峠おやじの「たわごと」

峠、自転車、キャンピングカー、野菜、園芸、時事ネタなどをぼやいてます。

肩鎖関節靭帯(けんさかんせつじんたい)再建手術

2018年09月26日 | 健康
7月25日(水)
やっと入院当日になった。個室が空いていなかったため、とりあえず4人部屋へ入った。

夕方主治医のT先生から夫婦そろって手術に向けた概要を聞いた。肩の骨の乖離度はステージ3~5とのこと。結構いっちょ前やった。手術は関節接点付近の骨を1cmくらい切って滑らかにし、切れた腱(靱帯)の代わりに自分の右腿から採った腱で骨同士を結ぶ靱帯再建手術をする。野球選手のトミー・ジョン手術の肩版みたいなもの。奇しくも大谷翔平がやるそうですね。ワイヤー固定(後に外す必要あり)もするかも、全身麻酔にて行うとのこと。



手術の説明書によると「烏口鎖骨靱帯(うこうさこつじんたい)ー鎖骨肩峰靱帯(さこつけんぽうじんたい)再建」と書いてある。ロケット砲のような装具(ウルトラスリング)は6週間装着。3ヶ月は運動禁止。全治6ヶ月の予想。

7月26日(木)
リハビリの予定など聞きに行っている間に個室にルームチェンジ。私ゃ、いびきが迷惑レベルらしく椎間板ヘルニアのときに強制移住させられた口だからね(~_~)

手術前日。夕食まで食事は可能。夕食後下剤を飲む。飲み物は当日の6時まで可能。当日は香水など不可とのことなので、ひげ剃りを夜やっておいた。私ゃ若干皮膚が弱くてアフターシェーブローションしなきゃヒリヒリしちゃうんで。

7月27日(金)
手術当日 朝から絶飲食で8時30分からのオペに備える。女房と上娘が付き添いに来る。それまでの上下別のパジャマから浴衣様のワンピースに着替え。パンツは脱いでT字帯に替える。脚には血栓予防?の加圧靴下を履いた。

車いすに乗り手術室へ向かう。入り口で女房・娘に見送られて入室。オペは3時間30分かかる予定。迷路のような室内を通り抜ける。何人もの人々がいる。そう、ここは大学病院。患者も研究研修材料なのだ。

手術台に自分で乗る。点滴で麻酔薬が入れられ、酸素マスクをかぶされ間もなく意識がなくなった。

意識が戻ると、病室のベッドに乗せ換えられるところ。予定をオーバーして13時頃になっている。執刀したT先生いわく
「腿からの腱移植だけでワイヤーは使いませんでした」
ということは後日ワイヤーを抜く手間は不要になったのだ。良かった。丁寧にやったことで予定より長くかかったとのこと。

ベッドに乗せ換えられると、まずは肘に固定装具、ウルトラスリング(先生はスリングと言っている)をつけ、肩に腕の重みを加えないよう左斜め下になるようベッドメイキング。装具は6週間の予定。



それにしても麻酔が覚めないので身体が重い。1トンくらいあるように感じる。椎間板ヘルニアのときは手術前がチョー痛かったので目が覚めて「助かった」って思ったから雲泥の差だ。

それから怒濤の点滴ラッシュ。22時の消灯後も点滴は続く。内容は抗生剤や痛み止め、生理食塩水など。小水も管付きで時々排水量?を確認に来る。よって食事はなし。

しかし23時過ぎに腹が張って痛くなりだす。感触を確かめると胃のようだ。キリキリするような感じで、空腹によるものみたい。痛み止めの点滴を入れてもらう。

7月28日(土)
その後2度痛み止めの点滴を追加。
待望の朝食が出る。一日絶飲食だったので、飯はおかゆさん。小水管もついているのでベッド上で食べ、歯磨きもベッド上。その後T先生、O先生の診察。手術した肩と腿の傷口を確認し、絆創膏を代えた。たぶん採血もやったような・・・右脚、右腕、左手がダメなので左脚から。そういや血圧も左脚で計ったよ。

午後に小水の管を抜く。トイレへは行けるようになったが、点滴針が手に刺さっててパジャマの上げ下げができない。明日まではトイレの都度ナースコールだ(ー_ー)
ヨタヨタと館内を歩いてみた。頼りない。距離50m程度か。
痛み止めの飲み薬が出る。朝夕食後。

7月29日(日)
トイレ大達成。気持ちいい。でもまだナースコール付き。
抗生剤の点滴が終わり、針を抜いた。これでパジャマの上げ下げもできるようになり、ひとりトイレが可能になったし、あれこれできるようになった。

午後息子がお見舞いに来た。

続く

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コメント (4)
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