六月に入り、レイキャビクでは好天の日が多いように思われます。この夏も昨年ののような「奇跡の夏」になってくれるのではないか?という期待感が出てきました。まあ、期待を裏切ってくれるのがアイスランドの天気ではあるのですが。
好天にもかかわらず心は晴れないですね。アメリカからのニュースを見ていると悲しくなってきます。ここまで騒乱がエスカレートするとは誰もが予想できなかったのではないでしょうか?
私自身は、デモには賛成しています。警察権力による弱者へのアビューズは許されるものではありませんし、さらに社会の底辺にある黒人や他のマイノリティの市民に対する差別ももちろん許容すべきものではないでしょう。
今回の抗議運動がここまで、アメリカ全土にまで広がったのは、多くの評論家の方々が言うように、コロナ禍によるうっぷんが蓄積されていたことや、偉大なるトランプ大統領の言動 –今回の出来事に関してだけではなく、ここに至るまでのマイノリティ軽視の「つぶやき」や諸政策– への不満の蓄積が、「火に油」となったのでしょう。
現アメリカ大統領とは異なり、真の人徳と指導性を持っていたキング牧師
Myndin er ur Britannica.com
私はアメリカの研究家ではありませんので、通り一遍のことしかわかりません。それでもアメリカは多くの問題を抱えている国だとは了解しています。今に始まったことではなく長ーーーーーい間そうですよね。
私の父は出征直前に終戦となった「戦中派」でしたので、基本的にアメリカ嫌いでした。兄弟が戦争で亡くなっていましたから、まあ、そうでしょうね、としか言いようがありません。
私自身は昭和の半ば、戦後の混乱が収まって、高度成長が始まった時代の生まれですので、アメリカの文化の影響大という生活環境でした。実際には文化だけではなく、政治や経済でも影響大だったわけですが、子供の頃はそこまでわかりませんでした。
少年期、青年期を通じて、やはり一番身近な外国はアメリカであり続けましたね。プロスポーツ、音楽、映画、その他諸々。もちろん歳が行くに従って、アメリカという国が病んだ大国であることも学びました。
でも、その批判が他ならないアメリカの中から聞こえてくるんですよね、いつも。スプリングスティーンのBorn in the USAみたいに。多くの問題にもかかわらずアメリカ嫌いにならなかった理由だと考えています。その点は今も同じですね。
もし誰かに「アメリカのこと、好き?嫌い?」と尋ねられたら、私は「好き」と答えます。
だから現在のようなデモだけでない騒乱と暴動のような状況を、毎日ニュースで見る羽目に陥っているのは嫌ですし、悲しくなります。
悲しくなるだけではなく、残念に思うのは、あの破壊、放火、強奪等の蛮行です。デモが警官隊との小競り合いになり、多少の力の行使を伴う騒ぎになることがあるのはわかります。私自身、デモに参加したことは何度もありますので。
ですが、この数日LAやNYで多発したような、破壊行為と略奪はデモとはまったく関係のないことですよ。「怒りが溜まっているんだ」ということを言う人もありましょうが、それはダメですね。
略奪行為をしているのは、おそらくはデモ自体には関心がなく、自分の不正の利益だけが始めから頭にあるのでしょう。側から見ていて勝手に思うことは、警官隊は平和的なデモ隊よりは、どさくさに紛れて略奪をする連中の取り締まりに集中すれば良いではないか、ということ。まあ、そんなに簡単にはいかないのでしょうが。
このブログでも何度か書いたことがありますが、私はテレビのポリスものの大ファンで、特にNYPD関連のテレビは大好きです。もちろんテレビや映画で描かれているNYPD と実際のNYPDを同化するようなことはしませんが、それでもNYPDは9・11以来頼りになる存在として巷の人気は高いのです。
ワシントンDCから中継する、お気に入りのレポーターのエミリア・アダムス
Myndin er ur 9News.com.au.
大ファンであるテレビシリーズのBlue Bloodsでも、警官によるアビューズ、Police brutality は良く取り上げられています。市民から見る目と、現場の警察官から見る状況が対峙され、いつも興味あるストーリーになっています。
繰り返しますが、それはもちろんテレビの中の話しであって現実ではありません。それでも私には、すべての警察官や警察機構が差別意識を持ってアビューズの機会を窺っているとは信じられません。
そういうことをする輩が、少数であっても紛れ込んでいる、というのは事実でしょうし、そのような連中と事例は徹底的に糾弾されて然るべきです。
警察の場合、難しくなるのは、たとえマジョリティはまともな人たちの組織であっても、何かの騒ぎに直面した場合には警察は「体制を守る」側の力にそもそも組み込まれているということです。
ですから、今回のデモの抑止というか、監視というか、警戒というべきなのか、良くわかりませんが、デモにストップをかけているかのような「体(てい) 」にならざるを得ないわけです。
実際、デモ隊に相対している警察官の中のどれだけが心中ではデモ隊に参加しているものか、わからないものがあると思いますし、個人的にはみんなデモ隊の側に周りたい、と思っていてくれることを願っています。
この騒乱が早く平和的に静まってくれることを祈りますが、静まるだけではダメなんですよね。警察権力の悪用の抑止や差別警官の取り締まり、さらには社会の中で、いまだに存在する黒人やマイノリティ市民に対する差別構造の是正に手が着けられないと。
まあ、そこから先は、私には「外国のお話し」のようになってしまい、自分ではなにもできないのですが、問題がどのように扱われるか?ということは、参考になりますし、フォローしていきたいと思っています。
レイキャビクで水曜日に持たれた連帯集会
Myndin er ur Visir.is/EGILL
アイスランドでも、先週の水曜日には「連帯を示し、差別に反対する」ことを主旨とした集いがアルシンキ(国会)前で持たれました。コロナ故の集会規制はまだありますし、上限は二百人なのですが、水曜日の集会は明らかにそれを上回っているように見えました。誰も文句言わなかったようですが。
今のアメリカでの騒乱、これをアメリカだけの問題と考えるのか、アイスランドにも関係のある問題と考えるのか、それはアイスランド人各人によって異なるようです。
私は「ある」と考えています。アメリカとは表れ方が異なるでしょうが、ここにも差別はありますしレイシズムもあります。放っておけばおくほど、後になってそれが溜め込む「ウミ」も大きくなります。
差別を暴き出し、それをなくすように努めることは、万国共通の人間の課題だと考えます。もちろん、日本でも必要なことですね。お互いに頑張りましょう。
I pray for USA.
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
好天にもかかわらず心は晴れないですね。アメリカからのニュースを見ていると悲しくなってきます。ここまで騒乱がエスカレートするとは誰もが予想できなかったのではないでしょうか?
私自身は、デモには賛成しています。警察権力による弱者へのアビューズは許されるものではありませんし、さらに社会の底辺にある黒人や他のマイノリティの市民に対する差別ももちろん許容すべきものではないでしょう。
今回の抗議運動がここまで、アメリカ全土にまで広がったのは、多くの評論家の方々が言うように、コロナ禍によるうっぷんが蓄積されていたことや、偉大なるトランプ大統領の言動 –今回の出来事に関してだけではなく、ここに至るまでのマイノリティ軽視の「つぶやき」や諸政策– への不満の蓄積が、「火に油」となったのでしょう。
現アメリカ大統領とは異なり、真の人徳と指導性を持っていたキング牧師
Myndin er ur Britannica.com
私はアメリカの研究家ではありませんので、通り一遍のことしかわかりません。それでもアメリカは多くの問題を抱えている国だとは了解しています。今に始まったことではなく長ーーーーーい間そうですよね。
私の父は出征直前に終戦となった「戦中派」でしたので、基本的にアメリカ嫌いでした。兄弟が戦争で亡くなっていましたから、まあ、そうでしょうね、としか言いようがありません。
私自身は昭和の半ば、戦後の混乱が収まって、高度成長が始まった時代の生まれですので、アメリカの文化の影響大という生活環境でした。実際には文化だけではなく、政治や経済でも影響大だったわけですが、子供の頃はそこまでわかりませんでした。
少年期、青年期を通じて、やはり一番身近な外国はアメリカであり続けましたね。プロスポーツ、音楽、映画、その他諸々。もちろん歳が行くに従って、アメリカという国が病んだ大国であることも学びました。
でも、その批判が他ならないアメリカの中から聞こえてくるんですよね、いつも。スプリングスティーンのBorn in the USAみたいに。多くの問題にもかかわらずアメリカ嫌いにならなかった理由だと考えています。その点は今も同じですね。
もし誰かに「アメリカのこと、好き?嫌い?」と尋ねられたら、私は「好き」と答えます。
だから現在のようなデモだけでない騒乱と暴動のような状況を、毎日ニュースで見る羽目に陥っているのは嫌ですし、悲しくなります。
悲しくなるだけではなく、残念に思うのは、あの破壊、放火、強奪等の蛮行です。デモが警官隊との小競り合いになり、多少の力の行使を伴う騒ぎになることがあるのはわかります。私自身、デモに参加したことは何度もありますので。
ですが、この数日LAやNYで多発したような、破壊行為と略奪はデモとはまったく関係のないことですよ。「怒りが溜まっているんだ」ということを言う人もありましょうが、それはダメですね。
略奪行為をしているのは、おそらくはデモ自体には関心がなく、自分の不正の利益だけが始めから頭にあるのでしょう。側から見ていて勝手に思うことは、警官隊は平和的なデモ隊よりは、どさくさに紛れて略奪をする連中の取り締まりに集中すれば良いではないか、ということ。まあ、そんなに簡単にはいかないのでしょうが。
このブログでも何度か書いたことがありますが、私はテレビのポリスものの大ファンで、特にNYPD関連のテレビは大好きです。もちろんテレビや映画で描かれているNYPD と実際のNYPDを同化するようなことはしませんが、それでもNYPDは9・11以来頼りになる存在として巷の人気は高いのです。
ワシントンDCから中継する、お気に入りのレポーターのエミリア・アダムス
Myndin er ur 9News.com.au.
大ファンであるテレビシリーズのBlue Bloodsでも、警官によるアビューズ、Police brutality は良く取り上げられています。市民から見る目と、現場の警察官から見る状況が対峙され、いつも興味あるストーリーになっています。
繰り返しますが、それはもちろんテレビの中の話しであって現実ではありません。それでも私には、すべての警察官や警察機構が差別意識を持ってアビューズの機会を窺っているとは信じられません。
そういうことをする輩が、少数であっても紛れ込んでいる、というのは事実でしょうし、そのような連中と事例は徹底的に糾弾されて然るべきです。
警察の場合、難しくなるのは、たとえマジョリティはまともな人たちの組織であっても、何かの騒ぎに直面した場合には警察は「体制を守る」側の力にそもそも組み込まれているということです。
ですから、今回のデモの抑止というか、監視というか、警戒というべきなのか、良くわかりませんが、デモにストップをかけているかのような「体(てい) 」にならざるを得ないわけです。
実際、デモ隊に相対している警察官の中のどれだけが心中ではデモ隊に参加しているものか、わからないものがあると思いますし、個人的にはみんなデモ隊の側に周りたい、と思っていてくれることを願っています。
この騒乱が早く平和的に静まってくれることを祈りますが、静まるだけではダメなんですよね。警察権力の悪用の抑止や差別警官の取り締まり、さらには社会の中で、いまだに存在する黒人やマイノリティ市民に対する差別構造の是正に手が着けられないと。
まあ、そこから先は、私には「外国のお話し」のようになってしまい、自分ではなにもできないのですが、問題がどのように扱われるか?ということは、参考になりますし、フォローしていきたいと思っています。
レイキャビクで水曜日に持たれた連帯集会
Myndin er ur Visir.is/EGILL
アイスランドでも、先週の水曜日には「連帯を示し、差別に反対する」ことを主旨とした集いがアルシンキ(国会)前で持たれました。コロナ故の集会規制はまだありますし、上限は二百人なのですが、水曜日の集会は明らかにそれを上回っているように見えました。誰も文句言わなかったようですが。
今のアメリカでの騒乱、これをアメリカだけの問題と考えるのか、アイスランドにも関係のある問題と考えるのか、それはアイスランド人各人によって異なるようです。
私は「ある」と考えています。アメリカとは表れ方が異なるでしょうが、ここにも差別はありますしレイシズムもあります。放っておけばおくほど、後になってそれが溜め込む「ウミ」も大きくなります。
差別を暴き出し、それをなくすように努めることは、万国共通の人間の課題だと考えます。もちろん、日本でも必要なことですね。お互いに頑張りましょう。
I pray for USA.
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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