一幹で(いっかん)で百畳棚(ひゃくじょうたな)の藤の房 江草菊枝
この句を見つけたのは、昭和の終わりごろ私が何気なくスクラップした週刊朝日の一ページから。“花のうた草の囁き 季に寄せる”という連載もので、山口誓子と「天狼」の人々の句が載っていた。
写真は、過日柏市逆井観音寺で見た藤棚です。
この藤棚を見た翌日の4月29日、近くのZさんのお宅の藤を拝見しました。
“山口誓子と「天狼」の人々”の句です。
紫の一日桐見て藤を見て 玉貫 寛
今日は、まず紫の桐の花を見た。それから紫の藤の花を見た。目には紫の花ばかり。今日の一日は、紫の一日だったと言ってよい。
藤の花拝まる神の木にからみ 伊藤 みち代
神社の神木に藤の蔓がからんで、高いところに藤の花を咲かせている。神社に詣でた人は、神木を拝み、神木に絡んで咲いている藤の花も一緒に拝む。神ノ木に絡んだばっかりに、藤の花も崇められるのだ。
藤房をくぐる女人は髪抑へ 山岡 冨美
女人が藤の花の咲いている棚の下をくぐろうとして、自分の髪を掌で抑えた。藤棚には藤の房が長く垂れているから、自分の髪に触らぬように抑えたのである。ひょっとすると、藤の房に触れて花を汚さぬように自分の髪を抑えたのかもしれぬ。
激流に短か藤房花終わる 誓子
激流の上の藤の房。激流の崖に藤が咲いて房を垂らしている。その房はみな短い。激流の上は、風も荒くて、藤の房のためには悪いところだ。藤の房は短いまま花を終わる。(句の解説は全て山口誓子による)