12月6日に戻ります。
五年前にロンドンに来た時は、セットされた旅だったもので、
もし時間があれば、福岡守人さんが居た場所を尋ねてみたいものだと思いました。
そこで、今回は、福岡守人さんが行った所、住んでいたところ等を尋ねてみました。
その大きな道しるべになったのが、次の資料です。
イギリス留学生伊賀陽太郎宛書簡に診る日英交流ーイギリス人家庭教師ハムを中心にー(1)
同上(2)
守人さんが一緒に行動した伊賀陽太郎さんと、彼らの家庭教師Hamさんとの書簡集。
「福岡守人」でネットを検索して見つけました。
前回出かける前に見つけたのですが、余りよく読み込んでいなかったので
いろいろ、勝手に思い込んでいた部分も有りました。
お時間のある方は、お読みいただくと、
家庭教師を引き受け、ご自宅に住まわせてくれた
牧師のHam一家の、一家をあげての日本人留学生への気遣いが感じられます。
主として、伊賀陽太郎にあてたものなので、そういう話題ですが、
当時の様子がよくわかります。
書いていらっしゃるのは、井上琢智さんという関西学院大学の教授ですが
注を読むと、よく人物の関係を調べていらっしゃいます。
われわれにとっては、全く未知の人物が、約百五十年前にどのように過ごしたかが
生き生きとよみがえります。
これを読んでいて、一番びっくりしたのは、
伊賀陽太郎という人は、宿毛の藩主、山内容堂の甥で、
家臣に岩村通俊という名前が出てきたときです。
これまでは、夫のご先祖様ということで、それを尋ねる旅だったのですが、
岩村家というのは、私の母方の祖母の実家なのです。
いろいろ読んでいると、伊賀家と岩村家は姻戚関係もあるのです。
つまり、夫のご先祖様の歴史を調べていたら、
私の先祖にもつながったことです。
なんか、NHKの番組、ファミリーヒストリーみたいになってきました。
前述の書簡集から、Ham家はロンドンのKings Henry's Road 37にあったこと、
伊賀陽太郎は、ワイツ島に行っていることなどを覚えていた。
そこで、6日は、ワイツ島に行ってみようということにした。
前の日に、South Western Railwayの時刻表を手に入れてあったので
ちょっと時間的にはきついスケジュールながら、日帰りできそうと思って計画しました。
ところがです。
5日に、歩き回ったことと、自分たちだけの行動ということで
寝坊をしてしまい、出かけようと思っていた時間を過ぎて目が覚めました。
あわてましたが、とりあえず出かけようと
地下鉄のpaddington駅を9時半ごろ出ました。
前日も行ったコースですが、WaterlooまではWaterloo lineで直通で行かれることを
みつけました。
この地図の下の方にある小さな島がワイツ島です。
保養地として、伊賀陽太郎は行ったようです。
帰って来てからよく文章を読み返したら、守人さんは行ってなく、
保養にでかけたのは、ブライトンだった(読み間違え)。
まあ、とにかく、ワイト島です。
Waterlooを10:15、終点のPoutsmass Hbrに12:05。
汽車が終着駅につくと、人の流れにのって船の乗り場へ。
そこから船で、Rydeまで。自分が乗った船は写せません。
周りの船を写しました。ポツマスは海軍の使う軍港で、
なんとなくいかめしいものが有りました。
Rydeの船がついたところは、桟橋の先のほうで、
町まで桟橋を歩きます。桟橋は木の舗装。
車も通れますが、時速10キロ以内と書かれてました。
途中、泳ぐのと魚釣りは禁止と書いてあります。
桟橋の区間を電車も走っています。
何しろ下調べしてないので、桟橋を歩いていたら、
横を電車が通りかかったというのが真相です。
カモメがいっぱい飛んでいます。ちょうど、手すりにとまっているところ。
なかなか趣のある桟橋です。
町に入って、中華料理屋さんを見つけて昼食にしました。
ムール貝というので頼んだら、一皿にこんなに入っていました。
一緒にワンタンスープ、石鯛のあんかけも。お腹いっぱいに。
二階建てのバスに乗って島の中央のNewportまで。
二階の一番前に乗ったので視界は良好。やたらと写真を撮りました。
ポストが日本のみたいと話し合いましたが、いや、もしかしたら日本が真似したのかもね。
島を横断して、反対側のNeedle Pointまで行きましたが、
雨はふってくるわ、日はくれてくるわ、で
ただただ、バスで移動したという感じでした。
面白かったのは、バスの二階から周りを見ていると、
クリスマスの飾りつけをしたごく普通の家が、次々と見えること。
カーテンを閉めていないのに灯りがついているので
家族団欒のようすが、手に取るように見えることでした。
普通の乗用車の高さでは絶対見えない光景ですし
暗いのにカーテンを閉めないのは、面白いです。
こんな、緑色のバスでした。
帰りの船に向けては、電車に乗りました。
電車の待合室で、
クリスマスツリーの下のプレゼントは、何か入っているのでしょうか?
待合室から、街を振り返る。すっかり夜です。もう7時ごろだったでしょうか。
それからまた、船に乗って、汽車に乗って、Waterlooにもどってきて
小腹がすいたので、お茶とお菓子でごまかして、
Paddingtonに十時ごろ、ステーキハウスで夕食。
ホテルに帰ってバタンキューでした。
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五年前にロンドンに来た時は、セットされた旅だったもので、
もし時間があれば、福岡守人さんが居た場所を尋ねてみたいものだと思いました。
そこで、今回は、福岡守人さんが行った所、住んでいたところ等を尋ねてみました。
その大きな道しるべになったのが、次の資料です。
イギリス留学生伊賀陽太郎宛書簡に診る日英交流ーイギリス人家庭教師ハムを中心にー(1)
同上(2)
守人さんが一緒に行動した伊賀陽太郎さんと、彼らの家庭教師Hamさんとの書簡集。
「福岡守人」でネットを検索して見つけました。
前回出かける前に見つけたのですが、余りよく読み込んでいなかったので
いろいろ、勝手に思い込んでいた部分も有りました。
お時間のある方は、お読みいただくと、
家庭教師を引き受け、ご自宅に住まわせてくれた
牧師のHam一家の、一家をあげての日本人留学生への気遣いが感じられます。
主として、伊賀陽太郎にあてたものなので、そういう話題ですが、
当時の様子がよくわかります。
書いていらっしゃるのは、井上琢智さんという関西学院大学の教授ですが
注を読むと、よく人物の関係を調べていらっしゃいます。
われわれにとっては、全く未知の人物が、約百五十年前にどのように過ごしたかが
生き生きとよみがえります。
これを読んでいて、一番びっくりしたのは、
伊賀陽太郎という人は、宿毛の藩主、山内容堂の甥で、
家臣に岩村通俊という名前が出てきたときです。
これまでは、夫のご先祖様ということで、それを尋ねる旅だったのですが、
岩村家というのは、私の母方の祖母の実家なのです。
いろいろ読んでいると、伊賀家と岩村家は姻戚関係もあるのです。
つまり、夫のご先祖様の歴史を調べていたら、
私の先祖にもつながったことです。
なんか、NHKの番組、ファミリーヒストリーみたいになってきました。
前述の書簡集から、Ham家はロンドンのKings Henry's Road 37にあったこと、
伊賀陽太郎は、ワイツ島に行っていることなどを覚えていた。
そこで、6日は、ワイツ島に行ってみようということにした。
前の日に、South Western Railwayの時刻表を手に入れてあったので
ちょっと時間的にはきついスケジュールながら、日帰りできそうと思って計画しました。
ところがです。
5日に、歩き回ったことと、自分たちだけの行動ということで
寝坊をしてしまい、出かけようと思っていた時間を過ぎて目が覚めました。
あわてましたが、とりあえず出かけようと
地下鉄のpaddington駅を9時半ごろ出ました。
前日も行ったコースですが、WaterlooまではWaterloo lineで直通で行かれることを
みつけました。
この地図の下の方にある小さな島がワイツ島です。
保養地として、伊賀陽太郎は行ったようです。
帰って来てからよく文章を読み返したら、守人さんは行ってなく、
保養にでかけたのは、ブライトンだった(読み間違え)。
まあ、とにかく、ワイト島です。
Waterlooを10:15、終点のPoutsmass Hbrに12:05。
汽車が終着駅につくと、人の流れにのって船の乗り場へ。
そこから船で、Rydeまで。自分が乗った船は写せません。
周りの船を写しました。ポツマスは海軍の使う軍港で、
なんとなくいかめしいものが有りました。
Rydeの船がついたところは、桟橋の先のほうで、
町まで桟橋を歩きます。桟橋は木の舗装。
車も通れますが、時速10キロ以内と書かれてました。
途中、泳ぐのと魚釣りは禁止と書いてあります。
桟橋の区間を電車も走っています。
何しろ下調べしてないので、桟橋を歩いていたら、
横を電車が通りかかったというのが真相です。
カモメがいっぱい飛んでいます。ちょうど、手すりにとまっているところ。
なかなか趣のある桟橋です。
町に入って、中華料理屋さんを見つけて昼食にしました。
ムール貝というので頼んだら、一皿にこんなに入っていました。
一緒にワンタンスープ、石鯛のあんかけも。お腹いっぱいに。
二階建てのバスに乗って島の中央のNewportまで。
二階の一番前に乗ったので視界は良好。やたらと写真を撮りました。
ポストが日本のみたいと話し合いましたが、いや、もしかしたら日本が真似したのかもね。
島を横断して、反対側のNeedle Pointまで行きましたが、
雨はふってくるわ、日はくれてくるわ、で
ただただ、バスで移動したという感じでした。
面白かったのは、バスの二階から周りを見ていると、
クリスマスの飾りつけをしたごく普通の家が、次々と見えること。
カーテンを閉めていないのに灯りがついているので
家族団欒のようすが、手に取るように見えることでした。
普通の乗用車の高さでは絶対見えない光景ですし
暗いのにカーテンを閉めないのは、面白いです。
こんな、緑色のバスでした。
帰りの船に向けては、電車に乗りました。
電車の待合室で、
クリスマスツリーの下のプレゼントは、何か入っているのでしょうか?
待合室から、街を振り返る。すっかり夜です。もう7時ごろだったでしょうか。
それからまた、船に乗って、汽車に乗って、Waterlooにもどってきて
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