雨曇子日記

エイティライフの数々です

日光道中 粕壁宿

2014-06-30 19:01:04 | 関東の小都市歩き

             

 

6月29日(日)“ぷらっとかすかべ”でもらった一枚の絵地図。“かすかべ元気印の会”発行とありました。「春日部」は、江戸時代「粕壁」だったようです。

碇(いかり)神社にある樹齢600年というイヌグス(タブノキ)も書き込んであります。

 

     

     

             

             

 

この絵地図は2012年作成なので、西武百貨店は、ロビンソン百貨店となっていました。

 

             

 

富士見町地下道の壁画には、「記念写真もどうぞ」と書き添えてありましたので。

 

     

     

             

 

“ブロンズ通り”でお目にかかったのは、盛装して出かけようとする兎さん!

 

     

 

俳人加藤楸邨(かとうしゅうそん)の旧宅跡はこの近くでした。

 

     

 

絵地図の裏には、食事処・お土産処が18店のっています。その一つ、ブロンズ通りの“麺や豊”に入りました。

 

             

             

     

     

 

食べたのは、中華そば&卵かけご飯。(計950円だったかな)まっとうで究極の中華蕎麦屋さんと感じました。

隣の和菓子屋さん“青柳”にも入りました。

 

     

 

明治33年の創業だそうです。(東武電車が開通した年)

鮎の頭の部分は思わず食べてしまっていました。

このあと、駅前(東口)の彫像をつくずくと眺め、帰りました。

 

     

             

 

 

 

 

             

 

   

 

   


ぶらっと春日部積乱雲

2014-06-29 21:26:45 | 関東の小都市歩き

             

     

 

6月29日(日)東武アーバンパークラインで春日部に来ました。まず立ち寄ったのは“ぷらっとかすかべ”です。

 

     

 

親切な職員の方から、散策のアドバイスと地図をいただき、西に歩いて“古隅田川”に出ました。

 

     

     

     

 

古隅田川は、川沿いに右手に歩くと大落古利根川に出ます。

 

   

     

     

 

大落古利根川にかかるメインの橋“古利根公園橋”には、いろいろなブロンズ像があります。

 

     

     

 

明治33年の東武電車開通まで活躍した千住からの鉄道馬車のレリーフがありました。

 

     

             

 

今日の春日部は、まるで積乱雲の街でした。

 

             

     

             

             

             

 

 

 

 


トラットリア“モモンガの森”

2014-06-28 15:11:23 | 柏(大津川流域)を歩く

             

 

「モモンガの森」ってどこ?

 

             

 

ここかな?

 

             

 

あそこかな?

ここです。

 

     

 

あ、トラットリアなんですね。

そうです。柏市高柳にある(県道船取線ぞい神明神社前)イタリア料理店なんです。

 

             

 

中に入ってみましょう。ほう、おしゃれな店ですね。

 

             

     

     

 

「モモンガの森」と名づけたのは、小学生のころ図鑑で見たモモンガのかわいらしさが脳裏に焼きついていたからだそうです。

1100円のサンドウイッチのランチをオーダーしました。

 

             

 

最初に出たスープです。しっかりした一品で当然おいしかったですよ。

そしてサンドウイッチとコーヒー。

 

             

     

 

食器にはこだわりがあり、岐阜県多治見の工房まで買い付けに行ったそうです。

 

             

 

さりげなくカウンターに置かれた小物、壁の絵画にもこだわりが感じられます。

 

     

             

 

食事を終え店を出ると、近くの茂みにヤマグワが美味しそうな実をつけていました。

 

             

             

 

Lunch  11:30~14:00

Dinner 18:00~21:00

定休日(月)

千葉県柏市高柳123-2      Tel/Fax:04-7170-1886

オーナーシェフ 松崎義人

 

             

 

 

 


驟雨(しゅうう)

2014-06-26 21:52:12 | つれづれ

6月25日(水)その時、私は南千住の友達を待って、JR柏駅南口にいた。

友達は、午前7時ごろ「今、強い雨だ」と電話をしてきた。

「こちらは全然降ってってないよ。道路も濡れてないから、降った形跡もない。予定通り行おう」私は、そう答えたのだった。

 

     

 

突然空が暗くなって、たたきつけるような雨が来た。

「これだったのか。これでは一歩も出られない」電話の友の心境がやっと理解できた。

己の判断の甘さを悔いながらもしばらく待ってみると、嘘のように雨が止んだ。

 

     

 

そして、何事もなかったように友達が改札口を出てきた。

 

 


城下町岩槻を歩く

2014-06-25 20:51:40 | 関東の小都市歩き

     

 

さいたま市岩槻区、岩槻駅近くの曹洞宗法林寺です。太田道灌の騎馬像が目をひきます。

 

     

     

     

 

 

岩槻城は室町時代末に太田道灌によって築城されたというのが有力な説のようです。

 

     

 

岩槻郷土資料館を訪ねました。昭和5年(1930)建立の岩槻警察署旧庁舎です。

 

             

             

               (この部屋は警察署長室だったそうです)

             

               (ここは、旧留置場)

     

     

 

岩槻近郷の農村で使われた“うなぎかき”などに興味をもちました。

次に訪ねた遷喬館(せんきょうかん)は、儒者・児玉南(カ)が開いた私塾で、後の岩槻藩 藩校です。

 

     

     

    (駕篭で乗りつけた人がここから上がる)

     

    (こちらの学芸員の方が説明して下さった)

     

   (児玉南(カ)82歳の自画像)

 

江戸時代「岩槻に過ぎたるもの」と言われた児玉南(カ)についての説明を受け、その立派な人となりが理解できたように思いました。

かやぶきの屋根にカラス除けの仕掛けがしてあることにも気づきました。カラスは屋根をむしるのです。

 

 

 

 


手賀沼北岸の夏

2014-06-23 19:36:26 | 手賀沼  夏

             

     

 

東西に長く伸びる手賀沼を南北に渡る橋“手賀大橋”の北詰に位置する親水公園です。

 

     

     

 

安田侃(かん)さんの彫刻が建って、はや20年が経ちました。

噴水は休止中です。

 

     

     

     

 

7羽の雛を育てるコブハクチョウ一家がいますが、今日(6月23日)は見当たりません。代わりに“ぼくを撮って”というドバトがいました。

遊歩道を歩きました。

 

     

     

 

古い道なので、道幅が狭く、所々ニセアカシアの根がアスファルトを持ち上げています。

 

     

 

葦の向こうに南岸が見えます。蓮の群生が沼を占拠している様子もわかります。

姿は捉えられませんでしたが、ウシガエル、ヨシキリが盛んに鳴いています。

しばらく進んで、花蓮を見ました。

 

     

     

             

             

 

ケヤキの大木の下にはベンチがありました。

 

     

     

 

沼には、カワウが一様に南向きに並んでいました。

 

             

             

             

             

 

すっかり夏です。

 

             

 

      

 

 

 

 

 

                


百合 細見綾子と「風」の人々

2014-06-22 19:05:45 | 花散歩

     

    (わが家の庭に咲いた一つの球根からの百合)

             

 

   (昭和の末、週刊朝日に連載された 細見綾子と「風」の人々による 百合の句)

   

   山百合が目覚といふをくれにけり               綾子

那須高原に遊んだ時の句。那須には白い山百合が多い。熟睡して、またとない快い目覚めを味わい、これは山百合の目覚めだと思った。

   

   水使ふ音の届きて百合ひらく              林  徹

広い山寺などのたたづまいを思わせる。時々厨(くりや)から水を使う音がとどいて敏感に百合が聞く。

 

   地震(なゐ)のあと山百合の香の流れくる      辻  恵美子

地震のあと山百合の香が流れて来た。山百合はいつも匂っていたのだろうが、変事のあとにその香を知ったのがおもしろい。

 

   山百合を日々持ちきたる織娘(おりこ)かな     石黒 哲夫

石黒氏の勤務する織物工場に山百合を毎日持ってくる織娘(おりこ)がいた。織娘のイメージの可憐さと山百合が一つになっている。

 

   百合抱きて山を降りくる紅型師(びんがたし)    大城 幸子

大城さんは沖縄人。沖縄には紅型(びんがた)という優れた染め物の伝承がある。紅型師がある時、百合を抱きかかえて山を降りて来た。デッサンに用うるためか、紅型師の面目があらわれている。

 

   九谷村百合の花粉に膝よごす             三谷 道子

三谷さんは石川県九谷焼の本場の人。九谷村に行って百合の花粉に膝をよごしたのだ。それほど百合が沢山咲いていた山奥の九谷村が想像される。

 

   雷すぎてより山百合の匂い濃し             栗田 せつ子

雷鳴が過ぎ去って平静にもどった時、山百合の匂いの濃さを感じたのである。これは室内の大花瓶に投げ入れてある山百合であろう。山百合は何か事ある時、強い匂いを急に発散する。

 

   鬼百合の花粉に仔牛(こうし)よごれたる       武田 多津子

鬼百合とあるから、農家の門先などにある大輪の百合であろう。牛小屋から引き出した牛をつなぐ場所でもある。牛はあばれて花粉を身につけたのだ。鬼百合が生きている。

 

   山百合の闇を貫き匂ふなり                阿部 月山子

百合の姿は見えず強烈な匂いを取り上げている。「闇を貫き」が力強い。

 

   山百合へ川風のぼる岩襖(いわぶすま)        阿部 すず枝

写生眼の利いた句。岩襖を川風はのぼって山百合へ達する。清らかな山百合がそこにある。(句の解説は、全て主宰の細見綾子による)


オランダ様のある街

2014-06-21 20:03:32 | 関東の小都市歩き

             

 

東武野田線が平成26年4月1日よりアーバンパークラインとなって、沿線の駅一つ一つに、何か始めて耳にするような新鮮さを感じた。江戸川台駅もそうだ。柏駅から大宮方面へ4つめと近くにありながら、知らない街のようだ。

 

     

            

 

駅東口の線路沿い「江戸川台11号緑地」と呼ばれる緑道を通って、踏切を渡り西口に出た。

今は住宅の建ち並ぶ千葉県流山市だが、中野久木村の昔は、深い森が続いていたことだろう。

 

     

      

 

道端に六十六部の供養塔を見つけた。

 

     

             

 

六十六部とは、日本全国66カ国を巡礼して1国1カ所の霊場に法華経を一部ずつ納める行者のこと。その行者を供養するのがこの塔だ。ここに、「深戒」とあるのは、その行者の名なのか、塔を建てた人なのだろうか?

少し先にあった「平方観音堂」ここは、昔は平方村だ。

 

     

     

     

             

 

十九夜塔は、十九夜の月を待つ如意輪観音信仰の講の人たちが建てた。十九夜の月の出は、22時20分ごろなので、その時刻まで講の人たちは一堂に集まって楽しく過ごしたに違いない。女人講とあるからご婦人だけの集まりだ。

そして、「オランダさま」と呼ばれる小さな祠。

 

     

     

 

ここは、「小金牧」の一部だったので、亡くなったペルシャ馬のために馬頭観音を祀り、村の人たちは「オランダ様」と呼んだ。ペルシャ馬をオランダから購入し、強い国産馬をつくりだそうとしたのは、8代将軍吉宗ということが、説明版から読み取れた。

駅前にもどって、レストラン「ココット」に入った。

 

     

             

             

 

ランチは1200円で、なかなか美味しかった。

 


合歓(ねむ)の花

2014-06-20 09:16:07 | 花散歩

     

     

 

阿波野青畝と「かつらぎ」の人々による「合歓の花」(昭和末年の週刊朝日より)

 

     ねむの花水銀灯を浴びせられ          大津 漁舟

夜はたたまれた葉の隙に赤い花が浮かぶ。それが合歓の木であることを白昼のごとく照明する電灯の光。

 

     合歓の葉もいよいよ細りて針となる       大滝 久香

日が暮れれば合歓の葉が合わさるままに細々と見える。昼間の茂りとはまったく異なって針状に変わる姿となった。

 

     吹降りのつひに毛雨(けあめ)や合歓の花   水田 のぶほ

梅雨どきとて合歓の花は濡れたまま咲いている。風に吹き飛ばされもするが凪いだ時は静かな毛雨をあびている。奥の細道の象潟の雨が連想に現れる。

 

     黒蝶(くろてふ)をあやつりをりて合歓揺らぐ   佐渡野 生子

晴れた日の合歓の花は桃色に彩りやさしく揺れるところ。よく見れば大きな黒揚羽がとまって蜜を吸っているのだ。「あやつりおりて」が魔性の感じがする。

 

     ねむりゐる合歓無残なり台風来(き)        (ムロ)淵 美恵

夕づいて台風がおそうてきた。眠っている合歓の梢が左右上下に動揺する。あわや幹が折れんばかり。

 

     海女(あま)の髪ほぐし吹かれぬ合歓のかげ    河野 探風

この句は梅雨明けと見える。鮑(あわび)採りの海女が合歓の木陰に腰を下ろした。濡れ髪をばらばらにほぐし風にゆらゆらして心地よげな表情。

 

     ねむの花一とさわぎせし発破かな           瀬戸 白魚子

工事をしている場所が見えないが発破音がとどろく。傍らの合歓の木は振動して花簪のゆれるさまが見事だ。危険を忘れてしばし見とれた。

 

     すすり泣く如き胡弓(こきゅう)や合歓の花       夏目 実千子

中国旅行の華清池あたりであろうか。合歓が群生して地面に花をしいていた。盛唐の栄枯盛衰を想わせる胡弓が聞こえて胸がときめく。

 

     飯店は煉瓦(れんぐわ)の館(くわん)よねむの花   大西 ナカ

これまた中国の旅吟。町を歩けば飯店の文字が目につく。飯店はホテルで、日本では見られない。並木の合歓に沿うて煉瓦建ての立派さはさすがにと見上げた。

 

     一歩に詩一歩に詩出(で)よねむの花          青畝

合歓といえば中国では代表の花で、私も多くの合歓を詠んだ。公園の合歓の林を逍遥した。牡丹刷けのような落花を拾うては十七文字を考えるのだった。現在漢俳(かんぱい)というものも中国の詩。詩の世界は自由と自信をつけた。(解説の文は全て主宰の阿波野青畝)

(昭和4年青畝によって創刊された「かつらぎ」は、平成25年5月1000号を数えた。俳句結社「かつらぎ」の主宰は、阿波野青畝ー森田峠ー森田純一郎と受けつがれている)

 


ネムノキ

2014-06-19 16:34:37 | 花散歩

夏が来た!

 

             

     

 

手賀沼緑道のネムノキは咲いたかな?

 

             

     

     

 

満開だ。

 

             

     

                           

             

             

 

鳥も、人も一休みしたくなるネムノキだ。

 

             

             

 

成長の早いネムノキは、1年で2mぐらい伸びる。強風にも強く、手賀沼緑道には最も似合う木の一つだ。