レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

サッポロ北街ひとり日誌 (19-2) – 「当たり前」にひそむ恵みの時

2019-06-09 00:00:00 | 日記
北海道北東部の佐呂間町で「39,5度を記録!」というニュースを目にし、とんでもない灼熱地獄か?という不安を抱きながらやってきた今回の札幌です。しかし幸いなことに、着いてみると札幌はジャケットだけでは肌寒く感じるくらいの気温。ホッとしました。

私が札幌入りするのは、だいたい夜の十時前になります。成田から千歳へ飛ぶJALは朝、昼、夕の三便あるのですが、私は無理をすれば昼の便に乗ることもできるでしょう。ですが、疲労の蓄積が心配なので、成田で小休止することにしているのです。

陽の落ちきった時に札幌に入るわけですから、気温もそれなりに落ちてくれているわけです。今回はそれで正解。(*^^*)




爽やかな夏の陽光 札幌大通公園


私の札幌帰省はもちろん休暇です。母がまだ健在なので、母を訪ねるのが帰省のメインイベントであり、あちこちへの観光は始めからスケジュールには入っていません。

私は札幌駅近くの宿に滞在し(大衆的ビジネスホテル)、そこから毎日母がお世話になっている施設へ出向いていくことになります。

私の両親は道産子ではなく、もともと東京方面の人なのですが、兄の家族が札幌の住民を長くしているので(義姉は道産子)、父が病に倒れた後でこちらへ移ってきたのでした。もう十年になります。

今回の札幌帰省で特別だったことは、娘と娘のボーイフレンドに札幌で落ち合うことでした。娘サラとボーイフレンドのフラプンはふたりで日本旅行に来ていて、東京と京都観光を終えてから、札幌に来る予定でした。フラプン君は日本初めて。(*娘とそのBFとはいえ個人のプライバシーがありますので、それぞれ仮名です)

今回は話しが幾分プライベート方面になりますが、母がこの四月に八十八歳になったので、米寿のお祝いを一緒にしよう、というのが今回のメインイベントでした。

ちなみに米寿の祝いは一般に、数えの年で、つまり満八十七歳でするものかと思いますが、我が家はあまりそういうことには細かくないので悪しからず。

サラは今二十五歳で、秋には二十六になります。フラプン君は今年三十二歳。アイスランド人男性には大雑把に言って二種類あります。「オレオレタイプ」と「わりとシャイタイプ」です。

フラプン君は後者のタイプで、初めての来日でサラのおばあちゃん(私の母)や、私の兄の家族に会って食事をすることにかなり緊張しているようでした。

母の米寿のお祝いは、兄夫婦も交えて楽しく終了しましたし、サラとフラプン君はそれ以外にも母の住居を何度も訪ねて時間を費やしてくれました。サラはもともとおばあちゃん子で、母と話をするのが楽しくてならないのです。




お祝いをしたレストランでのサービスデザート


ちょっと逸れますが、サラはまったくのバイリンガルで、日本語、アイスランド語ともまったく不便はありません。アイスランド人ですが日本人でもあります、心の中まで。

外国で子供に日本語を教えるのは、それなりに親の努力と決意も必要としますが、その甲斐はある、と私は確信しています。以前にも書いたことがありますが、「子供に過ぎた負担」と諦めてしまうのは、子供自身よりは親の方です。子供の能力は親が案じるよりも大きなものがあります。

ハーフ? No, ダブル!


それはともかくとして、おばあちゃんとサラがペチャペチャキャッキャとガールズトークを繰り広げる片腹で、日本語はそれほどまったくわからないフラプン君も、ずいぶん我慢辛抱して付き合ってくれていました。

私も逆の立場で同じ状況を体験したことがありますが、これって本当に忍耐を必要とするものです。フラプン君に拍手。

こうして親子三世代 -私の兄の息子夫婦が子供連れで加わった時間もあるので、一時的に親子四世代- が集った今回の帰省、新しい家族のメンバー(候補生)も加えて、祝福された時となりました。

しかし、その時が楽しければ楽しいほど、別れることは辛いものになります。母はまだまだ頭ははっきりしていますし、肉体的にはそれなりに老齢を引きずり始めた部分はありますが、全体的には非常に元気で達者な方だと思います。

それでも八十八歳ですから「いついつまで元気でいる」という確約はどこにもありません。

翻ってサラの方ですが、この夏大学を卒業することが決まっていて研修医となります。これからの数年はまだまだ忙しいものになるでしょうし、次にいつ日本旅行が叶い、おばあちゃんに会いに来れるのかも定かではありません。「これが最後」かもしれないのです。

自分でもそのことをわかっているサラは、今回こうしてボーイフレンドのフラプン君をおばあちゃんに紹介できたことが、本当に嬉しかったようです。最後には涙。

海外在住の邦人の方々は、皆それぞれにこのような「別れ際の辛さ」を味合われた経験があるだろうと想像します。




道ばたで見つけたきれいな空色のデイジー 写真のフォーカスが甘く、残念


私自身は、父が七年間寝たきりの状態にあり、その間何度か危ない時期もありましたので、帰省し、またアイスランドへ帰る度に「これが最後」という気持ちで別れを告げていました。

そのためか、実際に父が亡くなった際には、悔いが残らなかったというか、「十分に別れを告げる時間が与えられた」というある種の納得をすることができました。

その期間を含むこれまでの十数年で学んだことは、別に日本への帰省の機会に限らず、自分が幸せを感じることができるような機会には、常にその時間を与えられた恵みとして、感謝して自覚しておくということでした。

「子供たちとは頻繁に会っているんだからいいんだ」「職場では毎日楽しくやっているけど、それが当然」ではなく、すべてそのように「ありがたい」状況にあることを恵みとして受け取り、感謝して自覚するということです。

これは何も海外在住の人に限られたことではなく、普通に生活している誰にでも当てはまることではないかと考えます。

多くの「悔い」は、与えられた恵みを恵みとして受け取らず、感謝すべき時に感謝を持って接してこなかったことに所以するのではないでしょうか?「当たり前」としているようなことこそ、恵みそのものであることが多いのでは?

私たち海外在住組が、日本を離れる間際に感じる難しさは、この「当たり前」のはずの「共にいること」が「当たり前でなくなる」可能性を考えざるを得ない状況に押しやられるからに他ならないからでしょう。

今、娘とフラプン君は、私より一足先に日本旅行を終え、アイスランドへの帰路についています。今回の旅行と、おばあちゃんとの再会がサラとフラプン君にとっても、また私の母にとっても、恵みとして自覚された人生の一コマとなってくれることを願い、祈ります。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is







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