先月6日の岐阜新聞の記事から・・・
『現論』というコーナーの記事で、論者は佐伯啓思さん。経済学者で京大の名誉教授です。非常に感銘を受け、得心した記事だったのでほぼ原文を引用します。
緊急事態宣言が解除され、多くの場所でわれわれの生活は元に戻りつつある。だが、「元に戻る」とはどういうことだろうか・・・中略・・・今回のコロナ騒動の半年が異常事態であることはいうまでもなく、だから、それ以前に戻りたいというのも当然のように聞こえよう。ではコロナ以前は「正常」だったのだろうか。
論者の住む京都などは、インバウンド政策が始まってからの数年で、街は外国人観光客(特に団体)であふれかえり、観光バスが狭い道に入り込み、通勤、通学のバスに乗るのも一苦労という状態になった。観光業は経済的には潤ったかもしれないが、住民の日常生活はかなり被害を受けた。聞こえてくるのは苦情ばかりであった。
また一方、観光客のやってこない地方の小さな町はますます疲弊してゆく。1990年代以来の構造改革路線によって都市と地方の格差はずいぶんひらいていたが、この格差が観光客の動向によって決定的になった。
ところで論者が子供の頃、つまり64年の東京オリンピックの頃の地方都市など、実に静かなものであった。夜の6時にもなれば商店はほとんど店を閉め、街を歩く者もまばらになる。コンビニもカフェもむなければ巨大ショピングモールもない。大衆居酒屋もほとんどなく、3密になるのは近所の銭湯ぐらいのものだった・・・中略・・・街の人出など、今日の基準からすれば、もとより8割減といったところであり、いわばコロナなしの自粛のようなものであった。
ということはここ50年ほどで、地方生活というよりも都市生活が一変してしまったのであり、都市生活こそが標準モデルになったのである。もしも60年代を基準にすれば、その後の経済は、ほとんど「不要不急」の生活によって成長してきたことになる。衣食住に関わる生活必需品はゆきわたり、その質も年々向上し、ほとんど国内生産では利益があがらなくなってしまった。
その後に登場したものは、基本的に不要不急のものばかりである。特にこの数年は、経済をけん引する頼みの綱は、外国人観光客や多種多様のイベントやエンターテインメント、外食産業やグルメ、あげくの果てはカジノということになった。人を集めて快楽を与え消費につなげるという都市型生活に経済の命綱が預けられた。
今回のコロナ騒動は、まさにこの都市型生活を直撃した。政府によって不要不急のレッテルを貼られた新手の産業が大打撃を受けてみれば、不要不急頼みの経済がいかに脆いものかが明らかになったのだ。
論者は「不要不急」が悪いなどという気は毛頭ない。人間には、無駄なもの、不要不急なものがなければならない。人が多数集まって騒ぎ、ほとんど無駄な時間を共に過ごすことは大切なことである。祭りも宗教も文化もそこから起こったといってもよい。だが、それを経済的利益に還元し、成長の手段にするのは適切ではない。しかも、今回、実は「不要不急」どころか「必要火急」なものがまったく不足していたことにわれわれは気づいたのではなかろうか。
それは医療や日頃の養生であり、介護であり、教育であり、困窮事態に助け合える人間のつながりであり、必需品の時給である。これはもともと市場経済にはなじまない。観光やエンタメ、レジャーなどの消費生活とは対極にある公共的なものといってよい。しかもそれは本来、都市型生活というよりも地方的生活にこそ適合するものなのである。
いちいち、ごもっともです。私ゃ、グルメ、外飲み、イベント、エンタメには無縁ですが、スーパーやコンビニにはお世話になってます。便利さと引き換えに失ったものが何なのかわかりました。また京都ほどではないにせよ、岐阜市も岐阜城周辺の混雑(特に中韓観光客)には嫌気がさしていましたからね。
必要火急なものがなんで不足するのかといえば経済的にペイしないからです。労働環境の過酷さに反して低い給料の介護福祉士や保育士、看護師などなど。ペイしないものは公共事業で推進するしかありません。
その財源は巷間いわれるように消費税でしょう。それとマイナンバーカードと口座番号の紐づけです。消費税は10%になっても諸外国に較べたら低率です。私ゃ10%なら計算しやすくて良いと思ったくらいです。それなのに軽減税率なんか入れやがって。そしてマイナンバーは所得隠しの捕捉です。サラリーマンに較べ個人事業主の所得捕捉率は6割とかいわれてます。
マイナンバーカードを運転免許証代わりにする案も大賛成です。こういうときにプライバシーうんぬんという人が必ずいます。そういう方々はたいてい色々とやましいことがあるからで、それをプライバシー問題とすり替えているだけでしょう。
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『現論』というコーナーの記事で、論者は佐伯啓思さん。経済学者で京大の名誉教授です。非常に感銘を受け、得心した記事だったのでほぼ原文を引用します。
緊急事態宣言が解除され、多くの場所でわれわれの生活は元に戻りつつある。だが、「元に戻る」とはどういうことだろうか・・・中略・・・今回のコロナ騒動の半年が異常事態であることはいうまでもなく、だから、それ以前に戻りたいというのも当然のように聞こえよう。ではコロナ以前は「正常」だったのだろうか。
論者の住む京都などは、インバウンド政策が始まってからの数年で、街は外国人観光客(特に団体)であふれかえり、観光バスが狭い道に入り込み、通勤、通学のバスに乗るのも一苦労という状態になった。観光業は経済的には潤ったかもしれないが、住民の日常生活はかなり被害を受けた。聞こえてくるのは苦情ばかりであった。
また一方、観光客のやってこない地方の小さな町はますます疲弊してゆく。1990年代以来の構造改革路線によって都市と地方の格差はずいぶんひらいていたが、この格差が観光客の動向によって決定的になった。
ところで論者が子供の頃、つまり64年の東京オリンピックの頃の地方都市など、実に静かなものであった。夜の6時にもなれば商店はほとんど店を閉め、街を歩く者もまばらになる。コンビニもカフェもむなければ巨大ショピングモールもない。大衆居酒屋もほとんどなく、3密になるのは近所の銭湯ぐらいのものだった・・・中略・・・街の人出など、今日の基準からすれば、もとより8割減といったところであり、いわばコロナなしの自粛のようなものであった。
ということはここ50年ほどで、地方生活というよりも都市生活が一変してしまったのであり、都市生活こそが標準モデルになったのである。もしも60年代を基準にすれば、その後の経済は、ほとんど「不要不急」の生活によって成長してきたことになる。衣食住に関わる生活必需品はゆきわたり、その質も年々向上し、ほとんど国内生産では利益があがらなくなってしまった。
その後に登場したものは、基本的に不要不急のものばかりである。特にこの数年は、経済をけん引する頼みの綱は、外国人観光客や多種多様のイベントやエンターテインメント、外食産業やグルメ、あげくの果てはカジノということになった。人を集めて快楽を与え消費につなげるという都市型生活に経済の命綱が預けられた。
今回のコロナ騒動は、まさにこの都市型生活を直撃した。政府によって不要不急のレッテルを貼られた新手の産業が大打撃を受けてみれば、不要不急頼みの経済がいかに脆いものかが明らかになったのだ。
論者は「不要不急」が悪いなどという気は毛頭ない。人間には、無駄なもの、不要不急なものがなければならない。人が多数集まって騒ぎ、ほとんど無駄な時間を共に過ごすことは大切なことである。祭りも宗教も文化もそこから起こったといってもよい。だが、それを経済的利益に還元し、成長の手段にするのは適切ではない。しかも、今回、実は「不要不急」どころか「必要火急」なものがまったく不足していたことにわれわれは気づいたのではなかろうか。
それは医療や日頃の養生であり、介護であり、教育であり、困窮事態に助け合える人間のつながりであり、必需品の時給である。これはもともと市場経済にはなじまない。観光やエンタメ、レジャーなどの消費生活とは対極にある公共的なものといってよい。しかもそれは本来、都市型生活というよりも地方的生活にこそ適合するものなのである。
いちいち、ごもっともです。私ゃ、グルメ、外飲み、イベント、エンタメには無縁ですが、スーパーやコンビニにはお世話になってます。便利さと引き換えに失ったものが何なのかわかりました。また京都ほどではないにせよ、岐阜市も岐阜城周辺の混雑(特に中韓観光客)には嫌気がさしていましたからね。
必要火急なものがなんで不足するのかといえば経済的にペイしないからです。労働環境の過酷さに反して低い給料の介護福祉士や保育士、看護師などなど。ペイしないものは公共事業で推進するしかありません。
その財源は巷間いわれるように消費税でしょう。それとマイナンバーカードと口座番号の紐づけです。消費税は10%になっても諸外国に較べたら低率です。私ゃ10%なら計算しやすくて良いと思ったくらいです。それなのに軽減税率なんか入れやがって。そしてマイナンバーは所得隠しの捕捉です。サラリーマンに較べ個人事業主の所得捕捉率は6割とかいわれてます。
マイナンバーカードを運転免許証代わりにする案も大賛成です。こういうときにプライバシーうんぬんという人が必ずいます。そういう方々はたいてい色々とやましいことがあるからで、それをプライバシー問題とすり替えているだけでしょう。
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またそんな浮世離れして客に媚びないところは一定の需要がありますしね。