こんにちは/こんばんは。
先の木曜日から、アイスランドはオフィシャルに「夏」となりました。四月の第四週の木曜日がSumardagurinn fyrsti スーマルダーグリン・フィルスティ「夏の第一日」として定められており、国民の祝日になっています。
凍てつく夏 古の知恵では想定内
だいたいこの「夏開き」の日は雨が降ったり、寒かったりと「夏?」感が震えることが多いのですが、今年はまあ、そんなに鳥肌が立つこともありませんでした。
そういえば、復活祭にも雪は降らなかったですね。「復活祭には雪が降る」という都市伝説があるのですが、今年はそれも一休みのようでした。
くつろぎ感アップ用ピック Vikの風景
Myndin er eftir saikrishna-saketh-yellapragada@unsplash.com
前回は、Paskarパースカー(復活祭)関連のことを、特にウクライナの人たちの多数派が属する正教会との関係で書いてみました。
その中で、正教会の復活祭は、(今年は)カトリックやプロテスタントらの西方教会の一週間後、4月24日であることもお伝えしました。そして、私らアイスランド国民教会のスタッフも、「どのようにしてウクライナ難民の人たちが復活祭を祝えるか」という点で、いろいろ協力していることにも触れました。
事前の話し合いの中で、「ヨーロッパのどこかからウクライナ正教会の司祭を招いてミサを守る」という案が出されたものの、これはうまくいかなかったことも前回書いた通りです。
ただ、前回触れられなかったのですが、その案と並んで「ウクライナかあるいは他の国からのライブ・フィードを見ることでミサに参加する」という案も出されていました。パブリック・ビューですね。
この案を出したのは私自身です。コロナ開けということもあり、この状況の中ではそういうのも次善の策ではないかと。
協議に参加していた人たちの中には賛同する向きもありましたが、ミサの宗教的価値を重んじる人の中には「ミサの後で食べるイースターブレッドは、司祭によって『聖別』されなくてはならない。オンラインで聖別することはできない」という意見もあり、「待った」がかけられてしまいました。
「聖別」というのは、教会の中で特に大切なものを特別に「聖なるもの」となるように神からの祝福を受けることです。
イースターエッグのカラーリング作業 玉ねぎは茶色、赤ラディッシュは赤色用
という流れで、つまり 1)司祭を招いてミサを持つ=ボツ 2)パブリック・ビューイング形式のミサ=ボツ となり、最後の代替案 3)ミサとは切り離して、イースターブレッドとタマゴの装飾を「文化的イベント」として楽しむ が残ったわけなのです。
実はこのみっつの案、最後の最後までウダウダと結論が出ないまま持ち越され、最終的に「三番目の案で行こう!」となったのは、「冬の最後の日」つまり今月20日のことでした。(今土曜日ですので)三日前。フー...
それでも月曜日には、「イースターのパンを焼きたい」と申し出てくれていたロシアの婦人たちと会い、準備には入っていました。それでも僅か一週間足らず。
婦人たちはパン焼きに関してはベテラン揃いなので、そちらは心配ないとしても、会場の設定や、隣り町からのチャーターバスの手配、子供たちのプログラムの準備等々、短期間になさねばならないことは山のようにあります。
こっちはパン焼きの準備 完成品は「乞う次回!」
まあ、それでも教会というのは、そういうことには慣れているものですが。
というわけで、今週(4月23日までの週)は、ワタシもかなりキリキリマイさせられた週となりました。
前々回触れましたネス教会が会場となり、正式のミサではないとしても、復活祭の意義と「共にあること」を確かめるために、アグネス監督が国民教会を代表して挨拶してくれることが決定。
私や同僚のアニー牧師は、現場の責任者ではあるのですが、実際のイベント遂行者はウクライナ難民を支えるボランティア・センターの人たちです。こちらに住んでいるウクライナ人、その人たちに関係するアイスランド人、支援しているロシア人等々がその中心。
我々、国民協会サイドはあくまで「サポーター」です。実際、今、土曜日。にもかかわらず、一体どのくらいの人数が集まるのか、大雑把な数もこちらは把握できていません。大丈夫かな?
自分の企画だったらこういうことはないです。小心者のワタシは、いつも準備万端、万一に備えていつもプランB、果てはプランCくらいまで準備してかかるタチです。
くつろぎ感アップ用ピック2 Flateyの風景
Myndin er eftir Einar_H_Reynis@unsplash com
そういう意味では、こういう状況での活動 – つまり、突発的で流動的な状況の中で、いろいろなことを至急に、かつ見込みのみで計画して実施する – というのは、非常に貴重な経験というか、新しい世界に踏み込んだ気がします。
「捨てる神あれば拾う神あり」っていう諺ありますよね。これって、チョー日本的な諺だと思うのですが、実は結構気に入っていて?ちょくちょく心に浮かびます。
本来的には「嫌なことをする人もあれば、優しくしてくれる人もある」「辛く当たってくる人もあれば、助けてくれる人もある」という風に、対人関係について使われるものなのでしょうが、私は勝手に意味を拡張しています。
つまり、何かが上手くいかない、思い通りに進まない時でも、そこになにかしら思いがけないようなプラスの宝が埋まってたりする、みたいな。
「みたいな」というよりは、これはかなり私にとっての、生活上の確信です。実際にそういうことの連続でしたから、ワタシ自身の生活は。
今回も、思い通りに行かない面だけに囚われてしまうことを避けるようにし、意外な「お宝」を探っていこうと思っています。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
先の木曜日から、アイスランドはオフィシャルに「夏」となりました。四月の第四週の木曜日がSumardagurinn fyrsti スーマルダーグリン・フィルスティ「夏の第一日」として定められており、国民の祝日になっています。
凍てつく夏 古の知恵では想定内
だいたいこの「夏開き」の日は雨が降ったり、寒かったりと「夏?」感が震えることが多いのですが、今年はまあ、そんなに鳥肌が立つこともありませんでした。
そういえば、復活祭にも雪は降らなかったですね。「復活祭には雪が降る」という都市伝説があるのですが、今年はそれも一休みのようでした。
くつろぎ感アップ用ピック Vikの風景
Myndin er eftir saikrishna-saketh-yellapragada@unsplash.com
前回は、Paskarパースカー(復活祭)関連のことを、特にウクライナの人たちの多数派が属する正教会との関係で書いてみました。
その中で、正教会の復活祭は、(今年は)カトリックやプロテスタントらの西方教会の一週間後、4月24日であることもお伝えしました。そして、私らアイスランド国民教会のスタッフも、「どのようにしてウクライナ難民の人たちが復活祭を祝えるか」という点で、いろいろ協力していることにも触れました。
事前の話し合いの中で、「ヨーロッパのどこかからウクライナ正教会の司祭を招いてミサを守る」という案が出されたものの、これはうまくいかなかったことも前回書いた通りです。
ただ、前回触れられなかったのですが、その案と並んで「ウクライナかあるいは他の国からのライブ・フィードを見ることでミサに参加する」という案も出されていました。パブリック・ビューですね。
この案を出したのは私自身です。コロナ開けということもあり、この状況の中ではそういうのも次善の策ではないかと。
協議に参加していた人たちの中には賛同する向きもありましたが、ミサの宗教的価値を重んじる人の中には「ミサの後で食べるイースターブレッドは、司祭によって『聖別』されなくてはならない。オンラインで聖別することはできない」という意見もあり、「待った」がかけられてしまいました。
「聖別」というのは、教会の中で特に大切なものを特別に「聖なるもの」となるように神からの祝福を受けることです。
イースターエッグのカラーリング作業 玉ねぎは茶色、赤ラディッシュは赤色用
という流れで、つまり 1)司祭を招いてミサを持つ=ボツ 2)パブリック・ビューイング形式のミサ=ボツ となり、最後の代替案 3)ミサとは切り離して、イースターブレッドとタマゴの装飾を「文化的イベント」として楽しむ が残ったわけなのです。
実はこのみっつの案、最後の最後までウダウダと結論が出ないまま持ち越され、最終的に「三番目の案で行こう!」となったのは、「冬の最後の日」つまり今月20日のことでした。(今土曜日ですので)三日前。フー...
それでも月曜日には、「イースターのパンを焼きたい」と申し出てくれていたロシアの婦人たちと会い、準備には入っていました。それでも僅か一週間足らず。
婦人たちはパン焼きに関してはベテラン揃いなので、そちらは心配ないとしても、会場の設定や、隣り町からのチャーターバスの手配、子供たちのプログラムの準備等々、短期間になさねばならないことは山のようにあります。
こっちはパン焼きの準備 完成品は「乞う次回!」
まあ、それでも教会というのは、そういうことには慣れているものですが。
というわけで、今週(4月23日までの週)は、ワタシもかなりキリキリマイさせられた週となりました。
前々回触れましたネス教会が会場となり、正式のミサではないとしても、復活祭の意義と「共にあること」を確かめるために、アグネス監督が国民教会を代表して挨拶してくれることが決定。
私や同僚のアニー牧師は、現場の責任者ではあるのですが、実際のイベント遂行者はウクライナ難民を支えるボランティア・センターの人たちです。こちらに住んでいるウクライナ人、その人たちに関係するアイスランド人、支援しているロシア人等々がその中心。
我々、国民協会サイドはあくまで「サポーター」です。実際、今、土曜日。にもかかわらず、一体どのくらいの人数が集まるのか、大雑把な数もこちらは把握できていません。大丈夫かな?
自分の企画だったらこういうことはないです。小心者のワタシは、いつも準備万端、万一に備えていつもプランB、果てはプランCくらいまで準備してかかるタチです。
くつろぎ感アップ用ピック2 Flateyの風景
Myndin er eftir Einar_H_Reynis@unsplash com
そういう意味では、こういう状況での活動 – つまり、突発的で流動的な状況の中で、いろいろなことを至急に、かつ見込みのみで計画して実施する – というのは、非常に貴重な経験というか、新しい世界に踏み込んだ気がします。
「捨てる神あれば拾う神あり」っていう諺ありますよね。これって、チョー日本的な諺だと思うのですが、実は結構気に入っていて?ちょくちょく心に浮かびます。
本来的には「嫌なことをする人もあれば、優しくしてくれる人もある」「辛く当たってくる人もあれば、助けてくれる人もある」という風に、対人関係について使われるものなのでしょうが、私は勝手に意味を拡張しています。
つまり、何かが上手くいかない、思い通りに進まない時でも、そこになにかしら思いがけないようなプラスの宝が埋まってたりする、みたいな。
「みたいな」というよりは、これはかなり私にとっての、生活上の確信です。実際にそういうことの連続でしたから、ワタシ自身の生活は。
今回も、思い通りに行かない面だけに囚われてしまうことを避けるようにし、意外な「お宝」を探っていこうと思っています。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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