サルスベリは 7 月から 9 月末まで、散っては咲き、散っては咲いて百日間も紅い花をつけている。
百日紅と書いてサルスベリと読ませる。
皮がはがれ落ちて滑らかになった樹肌は、猿も滑って登れないだろうということで、サルスベリとなったようだ。
(柏市大島田泉蔵寺の墓地にあるサルスベリ)
いつも門前を通っているのに氣づかなかった。もしかしたら宝永 5 年(1708 )の青面金剛像に匹敵するのかもしれない。
サルスベリは 7 月から 9 月末まで、散っては咲き、散っては咲いて百日間も紅い花をつけている。
百日紅と書いてサルスベリと読ませる。
皮がはがれ落ちて滑らかになった樹肌は、猿も滑って登れないだろうということで、サルスベリとなったようだ。
(柏市大島田泉蔵寺の墓地にあるサルスベリ)
いつも門前を通っているのに氣づかなかった。もしかしたら宝永 5 年(1708 )の青面金剛像に匹敵するのかもしれない。
いなり寿司を作ろうと近くのスーパーに油揚げを買いに行った。
3 枚入り単価 68 円を 2 コ、寿し揚げ 10 枚入り半額 49 円 小計 185 円 外税 14 円がついて 199 円の買い物をした。
ベターホーム「母さんの味」のレシピに従って、油揚げを 2 度ゆでこぼし、 2 カップのだしに砂糖大匙 4 1/2 みりん大匙 2 しょうゆ大匙 3 の中に入れ、落し蓋をして中火で煮汁がなくなるまで、焦げ付かせないように煮た。
ごはんは、米カップ 2 に、昆布 5 cm 酒小匙 2 を入れ炊飯器で炊いた。
後は、袋に詰めるだけ。
不器用なので、これがなかなか大変だった。
あとは、インスタントの味噌汁で我慢してもらった。
本当は暑さが苦手なんです。
5 年間の幼虫時代がなつかしい。
仲間と一緒に一斉に羽化したものの
この暑さは、いささかうんざりです。
40 年前団地がまだ雑木林だったころからの楠の大木のまわりに無数のセミの穴があった。
この楠の木は大昔からセミたちの育ての親だったのだろう。
木の下に立つとアブラゼミの声が降るように聞こえてきた。
茨城県土浦は千葉県柏市から、冷房のよくきいた常磐線快速で 40 分。
ここは、土浦城の東櫓。
しばらくいて、冷房の効いた博物館の本館へ移動しました。(入館料は東櫓と共通で 105 円)
涼しい館内で、展示をゆっくり鑑賞しました。
(高瀬舟・米俵がきちんと積まれている)
(山車を飾る人形)
興味ある展示でいろいろ楽しめました。
城まえの民家 cafe (城藤茶店・しろふじさてん)に入りました。
(築 80 年の民家を cafe にして 5 年目)
この街は、道路が広々としてすがすがしい。
(駅前のビル)
(駅西口ペデストリアンデッキの先が市役所)
(市役所内部)
(高安関の色紙)
涼しいイメージをもって土浦を後にしました。
ところで、日本ハムファイターズはきょう札幌ドームでソフトバンクと対戦し、6 ー 5 で接戦をものにしましたが、この試合で 2 HR を放ち勝利に貢献しヒーロとなった渡邉諒選手は、土浦三中出身。優勝のかかった大試合に 2 本もホームランを打つとはすごい。
土浦はすごい!!
(勝ち越しの 2 ランを打った渡邉選手)
(左が渡邉諒選手、 右は捕手の石川亮選手 両者とも最近売り出し中、1.20 幕張メッセにて)
7 月 17 日(火)今日も暑い。
朝 7 時、リビングはすでに 29 ℃だ。
ゴミ捨てに外に出たが、差すような強い日差しに頭がクラクラした。
元気のいいのは隣家のフヨウ。
昔、鉢物を庭に放したとご主人から聞いたことがあるが、今では樹高 3 m を越す大木となって次々と花を咲かせている。
南国系の花木なので、近年の気候があっているのだろう。
(野生のノブドウ 実はおいしそうに色づくが食べられない)
(わが家のタカサゴユリ 毎年自然に生えてくる)
これらの植物も暑さに元気づいている。
日記帳から、7 月 17 日、最近 5 年間の気温を調べてみた。
最低気温 最高気温
2014 23 31
2015 23 30
2016 22 30
2017 25 32
2018 28 33
例年に比べ、今年際立っているのは最低気温の高さだ。これでは、「冷房は嫌い」などと言っていられない。
7 月になって、今日まで 17 日間、最高気温が 30 ℃ を越さなかったのは、5 、6、の 2 日間( 29 ℃・ 27 ℃ )だけ。
13 日からはずっと熱帯夜(最低気温が 25 ℃以上)がつづき、いったいいつまで続くのだと悲鳴が上がる昨今ではある。
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第一戦 7 月 13 日(金) 京セラドーム 全パ 7 ー 6 全セ
第二戦 7 月 14 日(土) 熊本球場 全パ 5 ー 1 全セ
公男「第一戦は HR の応酬、第二戦は投手戦、それぞれ見ごたえのある試合だった。
各球場満員の観衆で、大いに盛り上がっていた」
谷氏「やはり HR は魅力だね。
スタンドに一直線に飛び込んんでいく白球、暑さを一瞬忘れさせてくれる。
HR 競争は今年から 3 分間打ちっぱなし方式に代わり、分かりやすかった」
虎子「DeNA の筒香選手が優勝してよかったわ。全部パに持って行かれるんじゃあ面白くない」
公男「パというか、西武だよ。森・源田選手と、MVP を独り占めした」
谷氏「西武打者陣大暴れのオールスターといっていいね」
虎子「これで夢の球宴は終わり。一日置いて 16 日(月)からは、もう後半戦、
選手の皆さん頑張って下さい!特に阪神さん、がんばって~」
プロ野球は、ペナントレース 143 試合の折り返し点にきた。
日本ハムは 10 日(火)昨年の日本一チームソフトバンクを 12 ー 0 と一蹴し、ここまでの成績を 44 勝 34 敗 1 分 勝率 0. 564 とした。
これは、パ・リーグの首位をゆく西武ライオンズに 2. 5 ゲーム差での 2 位である。
開幕当初日本ハムのここまでの快進撃を予測した評論家はいなかった。
NHKの野球解説陣は、最下位を予想したものだ。
勇気のある解説者、例えば岩本さん、ここで潔く前非を悔い、パ・リーグの優勝は“日本ハム”と改めて宣言しませんか。
8 月にはいってからでは遅い、今ならかろうじて間に合います。
その根拠はいろいろありますが、
その一つが西川選手に代表される猛打です。シーズン当初は西武の猛打が世間を驚かせましたが、後半は日ハムのそれが驚かすでしょう。 18 安打 20 安打など毎試合のように見られますよ。
一つ注目すべき数字があります。それは、交流戦 18 試合での日本ハムの総得点 104 です。これは、 12 球団一の記録です。投手陣の頼もしさなど、他にも後半の快進撃を予測する根拠はたくさんあります。
単に日本ハムファンの白日夢ではない、と思いますよ。
(鎌ヶ谷 公男)
こんな句ができました。
いざ行かむ夏草繁る土手の道
*なにもそんな道を行かなくてもよいのに、いささか無鉄砲です。
凌霄のひとり元気な昼下がり
*隣家の庭に凌霄花(のうぜんかずら)が咲いています。
街なかの大行列や氷店
きょう猛暑風呂の掃除に専念す
七夕や観光客の願ひごと
燕(つばくろ)の雛三羽いる東口
*アーバンパークライン運河駅です
報道の台風被害とめどなく
日本列島はつくづく雨に脆いと思います。(確かに、かってないほどの雨量ですが、それにしても・・・)
水害の犠牲になられた方のご冥福をお祈りし、被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
「澪」 7 月号からの一句鑑賞です。
葭切の鳴いて児ら呼ぶ校舎裏 佐藤拓郎
大震災から 7 年の歳月が流れ、あの大川小学校跡地にもオオヨシキリが飛来し、終日大声で鳴きたてています。
その鳴き声は、あたかも犠牲となった児らの名を呼ぶ悲痛な叫びのようにも聞こえます。
オオヨシキリは、毎年日本の各地に南方の国より飛来し、主に河川の芦原に住んで子育てをします。その鳴き声は、ググッ ギョギョ ギョッ ギョッ ギョギョシ ギョギョシ ギョギョシ と濁った大声で鳴きます。俳句では、「行々子」とも言います。
土台のみ体育館や行々子 佐藤べん
お二人は、この 6 月初め、石巻の大川小学校跡を訪ね、校舎裏跡地の湿地でオオヨシキリが鳴くのを耳にされたのです。
今回氾濫した河川にも芦原がありオオヨシキリがいたと思われるのですが、彼らはどうしたのでしょうか。
「澪」 7 月号掲載の句にもう少しお付き合いください。
伊豆沼に闇が居据わる蝦蟇の声 三浦克實
数万羽いた雁が北国に帰って大きな空き家のような伊豆沼。
夏の夜はとっぷりと暮れ、あたりは漆黒の闇です。その闇の中から蝦蟇の鳴き声が、地響きのように聞こえてきたのです。
昼間のことですが、私は手賀沼の遊歩道を横断中の蝦蟇に会ったことがあります。両手からはみだすほどの大きさですが、抱き上げたいとは思いませんでした。悪いから表情には出しませんが、正直なところ少し不気味です。彼は、私を認めても、あわてるふうもなく悠然と沼に入って行きました。
そんな蝦蟇たちが何百、いや何千匹と集まって、天下の伊豆沼で鳴くさま、いやそのコーラスはさぞ聴きごたえ、見ごたえがあることだろうと思います。
でも、絵に描くとすれば、黒一色に塗りつぶすしかありません。