この写真は、7月13日(金)JR成田線湖北駅のホームから撮りました。
湖北の「湖」は手賀沼。昔は、湖北村でした。(現在は我孫子市)
昭和40年代から、駅前南口の開発が進み、東京に通勤する人が増えました。
そんな、新住民の声が、「成田線をもっと便利に」なのでしょう。
今では、駅舎も、駅前ロータリーも、電車も、改善されたように思われます。
今もホームに残っているこの施設。
人が腰掛けるには高すぎます。
これは、行商の荷物を置く台です。
成田線の各駅に見られますが、野菜など農産物を満載した大きな荷物を背負って東京に行商に出る婦人たちに利用されました。
この行商は、今ではほとんど見られませんが、成田線開通時から始まり、戦後も昭和の間はずっと続いていました。
全盛のころは、湖北村だけでも行商組合に所属される方が300人以上だったそうです。
歴史のある湖北駅も、今はのどかなたたずまいです。
7月14日(土)「業平橋駅」改め「東京スカイツリー駅」に来た。
街がきれいだ。
北十間川にかかる京成橋からツリーを撮っていると、ノルディックウオークの一団が来た。
神田小川町の人たちで、亀戸駅から歩いてきたそうだ。
こちらの方は、北越谷のウオーキングの会。やはり、亀戸駅からとのこと。
カヌーでいらっしゃる方も。
雑然とした感じだった通りも整えられた。
川の水もきれいになったぞ。
境橋近く、亀戸3ー50-5の倉持珈琲店に立ち寄る。
店主 倉持弘さんが5年間撮り続けたスカイツリーの写真が、8/30(木)~9/25(火)まで店内のミニギャラリーで展示される。
計画中のプランである。
「山あいの静かな温泉に浸かり、おいしいものを食べゆっくりしたい」という願いから、温泉宿を探す。
昔は旅雑誌だが、今は blog。温泉通は、松田忠徳教授だけではないことが分かる。
検索の結果しぼりこんだのが、”船山温泉”。
数ある体験記から、「ずっとそばに」の再三のルポを精読。
「行くしかない」
交通手段は電車。身延線「ワイドビューふじかわ号」利用。甲府から入って富士に出る。
田子の浦漁協の食堂で、「しらす丼」を食べ、こだま号で帰る。
友達に話したら、賛成してくれたので4人で実行することにした。
8月末の予定である。
手賀沼公園(我孫子市)近くの案内板を見て、楚人冠公園に向かう。
そうとう夏草が茂っているなあ。
朝日新聞記者で、明治~昭和の日本を代表するジャーナリスト。
杉村廣太郎(1892~1945)の文筆上の号が「楚人冠」だ。
大正13年からずっとこの地に住んだ楚人冠の7回忌(昭和26年)に建てられた句碑。
我孫子市に住んだ陶芸家河村靖山による陶製のもの。
「筑波見ゆ 冬晴れの洪(おお)いなる空に」
ウグイスが一しきり鳴いた。
少し離れたところにある自宅は、平成23年11月 我孫子市が記念館として公開した。
近くのせんべい屋に寄り道。
手賀沼南岸の、柏市岩井の「将門通り」にハンゲショウの群れをみつけた。
多分、庭に植えたものが、道端にまで広がったと思われる。
花が枯れるころには、葉は再び緑色に変わるそうだ。
手賀沼緑道に植栽されているクチナシ。
この木とムクゲは枝を水にさしておけばすぐに白い根が出てくる。
ムクゲも手賀沼緑道にある。
本場は、朝鮮半島。
気象条件に強く、花期が長いことから、無窮花、ムグンハと呼ばれ、韓国の国花である。
こちらはアカツメクサ。
牧草として、ヨーロッパから持ち込まれ分布を広げた帰化植物という。
シジミチョウの一種かと思われる蝶が、精一杯羽をひろげていたので撮った。
葦は、アシともヨシとも読む。(アシの音が「悪し」に通じるのを嫌って「善し」ともいう)イネ科の多年草。世界中で最も分布の広い植物の一つと言われる。
アスファルトを突き破る力に注目あれ。
さて、こちらは、柏カヌークラブの吉田さん(だったかな?)
柏市大津が丘にお住まいで、シニアのソフトボールクラブ現役の外野手(俊足だから)とおっしゃった。
ノウゼンカズラの花が彩りを添える候となりました。
手賀沼緑道の座り込みコブハクチョウが席を外しました。
すると、待っていたように登場したのはカルガモ夫妻。(カモちゃんと呼ぶことにしました)
ふだんから、座り込みにあこがれていたのでしょうか?
警戒を怠らず始終見守っていたオス(カモちゃん)の姿がけなげでした。
さて、こちら。
スケッチに余念がない方は、柏市布施の三浦さん。
画歴15年。主に手賀沼を描いていらっしゃる。「水面を描くのが難しい」とおっしゃった。
そして、ついに、ついに、沼南園のお客さんを捉えました。
よかったね。