峠おやじの「たわごと」

峠、自転車、キャンピングカー、野菜、園芸、時事ネタなどをぼやいてます。

生きる意味

2019年02月17日 | 
高校生のころ、私が救われた人生の意味、生きる意味です。

進学校でしたので勉強は大変でした。毎日英語の単語テストはあるし、中間・期末試験や模試。それぞれ点数という結果や順位が出ます。予習復習を含め深夜勉強するのも非常につらかったです。

そんな孤独な時間を過ごしていると自然にマイナス思考になります。勉強なんて嫌だ。こんな苦しみいつまで続くのだろう。こんな辛い思いをするのが人生なのか。自分は何のために生まれてきたのだろう。それがわからないなら死んだ方がましだ。キリスト教の教えでも人は罪を背負って生まれてくると説いています。そしてその罪に苦しむために生まれてくるのです。だったら死ぬことが一番の幸せです。

じゃあ、どうやったら死ねるのか。色んな方法を思い浮かべても人に迷惑をかけない死に方が思いつきませんでした。だったら何で生きているの?その意味は・・・当時加藤諦三の本を読んだりしましたが解決できません。

さんざん悩んだあげく私が見つけた答えは生きてるからでした。生きてるものは生きてるから仕方ありません。罪があろうがなかろうが生まれてしまったものは仕方がないのです。諦めの境地というか居直りとでも言いましょうか? そうやって自分を許したら気が楽になりました。

そして生きてる以上腹が減るから食べます。生きてるから人に迷惑もかけます。また自分にできることしかできないので嫌なことを無理にやる必要はありません。でも、生きてる以上は努力してより良く生きようと思いました。

高校時代に自分で見つけた人生の意味はこのように「生きてるから生きてる」でした。しかし神様や仏様に生かされてるとは思いませんでした。宗教も家元制度もその実態は集金マシーン組織です。そういうものに救われなくて良かったです。もしも救われていたら尊師とかアラーとか国の為に殺人を犯すことになったかもしれません。そんなの嫌じゃないですか。

成人してから動物番組などを見たりして子孫を残すという生物学的な真理が加わりました。虫や魚などでは交尾産卵したらすぐ死んでしまうものが結構多いです。自分のDNA遺伝子を残すために生きているのです。そのために色んな種や生態ができてきました。人間もそのひとつですね。だから人生の意味とか定義とか七面倒に考えず、自分に正直に生きるのが自然で大切なわけです。

こんな駄文を見に来ていただけた皆様には釈迦に説法でしょうが、ご参考にしていただければ幸いです。


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コメント (4)
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