手賀沼緑道から、鷲野谷の城山墓地脇の坂道を上って、医王寺の裏手に出ました。
境内に入ると、寺は、お盆の時期らしいたたずまいでした。
境内には、浄土宗の名僧、徳本上人( 1758 ~ 1818 )の念仏塔があります。
徳本上人は、紀州の人で難行苦行の仙人生活を経て庶民の熱狂的な信仰を集め、全国的に、最も多くの名号碑を残していると言われています。私は、東京の二つの寺で、この碑を見つけました。柏市沼南地区だけで、3つあります。
名僧といえば、この地鷲野谷生まれの弁栄(べんねい)上人です。
明治から大正にかけて全国を精力的に布教活動し、「大正の法然」と称えられました。
(弁栄上人の顕彰碑 医王寺薬師堂境内に建つ)
弁栄(べんねい)上人略歴
安政 6 ( 1859 ) 鷲野谷に生まれる。父山崎嘉平 母なを
明治 12 ( 1879 ) 小金東漸寺住職大谷大康上人によって得度
明治 15 ( 1882 ) 鷲野谷医王寺薬師堂に断食参籠
明治 27 ( 1894 ) インド仏跡参拝
明治 30 ( 1897 ) 訓読・阿弥陀経図絵を出版
大正 元 ( 1912 ) 光明主義を唱える
大正 5 ( 1916 ) 京都知恩院にて教学を講義
大正 6 ( 1917 ) 朝鮮・満州を巡錫
大正 7 ( 1918 ) 時宗無量光寺住職となる
大正 8 ( 1919 ) 光明学園開園
大正 9 ( 1920 ) 柏崎極楽寺において遷化 62 歳
(「沼南風土記」昭和 56 年発行より)