3月30日(日)は雨となった。
昨夜の強い風で公園の椿が散っている。
東京の桜の開花は25日。千葉県柏市はまだ先と思っていたが、柏市大津ヶ岡中央公園の桜は満開に近い。
日曜日だが、小雨の公園には誰もいない。
山桜も花をつけていた。
図書館の駐車場も、帰りの道路わきも桜だ。
「今年は遅いかな」と危ぶまれた桜の開花、東京は3月25日で、3月28日の上野公園はすでに花見ムードいっぱい。
京都東山清水寺のように舞台造りの、上野清水観音堂。江戸時代には、「月の松」があって、歌川広重が、「名所江戸百景」に描いています。明治時代に台風で失われたままになっていたこの松は、平成24年12月、足立区の造園職人によって復活しました。今、桜の風景のなかできわだったたたずまいを見せています。
ソメイヨシノは、まだ2~3分咲きでしょうか。花見シーズンは始まったばかりです。
路上パホーマンスは今のうち。まもなく人で埋め尽くされるに違いない。
野口英世博士のメッセージ。
亀戸3丁目の普門院の前にいた人、散策の下見だそうです。
「見所いっぱいですよ」通りがかりの私は、思わず口を出しました。
「お墓そのものじゃあないですよ、これは。この寺の墓地にあるという案内です」
「お墓はこちらです。この書体は、中村不折ですね」
「山門に戻って、右手の茂みの中にある大島伯鶴の碑を見てください」
講釈師2代目大島伯鶴は、昭和10年代には、6代目一龍斎貞山と人気を2分し、NHKラジオでは、正月は伯鶴の「愛宕山」(寛永の三馬術)、暮れの14日は貞山の「義士の討ち入り」と相場が決まっていました。
辞世の句、「伯鶴は永々嘘をつきました どうせあの世で 舌はないもの」は、「講釈師見てきたような嘘をつき」を踏まえています。
この方は、チャラを入れるのが得意で、子ども達にも分かるような講談だったそうです。
少し長くなりましたが、あと一つ、この寺にはこんな伝承があります。
1616年(元和2)橋場(足立区千住)にあったこの寺が当地へ移転の際、梵鐘を隅田川に落としてしまい、そこが、「鐘ヶ淵」と呼ばれるようになりました。
途中、スカイツリーの見える公園に寄り道です。
公園はアンズの花ざかり。メジロが来ていました。
しだれ桜の開花は4月5日ごろと、係りの方は予想しておられました。
亀戸2丁目の財部歯科医院に来ました。
静かな音楽が流れ、表情豊かな木彫が語りかける、何かほっとする待合室の空間です。
診察の椅子からも木彫が見られます。
美術館で治療を受けた感じでした。
財部歯科医院 東京都江東区亀戸2-42-2 ℡03-3684-4365
利根川に架かる栄橋を渡って左手、小高い丘に、真言宗多聞院徳満寺があります。
立派な本堂ですが、この寺が有名なのは本堂の廊下に掲げられた「間引きの絵馬」です。
柳田國男は13歳のとき、この絵馬を見たことがきっかけとなって、民俗学者の道を歩んだと言われます。
境内から利根川を望み、この地を来訪した小林一茶の句碑がありました。
こちらは、別棟の地蔵堂。
オビンズル像、大黒像が鎮座していました。
鐘つき堂の鐘は、今も時の鐘でした。
大師巡拝の信者の人たちによって大正3年に建てられた大きな宝キョウ印塔が建っていました。
茨城百景の石碑の前で一休みしているのは、柏市から自転車で来たFさん。
ここまで、20キロ強とのこと。
水運が盛んだった昔は、利根川べりのこの寺は、多くの参詣者で賑わったことでしょう。
地蔵堂の裏手は、大木に囲まれた琴平神社です。
見所満載の徳満寺でした。
「なんで“ふ”って書いたかというと・・・・」
4月から2年生になるうまいちゃんが言いました。
「なんで?」
ぼろっちい筆を用意したので気がひけているおじいちゃんがおそるおそる聞きました。
「“ふ”を書きたかったから」
「そっか、“ふっくら”書けたね」
「ふとっちょの“ふ”、ふとんの“ふ”、ふわふわの“ふ”」
うまいちゃんは、「ふ、ふ、ふ、・・・」と笑いました。
汐入公園から天神大橋を渡って墨田区に入ると、高層の都営住宅が隅田川に平行して1.2kmも壁のように並んでいます。
35年前、1979年完成の白鬚防災団地です。(東に流れる荒川までの住宅密集地住民の避難先を想定)
ここに建つ梅若塚の碑は、かって、源頼朝、太田道灌も訪れたと言われる歴史ある塚を記念するものです。
そして、緑地には木母寺(梅若寺)がありました。木造のお堂は、ここでは不許可なので、不燃建築物で覆われています。
境内の「天下の糸平」の碑、防災団地前の「榎本武揚像」は、共に、幕末、明治を波瀾万丈に生き抜いた偉人のモニュメントです。そして、現代のスカイツリーはここにも顔をのぞかせます。
私達は、墨田区立梅若小学校前を通り、向島の蕎麦やにたどり着き、散策の閉めとしました。
梅若そば(900円)は、梅・若布・竹の子の天麩羅・大根おろしをあしらった、美しくおいしく、この地にふ
さわしいメニューです。味わっていただきました。
きそば長平 墨田区墨田1-5-12 電話03-3612-0933
西方から流れてきた隅田川が大きな「つ」の字を描いて南方に流れを変える、荒川区南千住のこのあたりは、明治末から大正にかけて、大日本紡績(ユニチカ)鐘淵紡績(クラシエ)などの大工場が建ち並ぶ工業地帯でしたが、昭和46~51年にかけて、これらの工場が移転し、その跡地を東京都が買いとって、昭和63年から再開発が始まりました。
白鬚西地区市街地再開発事業がそれです。
事業が完成し、この都立汐入公園は、災害時には12万人を収容する広域避難場所となります。
これは、公園内の日時計です。「11時」を指しているところです。
対岸に望むスカイツリーです。それに対抗するかのように、公園には木製の「汐入タワー」が建てられていました。
このタワーからの展望です。
タワーの内部です。写真は塔内の小部屋に展示してあったものです。
塔を出て、水神大橋を渡り、墨田区に入ります。
春一番が吹いた3月18日(火)、NKK散歩は、Kさんの地元南千住から。
隅田川のスーパー堤防にとりつきました。
初めての私は立派な景観に気圧されてうっとりするばかり。
隅田川の橋でアーチ型ではないのは、めずらしいのですが、このすっきりした“千住汐入大橋”は、平成18年完成で、
隅田川にかかる2番目に新しい橋です。(1番新しいのは、平成19年完成の千住大橋より上流に架かる新豊橋)
3月17日(月)暖かくなったせいか、コブハクチョウは湖面中央にお出まし。
土手には、土筆が顔を出した。
馬酔木(あせび)は花をつけている。
水辺の柳は他の落葉樹に先駆けて新芽を出し始めた。
柳の木の下から妙なる楽の音が・・・。
四弦のバンジョーを奏でる、取手市戸頭の石井庸夫(つねお)さんだ。“スワニー川”を聞かせていただいた。
ありがとう石井さん、心に残りました。