寒い日が続いています。先週の中頃からまたぐっと冷え込んできていて、気温がプラスに転じることなく零下に沈潜したままで一週間が過ぎてしまう「真冬週」?にはまってしまっています。
そういうクリスマス前にはふさわしいとも言える冷え込みの中で、アドヴェント(待降節)に入ってから一週間が経ちました。
先々週書きましたように、今年は数年に一度まわってくる、12月24日が日曜日になるカレンダーです。そのためアドヴェントの期間が三週間と一日という、一番短いアドヴェントとなっています。
で、実際一週間経った今の時点での感想は「やっぱ、短か!」です。もう二週間後にはクリスマスイブではないですか! まだ全然なんのアドヴェント気分も楽しんでいないのに...
そういえば、去年もこんな感じだったなあ。でも去年はアドヴェントが一番長いパターンで、ほぼ四週間まるまるあったのに...?? 去年はクリスマス一週間前になって、やっとクリスマスっぽい気分になれたことを思い出します。
去年はこのシーズン、教会の「祈りの会」に積極的に参加していたイラン人難民の青年が、「ダブリン規則」に基づくフランスへの強制送還を通達されており、その送還をなんとか止めようと四苦八苦して奔走していたのでした。
Gledileg jol 2016 暗きに座す人への光
それが功を奏してか、送還の一時中止が決められたのがクリスマスの一週間前くらいだったろうと記憶しています。去年はそこから楽しい意味でのアドヴェントが始まったのでした。
そのイラン人青年の場合は、年を越した二月になって送還の決定そのものが破棄され、彼のケースはアイスランドで扱われることになりました。そして非常に長い時間がかかったのですが、十月中旬になって彼は難民認定を受け、滞在を許されたのでした。
実際は今年も同じような状況にあります。話しが少し複雑なのは、対象が個人ではなく家族なのです。お父さんのラジャさんは二十代後半のイラク国籍のクルド人。お母さんのハステさんは二十代前半のイラン国籍のクルド人。息子のレネ君は一歳半の超かわいい男の子。そしてハステさんは第二子を身籠っています。
複雑な事情の故にイラクを脱してドイツで難民申請をしました。詳しいことは書けませんがドイツでの難民申請は難航し、一次回答では拒否されてしまいました。
さらに、宗教的な問題(イランはイスラム教のシーア派で、イラクはスンニ派で、仲は良くない)から、ハステさんの家族がラジャさんとの結婚に強弁に反対しており、なんと、避難先のドイツでもそこに居住している親戚から(かなり控えめに表現して)嫌がらせを受けるようになってしまったのです。
そこで一家はドイツを抜け出し、アイスランドへ渡りました。今年の春のことです。夏から私がお世話をしている教会での「祈りの会」や礼拝に出席するようになり、同時にキリスト教の基礎コースにも参加するようになりました。
ちょっと難しかったのは、夫婦共英語が全くダメなので、会話のためには誰か通訳役を勤めてくれる人が必要だったことです。
もっとも教会内ではほとんど問題はなく、難しかったのはドイツへの送還が決定され、教会外での話し合いが必要になってからでしたが。
カンフーの先生ラジャさん 故国での道場案内の表紙
さて、ラジャさん、ハステさん夫婦は八月末に洗礼を受け、正式に教会のメンバーとなりました。ですが、その後二ヶ月くらいして十月の終わり頃に、「ダブリン規則」に基づくドイツへの送還が決定されてしまいました。
その時点で、ハステさんの第二子の妊娠がはっきりしてきましたので、色々な健康上の検査等があり、そう迅速には送還は実施されそうにはありません。その間を利用して、改めて教会からの嘆願書、一般の人たちからの署名集め、「子供の権利」の観点からの抗議等がオルガナイズされていきました。
「ダブリン規則」に関しては、もうご存知であろうとは思いますが、日本は圏外ですのでもう一度念のため。これはヨーロッパ圏での合意事項が発展して規則になったもので、圏内で最初に難民申請を受け付けた国が、最後までその案件の責任を負うことにする規則です。
よって、申請者がその国を出て、別の国で再度申請をしても、第一の国へ送還することになっています。ただ、大事なことなのですが、第二国が自らの判断でその再申請を受理してもいいのです。
ラジャさん一家のようなケースは、ダブリンケースに相当します。ドイツにあってハステさんの親戚からの不安があったことなど、いくつかの再考を主張し得る点もありましたが、全体としては「規則によるならば、送還は致し方ない」ということになるでしょう。それでも、なんとか支援するのが我々の立場ですので、法の理屈とは別個に嘆願や、人道的観点からの情状を求めていくわけです。
その一環で企画されたのが、ラジャさんにカンフーのレッスンのデモンストレーションをしてもらうことでした。実はラジャさんは故国でカンフーの先生の資格を持ち、実際に道場で教えていたのです。現在のところ、ここではアラビア語やクルド語でレッスンをできる教師はいないので、生徒が多く集まれば「希少価値」をアピールできると考えたわけです。
こちらのテコンドーの道場主の好意で、このデモンストレーションはトントン拍子で実現し、第一回のレッスンには五十人ほどの生徒が集まりました。大半は同じクルド地区か隣接の地域からの外国人のようでした。
ラジャさんは、見事なほどに五十人の生徒を統括し、きちんとしたレッスンをリズム良く九十分ほど続けていきました。そんなに簡単なことではないですよ、五十人の生徒をきちんとコントロースして教えていくのは。この時は、ラジャさんは見違えて凛々しく見えましたね。
良く思わされるのですが、難民申請とかいう特別な状況にある時は、人はなかなか「本当の自分」を表すことができません。なんとなくチイちゃくなって身をかがめていなくてはいけないような。そして、周囲はそういう身を小さくしている人を見て「そういう人なんだ」と勝手に決めつけてしまうのです。
私にとっては、ラジャさんは教会に来始めた新来者ですし、入門講座を受けていた若者なので、そういう風な「こちらが先生」目線で接していました。ですから、このカンフーレッスンを見学して、「おおっ!」と気付かされたものがりました。私がカンフーを習うとしたら、このお方が先生なのだ。
寒く長い道のりを歩むヨセフとマリア
Myndin er ur ugc.org
十一月の下旬になり、ハステさんの妊娠状態に多少の問題があったりして、またウツ的な様子が増していくのが傍目にも萌えましたので、こちらの心配の度合いも強まっていきました。そして月末になって、予告のない送還が実施され、家族はドイツへ送られてしまいました。
たまたまドイツへの同じフライトへ乗り合わせたアイスランド人の一般乗客から「付き添いの警察官が、ひどい高圧的で暴力的な態度で家族を扱っていた」という憤りをマスコミに漏らしたこともあり、この送還もニュースの題材になっています。
現在、ドイツでどうしているのか?という追跡もしているのですが、なかなか正確な情報を集めるのは簡単ではありません。そんなこんなで、今のところまだアドヴェントをゆっくり楽しむことはできない状況です。
なんとなく、変なシチュエーションがアドヴェントの定番になりつつあるようです。いや、でもこの時期、ヨセフと身重のマリアは、ナザレからベツレヘムまでの寒く長い道のりを歩いて旅をしていたんだ。ある意味、ラジャさん、ハステさん家族と同じ状況かも。
そういう意味では、このような状況の人を身近に感じていることの方こそ、アドヴェントらしいのかもしれません。そう考えることにしましょう。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
そういうクリスマス前にはふさわしいとも言える冷え込みの中で、アドヴェント(待降節)に入ってから一週間が経ちました。
先々週書きましたように、今年は数年に一度まわってくる、12月24日が日曜日になるカレンダーです。そのためアドヴェントの期間が三週間と一日という、一番短いアドヴェントとなっています。
で、実際一週間経った今の時点での感想は「やっぱ、短か!」です。もう二週間後にはクリスマスイブではないですか! まだ全然なんのアドヴェント気分も楽しんでいないのに...
そういえば、去年もこんな感じだったなあ。でも去年はアドヴェントが一番長いパターンで、ほぼ四週間まるまるあったのに...?? 去年はクリスマス一週間前になって、やっとクリスマスっぽい気分になれたことを思い出します。
去年はこのシーズン、教会の「祈りの会」に積極的に参加していたイラン人難民の青年が、「ダブリン規則」に基づくフランスへの強制送還を通達されており、その送還をなんとか止めようと四苦八苦して奔走していたのでした。
Gledileg jol 2016 暗きに座す人への光
それが功を奏してか、送還の一時中止が決められたのがクリスマスの一週間前くらいだったろうと記憶しています。去年はそこから楽しい意味でのアドヴェントが始まったのでした。
そのイラン人青年の場合は、年を越した二月になって送還の決定そのものが破棄され、彼のケースはアイスランドで扱われることになりました。そして非常に長い時間がかかったのですが、十月中旬になって彼は難民認定を受け、滞在を許されたのでした。
実際は今年も同じような状況にあります。話しが少し複雑なのは、対象が個人ではなく家族なのです。お父さんのラジャさんは二十代後半のイラク国籍のクルド人。お母さんのハステさんは二十代前半のイラン国籍のクルド人。息子のレネ君は一歳半の超かわいい男の子。そしてハステさんは第二子を身籠っています。
複雑な事情の故にイラクを脱してドイツで難民申請をしました。詳しいことは書けませんがドイツでの難民申請は難航し、一次回答では拒否されてしまいました。
さらに、宗教的な問題(イランはイスラム教のシーア派で、イラクはスンニ派で、仲は良くない)から、ハステさんの家族がラジャさんとの結婚に強弁に反対しており、なんと、避難先のドイツでもそこに居住している親戚から(かなり控えめに表現して)嫌がらせを受けるようになってしまったのです。
そこで一家はドイツを抜け出し、アイスランドへ渡りました。今年の春のことです。夏から私がお世話をしている教会での「祈りの会」や礼拝に出席するようになり、同時にキリスト教の基礎コースにも参加するようになりました。
ちょっと難しかったのは、夫婦共英語が全くダメなので、会話のためには誰か通訳役を勤めてくれる人が必要だったことです。
もっとも教会内ではほとんど問題はなく、難しかったのはドイツへの送還が決定され、教会外での話し合いが必要になってからでしたが。
カンフーの先生ラジャさん 故国での道場案内の表紙
さて、ラジャさん、ハステさん夫婦は八月末に洗礼を受け、正式に教会のメンバーとなりました。ですが、その後二ヶ月くらいして十月の終わり頃に、「ダブリン規則」に基づくドイツへの送還が決定されてしまいました。
その時点で、ハステさんの第二子の妊娠がはっきりしてきましたので、色々な健康上の検査等があり、そう迅速には送還は実施されそうにはありません。その間を利用して、改めて教会からの嘆願書、一般の人たちからの署名集め、「子供の権利」の観点からの抗議等がオルガナイズされていきました。
「ダブリン規則」に関しては、もうご存知であろうとは思いますが、日本は圏外ですのでもう一度念のため。これはヨーロッパ圏での合意事項が発展して規則になったもので、圏内で最初に難民申請を受け付けた国が、最後までその案件の責任を負うことにする規則です。
よって、申請者がその国を出て、別の国で再度申請をしても、第一の国へ送還することになっています。ただ、大事なことなのですが、第二国が自らの判断でその再申請を受理してもいいのです。
ラジャさん一家のようなケースは、ダブリンケースに相当します。ドイツにあってハステさんの親戚からの不安があったことなど、いくつかの再考を主張し得る点もありましたが、全体としては「規則によるならば、送還は致し方ない」ということになるでしょう。それでも、なんとか支援するのが我々の立場ですので、法の理屈とは別個に嘆願や、人道的観点からの情状を求めていくわけです。
その一環で企画されたのが、ラジャさんにカンフーのレッスンのデモンストレーションをしてもらうことでした。実はラジャさんは故国でカンフーの先生の資格を持ち、実際に道場で教えていたのです。現在のところ、ここではアラビア語やクルド語でレッスンをできる教師はいないので、生徒が多く集まれば「希少価値」をアピールできると考えたわけです。
こちらのテコンドーの道場主の好意で、このデモンストレーションはトントン拍子で実現し、第一回のレッスンには五十人ほどの生徒が集まりました。大半は同じクルド地区か隣接の地域からの外国人のようでした。
ラジャさんは、見事なほどに五十人の生徒を統括し、きちんとしたレッスンをリズム良く九十分ほど続けていきました。そんなに簡単なことではないですよ、五十人の生徒をきちんとコントロースして教えていくのは。この時は、ラジャさんは見違えて凛々しく見えましたね。
良く思わされるのですが、難民申請とかいう特別な状況にある時は、人はなかなか「本当の自分」を表すことができません。なんとなくチイちゃくなって身をかがめていなくてはいけないような。そして、周囲はそういう身を小さくしている人を見て「そういう人なんだ」と勝手に決めつけてしまうのです。
私にとっては、ラジャさんは教会に来始めた新来者ですし、入門講座を受けていた若者なので、そういう風な「こちらが先生」目線で接していました。ですから、このカンフーレッスンを見学して、「おおっ!」と気付かされたものがりました。私がカンフーを習うとしたら、このお方が先生なのだ。
寒く長い道のりを歩むヨセフとマリア
Myndin er ur ugc.org
十一月の下旬になり、ハステさんの妊娠状態に多少の問題があったりして、またウツ的な様子が増していくのが傍目にも萌えましたので、こちらの心配の度合いも強まっていきました。そして月末になって、予告のない送還が実施され、家族はドイツへ送られてしまいました。
たまたまドイツへの同じフライトへ乗り合わせたアイスランド人の一般乗客から「付き添いの警察官が、ひどい高圧的で暴力的な態度で家族を扱っていた」という憤りをマスコミに漏らしたこともあり、この送還もニュースの題材になっています。
現在、ドイツでどうしているのか?という追跡もしているのですが、なかなか正確な情報を集めるのは簡単ではありません。そんなこんなで、今のところまだアドヴェントをゆっくり楽しむことはできない状況です。
なんとなく、変なシチュエーションがアドヴェントの定番になりつつあるようです。いや、でもこの時期、ヨセフと身重のマリアは、ナザレからベツレヘムまでの寒く長い道のりを歩いて旅をしていたんだ。ある意味、ラジャさん、ハステさん家族と同じ状況かも。
そういう意味では、このような状況の人を身近に感じていることの方こそ、アドヴェントらしいのかもしれません。そう考えることにしましょう。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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