レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「相方」?「相棒」? いや「パートナー」

2022-03-06 00:00:00 | 日記
こんにちは/ こんばんは。




清涼感アップ用ピック その1
Myndin er eftir Jose_Llamas@unsplash.com


今回は、あえて周囲に満ち満ちている暗いニュースをスルーし、ワタシの内部に巣食っている疑問にフォーカスして、現実逃避を試みたいと思います。

最近、結婚している夫婦を含めて、自分のお相手を「相方」と呼ぶ人が増えているのだそうです。結婚しているカップルの場合は、例えば「主人」「旦那」あるいは「ヨメ」「家内」とか呼ぶのになにか抵抗を感じる人が増えているようですね。

それはわかりますよね。「主人」とか「家内」っていうのは、もう言葉自体が性差別的なニュアンスを含んでいますし、私がかりに今結婚していたとしても、この呼称は使わないだろうと思います。

その代わりにしばらく使われていたのが「ワイフ」「ハズ」とかなんでしょうが、これもさすがに古いギャグの「欧米か!」の感があります。

もう少し進んでくると「パートナー」になるのでしょうが、この言葉は往々にしてゲイの方が自分の相手を呼ぶときに使いますので、ゲイではない人がこの言葉を使って、いらぬ混乱を引き起こすこともあるとか。

そこで「相方」という言葉が浮上してきたようです。ですが、ここでの「相方」とは、すでにカップルになっている人たちが、自分の配偶者や、彼氏、彼女を呼ぶ時の呼称に過ぎません。そこにある関係そのものは「夫婦」であり、あるいは「恋人同士」であるわけです。




「相方」ありやなしや?
Myndin er ur Cam.Cam.jp


お笑い芸人の皆さんが「相方」という場合には、それは単に相手に対する呼称ではなく、関係そのものを指していますよね。この「相方」という関係はどういうものなのか?というのが、ここのところワタシがはまっている第一の疑問なのです。

私が大学生になったくらいの時に、「漫才ブーム」なるものが到来しました。1980年からの二、三年間です。

その時に活躍した世代が「お笑い第二世代」と呼ばれるのだそうです。B&B、ツービート、紳助竜介さんらがこの世代ですよ。

ちなみに「お笑い第一世代」は1962〜70年にかけての時期で、初代の林家三平師匠、てんぷくトリオ、コント55号、ドリフターズらがこれに属するのだそうです。ずいぶん遡る気がしますよね。

漫才ブームの頃の私は青二歳でしたので、お笑いのコンビというのは、プライベートでもステージと同じように仲が良いのだろう、と決めつけていました。その後、私も成長するにつれて「どうもそうじゃないらしい」ということに気がついたわけです。

わりと最近になって -それでも十年くらい前ですが- たけしさんがしっとりとしたトーク番組で、「あいつ(きよしさん)とは、移動するにしても新幹線の一番前と後ろみたいに距離を取ってたし、日常生活で話しをすることはまずなかった」とか言っているのを聞いて、「そこまでか?」と驚かされました。

その後、松本人志さんなんかでも「オレは浜田の携帯の番号知らないし、家に行ったこともないから」とか言っていたり、ロンブーの亮さんも「オレもアツシを結婚式に招待しなかったし」とか言ってたりするのを聞いて、今度は「お笑いコンビというのは、実はみんな心底嫌い合っているのだ」とさえ思えてきました。

ところがその反面、さまぁ〜ずさんやオードリーさんのように、プライベートでも本当に仲の良いコンビがあることも再確認できました。これらのコンビは学生時代からの同級生だし、そういう背景ももちろん関係するのでしょうね。

私は芸能リポーターでもお笑い界の専門家でもありませんので、私の知識はテレビとかで聞きかじったもの集積に過ぎません。でもそれによると、お笑い界では「コンビ解消」は余程のことがない限り起こるものではないとのこと。




80年代 スピード感のある漫才で魅了したB&B
Myndin er ur Amazon.co.jp


心中は「この野郎」と思いながらも、コンビに徹するのがこの世界の鉄則のようです。プロだからできることなのでしょうが、きついんじゃないかなー?と感じちゃいますよね?

映画やテレビでも、主役のヒーローとヒロインが実は嫌い合ってたりすることはあるようです。でも、俳優さんの場合は「役のひとつ」であって、それに生涯縛られているわけではないし... 逃れようのない距離にいつもいるお笑いコンビの方がきついような。

このお笑いにおける「相方」という関係は、正直言って今の私の理解を超えています。で、私には「理解できていないこと」として理解しています。

この「相方」に似ているのでは?と思える関係が「刑事のパートナー」です。この場合の「パートナー」はその通りの意味で、ゲイ云々(うんぬん)は関係ありません。刑事(デカ)の「パートナー」というのにも興味があります。

ただ、これはあくまでテレビや映画で出てくる刑事のことです。私はテレビや映画での刑事物の大ファンですが、本当の刑事さんというのは、ひとりも存じ上げていません。これは架空の世界における考察です。

特にNYPDものが大好きなのですが、その中でも「Blue Bloods」というシリーズは大のお気に入りです。主人公のひとりであるダニー刑事のパートナーはバイエスというヒスパニック系の女性。

Blue Bloods


このふたり、いつも一緒に行動し、べったりとくっつき合っています。バイエスは、ダニーの妻のリンダよりもむしろダニーと共にいる時間が長いのでは?と思えるほど。(念のため、リンダはシリーズ途中で逝去)

そして、ふたりは完全な信頼関係にあります。刑事のパートナーというのは -私の仕入れたテレビからの知識によると- 「自分の背中を完璧にカバーしてくれるという信頼感」の上に成り立っているそうな。




ダニー刑事とパートナーのバイエス刑事
Myndin er ur CBS.com


で、そういうふたりを見ていると、俗なワタシなどは「このふたり、実はデキてるんじゃないか?」とか下衆(げす)のguessをしてしまうのですが、そうではないのです。

このふたりの鉄壁な信頼関係は「刑事のパートナー」の世界に属することで、ロマンチックなものではないのです。完璧に大切にし合っていても家族とか友人とかとも違う、「刑事のパートナー」なのです。こういう関係もあるんだなあ、と。

さて、なぜ故に私がこのような「相方」とか「刑事のパートナー」についての思索を始めたかというと、実は私自身の職務上のパートナーとの関係を考えていたからなのです。

私はここ数年、女性牧師のアニーさんと組んで仕事をしています。アニーさんは二十も年下で、とても可愛く、また人柄も良い女性です。以前は他の仕事と掛け持ちだったのですが、一年前から専属で私のパートナーとなりました。

これは私目線の話しで、アニーさんから見れば、私が彼女にパートナーになった、ということでしょう。

で、早い話しが、私はアニーさんのことを120%信頼できますし、彼女の方もこちらを信頼し必要に応じて頼ってきてくれます。大切に思う、という点ではもうこの上なく大切な人と感じています。

ですが、全然ロマンチックな感情はないのですよ。友人なのかどうかも良くわからないし、むしろ家族に対する気持ちに近いものがあります。こちらにいる邦人女性の中には、私の「姪」が何人かいます。本当の姪ではなく「姪のような存在」の人たちです。

日本人の場合は、ごく自然にそういう関係が成り立つのですが、アイスランド人相手に、そのような関係を感じたことはありません。

そして、アニーさんの場合も、「姪」みたいではあるけど、やはりそれよりは「牧師のパートナー」だなあ、という気がするのです。

会うのは仕事の関係だけ。プライベートでは一緒にお茶したことさえありませんし、自宅を訪問したこともありません。する予定もありません。必要ないからです。




清涼感アップ用ピック その2
Myndin er eftir Joshua_Sortino@unsplash.com


このような関係性にフと気がついて以来、「こういう関係をなんと呼ぶのだろうか?」みたいな思索にふけるようになったわけです。そういうパートナーを持てて、とても嬉しんですけどね、同時に気がつきました。

初めてなのですよ、そういう牧師のパートナーを持つことが。仲の良い同僚というのは、これまでも何人かいましたが、「パートナー」と呼べるほどの近い距離にいてくれる「相方」は初めてなんです。

感謝して、大切にしないと。(*^^*)


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
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