4 月 13 日(月)BS テレ東「路線バスの旅」17 : 58 ~ 20 : 00
出発の堺駅南口で行先を鳥羽と告げられ、旅のリーダー太川陽介氏は頭を抱え込んだ。「どう乗り継いで行けばいいのか?」
百戦錬磨の太川さんも悩む難コース。「南海バスだから難解だ」蛯子さん、洒落を言っている場合じゃアないですよ。マドンナの高橋ひとみさんはこれ一回だけの参加だから、歴代マドンナの業績を汚さぬよう明るく元気についていけばよい。
どこまでも太川陽介さんの双肩に成否のカギが重くのしかかっていた。
路線バスで大阪を脱出するのは大変だった。光明池~和泉中央駅~岸和田駅~二色浜駅~鶴原駅~泉佐野駅~熊取駅を経由し11 本のバスを乗り継ぎ和歌山県紀の川市の粉河駅(JR西日本和歌山線)に到着したのが 17 : 55。
和歌山市への路線バスは終わりで、この日は「ビジネスホテル粉河」泊となった。
第二日
粉河駅 6 : 40 始発和歌山市駅行き路線バスで出発。
バスが進むにつれ、風景が変わった。緑が多く人家が少ない。
南海和歌山市駅に 7 :55 、JR紀勢本線海南駅前 9 : 06 と順調だったが、このあとがつながらない。案内所で一時間もかけて調べてもらい、コミュニティバスを利用して 3 つ先の下津駅前に着いたのが 13 : 20。さらに「東燃クラブ」というバス停に進み、そこからは 6.5km 歩いて、下津駅の 4 つ先の藤波駅に着いたのが 15 :35 。
こんなじれったい進み方しかできないのでは、どうしようもない。
平成 15 年に廃線となった有田鉄道の有田鉄道バスで金谷口、川原河(かわらごう)まで、内陸に入り込む。すでに 16 :48 だ。
川原河から日高川町コミュニティバスで愛徳荘前に行き、ここで夕食&宿泊となる。(愛徳荘の夕食は美味しそうだったし湯もよさそうだった)
これは、私が調べたのだが、日高川町は和歌山県第三位の面積 331.59 ㎢を持ちながら人口 9246 人。井原西鶴の出身地、徳川吉宗が産湯を使った井戸もあるとか。
第三日
この旅のチェックポイント潮岬には、路線バスでストレートに行けない。方向違いの熊野大社に出、新宮経由という超大回りで 17 : 48 に潮岬に着いた。すでに薄暗く「本州最南端」の看板の前で写真を撮っただけで、南紀ロイヤルホテルに入る。
第四日
串本駅前 8 : 32 発で出発、昨日通った新宮を経由して、三重県に入り熊野市駅前に 11 : 27 に着く。
熊野市から 2 時間かけて大紀町(たいきちょう)にある滝原宮へ。
いよいよ大詰め。鳥羽に行くルートを探さねばならない。
一行は、滝原宮発 16 : 35 のバスに乗りこみ、途中、春日町というバス停で降り、これが 17 : 44 であったが、8 月のことであったから、大汗をかきながら 7.2 km を早馬瀬口(はやませぐち)まで歩き、伊勢行きのバスに乗った。
鳥羽行のバス路線のあることは分かっていたが、伊勢駅に着いたのは 20 : 36 、鳥羽行のバスは 16 時台で終わっていた。万事休す。
「悔しいなー」と太川さん。「人生で一番過酷な旅だった!」とマドンナ高橋さん。「想像を絶する旅」であったらしい。
カメラマン始めスタッフの方も大変だったでしょう。それに、各バスの運転手さん、案内所の方々、本当によく協力してくれましたよ。(私が言うことではないが)
それぞれの時刻については、ネットにあった日程記録を参照しました。(スタッフの中には記録係もいるんだ)