十一月の八日となりました。と言いながら、実はいつものことながら実際にこれを書いているのは昨日?土曜日の午前中です。このブログは、古式ゆかしいタイプのブログで、ツイッターではありませんのでご容赦を。

清涼感アップ用ピック1 個人的にはあまり思い入れがないオーロラ
Myndin er eftir Matthia_tillen@Unsplash
レイキャビクでは金曜日、土曜日と気温が2˚Cくらいにまで落ち込み、雪一歩手前のみぞれで一面が白くなったりしました。考えてみれば、もう十一月ですから、これくらいは普通なはずなのですが、今年は九月初めの冷え込み以降は、だらだらと「暖秋」が続いてきていました。
Cちゃんによる季節的なルーチンが消えていることもあり、季節感喪失度が増している感があります。
前置その二。アメリカ大統領選ですが、今の時点では(こちらの時間で土曜日の午前 十時半)、まだ結果が確定していません。我慢して待つしかないですね。アメリカ人ではありませんが、やはり「アメリカ」。その影響は世界中が受けますし、関心は持たざるを得ません。
私的なことと断って一言付け加えますが、私は「ブルー組」です、もちろん。世界の他の大勢と同じく、とりわけバイデン氏の支持者ではありませんが、トランプはもういい加減にしてほしいです。
あの人物がとにかくアメリカ合衆国の有権者のほぼ半数の支持を得るということ、これはよくよく分析し吟味してもらいたいとことです。昔からある「民主主義に内在する弱点」の気がします。
(*土曜日の午後5時過ぎ、やっと待っていたニュースが入ってきました! 良かった! アメリカにはもっとステイブルな国に戻ってもらいたいです。)
前置その三。これもまた、プライベートなことで、皆さんにはなんの益もないことですが、今日は私の誕生日です。まったく自覚のない六十二歳となりました。いよいよ高齢となってきましたので、「ああ、これは高齢者のブログなんだ」という優しい心で読んであげてください。
さて、今回もそういう老人の昔話しにお付き合いくださいますよう。私の「緑の党」に関わるあれこれの思い出話しです。
もともと先日体験した個人的、かついかにもアイスランド的なエピソードを紹介したかったのですが、そのことを誤解なくわかっていただくには、「前説」が必要と考えて「緑の党」の話しをしはじめたところ、ズルズルとはまり込んで、とんでもなく長くなってしまっている次第です。

清涼感アップ用ピック2 ここはまだ行ったことない! レイキャビクのどこか
Myndin er eftir Robin_benzrihem@Unsplash
2007年の党の全国大会のことまで前回お話ししました。
教会の牧師として、またアジア人の移民として、ちょうど2000年あたりから新聞の投稿欄とかに、せっせと自分の意見を送り続けていた私は、2004年の外国人法案改悪の議論を経て、「にわか著名人」化しました。
そういう流れで「緑の党」に加わりましたので、2007年の党の全国大会に向けて、移民関係の政策要項を作る部会に参加することとなりました。その年は国政選挙がありましたので、いわゆる「選挙綱領」の一部となるものです。
その当時は、国会議員にはまだ移民がひとりもあらず、いつ初の移民議員が誕生するか?というようなお茶談義はあちこちで聞かれました。当時、野心ギラギラだったワタシも、当然そのようなことは考えたことはあったのですが、悲しいかな、私は日本人であってアイスランドの市民権は持っていなかったのです。
この国で選びたい! 選挙権と国籍
というわけで、アルシンキ(国会)は「そもそも」蚊帳の外。ですが、同じ頃に党に参加したジャーナリストのアンディ君という友人がおり、彼は党内の予備選挙に参加する決心をしました。
アンディ君は私より十五歳くらい年下で、アメリカ人。あわてて国籍取得の申請をしたりして準備(アメリカは二重国籍を容認しています)。
こちらの選挙はすべて比例代表制で、党内の予備選挙の結果に従って、候補順を決めるリストが作成されます。リストは全国ではなく、六つの選挙区ごとに作成されます。
緑の党はその時はまだまだ小さい党だったので(今でも小さいですが)、当選者は九人でした。ですから、それぞれの選挙区でだいたいひとりかふたりの当選者だったことになります。
アンディ君はレイキャビク北の選挙区で三位の席を獲得することができました。こちらでは選出議員が長期で国会活動を欠席するようなことになった場合、同じ等の補欠議員が代理で正議席に着きます。アンディ君は半年後くらいに、国会デビューを果たしました。
ちなみにこのアンディ君、次回の選挙には出馬せずジャーナリストに戻りました。しばらく音信がなかったのですが、気がつくと「彼女」に変身していました。しかも同じ境遇の女性と結婚。「トランス-トランス婚」のみならずの同性婚だー! It’s complicated です。

清涼感アップ用ピック3 ペルトラン前のミュージシャンたち
Myndin er eftir Rafael_garcin@Unsplash
私の緑の党への積極的な参加は、結果として短いものとなりました。選挙の翌年2008年にやってきた未曾有の経済危機。アイスランドの国家財政はあっという間に破綻し、すべての政治、社会の関心は金融財政へ移りました。
私はまったくの門外漢ですし、それよりも何よりも、自分の本来の教会での仕事の維持と牧師としての社会への参与が緊急事になりました。政治とかに費やす時間もエネルギーもなくなってしまったわけです。
以来、私は緑の党のメンバーではあり続けていますが、直接の活動にはほとんど関与していません。普通にひとりの支持者、というわけですが、それで満足しています。政治にドップリ浸かりたいならば、関心のあることばかりではなく、関心のないことにまで関わらざるを得なくなります。
そこまでの努力を続けるほど、私の政治への関心は強くなかった、ということは認めざるを得ないですね。でもそれより根本的には、日本にいた時と同じで才能が足りなかったのだと思います。
ところで、私が短い期間とはいえ、なぜ政治に関わったか?ということについてはお話しをしてきましたが、なぜ緑の党に参加したのか?ということにまったく触れていなかったことに、今気が付きました。
特定の政党の支持を決める、というのはそう簡単なことではありませんね。とりわけ、いやおうなしの条件(特定政党や特定議員に自分の権益が密接に関連付けられているような場合)からフリーな人にとっては。
自分自身の権益の擁護ということはあって当たり前のことですし、これを無視することは現実を無視するようなものでしょう。ですが、常識人としては、ここに社会的な公正さというようなものを加えて政治的なポジションが定めるのではないかと考えます。
私自身について言えば、まず国民教会についての考え方、姿勢というものを考えなくてはなりません。これは私自身の「日ごとの糧」に関わるものです。ついで、私の職務上の関心事である、移民政策や難民政策についての考え方を吟味します。
このふたつが私にとってのメジャーな関心事です。たったふたつなのですが、これがなかなかマッチしないのです。国民教会を支持するのは保守系の政党に多いのですが、これらは移民政策とかには無関心。
逆に移民をサポートする政党は、国民教会とか宗教一般に強い偏見を持っていたりします。昔からあるジレンマです。

レイキャビク アルシンキフース(国会議事堂)
Myndin er ur Frettabladid.is/Sigtryggur_Ari
では、緑の党がこのふたつの私の要求を満たしているのか?というとそういうわけでもありません。教会に関しては、随分批判的なグループも党内にありますし、移民政策がすぐれているかというと、それほどでもありません。強いて言えば、「耐え難くはないし、より良くなる素地がある」というところでしょうか?
それでも、もう少し視野を広げて、環境問題や、外交問題 –とりわけNatoとの協力問題– あるいは男女平等の問題等を考えた場合、私の手元のチェックリストでは、合計点で緑の党がトップになるのです。
加えて「どんな人がいるか?」という要素も、支持政党を決める際には大きいですね。長くなりますので、くどくどとは書きませんが、私の目には緑の党のリーダーたちはきわめて常識のある良い人々に映りました。
政策がいくら良くても、実際にそれを実行する立場の人たちが「エイリアン」のようであったら到底信頼するには及びません。人々に対する信頼– それが私が緑の党参加を決める大きな要素となったのでした。これは大切なことで、この点を書いて初めて、もともと私が書きたかったエピソードに入れるのです。
次回はやっと本来書きたかったエピソードでーす。。長くなってしまいスミマセン。m(_ _)m
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is

清涼感アップ用ピック1 個人的にはあまり思い入れがないオーロラ
Myndin er eftir Matthia_tillen@Unsplash
レイキャビクでは金曜日、土曜日と気温が2˚Cくらいにまで落ち込み、雪一歩手前のみぞれで一面が白くなったりしました。考えてみれば、もう十一月ですから、これくらいは普通なはずなのですが、今年は九月初めの冷え込み以降は、だらだらと「暖秋」が続いてきていました。
Cちゃんによる季節的なルーチンが消えていることもあり、季節感喪失度が増している感があります。
前置その二。アメリカ大統領選ですが、今の時点では(こちらの時間で土曜日の午前 十時半)、まだ結果が確定していません。我慢して待つしかないですね。アメリカ人ではありませんが、やはり「アメリカ」。その影響は世界中が受けますし、関心は持たざるを得ません。
私的なことと断って一言付け加えますが、私は「ブルー組」です、もちろん。世界の他の大勢と同じく、とりわけバイデン氏の支持者ではありませんが、トランプはもういい加減にしてほしいです。
あの人物がとにかくアメリカ合衆国の有権者のほぼ半数の支持を得るということ、これはよくよく分析し吟味してもらいたいとことです。昔からある「民主主義に内在する弱点」の気がします。
(*土曜日の午後5時過ぎ、やっと待っていたニュースが入ってきました! 良かった! アメリカにはもっとステイブルな国に戻ってもらいたいです。)
前置その三。これもまた、プライベートなことで、皆さんにはなんの益もないことですが、今日は私の誕生日です。まったく自覚のない六十二歳となりました。いよいよ高齢となってきましたので、「ああ、これは高齢者のブログなんだ」という優しい心で読んであげてください。
さて、今回もそういう老人の昔話しにお付き合いくださいますよう。私の「緑の党」に関わるあれこれの思い出話しです。
もともと先日体験した個人的、かついかにもアイスランド的なエピソードを紹介したかったのですが、そのことを誤解なくわかっていただくには、「前説」が必要と考えて「緑の党」の話しをしはじめたところ、ズルズルとはまり込んで、とんでもなく長くなってしまっている次第です。

清涼感アップ用ピック2 ここはまだ行ったことない! レイキャビクのどこか
Myndin er eftir Robin_benzrihem@Unsplash
2007年の党の全国大会のことまで前回お話ししました。
教会の牧師として、またアジア人の移民として、ちょうど2000年あたりから新聞の投稿欄とかに、せっせと自分の意見を送り続けていた私は、2004年の外国人法案改悪の議論を経て、「にわか著名人」化しました。
そういう流れで「緑の党」に加わりましたので、2007年の党の全国大会に向けて、移民関係の政策要項を作る部会に参加することとなりました。その年は国政選挙がありましたので、いわゆる「選挙綱領」の一部となるものです。
その当時は、国会議員にはまだ移民がひとりもあらず、いつ初の移民議員が誕生するか?というようなお茶談義はあちこちで聞かれました。当時、野心ギラギラだったワタシも、当然そのようなことは考えたことはあったのですが、悲しいかな、私は日本人であってアイスランドの市民権は持っていなかったのです。
この国で選びたい! 選挙権と国籍
というわけで、アルシンキ(国会)は「そもそも」蚊帳の外。ですが、同じ頃に党に参加したジャーナリストのアンディ君という友人がおり、彼は党内の予備選挙に参加する決心をしました。
アンディ君は私より十五歳くらい年下で、アメリカ人。あわてて国籍取得の申請をしたりして準備(アメリカは二重国籍を容認しています)。
こちらの選挙はすべて比例代表制で、党内の予備選挙の結果に従って、候補順を決めるリストが作成されます。リストは全国ではなく、六つの選挙区ごとに作成されます。
緑の党はその時はまだまだ小さい党だったので(今でも小さいですが)、当選者は九人でした。ですから、それぞれの選挙区でだいたいひとりかふたりの当選者だったことになります。
アンディ君はレイキャビク北の選挙区で三位の席を獲得することができました。こちらでは選出議員が長期で国会活動を欠席するようなことになった場合、同じ等の補欠議員が代理で正議席に着きます。アンディ君は半年後くらいに、国会デビューを果たしました。
ちなみにこのアンディ君、次回の選挙には出馬せずジャーナリストに戻りました。しばらく音信がなかったのですが、気がつくと「彼女」に変身していました。しかも同じ境遇の女性と結婚。「トランス-トランス婚」のみならずの同性婚だー! It’s complicated です。

清涼感アップ用ピック3 ペルトラン前のミュージシャンたち
Myndin er eftir Rafael_garcin@Unsplash
私の緑の党への積極的な参加は、結果として短いものとなりました。選挙の翌年2008年にやってきた未曾有の経済危機。アイスランドの国家財政はあっという間に破綻し、すべての政治、社会の関心は金融財政へ移りました。
私はまったくの門外漢ですし、それよりも何よりも、自分の本来の教会での仕事の維持と牧師としての社会への参与が緊急事になりました。政治とかに費やす時間もエネルギーもなくなってしまったわけです。
以来、私は緑の党のメンバーではあり続けていますが、直接の活動にはほとんど関与していません。普通にひとりの支持者、というわけですが、それで満足しています。政治にドップリ浸かりたいならば、関心のあることばかりではなく、関心のないことにまで関わらざるを得なくなります。
そこまでの努力を続けるほど、私の政治への関心は強くなかった、ということは認めざるを得ないですね。でもそれより根本的には、日本にいた時と同じで才能が足りなかったのだと思います。
ところで、私が短い期間とはいえ、なぜ政治に関わったか?ということについてはお話しをしてきましたが、なぜ緑の党に参加したのか?ということにまったく触れていなかったことに、今気が付きました。
特定の政党の支持を決める、というのはそう簡単なことではありませんね。とりわけ、いやおうなしの条件(特定政党や特定議員に自分の権益が密接に関連付けられているような場合)からフリーな人にとっては。
自分自身の権益の擁護ということはあって当たり前のことですし、これを無視することは現実を無視するようなものでしょう。ですが、常識人としては、ここに社会的な公正さというようなものを加えて政治的なポジションが定めるのではないかと考えます。
私自身について言えば、まず国民教会についての考え方、姿勢というものを考えなくてはなりません。これは私自身の「日ごとの糧」に関わるものです。ついで、私の職務上の関心事である、移民政策や難民政策についての考え方を吟味します。
このふたつが私にとってのメジャーな関心事です。たったふたつなのですが、これがなかなかマッチしないのです。国民教会を支持するのは保守系の政党に多いのですが、これらは移民政策とかには無関心。
逆に移民をサポートする政党は、国民教会とか宗教一般に強い偏見を持っていたりします。昔からあるジレンマです。

レイキャビク アルシンキフース(国会議事堂)
Myndin er ur Frettabladid.is/Sigtryggur_Ari
では、緑の党がこのふたつの私の要求を満たしているのか?というとそういうわけでもありません。教会に関しては、随分批判的なグループも党内にありますし、移民政策がすぐれているかというと、それほどでもありません。強いて言えば、「耐え難くはないし、より良くなる素地がある」というところでしょうか?
それでも、もう少し視野を広げて、環境問題や、外交問題 –とりわけNatoとの協力問題– あるいは男女平等の問題等を考えた場合、私の手元のチェックリストでは、合計点で緑の党がトップになるのです。
加えて「どんな人がいるか?」という要素も、支持政党を決める際には大きいですね。長くなりますので、くどくどとは書きませんが、私の目には緑の党のリーダーたちはきわめて常識のある良い人々に映りました。
政策がいくら良くても、実際にそれを実行する立場の人たちが「エイリアン」のようであったら到底信頼するには及びません。人々に対する信頼– それが私が緑の党参加を決める大きな要素となったのでした。これは大切なことで、この点を書いて初めて、もともと私が書きたかったエピソードに入れるのです。
次回はやっと本来書きたかったエピソードでーす。。長くなってしまいスミマセン。m(_ _)m
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is