レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

キッチングッズ革命と緑の党

2020-11-15 00:00:00 | 日記
きれいな薄い青空とやや慎ましい陽光が輝くレイキャビク西街より、おはようございます。今は昨日の土曜日の午前10時半です。

「水色の空」と書こうとしたのですが、「水色」って今は使わないのか?とちょっと引っかかったので「薄い青空」としました。うっかりすると「古人(むかしびと)」の馬脚を現してしまう。古人は古人なりにストレスがあります。

レイキャビクではようやく冬の気配が定着してきたよいうです。そうですよね、もう十一月も中旬。今月の最後の日曜日からアドベント(待降節)に入るのですが、今年の場合は「もうアドベントの飾り付けを始める」という人が、周囲にかなりいます。Cちゃんの影響で自宅長い時間を過ごす人が多いので、その影響のようです。




Hveradalir 「清涼感アップ用」ピック もう「清涼感」は必要ないか?
Myndin er eftir Alexander_milo@Unsplash


ところで、先の水曜日に「ブログを開始してから3000日」となったそうです。律儀なブログの管理ページが数えていてくれたのでした。その間にアップした記事が601とか。平均すると五日に一回の更新となります。

ここ数年は週一の更新としているのですが、始めた当初は毎日更新していたりしたので、その影響で平均値では現状より二日短いサイクルとなっています。

さてさて、「緑の党」の続きです。一時は積極的に党の集会とかに顔を出していた私ですが、2008年秋の経済崩壊と、それに続く社会の混乱と自分自身の仕事の維持や路線修正のために政治活動のゆとりはなくなりました。

「社会が混乱している時こそ、政治が必要だろう」という正論もありましょう。実際、混乱の中、アルシンキ(国会)前で連日行われた抗議デモには多数の市民が参加していました。皆が鍋やしゃもじ – は、ないか?大きなスプーンとかを手にして、打ち鳴らしながら集まりました。

これは、経済崩壊の分析が進むにつれて、いかに政府やオソリティーが経済活動の監督をおろそかにしてきたか、いかに銀行等の金融の大御所が利益最優先で、危険を顧みない投資を続けていたのかが明らかになったためでした。

一般市民が怒るのは当然でしょう。彼らは一生懸命働いてコツコツ貯めた貯金の全部あるいは相当の部分が、一夜にして消えてしまったりしたのですから。仕事を失った人もわんさかわんさ。

鍋やスプーンを手にして集まったのは、「俺たちは今や食べることさえ難しいんだぞ! お前らが自分の懐に何百万、何千万を入れようと欲の皮をつっぱったおかげで!」ということの象徴。




鍋やさまざまな調理器具を持参するデモの参加者
Myndin er ur Visir.is/GVA


この連日の抗議デモはBusahaldabylting ブースアウハルダビルティングと後に呼ばれるようになりました。Busahald(a)は「調理器・台所用品」のこと。Byltingは「革命」です。「キッチングッズ(による)革命」ですね。

この抗議デモにより、国会選挙が2009年の四月に行われることになりました。2007年に選挙は持たれていたので、任期半ばでの解散総選挙です。アイスランドでは稀なことです。日本などで一般化している「自党への利」を図っての国会解散というのは、アイスランドでは馴染みがありません。

え〜と、自分のことに戻りますが、先ほど書きましたように「社会混乱の時こそ政治は大切」という正論にもかかわらず、私は政治から距離を取るようになりました。

混乱の中で自分の職務を通して貢献するには?ということが第一だったのと、財政難の中でその職務自体を守る必要もありましたし、金融・財政問題という、問題の中心点が私の「おヨビでない」ことであったこともあります。ワタシは自分の給与明細ですら、何が書いてあるのかわからない人なのでした。

私がしたことといえば、髪の毛を金髪に染めた(脱色した)ことくらい。(*^^*) 暗い世相だったので、多少でも周囲を明るくしようと思い立ったのでした。それはそれで効果はありましたよ。けっこう「うけ」ましたから。




アルシンキ(国会)前でのキッチングッズ革命の講義集会
Myndin er ur Kjarninn.is


さて、そのような社会混乱の中で行われたアルシンキ総選挙。大きな変化がもたらされました。当然。

ゲール首相を筆頭に40%弱の支持率と26人の議員を有していた独立党は、大負けして議員10人へ減少。それでも得票率は23%もあったのですが。

代わって第一党になったのはSamfylkingサムフィルキング(「みんなで共に行こう」みたいな意味です)という社会民主党。30%弱の得票率で20の議席を得ました。

我が緑の党は21%余りの得票で議席は14。それまでよりも5議席増加しましたから、これは躍進でした。

この頃はまだ、私は時折党の集会に顔を出していたのですが、面白いですよね。それまで「万年野党」というか「万年小党」で、「政権」について語っても誰もマジには口にしていなかったのが、突然?目の前の手に届くところに転がってきました。

そういう時の、集会場の熱気というか、緊張感というか、雰囲気がガラッと変わったのですよ。その時の緑の党の党首はステイングリームルというおじさんでした。会場の誰かが発言した際に、彼に向かって「さてさて、『大臣』」と語りかけると会場は歓声と大喝采。

選挙の結果を受けて、実際にステイングリームルさんは財務大臣となりました。新政権はサムフィルキングと緑の党の連立政権。首相はサムフィルキングのヨハンナ・シーグルザードティールさんで、アイスランド史初の女性首相でした。

ついでにヨハンナさんは同性愛者で女性のパートナーと生活していました。首相就任時にはまだ公になっていませんでしたが。

良いことはほとんど何もせず、経済破綻を国民に知らせる臨時テレビ会見を「Gud blessi Island (神よ、アイスランドを祝したまえ)」という年間流行語大賞になった一言で結んだゲール前首相に対して、ヨハンナ新首相は続く難しい四年間を、かなり良い業績でまっとうした、とされています。




混乱の中で、初の女性首相となったヨハンナさん
Myndin er ur Visir.is


この時期は確かに緑の党にとってのターニングポイントだったといって良いと思います。先に書きましたように、万年与党だったものが、「政権を担えるんだ」という認知を得た政党に成長したということです。

以降、十年間に渡り、今日に至るまで緑の党はいつも「政権レーダー」の範疇に留まっているのです。

その後、2013年の総選挙では緑の党は振るわず、支持率半減して野党に戻りました。業績が悪かったから?実際には2013年くらいからは、アイスランド経済は観光業を中心として急速に復興に向かっていたのです。

これは、要するにそれまでの政権が頑張ったということなのですが、一旦経済がノーマルになり、かつ追い風を得るようになると、世の人々の「貪欲」にまた火が付くのでした。そうなるとまた、政治に求めるものも変わってきます。

混乱の間で舵取りを任されたサムフィルキングと緑の党は、外貨がジャラジャラと流れ込む機会を押さえるためには、良識がありすぎたのでしょう。

ヨハンナ首相を継いだ進歩党(という名前の保守党)のシグムンドゥ・ダヴィ首相、ひとりおいて独立党のビャルトゥニ首相(現財務大臣)らは、あたかも経済危機以前にタイムスリップしたかのような「金、富、また金」路線に舵を取り直しました。

正直言って、それを後押しする勢力が社会の中にしっかりと存在するのです。

そして、2016年の総選挙。これも任期満了を待たずしての総選挙。主な理由はあの「パナマ文書」スキャンダルによる政治不信でした。ここでは緑の党は善戦し、支持率は16%まで回復しましたが、政権は保守勢力が維持しました。ところが僅か一年の後、この連立政権は思わぬことから一夜にして崩壊。一年間のうちに二度目の総選挙となりました。

この連立崩壊の過程は、以前書いたことがありますので、そちらも参照していただければ幸いです。

政権を一夜で崩壊させた「手紙」


とにかく、2017年の秋の選挙で、緑の党は11議席。党首のカトリーン・ヤコブスドティールさんが、連立交渉の任に当たり、8議席の進歩等(という名前の保守等)と16議席の独立党との交渉をまとめ、首相の座に就きました。アイスランド史上ふたり目の女性首相誕生です。

私が書こうと思っていたエピソードは、また一回持ち越しです。それほど大した話しではありませんので、まあ、期待せず、忘れて待ってください。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is
コメント
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