Nさん、Kさん、私(K)で毎月行っている、N K Kさんぽ。
11月30日(金) スタートは柴又駅。
「男はつらいよ」で寅次郎の妹さくらが、お兄ちゃんを何度も送った駅。
「又」に、てんが打ってある。
「オウ、昔の青年! 3人そろって今日はどちらへ」
「江戸川を渡って里見公園まで」
「いいねえそいつは。平日の渡しは今日でおしまいと聞いてるぜ。ぎりぎりセーフ」
参道を行くと、寅さんちのモデルと謂われる団子やがあった。
川魚料理の老舗川千屋の前を過ぎると、はや帝釈天の山門。
こちらは、「又」に、てん(、)がない。
鐘撞堂に笠智衆の面影を追いながら、寺を抜け、川甚を右折し、山本亭を通り抜けて寅さん会館へ。
(寄贈された民家を葛飾区が観光施設として活用している)
ここから、エレベーターを使って、江戸川堤防に出た。
堤防を下って、渡し場へ。
対岸の旗は、「渡しをやっている」という印。
ほうら、ちゃんと舟が来るでしょう。
船頭さんは「今年、60のおじいさん♪」ではないよ。
ゆったり船旅も、あっという間だ。(なにせ、川幅130m)
こちらは、千葉県松戸市。
(看板の下の建物は、トイレ)
松戸の名産品ネギ、の畑を見下ろしながら、私たちは里見公園(千葉県市川市)に向かう。
(江戸時代に掘削された坂川の名残り)
江戸川が右へ大きく蛇行するあたり左岸が里見公園。
錦秋の公園が私たちを迎えてくれた。
ここが、ゴール。
起伏のない、5キロ未満の楽々コースだった。
11月25日(日)快晴です。
今日の手賀沼です。
イベントがあるというわけではありませんが、人出が多くいろいろな出会いがありました。
鎌ヶ谷市の皆川さんです。写真が趣味で、主に風景を撮っておられるそうです。
構図を教えていただきました。
次に、川崎市のWさんに声をかけました。
被写体になって下さってありがとうございました。
川崎市からよくぞ来て下さいました。(やさしい方だったなあ)
そして、松戸市の画家。
81歳になられる。
次男さんの車で来られたそうです。
「親孝行なお子さんで!」
「手当てを出しているからね」
「グループに属していらっしゃるんでしょうね」
「”凛”というんです。展覧会に来て下さい」
「はい。是非」
森田さん(だったかな?)お邪魔しました。
最近改装オープンの食堂に入りました。
手賀沼の東の端、曙橋北詰にあります。風景絶佳。夕方の富士の撮影ポイントです。先日、ダイヤモンド富士が見られたそうです。
こちらは、店内。
(トンカツ定食 800円)
(焼き魚定食 800円)
繁盛しそうな気がします。
(国立西洋美術館前庭のロダン「考える人」)
最近、ぐっと砕けて「トーハク」などと自分をアピールしている東京博物館です。
でも、企画展ばかりやって入場料が高いんです。また、次回ね。
それに、今日は散策むきの天気なんです。
動物園の前で、こんな事件を目撃しましたよ。
(野良猫がハトを襲った)
(羽をばたつかせていたハトもやられてしまいました)
人は車に、ハトはネコに気をつけよう。
団子屋さんも東照宮もパスし、大仏に立ち寄りました。
(寛永8年(1631)越後の国 村上城主が自邸内のこの高台に土で釈迦如来像を造立したのがはじまり)
村上市に旅行したばかりだったので、ここで、村上の殿様と聞けば懐かしい気がします。
柏市の布施弁天に親しんでいるせいか、不忍池の弁天様にも親近感が湧きます。
(キンクロハジロとオナガガモが来ていた)
散策の終わりは旧岩崎邸です。(東京都が管理)
上野公園にとどまらず、東京の公孫樹の黄葉は当分楽しめそうです。
11月18日 昨日一日降り続いた雨も上がり、ピカピカの上天気。
手賀沼の北にある湖北台中央公園の和太鼓祭りをのぞいてみた。
2700戸を擁する団地の公園だけに、太鼓の音が広い空に吸い込まれていく。
ステージの裏に廻ってみた。
スタンバイの一団が登場。
会場を大きく取り囲んで売店が軒を並べる。
存在を大きくアピールしているのは、大銀杏。
一本立ちの木は円錐形をしている。風から身を(樹体を)守るためだ。
この団地自慢のケヤキ通り。
この日、「例年より遅く木枯らし1号が吹いた」とラジオが報じた。
余目駅で、羽越本線上り列車に乗り換える。
車窓から見る水田の白い鳥は、シベリアから飛んできた白鳥だろう。
まもなく到着した鶴岡駅。
雪の降る街。
タクシーで15分の湯田川温泉で宿泊した”珠玉や(たまや)”の5階にある展望風呂からの眺め。
鳥海山も見えるという。
スタッフの方は、どなたも優しく親切。
食事もおいしい。
裏手にある本店”九兵衛”の格調高い浴場も利用できる。
どれも、透明な、源泉掛け流しの湯。肌にやさしく、ゆっくり、ゆったり、のんびり、入浴できる。
翌日、村上市に向かう羽越線の窓越しに、日本海が白い波頭をたてて、迫ってきた。
途中下車の村上市は、やはり鮭の街だ。
(改札口を出て、まず目についた手作りの鮭)
(鮭が上ってくる三面川”みおもてがわ”)
(三面川にかかる下渡大橋”げどおおはし”のレリーフ)
(イヨボヤ”鮭の方言”会館の前で)
(「塩引き鮭」を仕込む)
新幹線で手に取ったJR東日本の旅雑誌「トランヴェール」11月号掲載の「味匠喜っ川」の吉川哲鮭さんが、同じスタイルで店に立っておられた。(撮らせてくださってありがとうございます)
新潟駅に到着し、「とき」に乗り込めば帰ったも同然。旅の終わりだ。
11月7日(水)今日は快晴。紅葉の鳴子峡が晴れやかに私たちを迎えてくれた。
潟沼(1000年前に出来たカルデラの跡)にも足を伸ばせた。
”宿みやま”のご主人板垣さんのお陰。
さて、私たちは鳴子温泉駅から新庄へ。ここからは、陸羽西線だ。
(新庄駅にいた新幹線)
天気が怪しくなってきた。分水嶺を越えて裏日本に出たに違いない。
古口駅下車。渡船場に。
かなり賑やかな船内だったが、雨の中を約1時間下り、下船場に。そこからバスに乗り継ぎ、小さな駅舎の高屋駅に着いた。
芭蕉翁も下ったこの川を、私たちも追体験してきたのだなあ。
11月6日から2泊3日の旅。題して「紅葉を愛で、鳴子・湯田川の温泉を巡る鉄道の旅」
始まりは、東北新幹線 古川駅。新幹線はどこまで行っても東京と繋がっていて、山手線のようなものだから。
下車したところから旅が始まる。
陸羽東線のホームに向かう。(ここは、まだ古川駅)
”湯けむりライン”のジーゼルカーは、折りしも雨脚を強めた風景の中、鳴子を目指す。
各駅停車で40分かかって、鳴子温泉駅に到着。
雨はかなり激しく振っている。駅前でしばし呆然。足湯の湯加減を見たりしている。
チェックインの時刻より2時間も早いが、宿に電話をいれてみる。
うれしいことに、迎えに来て下さるとのこと。
なおうれしいことに、見どころの要所要所に立ち寄って下さる親切ぶり。これには感動。
(温泉神社、歴史のある共同浴場”滝の湯”隣接の歴史のある”ゆさや旅館”)
ここに、なにより来たかった”鳴子峡”。
(一番若い人が宿のご主人 板垣さんだ)
こうして、本日の宿”川度(かわたび)温泉 山ふところの宿 みやま”に到着した。
館内はとてもモダン。
風呂は、自家源泉かけ流しの単純泉。38度とぬるめですが、長く浸かっているととても温まります。
有名温泉ブログ”タビエルの宿”の丹羽尚彦さん激賞の宿。
宿のHP http://www.tabier.com/yado-miyama/
手賀沼親水広場を中心に行われるこの大会は12回目。
普段は入れない山階鳥類研究所も、この日ばかりは一般市民を受け入れてくれる。
(会議室で、キビタキに関するレクチャーを受けた)
我孫子市立の「鳥の博物館は、この期間中大賑わい。
3階テラスから見下ろすと、こんな有様。
会長さんの「霞ヶ浦のヒシクイ(大型のガン)の生態について」のトークを博物館ホールで聞いてきた。
(向かって右が会長さん、左は事務局長さん)
このオウムがいきなり「こんにちは」と大きな声で言った。
いろいろな望遠鏡がずらり。
ステージでは静かにボサノヴァの弾き語り。
バスで手賀沼公園広場に移動する。手作りの鳥の凧を揚げてていた。
さらに西へ2キロ。北柏ふるさと公園で見慣れぬ鳥を発見。
(エジプトガンだそうだ。4年前からいるとのこと。飼われていたものが逃げ出したのか?)
バードフェスティバルに相応しい一日を過ごしたなあ。
(11/3 手賀沼をバードフェスティバル会場に向かう水上シャトルバス)
日本シリーズ第6戦 東京ドーム
日本ハム3-4巨人(巨人優勝)
虎子「優勝がするりと抜けて行ったわね」
公男「7回、2死満塁での糸井の打球。塀いっぱいで捕られたところで命運が尽きたかな」
虎子「中田の3ランで一度は追いついた」
公男「第二戦で死球をくらった陽、中田が、ようやくお返しをした」
虎子「それが、有終の美?」
公男「まあいいさ。いろいろあったけれど、第6戦はよい試合だった。勝てればもっとよかったけれど」
虎子「悔しさが残るわね」
公男「虎子さん、長々とお付き合いありがとう。10倍楽しめました」
虎子「来シーズンは、わが虎さんがお相手よ」
公男「そう願いたいですね」
(つけたし)
栗山ハム 夢は来季へ 中田、意地の一矢(朝日新聞 笠井正基記者)
(前略)4番で初めて臨んだ今シーズンは苦しんだ。第2戦の1回、沢村から左手甲にぶつけられた。打撃の調子を崩し、思うようなスイングができなかった。この夜は、その右腕をとらえ、この1年間、日本ハムの4番を守り続けた意地をみせることはできた。(後略)
栗山監督談「負けることがこんなに悔しいとは。こんな気持ちは何十年ぶりのこと」
(千葉県船橋市にある滝不動)
キ・ムチ「BS日テレの広開土太王(こうかいどたいおう)ご存知?」
ドラ子 「知ってますとも。やっと王になったわね。太子で暴れまくっていたけど」
キ・ムチ「西暦392年とドラマの中で言っていたよ。ずいぶん古い話だね。大和朝廷のころ?」
ドラ子 「そうよ。倭国は高句麗と戦っていたのよ」
キ・ムチ「じゃあ、ドラマに登場するかもね」
ドラ子 「王の碑のことご存知?」
キ・ムチ「ちょっと調べてみるね。
あった。高句麗19代国王広開土太王の碑。
子の長寿王が父を顕彰するために414年に建てた。
現在の中国吉林省集安市にある。
四角柱の石碑で高さが6.3m」
ドラ子 「高句麗の領土は広かったのよね」
キ・ムチ「そんな歴史をおさえて見ると、このドラマの興味が増すね」
ドラ子 「王役のイ・テゴンは、体重を増やし、ドスのきいた声で熱演してるわ」
高句麗の戦は止まず秋深し キ・ムチ