手賀沼の南岸からもよく見える、対岸の、特徴的な白い建物。
これは、我孫子駅前のけやき会館だ。
最上階11階から北方を望む。
筑波山がうっすらと見える。
我孫子駅を見下ろす。
上野方面に線路が伸びている。
我孫子駅南口の、この顕彰碑は、明治29年常磐線開通に当たり、「鉄道なくして町の発展なし」との信念から、駅前用地を無償提供し、駅誘致に尽力した、町長飯泉善雄氏の功績を称えたものだ。
けやき会館前の“あびしるべ”には、我孫子市を知るための資料がそろっている。
スタッフの方も親切に対応してくれる。
この車止めが、繭の形をしているのは、訳がある。
ここが、製糸工場の跡地だからだ。(石橋製糸工場が、昭和60年まで操業)
駐車場の一角に蚕霊塔(さんれいとう)もある。
蚕も動物で、たくさんの命を奪ったのだから。
写真を撮っていたら、通りがかりの野口澄夫さん(88)がいろいろ教えて下さった。我孫子のガイドブックを5冊も発行されているとのこと。
しかし、手賀沼あっての我孫子市。
杉村楚人冠も、志賀直哉も、村川堅固も、手賀沼ゆえに我孫子に住んだのではないか。
(楚人冠記念館の一部)
(志賀直哉邸宅跡・建物の一部が復元されている)
(歴史学者村川堅固氏別荘、没後、子息の堅太郎氏に受け継がれる。現在は安孫子市が保存)
一角に設けられたステージの背景です。
2012年パ・リーグ制覇のフラッグ・トロフィーが誇らしげに飾ってあります。
ここで行われたのは、平成25年度の新スタッフの紹介。
司会者が、新人選手に一言ずつ抱負を語らせます。
マイクを握っているのはドラフト2位指名の森本龍弥選手(高田第一高)です。
「好きな食べ物は何ですか? 」
と聞かれ、
「カレーライスですかね」
と答えるドラフト6位の屋宜(やぎ)照悟選手。
選手の後ろに立つ、青いリボンのキャラクターは、今シーズンからお目見えのポーリーちゃん(蝦夷リス)
ポーリーちゃんも、7位指名の河野秀和選手も頑張ってね。
契約1年延長が早くも決定した栗山監督。
全国的に有名な、ドラフト一位指名、大谷翔平選手、シーズン前から報道陣がぞろぞろと、うるさいでしょうが、潰れないように頑張って下さい。
会場を出ると、近くにあるホテルのビルが光り輝いていました。
あのビルのように光り輝く選手であれ!と祈るような気持ちになりました。勿論大谷選手だけではなく、選手全員に活躍してほしいのです。
ツインビルは、遠ざかっても、いつまでも目立っていました。
(伊東オレンジビーチから見た初島)
キ・ムチ「連ドラ“サンド(商道)”が始まった。月~金 BS5 12時」
ドラ子 「見てないのよ」
キ・ムチ「ガクッ」
ドラ子 「知識はあるわ。“チャングム”や“ホジュン”のイ・ビョンフン監督のドラマでしょう」
キ・ムチ「実在の大商人の話。中身はフィクションだけど」
ドラ子 「面白い?」
キ・ムチ「第一話から、すごく引き込まれる。テンポよく話が進む」
ドラ子 「イ・ビョンフンの作品は、ロケが多いから、背景がきれいネ」
キ・ムチ「第1話でもススキが美しい山の風景が印象的だった」
ドラ子 「どんな俳優さんが出るの?」
キ・ムチ「さあ、そう言われても・・・そうそう、“名家の娘ソヒ”のソヒが出てたよ」
ドラ子 「そういう覚え方なのね。まあ、楽しんで下さい」
(伊東温泉にて)
うまいちゃんが言いました。
「わたしのなまえ、はんたいに読むと“いま うどんこ”よ」
お母さんが、夕飯のしたくをしながら言いました。
「“こんどう とめこ”さんだったら?」
「えーと・・・」
うまいちゃんは、しばらく考えて叫びました。
「米とうどんこ!」
お母さんは笑いました。
ゲームをやっていたお兄ちゃんが口を出しました。
「じゃあ、てぶくろの反対、言ってみろよ」
「ろ く ぶ て」
うまいちゃんが答えるのを待ちかまえるようにして、お兄ちゃんは、うまいちゃんをぶちました。
6発 ぶったんですよ。
それからが大変です。
ディズニー漫画のようなおっかけっこが始まりました。
「やめなさい!」
初めはやさしく注意していたお母さんが大声をあげました。
「わかったよ。“ねんめご”“ねんめご”“ねんめご”」
お兄ちゃんが言いました。
「許してあげなさいよ、うまいちゃん」
お母さんが言って、うまいちゃんはお兄ちゃんをぶつのをやめました。
でも、心の中で言いました。
「ばか、かば、ちんどんや。おまえの母さんでべそ」
でも、お兄ちゃんのお母さんは、うまいちゃんのお母さんなんですよ。
低気圧が急速に発達しながら本州の南海上を進んだ影響で、列島各地は14日、大雪となった。
北海道から関東甲信にかけての広い地域で平年の2倍を超える積雪を記録。
朝日新聞のまとめでは転倒やスリップ事故などで少なくとも16都府県で310人以上が負傷し、交通機関も混乱した。(朝日新聞)
(マユミに積もった雪)
14日午後2時ごろ、我が家からの雪景色。
翌15日は快晴となったが、8cm は積もっている。
伊東温泉に行く予定で、東京駅9時21分発の普通列車熱海行きに乗り込むことになっている。
困ったことにバスがなかなか来ない。
仕方なく、駅まで歩くことにする。7時30分だ。(約束の時刻には着けそうにない)
大津川の橋を渡る時水面を見るとオオバンが集まっている。白いのはコサギ。
サイレンヲ鳴らして救急車が来た。
県道 印西・柏線は市街地に入って渋滞がひどくなってきた。
私は、2度転倒し足を捻挫したが、1時間かけて柏駅に到着した。
20分遅れて友達と合流。(よかった。よかった)
熱海からは、伊豆急の”リゾート21”に。
昼飯は、伊東駅前”湯の花通りのお店で。
注文したのは、これ。金目鯛定食 1680円。
ぶらぶら歩いて旅館へ。(案内役の私も実は行った事がない)
伊東にもコサギがいた。
星野リゾートの高級旅館”界”の前を通る。門前を通る私たちにまで愛想のいいスタッフさん。
「俺たちの宿はここでは?」とビビっている友達。
立派な旅館に安心。
部屋に通されてさらに大安心。「本当に6000円でよかったの?」の声あり。
大満足の一夜となったのであります。(めでたし。めでたし)
伊東は、JR東日本の最南端の駅だそうです。
1月15日(火)昨日は、大雪で、東京は7cm の積雪があったというのに、ここには、雪はありません。
駅前の湯の花通りは、明るい雰囲気です。
道端の民家の庭には、蜜柑が鈴なりです。
旅行プランをたてたのは、私(大歩危トラベル)です。
参加してくれる友達がいるので、旅行がなりたちます。
「お湯ずきの宿」がキャッチフレーズの「大東館」一泊のプランです。
(若女将)
(副経営者・若女将の父)
夕食なし、朝食のみのシステムで、1泊6000円。
自家源泉を4つ持ち、どの浴槽(男女別露天風呂つき内湯・貸切風呂3)にも、透明な湯があふれています。
(大東館HPの中の「副経営者のひとり言」に、この宿の歴史が詳しく語られています。)
(貸切・五右衛門風呂)
(貸切・露天風呂)
部屋は広く清潔で、暖かく、私たちはぐっすりと8時まで眠りました。
翌、1月16日。
海岸に出ました。
風もなく、穏やかな海が広がっていました。
海岸通りに面した海産物製造の「山国」さんです。
60代の店主が、「昨年はパートさんも雇えず一人で働いたので年間4日しか休めなかった」と言われた。
そんな忙しさの中、書き溜めたスケッチが飾られていた。
旅の終わりは蕎麦屋さん。
年季の入った人間なので、年季の入った店に入る。
つけたし
駅から大東館への途中、一つの看板が目に留まりました。
甘党ですから、立ち寄らずにはいられません。
地方紙も折り紙をつけていました。
虎子「”東スポ”なら分かるけど、”道スポ”って何?」
公男「”北海道スポーツ”ですよ」
虎子「”鎌スタ”は?」
公男「日本ハムファイターズ2軍の本拠地。
千葉県鎌ヶ谷市にあるスタジアムですよ。2軍選手の入る勇翔寮、室内練習場もあるんですよ」
虎子「その球場のスコアボードに、スピードガンと大画面ビジョンができるのね」
公男「そう。ドラフト1位で採った大谷翔平投手のスピードボール、160キロの表示が出る」
虎子「でも、この新聞の読者って北海道なんでしょう。見られないじゃない。」
公男「そこが、ほら、熱烈なファンだったら飛行機で来ちゃう」
虎子「わざわざ、そのために鎌ヶ谷まで来るの?そんなにすごいのかな大谷翔平クン」
公男「阪神の藤波晋太郎投手もすごそうだね」
虎子「ナニこれ、大事件って」
公男「自主トレの初日に30球投げたんだって」
虎子「それだけのこと?」
公男「”とてつもないスケールの高卒ルーキーが、昨年5位に低迷した虎を救う”と書いてある」
虎子「そうあってほしいけど、北海道の新聞にそういってもらうのは、何か複雑」
(コメント欄に「虎子、公男野球談義part Ⅱ」があります。)
大神宮があるから駅がある。
平成25年 1月10日。Nさん Kさん、私(K)が集まった。
記念写真もいいな。(思っただけ)
正式には意富比(おおひ)神社。
正月の気分が残っている。
立派な神輿が格納されている。
境内の土俵。
葉を落としたセンダンの大木。白い実が青空に映えている。
公孫樹が葉を落とし、灯明台がよく見える。
海は近い。
市内を流れる海老川にかかる橋はどれもユニーク。
川端をそぞろ歩いた後は昼食。
ごちそうさま。 虎智庵 船橋市元町4-37-19
ひとこと
食ベログで知って初めての店。
開店3人めに入ったが、続々客が来て、たちまちカウンター席が埋まった。
注文の品を運んできた女将さんに「すごいね」と言ったら「正月休みで、今日が最初の日だから」とのこと。
それにしても、平日の12時前、この人気はすごい。
1月 9日。手賀沼の西端に来ました。
広い葦原があります。
ここが、手賀沼緑道の始まりです。
前方の橋は手賀沼に流れ込む大堀川の北柏橋です。
釣り糸をたれているのは、東京のYさんです。
かれこれ2時になるというのに、9時半からコイ1匹だそうです。
常磐線の先の立派な建物は、昨年竣工したLOGI PORT(物流の会社)です。そのビルの先・・・
このマンションと道一つ隔てた小高い一画。
不動産業者さんにとっては、多分、垂涎の土地?
15世紀には、このあたり鬱蒼とした森が広がり、山裾を手賀沼の波が洗っていたのでしょう。
柏市がこの土地を借り入れ、城址として市民に開放しているのです。
歴史を理解するには想像力が必要です。
いくらかの説明版はその想像を働かせる手がかりを与えてくれます。
城址公園としてずっと存続してほしいものです。
彼らも同感ではないでしょうか。
おまけ
(まだまだ除染は終わらない)
今年も四季それぞれにこの緑道を歩きます。
緑道の沼側は自転車道、水田側は、歩行者・ランナー優先緑道です。
この写真、姿勢よく歩いていらっしゃるのは、松戸市のYさんご夫妻。
手賀沼は大好きで、今日は北柏駅から歩いてきたと元気よくおっしゃった。
多分、中学校の陸上部の走り初めだろう。今年一年の健闘を祈る。
これが、南詰めから見た手賀大橋です。先に見える白い建物は昨年12月オープンの名戸ヶ谷病院です。
これは、ネムの木。平成12年完成の緑道ですから木々はみな若いのです。年々の成長も楽しみです。
この石碑には、箕輪城の女城主日女若(ひめわか)の物語が書いてあります。
箕輪城跡に建っているのは手賀病院。
これは、「風早唱歌」。
作詞者 関忠太郎氏が風早尋常小学校で教鞭をとっていた大正元年(1912)の作。
1.大利根ゆるく船乗せて
東に続く手賀の沼
波静かにて葦の間を
つくし置くなり魚り夫が(13番まであり)
氏は、船橋市議会副議長も勤め、昭和38年 90歳で亡くなられた。
波間にユリカモメが揺れています。
こちらは、大橋の東です。
ゴマを撒いたようにしか見えない水鳥の集団も、双眼鏡にははっきり写ります。
野鳥の会会員の我孫子市Aさんに覗かせてもらうと、200羽以上のコガモがいた。「オシドリのオスも1羽いるんだが」とAさんがおっしゃる。
水門のある曙橋が緑道の東端。
ここからは、手賀川。
おまけの喫茶店。
ここから、約20キロ先の茨城県利根町にある”とむとむ”
「只今の珈琲抽出責任者は小池です」の表示。
店主のお嬢さんで、抽出のコンクールで日本一となった方だ。
許可が下りたのでシャッターを切ったが、手が震えた。