レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

ハットゥルグリームルのクリスマス

2014-12-21 05:00:00 | 日記
クリスマス目前となりました。あさっての火曜日二十三日がソルラウクス・メサというクリスマスの前夜祭的な一日で、翌日の午後から祝日へ移行しクリスマス・イブから続く二日間がお休み。クリスマスの祭りは年をまたいで一月の六日までの二週間ほど続きます。

ソルラウクス・メサについてはこちら。


さて、アイスランドではクリスマス前に新刊本が続々と書店に並ぶという面白い文化があります。その中の一冊に「ハットゥルグリームルのクリスマス」という子供向きの一冊があります。先日のモルグンブラウズィズ紙に紹介記事が出ていたのですが、ちょうど良いタイミングなのでその本の主人公であるハットゥルグリームル・ピエトュルスソンについて書いてみたいと思います。

アイスランド人で世界的に知られた人というはそうは多くないと思いますが、今のビョルクや1955年にノーベル文学賞を受賞したハルドール・ラクスネスなどはそこに含まれるのでしょうね。

少し時代を遡ると十九世紀のヨナス・ハットゥルグリームスソンというアイスランド語の守護神のような詩人がいました。そしてさらに遡っていくと、十七世紀に生を受けたハットゥルグリームル・ピエトュルスソンという人が出てきます。

この人は牧師でしたが、それよりも詩人として知られており、特に1650年代に編んだPassiusalmar「パッシウサウルマー」というキリストの十字架の受難の物語を詠んだ連作詩はアイスランド史上の文学的宝として評価されており、北欧各国でもよく知られています。

ハットゥルグリームルは1614年に北部のスカーガフョルズルという海岸沿いの地域で生まれ、その後の幼年時代をホーラルという生地からそう遠くない場所で過ごしました。このホーラルにはアイスランドの北部を管轄する教会監督の司教座教会が設けられています。

前述の子供向け本の「ハットゥルグリームルのクリスマス」ですが、このホーラルでの時期の生活が土台になっているようです。(私自身読んでいませんので新聞やラジオからの情報です。悪しからず。m(_ _)m ) ちなみに本の著者はステインヌン・ヨハネスドティールという女性で著作業のかたわら舞台女優も兼業しています。(詳しくは言いませんが、いろいろと私とは意見を異にしているおばはんです)




ハットゥルグリームル・ピエトュルスソン
Mundin er ur Landssaga.is


ハットゥルグリームルより少し先に世に出た人でエイナル・シーグルズスソンという人がいたのですが、この人が作った詩に曲がついたとても古い讃美歌があります。アイスランドの伝統的な韻を踏むVisaヴィーサという形式でとても「語呂」がいいもので、今でも必ずクリスマスの時期に歌います。「子供から大人までみんなが知っている」といっていいものです。

ハットゥルグリームルのお母さんは、この讃美歌を子守唄代わりに歌っていたという逸話が残っています。この讃美歌、オリジナルはなんと二十八節まであったそうで、一日に一節を歌ってあげたとか。「今の子供向けのクリスマス・ ダーガタル(お菓子付き箱型カレンダーで、毎日その日付けの下に小さなお菓子が入っている)」とステイヌン女史は語っています。その効果があったのか?ハットゥルグリームルは子供の頃からヴィーサを編むのがとても得意だったと伝えられています。

それでもすぐに詩人になったわけではなく、青年期には鍛冶仕事を習っていました。デンマークあるいは北部ドイツに鍛冶留学に出たこともあったようです。そこで出会ったのがブリニンヨウブル・スヴェインスソンという人で、この人は後にアイスランド教会の監督となるのですが、ハットゥルグリームルの詩人としての才能を高く買っていて、生涯サポーターとなったのでした。

ハットゥルグリームルにはバイロン的なところがあったのか知りませんが、コペンハーゲンで出会ったグビューズリーズルという十六も年上の人妻と恋に落ちます。もっともその時点で彼女の旦那さんはどこかへ消えていたようなので、無謀な横恋慕というわけでもなかったようです。

ふたりはアイスランドに戻り、ニャルヴィークという今のケフラビーク空港に近い港町に住みますが、この時グビューリーズルはふたりの第一子を身ごもっていました。そしてハットゥルグリームルは牧師候補生としての教育は修了していなかったのですが、ブリンヨウルブル監督の後押しで、ニャルビーク近くの教会の牧師に就任します。無理やりー?

数年後に家族はレイキャビク近郊のクヴァーラフョルズル(鯨フィヨルド)にあるソイルバイルに移ります。そしてそこで世に残ることになる「パシウサウルマー」を編みました。この受難詩集は1666年にドイツで印刷され出版されました。

パシウサウルマーの詩もヴィーサで書かれているのですが、この詩形は語呂が良いために昔から讃美歌によく用いられています。彼の詩の多くが現在でも頻繁に歌われる讃美歌として、現代の讃美歌集に納められています。

現在、アイスランドには彼がパシウサウルマーを編んだソイルバイル、レイキャビク郊外のヴィンダウスフリーズ、そしてレイキャビクの真ん中の丘の上とみっつの「ハットゥルグリームルの教会」があり彼の名を讃えています。レイキャビクを訪れた方なら必ず市の中心のハットゥルグリームス教会にも足を運ばれたはずです。




市の中心のハットゥルグリームス教会
The photo was taken by Jon Bjarni Jonsson

ハットゥルグリームルは1614年生まれたと書きました。つまり今年は彼の生誕四百年記念の年だったのです。あちこちで記念のイベントが持たれたりしましたが、とりわけこの市の中心のハットゥルグリームス教会では、十月末の一週間が「ハットゥルグリームル祭り」として祝われ音楽会や詩の朗読会が開催されていました。

四百年後にその人を讃えての記念イベントが持たれるというのは、やはりたいしたことなのでしょうね。ピンと来ませんが。四百年前のアイスランドの生活というのは想像するだけでも身体が震えてきます。ワクワクしてではなくて、寒そうで、です。

ステイヌン女史の話しでは、当時はヨーラバーズ、つまり「クリスマス風呂」というのがあってお風呂に入るのが大切な行事だったようです。そうでもなければ風呂にも入れなかった...? 「今の人でよかった」と思う今日この頃でありました... 


オーロラのトレイラーはこちら 

オーロラ無料視聴ビデオはこちら 

有料ビデオはこちら 


まだまだ凄い。国営放送の火山の英語情報はこちら。



応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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