校は八月中旬から新学年、仕事も九月から新年度みたいな区切りですので、八月はなんというか、「本番前」みたいなソワソワ感もあります。

私自身は究極の引き篭り老人ですので、このようなお祭り騒ぎにはほとんど関わりなくチョーゼンとしていますが、それでもこの「ソワソワ感」は周囲から伝わってくるので、多少は巻き込まれてしまいます。

特に今年の場合は、教会関係で特別なことがありソワソワ感を増幅しています。それは9月の1日にGudrun Kals Helgudottirグビューズルン・カルス・ヘルグドティール牧師が新ビショップに就任する式があるからです。

ビショップはそうコロコロ変わるわけではありません。現ビショップのアグネスさんが就任したのが、確か2013年。だから十一年振り?大体十年から十五年くらい周期での交替が普通でしょうか?





カルチャーナイトからのスナップ
Myndirnar eru ur Visir.is/SteingrímurDúi


ですから、外国からの来賓も多く、結構大きなイベントになります。やれやれ、お金と人力の無駄遣い。というのはワタシの正直な感想。今のこの現実の中で、他にすべきこと、お金を注ぎ込むべきことは山とある気がするのですが。

そういう点で、下々とトップに温度差があるのは、残念ながら教会でも一緒です。ついでにビショップの選挙の際には、候補者はみんな「庶民の味方」なのですが、いざ選ばれると「天上人」と化すのも世の常と同じです。

まあ、その点に関しては、今のアグネス監督はそんなに舞い上がらずに地に足が着いていたと思います。世間的にはあまり人気がないアグネス監督なのですが、私は高得点をあげます。

で、そのグビューズルン新監督の就任式に先立つ一週間、つまり八月の最後の週には、Kirkjudagarキルキュダーガル「教会デイ」というイベント週が、全教会をあげて持たれれます。

その中で、私の関係しているInternational Congregartionも、やれ礼拝担当だとか、やれMalstofaマウルストーバ(レクチャーと討論を合わせたようなミニシンポジウム)だとか、いろいろ役割を当てがわれているのです。

移民、難民に関係していますとね、こういう機会には「マルティカルチャー」的な装飾として頻繁にお呼びがかかるのです。

ビショップの選挙期間中にも、複数の候補が私たちの集会を「教会の取り組んでいる良い働き」の例として挙げてくれました。そういう際には「都合の良い」存在なのです。




カルチャーナイト、締めの花火
Myndin er ur Visir.is/VILHELMUR


昔、「遠すぎた橋」という第二次大戦ものの映画で(A Bridge Too Far 1977)、ショーン・コネリー演じる連合軍の空挺隊将校が、いつものように難しい作戦の特攻隊役を言いつけられて「やれやれ、またかいな」と呟くシーンがありました。

それを聞いたエドワード・フォックス演じる上官が「やれやれ、またボヤキか?」とやり返し、「お前の隊を任命するのは、第一に戦闘能力がまずまずの域に達しているのと、加えてイギリス軍将校にしてはみすぼらしいからだ。

万が一、武運つたなく敵に捕まっても『そこらのおっさんだろう』ということで釈放される可能性が強いからな」と冗談で返しました。

このシーン、なぜかとても心に残っていて、よく思い出します。よく呼び出される、使われることが、単に「都合の良いから」だけなのか、他に「本当に質が良いから」という部分があるのか、そこが問題になるのですが...

まあ、いずれにしても、役割をあてがわれた身分としては、「都合が良い」以上に「質が良い」ことを示すべく努力しなくてはならないわけです。

というわけで、夏休みも終わり「やれやれ、またかいな」の世界へと舞い戻る時が来ました。日本の皆さんは、まだお盆がこれからですね。引き続き、熱中症、ゲリラ豪雨等にお気をつけてお過ごしくださいますよう。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんとオータニさんとワタシの共通項

2024-07-25 22:09:57 | 日記
こんにちは/こんばんは。

今週の月曜日から夏休みに入っています。一応八月の5日までの予定。「やったーっ! 休みだー!」的な気分はまったくないですね、今回は。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Kai_gradert@unsplash_com


普通、この時期のお休みに入いる時は -これはワタシ限定の話しですが- 疲れ切っていて、本当に「休むこと」を欲しています。だから、休みに入ると「もうなんもできん。なんもやらん」みたいに、ただただ怠惰に埋もれていきます。

今年の場合は、そのくらい疲れた時期が六月初めにあったので、思い切ってその中旬に一週間の「先取り」休みを取りました。実際には三日しか休みませんでしたが、それでも結構、精神的な休息となりました。

そのせいかな?今回はそんなに疲弊し切っていなかったため「まだ行けるけど?」みたいな気分で夏休み入りしてしまいました。休み入り直前になって、シンガポールのジャーナリズム専攻の学生さんたちから連絡があり、「来週アイスランドへ行くのだけど、移民・難民の人たちの取材のための相手探しを助けて欲しい」とか。

できる限り援助するのが慣わしなのですが、そういうお願いは三ヶ月は前にするのが常識。まあ、学生さんですからね、そういうことも含めて学んでもらわないと。その「お願い」の始末は、夏休み始めに少し食い込んでしまいました。

で、今回そんなにお疲れでもないのに入った夏休み。趣味なし人間のワタシは特にすることもない。三日ほど、You Tubeで行き合った「アンタッチャブルの早速行ってみた」というチャンネルのまとめ見したりしました。ザキヤマさんは昔から結構好きなのです。

前にも何回か書きましたが、私にとって日本の「お笑い」は精神衛生上とっても大切なものです。やってられませんよ、お笑いなしでは。子供の頃から生活の三大要素は「衣食住」と刷り込まれてきましたが、実際は「衣食住笑」と感じ入ります。ああ、牧師さんとしては「信」も足しておかないと。(*^^*)




教会近所の風景
Pic by Me


多くの同僚さんたちも夏休みに入っています。Facebookなどでも -日本と同じくアイスランドでもFacebookはおじさん・おばさんのプラットフォーム化しています- やれパリだのバルセロナだのからのバカンス写真が目に入ってきます。

全然羨ましくはないです。もともと観光旅行にはそんなに関心がなく、行くならトルコのカパドキアかボアズカレ(ヒッタイトの首都ハットゥーシャがあったとされるところ)、はたまたヨルダンのペトラ遺跡くらいのものです。

まあ、趣味なし男の生活感はそんなものです。引き篭もり感ハンパないとお感じのことでしょう。特に反論なし。

ただこの「趣味なし」という言葉について、最近思うことはあります。いや、最近ではなくて、以前から思っていたことですが、仕事がいつまでできるか?という「先」が見えてきている今、また特に頭に浮かんでくることです。

「仕事が生きがい」という言葉は日本ではよく耳にするものですよね。やはり日本人の特に中年期以上の男性に多いのかなあ、という印象を持っています。本当にそうかどうかは検証を要しますが、イメージ的に強いですよね。

でもこの「仕事が生きがい」も一様ではないように見受けられます。例えば調理人として働いていた方が、独立してお店を出し、今一生懸命そのお店を軌道に乗せようとしている、というのは「仕事が生き甲斐」の一例でしょう。これは理解できる気がします。




教会内のピック ユニークな造りの会堂
Pic by Me


あまり大きくはない会社などで、会社の存続と安定のために一生懸命働いている人も多いと思います。小さな会社の場合は、家族感があり「自分が頑張らなきゃ」という思いが出てくるのでしょうね。これは例えば物価高騰のニュースのインタビューなどで、実際に働いている方がから聞くことがあります。これもわかる気がする。

あるいは、大企業に身を置き、とにかく会社のために身を捧げている人もあるでしょう。「上からの命令だから」「会社の方針だから」それ故に家庭を犠牲にし、不正まで働く人もあるようで。不正とかはもちろん共感できませんし、自分の意欲ではなく「上からの命令だから何かをする」というのも正直共感できないです。

私の場合は、立場的には先に挙げた調理人の人や、中小零細企業の職員のような立場にあります。ですが、もうひとつ敢えて強調しておきたいことが。

ここで世界のオータニさんを引き合いに出します。オータニさんについてよく言われるのが「野球大好きな野球少年」心底野球好きで、野球に没頭し、優れた選手として日本で認められ、メジャーでも認められている。

プロとしてオータニさんにとっての野球はもちろん仕事でしょうが、それでもおそらくは人生で一番楽しい「もの」なのではないかと想像します。この「もの」を「趣味」と言ってもいいのでしょうが、「趣味」とは仕事から切り離されたものの感がありますし、他に適当な言葉を思いつかないので「もの」としておきます。

多くのプロスポーツ選手や、あるいはプロミュージシャンの方々も同じなのではないかと思うのですが、基本的に自分の好きなもの、当初は「趣味」だったものが仕事になっていると言って差し支えないのでないかと。

ワタシもオータニさんと一緒です。なんていうと畏れ多いか?(^-^; ですが「趣味」が「仕事」になっている、という点では本当に同じなのです。私も大学時代から、とにかく教会で活動するのが好きで好きで、一番の「趣味」でした。




Forever 野球少年 オータニさん
Myndin er ur USA Today


卒業後、第二の「趣味」だった政治関係の仕事をしていましたが、三年して神学校という牧師教育のための学校に入学。働いていた三年間もずっと、将来は牧師という職務を得ることを夢にして準備していました。

日本で無事牧師として仕事を得たのですが、家庭の事情でアイスランドへ。そこでまた五年近いブランクというか追加教育の期間を経て、こちらの国民教会での牧師として認められました。

ですから、今現在、牧師として働けていることは、非常に嬉しいことなのです。「趣味」では収まらない「義務」「責任」がそこに加わっていることは確かなのですが、それでも好きなことをやっている、という点は変わりません。

というわけで、私は確かに「趣味なし男」の一味ではありますが、実際には「趣味が仕事男」でもあるのです。ビミョーなニュアンスかもしれませんが。「仕事が趣味」なのではなくて「趣味が仕事になった」のです。

現在の私の職務上の責任は、移民や難民の人たちへのサービス、あるいはこれらの人たちとの活動に置かれています。それなりに厳しい現実や精神的な負担が大きいことはありますが、それでも自分いとっては「夢の仕事」であり続けています。

金銭的には儲かるどころか、持ち出しになる部分もあります。コロナ期のライブや動画制作の機材など、随分と貯金を持ち出して賄いました。

同僚のアイスランド人の牧師さんたちには理解できないことのようですし、「そういうのいいことなのかな?」と正論を吐く人もいます。でも仕方ないし、別に気になりません。私には夢があり、その夢は仕事にかぶさり仕事を飲み込んでいます。その夢に近づくためにお金を使っているのですから。(*^^*)

というわけで、特に何をするわけでもない夏休み。ワタシにとっては「何もしない」ということが大切で、別に「趣味」は必要ないのだと思います。休みが終われば「趣味」が待ってますから。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷たい夏、模索の夏

2024-07-13 20:51:49 | 日記
こんにちは/こんばんは。




こういう日もあります 今ではありませんが
Pic by ME


先週の週末は、天気が良く気温も上がり(15度くらいですが)、夏っぽい空気を楽しむことができました。ですが週半ばから太陽は消え、冷たい雨粒がパラる日々が続いてしまっています。





Pic by ME


やれやれ夏はどこへ行ったんかい?気温そのものは10度以上あり、寒くはないはずなのですが、昨日(金曜日)などは風が強かったため、体感温度は3度は低かったでしょうし、寒かったですよ。

「不公平だ!」と文句を言いたいのは、この冷夏、レイキャビク界隈だけのことで、アイスランド東北部では信じられない夏日を楽しんでいるのです。レイキャビク西街が灰色の雨雲に包まれている今、東北地帯の町Egilsstadirエイイルスタージィルでは、なんと気温は20度。

明日の日曜日予報は、レイキャビクがショボい11度に対して、エイイルスタージィルは22度! さらに北に行ったアクレイリでも20度越えです。これ、毎年の現象。

まあ、逆に冬は大雪、強風に被害を受けてる地域ですからね、不公平ではないか。不公平ではなくとも「羨ましい」...

さて、前回は私の受け持っている教会の英語礼拝での「革新」についてご紹介しました。AIプログラムを使っての、英語からペルシャ語への同時通訳テキストをスクリーンに映す、というものでした。英語ができないイラン人が多いからです。

大型LEDのスクリーンでもあれば、もっと簡単なのでしょうが、教会というのはそれぞれに予算規模がありますので、これは今のところ仕方ないです。奇特なお金持ちの方がいらっしゃりましたら、物品・現金とも寄付は大歓迎です。m(_ _)m (*^^*)




今週の全国の気温予想 不公平な現実
Myndin er ur Vedur.is


「礼拝」というのは教会のメインの宗教行事なのですが、だいたい一時間くらいの集会で、讃美歌を歌い、祈り、聖書の朗読をし、その聖書の箇所からのキリストの教えを説く「説教」とか「メッセージ」とか呼ばれるお話しが牧師さんや説教師によって語られます。

それに「聖餐式」と呼ばれる、参加者がパン(あるいはパンに模したウエハース)と赤ワイン(あるいは葡萄ジュース)を食する儀式が加わることもあります。これはキリストが弟子たちと最後の晩餐を持ったことに由来するものです。

教会には正教会とか、カトリック教会、様々なプロテスタント教会がありますので、礼拝(あるいはミサ)も一様ではなく、いろいろな形式があります。私が今書いたような礼拝は。プロテスタント教会での雛形です。

ですが、プロテスタントに限っても個性は様々あります。私の挙げた「雛形」は私の属するルーテル教会、聖公会、あるいはカルビン派の教会のようないわゆる「メインストリーム」教会のものです。

もうひとつの新メインストリームになっているペンテコスト系の教会では、軸は同じもパフォーマンスが違う傾向があります。それは特に音楽に関して顕著で、ルーテル派とかではオルガンを用いて、伝統的な讃美歌を歌うのが一般的。

ペンテコステ派や北米のバプティスト教会では、きちんと礼拝用のステージがあり、エレクトリックギターやドラム、キーボード等を用いての、なんというか、もっとコンサートっぽい礼拝が持たれるのが一般的のようです。

私が担当している集会には、教会に初めて来た、最近参加するようになった、という人が多いので、ルーテル派のドップリとした伝統的なフォームは使いません。伝統的なフォームというのは、例えば決められたフレーズを牧師と会衆が交互にチャントする昌和とかが含まれるものです。




レイキャビクのペンテコステ派フィラデルフィア教会の礼拝の一コマ
Myndin er ur Facebook


これは慣れていない人には敷居が高いかもしれないので、もう少し単純化され、入り易い礼拝フォームを用意しています。

基本的に礼拝というのは生き物だと実感しているので、私は牧師としては常により良いフォーム、集会の「持ち方」を模索しています。AI同時通訳の利用なども、そのような模索の一環なのです。

最近、トライしているもうひとつの「改革」が讃美歌です。まあ、以前から歌い易いものを選んではきたのですが、ここにきてさらに選択の幅を広げ、先に述べましたペンテコスト派などでよく使われる歌も取り入れ始めています。

キリスト教の音楽会には、CCM(Christian Contemporary Music)と呼ばれるジャンルがあります。伝統的な讃美歌とは基本的に違うもので、もっと巷のポップスに近いタイプの音楽です。ヒットチャートのようなものもあったと思います(アメリカの話し)。

当然、人気のミュージシャンも大勢います。皆さん、ご存知かもしれないAmy GrantなどはCCM出身の歌手です。後に、もっとフツーのポップシンガーに進化しましたが。

実は、今年は私たちの集会のレギュラーであるオルガニスト/ピアニストのアルニーさんが健康上の理由から常駐ではなくなっているため、もっと若いピアニストに入れ替わり立ち替わりきてもらっています。

その流れで、「もっとポップな歌を」みたいな考えが出てきたわけです。私自身、これまでCCMには時折はまってきましたので、ピアノを弾く方が弾けるのであれば、そういうポップ調の歌を歌ってみることは嫌ではありません。っていうか、結構好きかも。




CCM界の美空ひばり エイミー・グラント
Myndin er ur TasteOfCountry.com


CCMの歌の良いところは、エモーショナル、センチメンタルなものも多く、感情移入がし易い。かつ歌詞が今的でわかり易い。メロディーも親しみ易い、等々。

これらのCCM系の曲にも「定番」とされる曲がたくさんあります。ありがたいことに?それらの定番の曲にはカラオケが用意されていることも多く、Youtubeとかで見ることができます。

ですから、万が一ピアニスト不在の場合でも、カラオケビデオで歌うことも可能でしょう。それが「遵法」か「違法」かは確認する必要がありますが。(^-^;

で、今そのような変革期にあります。最近教会に加わった若い女の子が、ピアニストとしての練習のために教会に毎日来てくれています。歌をつけての練習も必要なので、一緒に歌うのですが、ひとつ気がついたことが。

伝統的な讃美歌は、歌い手が大きな声で歌い易いようにできていますね。合唱が基本ですから。CCM系の曲は必ずしも合唱目的ではないので、私の感覚では「バカ声」を張り上げて歌うのが難しいです。

特にワタシのように、カラオケ好きでもなく、声量が乏しい人には。これだとマイクを使わないとピアノに負ける。でも歌い手がマイクを持つと、いよいよカラオケ大会的なノリになりそうで...

というようなわけで、こちらの面でも模索はまだまだ続きそうです。まあ、次から次へと課題というものは途切れることがないですね。こういう模索に十分な時間を使えるのが、この夏の恵みか。

気温は上がらなくとも、こういう風にも模索を続けることができる環境に感謝すべきでしょう。

皆さまにおかれましても、熱中症、突然の水害、食あたりに気をつけて「夏」を楽しまれますよう。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

This is revolutional カクメイだ!

2024-07-06 20:48:23 | 日記
こんにちは/こんばんは。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftirTommy_cornilleau@unsplash_com


今、これを書いているのはこちらの時間で六日土曜日の午前中です。昨日はレイキャビク界隈では「この夏イチ」に気温が上がり、16度プラス日光による体感温度で、程よい暑さを楽しむことができました。

久々に姪と会い、冷たいコーヒードリンクを屋外カフェで。レイキャビクでこういうのは運が良いことなのです。今日も引き続き好天のようですね。






昨日、金曜午後のダウンタウン


えーと、前回は最近のAI機能の向上を、教会での「通訳」「翻訳」の面で利用し始めた話しをしていましたが、中途半端に途切れてしまいました。もっと早く続きを書くつもりでしたが、結局一週空いてしまいました。私の不徳です。すみません。m(_ _)m

非常にローカルなトピックで、私以外の誰にも「得」のない話しですが、このブログはまさしくそういうものなのでご容赦ください。

さて、これはすごい!と思わせたChatGPT4oでも、同時通訳となると、話者がたとえば英語でまず話し、AIがそれをファルシ(ペルシャ語)やスペイン語に訳すのを待ち、それから話者が話しを続ける、というパターンは変えられないことまで書きました。

私の欲する「同時通訳」–話者が話しをしている側からどんどん訳していくような、「国際会議の同時通訳」的な機能は叶えられないのです。

多少がっかりしていたのですが、AI関連のYoutubeを漁っている中で、おっ!と目を惹く動画を見つけました。

それは、山下えりかさんというプロの同時通訳者の方のチャンネルの中の動画で、「【AI通訳】現役通訳者がポケトーク同時通訳を使ってみた デモ&感想」というタイトル。

その山下えりかさんの動画: 【AI通訳】現役通訳者がポケトーク同時通訳を使ってみた デモ&感想


ポケトークとはなんじゃい?と思い、見てみたのですが、これがまさしく私が望んでいた「国際会議時の同時通訳」的な機能に特化したAIだったのです。




マックの画面に現れるペルシャ語と音声ディヴァイスの子機
Pic by ME


この動画では「日本語−英語」の通訳なのですが、山下さんが日本語で話したものがどのような英語になるかを実際に検証しています。ポイントは、まず、山下さんの日本語をどのくらい正確に聞き取っているか?次いで、その聞き取った英語の翻訳がどれだけ正確に訳されているか?です。

検証後の山下さんの評価では、「完璧ではないが、十分使える」しかも、この動画がアップされたのは、その時点から遡って約半年前。AIの世界では「半年」はかなりの「昔」なので、今はもっと改善されているかも。

というわけで、私は速攻でこのポケトークなるAIプログラムについて調べ始めました。Pocketalk (not Pocket-talk)というものは、それまでまったく聞いたことがありませんでした。

サイトで調べると、携帯サイズの同時通訳機も生産している会社らしいのですが、同時に、特にオンラインでの国際会議における、AIによる同時通訳サービスを提供しているようです。

さらに調べてみると、私にとっての最大のニードである「英語からファルシへの同時通訳」も可能。このサービスは、サービスサイトにログインすることで利用可能で、特にそれ用の機器やアプリは不要。

設定の仕方によっては、話者がしゃべる英語の、聞き取った英語のテクストがPC画面の左側に、そのファルシ訳が右側に表示されます。ポイントは、前に書きましたように、話者は通訳のためのポーズを取る必要がなくしゃべり続けて良い、ということです。

しかも、その訳したファルシの文を読み上げる機能もついています。これは、これは... こんなものがもう一年くらい前からあったんかいな?遅れてたー...

月額三千円以下の出費で無制限に使えるということなので、早速サブスクライブ。実際に自分自身で試すことに。

まずは英語の聞き取り。なんせ私はbroken Englishの人ですからね、Pocketalkも苦労するのでは?と思ったのですが、これが超絶ビックリで、ほぼ間違いなく聞き取ってくれます。私の感覚では、相当正確に拾ってくれます。おかげで私の「文法ブロークン」振りも、全部テキスト化されてしまいますが。(^-^;




スクリーンに映されるとこんな感じ
Pic by ME


次なる問題は、翻訳されたファルシのクオリテティです。これは私自身ではジャッジできませんので、英語とそのファルシ訳が並んでいる画面のスクリーンショットを、信頼できるイランの人に送りその審判を待ちました。結果は予想通り「完璧ではないけど、十分理解できます」

というわけで、試験的導入を決定し(ワタシがその気になっただけのことですが)、実際にどう使うかをテストしてみました。

まず教会のスピーチ台脇にマックをセット。マックからブルートゥースで離れたところにあるヘッドフォンにオーディオを送る。そのヘッドフォンには同時通訳用のワイヤレスディヴァイスの親機を置く。その親機からオーディエンス用の子機へ、読み上げられるファルシが届く。

翌週の礼拝で実践。結果はうまく行きました。イランの人たちは皆「十分に話しについていけた」との感想。ただし、ワタシの印象では、翻訳文の読み上げ機能を使うと、3秒くらいの時差が生じます。

この時差、話しから翻訳のテキスト化まではその半分の1,5秒くらい。これなら多分テキストの方をメインにした方が良いかも。

というわけで、次の実験。今度はマックをケーブルでプロジェクターに繋ぎ、マックの画面がスピーチ台の横2メートルに準備したスクリーンに映るようにセット。オーディオ・ディヴァイスはなし。

翌週の日曜礼拝で実践。これも十分な成果をあげました。「時々、変な言葉が出てくるけど、みんなが常識で補える範囲」というイランの人たちの評価。ありがたや。ただし、ファルシは本来右端から始まる「右詰め」の言語です。これは左詰めのまんまで表示されてしまいます。




セッティングの一例
Pic by ME


このAI、時々話者の沈黙が続くと、Thank youとかByeとか、誰も言っていないことをテキストに出してきたりします。AIの性(さが)か?(^-^; 沈黙に耐えられないAI。

かくして、私のところの日曜礼拝はこれからはこのAI同時通訳付きのものとなります。機能がアップして、音声翻訳の時差が減少すれば、オーディオ・ディヴァイスを復活させてるのもありですね。

わかっていただきにくいでしょうが、これって私にとってはかなりレボルーショナルな変革です。過去九年間つきまとっていた悩みが、一応解決できたのですから。ワタシ的にはAI様々(さまさま)です。

こういうものが以前よりあったとは。まあ、私の情報不足で導入が遅れてしまったわけなんですが、このPocketalk、もうちょっと宣伝してもいいんじゃないか?と思いますけど...

とにかく「求めよ、さらば与えられん」を実体験したエピソードでした。ご同輩の皆さま、AIを恐れずうまく付き合っていきましょう。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする