峠おやじの「たわごと」

峠、自転車、キャンピングカー、野菜、園芸、時事ネタなどをぼやいてます。

川崎尚之助(かわさきしょうのすけ)

2019年06月18日 | 歴史
2年前の2017年、峠漁りで兵庫県を走行していたときのこと。
こんなペイント(ラッピング?)を施したトラックがいました。



『八重が愛した男 川崎尚之助の故郷を旅する 城下町出石』 株式会社関運輸
『歴女が毎週更新中 かわさきしょうのすけ 検索』
そのとおり検索すると『川崎尚之助の故郷を旅する』というブログがヒットしました。

NHKの大河ドラマ「八重の桜」が放送された2013年当時に更新は終わっているようです。でもこのトラックを撮ったのは2017年ですから、2013年からずっとこのペイントで走ってらっしゃるのでしょうね。確認してみると関運輸さんは朝来市の運送会社で兵庫ローカルらしくなかなか見つかりませんでした。

川崎尚之助は蘭学を極め洋式銃の扱いにも詳しかったため、八重の兄との知己で会津に。そして八重と結婚することとなります。戊辰戦争後、斗南で藩士の生活を支えるため先物取引を行うが失敗、東京で裁判を受けます。その過程で離婚することになりました。

放送されたころは出石出身であることにはな~んも注目もしてなかったです。鯵山峠出石街道峠に行ってみて出石が仙谷氏の藩だったと初めて認識した次第です(>_<)

しかしなんで出石と仙谷氏にこだわるかというとマンガ「センゴク」を息子から借りて読んでいるからです。このサイトにあるように単行本の発行部数が900万部を突破していて、「センゴク」をもじって目指せ1059万部とぶち上げています。

そこで仙谷氏の略歴をウィキより転載しますと・・・
仙谷氏の祖、仙石秀久は美濃国加茂郡黒岩(現在の加茂郡坂祝町)に生まれた。はじめ美濃斎藤氏に仕えたが、斎藤氏が織田信長に滅ぼされると織田氏に仕官した。信長配下の羽柴秀吉に仕えて立身を重ね、1583年に淡路国5万石を領有し、1585年には四国征伐で軍功を上げ、讃岐国高松10万石を与えられるまでになった。1586年、九州征伐の前哨戦である戸次川の戦いに敗れて高野山に追放されるも、1590年の小田原征伐の功績で秀吉より許しを受けて信濃国小諸5万石の大名として復帰、伏見城築城の功績でさらに5万7000石に加増された。1600年の関ヶ原の戦いでは東軍に付き、大阪の陣を経て信濃国小諸藩を立藩した。秀久の代に仙石氏は徳川氏の信頼を得て、小諸藩は外様ながら願譜代として扱われた。また七男の仙石久隆は幕府の旗本に取り立てられたが、この旗本仙石家は大目付となった仙石久尚によって知られている。
江戸時代の仙石氏の所領は信濃国小諸藩から同国上田藩に転封され、次いで但馬国出石藩に移封された。幕末に入ると藩政をめぐって家中の対立が江戸幕府まで巻き込む大騒動となり(仙石騒動)、取り潰しは免れたものの5万8千石から3万石への減封となった。明治維新では最後の藩主仙石政固が新政府軍に助力して出石藩知事となり、廃藩置県後は華族として子爵の爵位を与えられた。

そんな出石藩出身の川崎尚之助。幼少のみぎりは出石の弘道小学校ゆかりの弘道館でたぶん学んだのでしょう。



また「八重の桜」で川崎尚之助を演じていたのは長谷川博己さん。



来年の大河ドラマ「麒麟がくる」では、明智光秀役で主演予定です。
これまた岐阜県ネタなのでとても不思議な縁を感じます。

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コメント
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