広い芦原も、蓮の群生地も一面の冬枯れ。
でも、今年最後の日曜日、好天気とあって、手賀沼は、賑わっていました。
きれいな手賀沼は利根川の水の放流あってこそのもの。
コブハクチョウはファミリイが増え、河童に代わって手賀沼の主になりつつあります。
12月20日 新宿発 9:25下田行き(スーパービュウ踊り子3号)に乗車。
新宿を出て、次の停車駅は「武蔵小杉」。どこをどう走っているか分からず乗っている。
小田原近くに来たらしい。丹沢の山なみではないか?
まもなく左手に海。
目的の「伊豆高原駅」で下車。
送迎バスでやってきました。
この施設の食堂の窓越いっぱいに広がる海。
3階は横25mの露天風呂。確かに爽快。
帰りは、熱海まではしっかり車窓を眺めていたが、後は睡魔に襲われてしまった。
つけたし 「赤沢日帰り温泉館」で昼食を運んできたお姉さんに、大きく見える3つの島の名を尋ねたが、分からなかった。「地元のかたではないのかな」と思っていると、すぐ別のお姉さんが現れて「左から、利島(としま)、新島(にいじま)式根島(しきねじま)と教えてくれた。食事を運ぶ係りだから、余計なことだったのに丁寧な対応だ。
従業員の方々が、一体となって真のサービスを提供してくださっているとさえ感じてしまった。
NさんとKさんと私(K)のNKKさんぽ、今年の最後は12月15日、上野公園。
JR上野駅公園口を出ると、正面は文化会館、その向かいが国立西洋美術館。
ゴヤはパスして、前庭のロダンの彫刻だけ見る。
次に、科学博物館の前、野口英世像を見る。
上野の森を公園にするよう、明治政府に進言した、オランダのボードワン博士には初めてお目にかかる。
あとは、紅葉を追って東照宮へ。
不忍池に降りる。
池の杭は、ユリカモメが独占。
12月 8日。70年前の昭和16年は、日本が太平洋戦争に突入した日。当時、国民学校1年生だった仲間4人で箱根に出かけた。
新宿駅でロマンスカーに乗り込めば、たちまち箱根湯本、そして、強羅。
強羅公園の白雲洞茶苑に。大正の初め、益田孝が建て、
原富太郎、松永安左ヱ門と受け継がれた茶室を拝観。
ケーブルで大涌谷に。
明くる12月 9日は雪景色。めげずに桃源台へ。
海賊船に乗り込む。
箱根町では関所を横眼で見つつ
恩賜公園へ。
(明治19年宮内庁・箱根離宮として建てられた西洋館、日本館は関東大震災で倒壊し、戦後神奈川県立の公園となる)
箱根山を下りると、麓の町は雲が切れ、しばらく走った新宿行き電車の車窓から眺める大山に青空が見えた。
12月 5日 2日めは智積院(ちしゃくいん)からスタート。
成田山新勝寺と同じ真言宗智山派の大本山。長谷川等伯・久蔵父子による国宝 障壁画の展示もある。
屋根の青鷺は造り物ではない。
四条大宮から、嵐電で嵐山へ。
度月橋を渡り返し、天竜寺へ。
奥の深い天竜寺の庭を抜け、有名な「竹林の道」に出る。
をぐら山 峰のもみじ葉 心あらば 今ひとたびの みゆきまたなむ
小倉山の中腹にある 常寂光寺(じょうじゃっこうじ)に来た。
大覚寺に向かう途中の洛柿舎。前を通る。
「野は嵯峨野、さらなり」と清少納言をして言わしめた嵯峨野 大覚寺に来た。
瀧のおとは たえて久しく なりぬれど 名こそ流れて 猶聞えけれ
と詠われた「名古曾の滝跡」もある大沢池のほとり。無粋な私でさえしばし感慨にふける。
虹まで現れたのには吃驚。
12月 4日 京都紅葉めぐりのスタートは山科。
市営地下鉄東西線で、蹴上(けあげ)駅。そして、南禅寺へ。
山門に上ると、石川五右衛門ではないが、「絶景かな、絶景かな」だ。
つづいて、「天授庵」(南禅寺山内で最も由緒ある寺院)へ。
この後、清水寺、高台寺と回ったが、どこも、噂にたがわぬ素晴らしい紅葉。ただ、人出もすごい。
人と紅葉で埋め尽くされた、洛東紅葉地帯だ。