レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

持ち込み可です 自費出版王国アイスランド(続)

2013-04-19 05:00:00 | 日記
アイスランドの書籍文化、その中の自費出版事情の続きです。

20年間のような長期の展望に立つ時、国民の10人にひとりがその期間内に本を一冊出版するという統計の出ているアイスランド。かなりアクティブな出版事情だが、それを支えているのが自費出版だ、というようなことを前回書きました。

先日のBS1の取材協力の折りに書店の店先や図書館でたまたま居合わせた人たちに自費出版について質問をしてみました。ほぼ全員が(20人弱だと思いますが)自費出版に関して肯定的な意見を持っていました。

「何でも自分でやりたがるアイスランド人らしい」「出版することで自分の人生の一里塚になる」「自分からの確かなメッセージになる」というようなものが主な意見でしたし、「機会があったらぜひ自分も出版してみたい」という人がほとんどでした。(質問をした20人弱の中にもしっかり自費出版経験者がいました)

さて書店の方からお話しを伺ったり、店先でお客さんに質問をしていていて気づかされたことがあります。自費出版、ということそのものがアイスランドでは日本でのように明白な概念ではないらしいのです。

日本では出版は出版社が行うものであり、自費出版というのは少々特別な部類の出版形態であって、何か特別な機会や(愛誠小学校創立100年記念とか)、ある特定のグループの思い入れ(同人会雑誌のような)の産物というように見られているのではないかと思います。

私の印象ではアイスランドでは考え方が逆のように思われるのです。ちょっと極端な言い方になりますが、本は出したい人が自分で費用を工面して出すものであり、その中で商業価値のあるものだけが出版者と契約を結べるものだ、という流れではないかと考えます。

そのひとつの証左として挙げられるのが、自費出版本の書店持ち込みが可能なことです。日本では自費出版本はなかなか一般書店では扱ってもらえないと聞いています。ここでは簡単な合意書に署名するだけで自費出版本が書店の店頭に並びます。

そしてここで大切なことは、一度書店の書棚に納まってしまうと出版社から出ている本も自費出版本も簡単には見分けがつかなくなってしまうことです。もちろん大手の出版社のロゴが入っていればそれは出版社扱いの書籍でしょうが、小さな出版社ですと例え出版社のロゴが入っていてもそれだけでは自費出版かそうでないかの見分けはつきません。



「エイミュンドゥスソン」の伝記コーナー
有名人無名人、みーんな一緒です

実は私自身も五年ほど前に小さな詩集を自費出版し、それを書店に持ち込みしたことがあります。「ニークル」という小さな出版グループ(「夢の国アイスランド」の著者で今ではすっかり著名人であるアンドリ・スナイル・マグヌサソンさんが創立したものです)を通したのですが、事実は自費出版でした。

で、持ち込みされた私の詩集はしっかりと詩歌の棚の中に納まり、他の有名無名な詩人の皆さんの中に入れてもらったのです。本屋さんに行って書棚に自分の名前を見るというのはなかなか嬉しい経験でした。

ただし持ち込み本にはひとつだけ条件が付きます。一年間限定で売れ残りは返品されます。書店のキャパシティにも限度がありますから、これは仕方ないことでしょう。

全部で17の店舗を持つ「エイミュンドゥスソン」という書店のダウンタウンのお店では現在置かれている書籍の15%が自費出版の本であるということでした。ただ、この「一年間限定規定」のために自費出版本は絶えず流れていっているので、もうすこし長いスパンで見るならば20%を越す、ということでした。

「本は読むだけのものではない、自分で出すものでもある」小さな国だからこその利点もありますが、発想の転換にもなる視点ではないでしょうか?
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