2月27日(水) NKK散歩で、JR原宿駅集合と決めた本人の雨曇子が待ったのは竹下口。
Nさん、Kさんは30mと離れていない明治神宮口(南口)にいた。
携帯のおかげで、ドッキングできたものの、情けない。(私のボケを猛省)
小雨はむしろ好条件。静寂にして森厳。
105年前は畑の広がる寒村だったとは、とうてい思えない。
願い事を書く小さな絵馬。今では外国語で書かれたものも多く、外人さんが見入っている。
参道を抜けて北池に出た。
水鳥がいる。アッ、オシドリではないか!
鳥を見たあとは、宝物殿に入りました。
この宝物殿を設計したのは大江新太郎(明治20年京都生まれ)
館内展示の歴代天皇の絵は、馬堀法眼喜孝。一万円札の聖徳太子を描いた方。
名古屋のbankくんと待ち合わせたのは、
熱海駅1番ホーム 12時32分発下田行先頭車両。
伊東駅に着いて、レストラン“ナナバル”でランチ。
市内を流れる松川“いでゆ橋”のたもと、東海館前のこじんまりとした洋食店。
(伊東温泉観光・文化施設の東海館)
Cランチ“白身魚のムニエル”を注文。
とてもおいしく満足。写真は、スープ&サラダのみ。食べるのに夢中で撮るのを忘れる。
壁の絵は、地元の干物屋さん山国商店の山田一雄氏作。
2日目、高台にある大東館を出て、海岸に向かって歩き、途中、葛見神社の大クスを見た。
漁港に出た。
魚市場の前の“浜善”という和食の店。
(大東館若女将推奨の店)
大東館の朝食の腹持ちがよいので、ご飯少なめの刺身丼にしてもらう。
酢めしに刺身を載せたもの。うまい。私もbankくんも完食。
市立木下杢太郎記念館に立ち寄った。
杢太郎は、医師、文学者として活躍。兄太田円三も、東京神田橋公園に碑が建てられるほど、震災後の復興に功労のあった技術者。偉人を輩出した旧家が、まるごと記念館。
いままで、なんとなく敬遠していたが、入館してみると、展示にも工夫があり、なかなか面白い。必見ものだ。
伊東の人は、とても親切だ。
いろいろな人に道や店を聞いたが、どなたも、とてもていねいに教えて下さった。
熱海駅1番ホーム 12時32分発下田行先頭車両。
伊東駅に着いて、レストラン“ナナバル”でランチ。
市内を流れる松川“いでゆ橋”のたもと、東海館前のこじんまりとした洋食店。
(伊東温泉観光・文化施設の東海館)
Cランチ“白身魚のムニエル”を注文。
とてもおいしく満足。写真は、スープ&サラダのみ。食べるのに夢中で撮るのを忘れる。
壁の絵は、地元の干物屋さん山国商店の山田一雄氏作。
2日目、高台にある大東館を出て、海岸に向かって歩き、途中、葛見神社の大クスを見た。
漁港に出た。
魚市場の前の“浜善”という和食の店。
(大東館若女将推奨の店)
大東館の朝食の腹持ちがよいので、ご飯少なめの刺身丼にしてもらう。
酢めしに刺身を載せたもの。うまい。私もbankくんも完食。
市立木下杢太郎記念館に立ち寄った。
杢太郎は、医師、文学者として活躍。兄太田円三も、東京神田橋公園に碑が建てられるほど、震災後の復興に功労のあった技術者。偉人を輩出した旧家が、まるごと記念館。
いままで、なんとなく敬遠していたが、入館してみると、展示にも工夫があり、なかなか面白い。必見ものだ。
伊東の人は、とても親切だ。
いろいろな人に道や店を聞いたが、どなたも、とてもていねいに教えて下さった。
(JR東日本の駅では最南端の伊東駅)
(大東館前に立つbankくん)
(大東館若女将の渡辺寛子さん)
2月21日(木)伊東温泉の大東館です。
大歩危トラベル雨曇子の中学、高校の同級生bankくん(銀行員だったから)に誘いをかけて実現した伊東温泉一泊旅行です。
旅館は、大歩危トラベルとしては2度目の大東館。
いーい、旅館です。
朝食付き1泊6000円。
温泉は、ピカ一。(朝食もうまいぞ)
防空壕もありますよ。(歴史の勉強になります)
立派な部屋と窓からの眺め。
(春は曙・・・2月22日早朝、部屋のカーテンを開けて東の空を撮る)
よい一夜をありがとう。
帽子を忘れて取りに戻った際、息せき切って6階の部屋から取ってきてくれたスタッフの方、ありがとう。
ご迷惑をおかけしました。
水戸市は茨城県の県庁所在地。
上野駅から、常磐線特急“スーパーひたち”なら、次の駅が水戸。
特急“フレッシュひたち”は、柏、土浦、石岡、友部、水戸と停まります。
写真は、平成24年度投入の新型車両。赤いラインは、水戸偕楽園の梅を意識した紅梅色です。
オット、車窓左手の筑波山をお見逃しなく。
(常陸国府のあった「石岡」の手前、二峰の間が狭い)
早くも水戸駅です。大洗方面への鹿島臨海線のジーゼルカーがいました。
駅には北口、南口。
まず、北口から。
水戸市も、空襲を受けたんだ。
新しいビルに挟まれて老舗も健在。
そして、モダンな南口。
桜並木と桜川。
その先に、千波湖。
千波湖とくれば、日本一の梅の名所“偕楽園”だが、
あえて紹介したいのは、茨城近代美術館。3月20日までは、横山大観40mの大作“生々流転”の展示がある。
(入館してまず、ロダンの彫刻)
美術館の敷地内に“中村ツネ”のアトリエがある。
中村ツネは明治20年(1887)水戸市に生まれました。
長じて画家となり、明治44年(1911)、新宿中村屋裏の画室に住み、中村屋の長女相馬俊子をモデルにした一連の少女像を描きました。
大正5年 (1916)現新宿区下落合にアトリエを新築。(美術館のアトリエは、これをモデルに昭和63年、新築されたたものです。)
大正9年 (1920)第2回帝展に“エロシェンコ氏の像”を出展。
大正13年(1924)下落合のアトリエで死去。
以上が略歴です。
さて、これは、美術館付属の食堂です。
窓越しに千波湖が見渡せます。
「美術館はパスだ」という方も、千波湖には満足されるのではないでしょうか。
ただ、ベンチで一休みなされるときは、水鳥たちのおねだりに要注意です。
「2月13日(水)友達と谷津干潟に行った」のではあるが、
私、雨曇子主催の「大歩危トラベル・日帰りツアーの催行」ということにした。
集合は、京成本線「谷津駅」改札を出たところ。
散歩中のプードル犬。見下ろせば、千葉街道(国道14号)。
全員(と言っても私を入れて5人だが)集まったので出発。
高架橋上の駅からエレベーターで道路に。
活気のある商店街だ。
ぐるぐる巻きの街路樹は多分ジャカランダ(熱帯地方の木・ノウゼンカズラ科)。
しゃれた喫茶店も健在。
商店街を抜けると谷津公園。
わがツアーの一団は、元気よく歩いている。
しばらく行って、読売巨人軍発祥の地の碑があった。
昭和9年に招聘したアメリカメジャーリーグの相手となる全日本軍が練習したのがこの地。
そして、全日本軍を母体にして読売巨人軍が生まれた。
バラ園もあり、このあたりは南国風。
そして、谷津干潟に到着した。
館内の茶屋で昼食をとり、ツアーは無事終了した。
平成25年 共通一次「日本史 B 」の問題
「南無阿弥陀仏の題目を唱えれば救われると説いた日蓮は、鎌倉幕府により迫害された」は○か×か?
ここ、下総中山駅から法華経寺への参道を歩けば、日蓮が唱えたのは「南無妙法蓮華経」と分かる。
仁王門をくぐると桜並木。
入ってすぐ左手に、荒行道場があった。
世界三大荒行の一つとされる中山法華経寺の荒行はすさまじい。
睡眠3時間、一汁一菜、1日7回の水垢離・・・の生活が100日続く。
今年の荒行参加僧は134人だったとか。
激しい荒行の場も終わってみれば清々しい。
桜の開花もまだ一ヶ月先であれば、訪れる人もまばら。
日蓮と歴代六祖を祀る祖師堂は、比翼入母屋形式という全国的にも珍しい造り。
日蓮こそ、迫害を受けながらも激しく他宗を攻撃し、生涯を荒行に身を置いたような方。
日蓮が著した「立正安国論」は、国宝となって昭和6年建立の聖教殿(しょうぎょうでん)に安置されている。
重要文化財指定の建物が並び、中山法華経寺は、まさに、一大歴史的スポットと言えよう。
2月11日(日) 風もなく暖かい一日。
千葉県佐倉市の川村美術館に来た。
コブシの芽がふくらんでいる。
美術館に向かう林道の入り口にある佐藤忠良(1923~2011)の具象彫刻。
林道に福寿草が咲いていた。
木々の間に見える、赤い椅子のような作品は、「朱甲面」と題する抽象彫刻。
作者の清水九兵衛(1922~2006)は、京焼の清水六兵衛の養子となり陶芸家としても活躍した。
美術館入り口に聳え立つのは、フランク・ステラ(1936~ )の作品。
アメリカ人ステラは、絵画から大型彫刻に作風を発展させた。
美術館の建物はユニークで美しい。
美術館の正面の眺めもスケールガ大きい。
近づくとガチョウが寄ってきた。
N さん、K さん、私(K)のN K K 散歩、2013、2、7(木)の目的地は、平成5年オープンの、松戸市“21世紀の森と広場”(自然尊重型都市公園)だ。
JR 武蔵野線新八柱駅から、さくら通りを歩いて10分。
50,5ha、東京ドーム11個分といわれる公園は、さすがに広々として気分爽快。
水辺を好むハンノキの雄花が、満開だが、地味なのでまったく目立たない。
ロウバイも満開。こちらは、芳香を放ち目立っている。
梅は、ボチボチ。
いきものたちの谷津、自然生態園に向かう。
ここで、オオタカの若鳥2羽を観測。
(12月にやってきた、オオハクチョウ2羽は、1月14日の大雪以来見られないとのこと。)
公園の南門を出たところに、立派な長屋門の家があった。
(「安」の字を落としてしまった。)安蒜家(あんびるけ)長屋門は、天保11年(1804)に建てられ、下総地方西部の長屋門の中では、最も古いものの一つ。
幕末か、明治初期のものという長屋門もあった。
公園の外の里山を抜けた。
お昼は、さくら通りのイタリアンレストラン、「ラ・メール」で。
本日の Bランチ 980円
料理も美味しく、居心地のよい店で、気分よく散策を終えることができた。
(我孫子高校生の校外授業)
町のマラソン大会の中で一番短い2キロのコースですが、1年生にならないと出られません。
それで、うまいちゃんは応援にまわりました。
スーパーの前で待ちかまえていると、道いっぱいに選手が走ってきました。
おじさん、おばさん、中学生、小学生、おじいさん、おばあさん、
入り混じって走っています。
おもしろい帽子をかぶった人も、ピーナッツのぬいぐるみの人もいました。
そんな一団の中に、4年生のお兄ちゃんがいました。
「がんばって!」
うまいちゃんが言いました。
お兄ちゃんは小さく手を振りました。
それから、お母さんが来ました。
真っ赤な顔で、息をはあはあさせています。
「おかあさん、がんばって!」
「おかあさん、がんばって!」
うまいちゃんは、2度もさけびました。
「えらいわね。お母さんきっと元気が出たわよ」
どこかのおばさんが、笑いながら言いました。
「そうよ。うまいちゃんのお陰でがんばれたわよ」
夕ご飯のとき、お母さんが言いました。
「もう少しで、お母さんに抜かされそうだった」
お兄ちゃんが言いました。
「うまいちゃんの応援が効いたのよ」
お母さんは、そう言ってうまいちゃんに笑いかけました。