PTAの役員というと、引き受け手がいないのは
今も昔も同じだと思うが、
長男が中学の時、PTAの役員を引き受けた。
そのとき、会長に誰を選ぶかを相談され、
小学校時代からお付き合いがあって、適任と思われる方を推薦した。
その方は、一緒にやってくれるならと、引き受けてくださった。
音大の付属幼稚園の園長をなさっていたIさんだ。
他に、ふつうのサラリーマンながら、
必要があると休暇をとって参加してくれた男性、Sさん。
そして調整役をかってくれたSeさん。
この時の仲間は、とても気持ちのいい仲間だった。
皆、フルタイムでの仕事をもっていたので、
土曜や夜に時間を工面して集まった。
べたべたしたところの少ない、
そして先生方とも対等に話せる、いい意味で大人の方が多かった。
会長さんの入学式や卒業式の挨拶は通り一遍なものではなく、
聴いている親も、中学生たちもじ~んとくるものだった。
元気なだけの校長先生の話より胸に染み、中には涙を浮かべている者もいた。
役目を終えてからも、何かと集まって
一緒に食事をしたり、楽しい仲間だった。
10年ほど前、調整役をしてくれたSeさんが癌でなくなり、
寂しくなったのだが、
今週にはいり、会長をしてくださったIさんの訃報が届いた。
彼女も癌だったとのこと、
きょうは、その告別式だった。
無宗教形式で、
春の花がいっぱい飾られた、彼女らしいお葬式だった。
帰り、バス通りにでたところに花屋があって、
なんとなく花を買いたくなった。
花を選んでいて、アネモネが目についた。
そういえば、役目を終えるとき、
アネモネの花束を彼女からもらったのだと、思い出した。
花束をもらうなんてことは、経験したことがなく、
とっても嬉しかったのを思い出した。
そういう、楽しい気遣いをしてくれる人だった。
喪主であるご主人が、最後の挨拶で
「100歳になる母に、妻がなくなったと知らせたら
ちょっと間をおいて、あなたと変わって欲しかった。」
と言われたとのことだった。
実の息子に対して、そういうくらい、
お姑さんにも、愛された方だった。
みんなが、一様に、惜しい人を亡くしたと思っているようだった。
66歳。
さがさんのコンサートにもきてくれて、
一緒に楽しんだのが最後になってしまった。
惜しまれる人! クリック!
今も昔も同じだと思うが、
長男が中学の時、PTAの役員を引き受けた。
そのとき、会長に誰を選ぶかを相談され、
小学校時代からお付き合いがあって、適任と思われる方を推薦した。
その方は、一緒にやってくれるならと、引き受けてくださった。
音大の付属幼稚園の園長をなさっていたIさんだ。
他に、ふつうのサラリーマンながら、
必要があると休暇をとって参加してくれた男性、Sさん。
そして調整役をかってくれたSeさん。
この時の仲間は、とても気持ちのいい仲間だった。
皆、フルタイムでの仕事をもっていたので、
土曜や夜に時間を工面して集まった。
べたべたしたところの少ない、
そして先生方とも対等に話せる、いい意味で大人の方が多かった。
会長さんの入学式や卒業式の挨拶は通り一遍なものではなく、
聴いている親も、中学生たちもじ~んとくるものだった。
元気なだけの校長先生の話より胸に染み、中には涙を浮かべている者もいた。
役目を終えてからも、何かと集まって
一緒に食事をしたり、楽しい仲間だった。
10年ほど前、調整役をしてくれたSeさんが癌でなくなり、
寂しくなったのだが、
今週にはいり、会長をしてくださったIさんの訃報が届いた。
彼女も癌だったとのこと、
きょうは、その告別式だった。
無宗教形式で、
春の花がいっぱい飾られた、彼女らしいお葬式だった。
帰り、バス通りにでたところに花屋があって、
なんとなく花を買いたくなった。
花を選んでいて、アネモネが目についた。
そういえば、役目を終えるとき、
アネモネの花束を彼女からもらったのだと、思い出した。
花束をもらうなんてことは、経験したことがなく、
とっても嬉しかったのを思い出した。
そういう、楽しい気遣いをしてくれる人だった。
喪主であるご主人が、最後の挨拶で
「100歳になる母に、妻がなくなったと知らせたら
ちょっと間をおいて、あなたと変わって欲しかった。」
と言われたとのことだった。
実の息子に対して、そういうくらい、
お姑さんにも、愛された方だった。
みんなが、一様に、惜しい人を亡くしたと思っているようだった。
66歳。
さがさんのコンサートにもきてくれて、
一緒に楽しんだのが最後になってしまった。
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