江戸東京たてもの園の農家の囲炉裏端を見学して、ふと、父の話を思い出した。
冬の夜は長い。囲炉裏端の話もとぎれがち。
その時、土間の方でゴトゴト音がした。みんなが、聞き耳をたてていると、なにか、がさがさ引っ掻くような音もする。
「ねずみかな?」
「ねずみより大きいよ。いたちかも知れん。」
「いや、いたちは、こんなところへこやへん。」
「それじゃあ、まみ かも知れん。このごろ、ほうぼうへよう出るちゅうで。」
そんな話をかわしていると、こんどは、メカメカと何か舐めるような音がする。
それっとみんな、それぞれ得物を持って物音の方へかけつけた。鎌、箒、薪ありのいでたちだ。
音は、俵や箕、むしろなどいろいろ置いてある一角の、桶の中から聞こえるようだ。
だれかが、桶をつつくと、パッと飛び出たものがある。
あっちこっち逃げ回る。
やはり、まみ だ。桶の中のこぬかを食べていたのだ。
二つ三つ手ごたえがあったようだが、まみ は、入ってきた縁の下から逃げていってしまった。
みんな、わっは は は は と大笑いした。
(タヌキは、家の周りをうろうろすることがあるが、めったに家には入らない。キツネは家にあまり近寄らない。夜中など遠いところで、ケンケン、コンコン、キャッ、キャッ、などと鳴いて通ることがある。)
父は、都会に出てきていたので、私にはこのような暮らしの経験はない。
前川国男邸(昭和17)
常盤台写真場(昭和12)
高橋是清邸(明治35)
知名度において愛知県の明治村には及ばないものの、東京都小金井市の都立「江戸東京たてもの園」は、郷愁をそそる数々の建物を擁し、見どころのある散策スポットとなっている。
私達は、東小金井駅から、市の循環バスで小金井公園へ。広い公園を「たてもの園」に向かう。
ボランティアガイド富田稔也さんの案内で、さっそく見学。
三井財閥の三井本家、三井八郎右衛門邸。(主屋 昭和27・土蔵 明治7)
庭の、富士山型の石は、「次郎富士」と呼ばれている。「太郎富士」は、皇居にあるという。
ガイドの富田さんの推理はこうだ。「借金の形として幕府から押し付けられたものではないか?」
丸二商店(昭和初期)
(昭和2)
関東大震災の後、昭和初期に建てられた看板建築。
丸二商店は、建物の前面を銅板で覆っている。銅板の模様がち密だ。
村上精華堂はイオニア式の柱を持ち、当時としてはモダンな造り。
子宝湯(昭和4)タイルに描かれた絵がきれいだ。
格天井になっている。
私達の年代では、誰もが銭湯通いの経験をもっている。
5月の「桜の園」を抜け、バスで「武蔵小金井駅」に出て帰った。
昔箱根仙石原周辺にシナノキが群生し、そのことから「品ノ木」の地名が生まれた。
樹の高さは15~20m。6~7月に淡黄色で直径1cmの花をつける。
樹皮の繊維は、帯、縄、紙の原料となる。
と、説明板にある。
箱根ハイランドホテルは、バス停「品ノ木」で降りる。
道路に面したエントランスが3階となり、客室や浴場は階下。
快晴の早朝散歩はとりわけ気分爽快。
庭を流れる川は早川に注ぐ。
花も残っていた。
庭の南に聳えるこの山は。
台ヶ岳1044m。ロープウエイをはさんで南に箱根で一番高い山、神山1437m、という位置関係にある。
「台ヶ岳」というバス停は、仙石原すすき群落地にある。
団琢磨氏(1858~1932・三井財閥の最高指導者)の別邸という歴史をもつ箱根ハイランドホテル。
よい一夜をありがとう。
金時山から乙女峠へと連なる箱根外輪山の、南麓に開ける仙石原。その中ほどの湿原に、箱根町立の湿生花園がある。
(上の模型で、一番高いのは、神山で1437m。
9時開場と同時に入場したので、閑散としていたが、ほどなく大勢の観光客が続々と入園してきた。
このバスが、ユネッサン(箱根小湧園)~湿生花園を結び、かなり頻繁に走っている。「観光施設めぐり」というタイトルはやや堅いが、運転手さんは優しく親切で、細心の注意を払って運転しているという姿勢が、乗客に伝わってくる。
5月22日。北千住始発で箱根湯本に来ました。
一日一往復する、東京メトロ乗り入れの、小田急のロマンスカーです。
雨の中、仙石原ラリック美術館に来ました。
木立の中で、小鳥が盛んに鳴いていました。
ガビチョウといい、中国南部の鳥で、声を楽しむために飼育されていたものが、1980年ごろから野生化がみられるメチドリ科の鳥だそうです。
鳴き声をどう表現してよいか分からず、そんな鳥の声に迎えられたと書いておきます。
ラリック(フランスの工芸家 1860~1945)の作品は、オリエント急行の車両の装飾でご覧下さい。
1925年製造のこの車両は、平成4年、フランスから取り寄せたのだそうです。
5月16日(水)昨日の雨も上がり、夏の到来を思わせる。
成田の手前からお付き合いをお願いします。
JR成田駅に着きました。
新勝寺側ではなく、西口に出ます。
運動公園の真向かいにある、県立成田国際高校前を通ります。
初めは愛想のない道ですが、トンネルを抜け、団地(成田ニュータウン)に入ると、文字通り緑の道になります。
ニワゼキショウ、オオバコが元気に咲いていました。
そして、トンネルを出て、行きついた先は・・・・
安くおいしい珈琲を求めたあとは・・・・・
すし定食1200円。
これで満足して今日の小遠足を終わりにしました。
つけたし
我孫子~成田のJR成田線で、我孫子駅から数えて8つめが、安食(あじき)次が下総松崎(しもうさまんざき)そして、終点が成田(なりた)である。
上の写真は、平成24年5月16日に、車内から撮影した。
「安食」のひらがなの表記に落剝がみられることは、写真に撮って初めて知った。
私は、かねがね、「安食」(あじき)は、よい響きで深みのある言葉と感じている。
大昔、まだこの地方に村がなかった頃、どこかから、移ってきた人が、この地の住みやすさを称えて口にした言葉などと想像できる。
日本には、安房(あわ) 安宅(あたけ) 安曇野(あずみの) 安芸(あき) 安心院(あじむ)など、「安」を「あ」と読む地名がたくさんある。安食(あじき)もその一つである。
これらのことを思うにつけ、安食駅ホームの標識の落剝が無神経に放置されているのは、見るに忍びない。
5月 5日(土)。やっと、青空の一日となった。
手賀沼の南岸の台地に位置する、柏市「手賀の丘公園」が、一番の賑わいを見せるのは、いつもこの時期。
付設の駐車場でさばききれず、野球場が臨時の駐車場になる。
で、大人はバーベキューだ。
子どもはアスレチック。
カブトムシが子どもを誘っている。
そうそう、アスレチック。
ほかにも、運動広場。
つり橋もある。
青物市場も開設。
公園は、大人も子どももやさしく迎えてくれるのだった。