図書館で牧野富太郎の伝記を借りた。
「日本植物学の父」牧野富太郎は、植物採集に行くときはいつもこんな格好で出かけたそうだ。
きちんとした服装は、植物への尊敬の気持ちの表れとか。
1862年(文久2)土佐の佐川村に生まれる。
幼い時父母を病気で亡くし、6歳の時祖父も病気で亡くなる。残された祖母浪子は、成太郎の名を富太郎と改め大切に育てた。
1876年(明治6) 11歳 明教館で西洋のいろいろな学問を学ぶ。
1881年(明治14)19歳 東京で行われた第2回内国博覧会を見学。
1884年(明治17)22歳 2回目の上京。東京大学植物学教室へ出入りする。
1887年(明治20)25歳 祖母浪子病死。
1888年(明治21)26歳 菓子家の娘小沢壽衛(すえ)と結婚。
1928年(昭和3)66歳 妻壽衛死去。新種の笹に「スエコザサ」と命名。
1940年(昭和15)78歳 「牧野日本植物図鑑」刊行。
1948年(昭和23)86歳 天皇陛下へ御進講。
1949年(昭和24)87歳 病気で危篤になるが奇跡的に復活。
1957年(昭和32)94歳 家族に見守られ永眠。
富太郎に会える場所として、高知県立牧野植物園 練馬区立牧野記念庭園 牧野富太郎ふるさと館 が巻末に挙げてあった。