雨曇子日記

エイティライフの数々です

ご近所花散歩

2020-07-31 15:09:51 | 花散歩

7月31日(金)今年の梅雨はまだ明けません。太陽が顔を見せた日も数日でした。

薄日が差してきたので散歩に出ました。柏市大津ヶ丘団地の近辺です。

 

 

この松ぼっくりは今年産のものかな、などと思いながら、道端に目をやるとエノコログサが光っています。ミソハギも見られました。

 

 

これは、自然に生えたのではなく育てられた花のようだ。

果たして、Zさんが植えたものだった。そのZさんの庭を見せてもらった。手入れの行き届いた立派な盆栽が並んでいた。

 

              (盆栽の花梨)

            (ブーゲンビリアもあった)

 

Aさんの庭に生る瓢箪を見た。

 

 

柏市立大津ヶ丘一小正門前の緑の道でミンミンゼミが鳴いていた。

 

 

付記

私がこのブログを書いた翌日、8 月 1 日(土)関東地方は梅雨明けとなり、同時に猛烈な暑さが来ました。昨年は 7 月 29 日に梅雨が明け、 8 月は、猛暑日 5 日、真夏日 18 日、熱帯夜 8 日でした。

今年も 8 月いっぱいは暑さが続くと覚悟した方がよさそうです。皆様ご自愛を!

 

 

 

 

 


路線バスの旅z 第 7 弾 宮城・塩釜~青森・恐山

2020-07-26 19:32:07 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

表題の旅は、2018. 8, 21 ~ 24 に行われ、9月29日に放送されたテレビ東京の看板番組である。

その再放送はまだだが、blog「タビリス」や「バスとりっぷ」を検索して、その旅の行程を追うのは楽しい。レギュラーの田中、羽田さんに加えて今回のマドンナは秋本奈緒美さん(55歳)。青森県恐山を 3 泊 4 日で目ざす。

 

     第一日(JR塩釜・宮城 ~ 石巻・宮城)

塩釜は、仙台から電車で 15 分の漁港の町。202 段の石段を登って楼門をくぐり到達する塩釜神社が観光のメイン。

お寿司屋さんの多いこのレトロな町を観光する余裕はなく、8 : 20 出発。物産館、松島町役場前、と乗り継ぎ「上竹谷地内」というバス停で早くも行き詰った。 6 . 2 km 歩いてJR鹿島台駅へ。この時点で13 : 25 。

牡鹿半島の付根の町石巻に着いたのは、18 : 06 だった。

塩釜から直線距離では 30 km 程だが路線バスだけで移動すると一日がかりだった。この日歩いた距離の総計は、11.6km。

石巻グランドホテル泊。

 

     第二日(石巻駅前・宮城 ~ 三陸町の民宿・岩手)

この日は、8 : 20 に石巻駅を出発し、前谷地から気仙沼まで BRT に乗った。BRT(Bus Rapid Transit )は、廃止された鉄道の線路をバス専用とて整備したバス路線。鉄道の駅がそのまま活用されるケースもあるそうだ。

気仙沼には 12 : 25 に着き、一関行バスで内陸を目指すか、海岸線を進むかで悩んだ末、海岸線を進むことに決断する。

一行は 8 km 歩いて盛駅~越喜来(おっきらい)浦浜に 18 : 23 に着いた。ここから、気仙沼の案内所で手に入れた民宿マップの宿に片っ端から電話を入れ、予約のとれた「民宿とまり荘」に向かう。日暮れの道を 4 km も進んだところでマドンナが足をくじいた。

民宿に頼み、送迎車を出してもらう。

 

     第三日(三陸町の民宿・岩手 ~ 久慈第一ホテル・岩手)

マドンナの捻挫も癒え「民宿とまり荘」を 4 : 30 頃出て、昨日のリタイアの場所に戻り、再スタート。

三陸鉄道南リアス線「唐丹(とうに)駅」を目指し 11km を歩く。途中、三陸海岸に昇る朝日を眺める。

 

私は、改めて地図を取り出して三陸海岸を眺めてみた。リアス海岸というのは、釜石あたりから始まり、昨夜の民宿の越喜来湾からは、吉浜湾、唐丹湾、釜石湾、両石湾、大槌湾・・・と、北にいくつもの湾がひしめいている。2011 年の大津波の大変さが想像できた。

朝日が昇る風景はいいだろうが、4 時起きはつらい。

さて、この日は、最初のバスに乗る前に 11 km も歩いたので、さすがに後の歩きはなく、その代わりバスには飽きるほど乗って、久慈駅に 17 :55に着いた。一番乗ったのは、盛岡~久慈 2 時間 45 分だ。どうして、わざわざ内陸部の盛岡を経由したかと言えば、そこがチェックポイントの一つで、立ち寄ることが決められていたからだ。

ともかく、無事に国内最大の琥珀産地久慈に到着。( 20 km ほど北の、陸中大野まで進んでおきたかったが、あいにくホテルが満室だった)久慈市「久慈第一ホテル」宿泊。

 

     第四日(久慈第一ホテル・岩手 ~ むつバスターミナル・青森)

7 : 55 に久慈駅を出発し、陸中大野~八戸~十和田~野辺地とバスを乗り継いで、むつバスターミナルに到着したのは 17 :58 。

恐山行の最終バスは 14 : 10 であった。残念!

「ほぼ正解ルートをたどったにもかかわらずゴールできなかった稀有な回」とタビリスの鎌倉淳さんは書いておられる。

マドンナ秋本奈緒美さんは目に涙を浮かべ悔しがったそうである。

 

付記

8 月 3 日(月)BSテレ東 17 : 58 ~ 20 : 00 の時間帯で再放送があった。

4 日間の旅がCMも入れた 2 時間に詰め込んであるのでやや忙しいが、旅の迫力は十分伝わってきた。マドンナ秋本さんの、旅の意欲、きびきびした行動力は、すばらしい。

なお、三日目、越喜来の民宿発は、5 : 30 だった。(私は一時間早く書いた)

 

 

 

 

 

 

 

 


路線バスの旅Z 第六弾 奈良東大寺~岐阜高山

2020-07-20 20:06:50 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

マドンナに大島麻衣( 30 歳)さんを迎えての第六弾の旅。再放送が待ちきれず、鎌倉淳さんの「タビリス」から、その旅を追体験した。「タビリス」の記事は原稿用紙に換算すると 30 枚という大作で、旅の全貌が分かるのです。

 

     第一日(高速バスの利用を勧められる)

8 :16 に東大寺大仏殿を出発し、まず奈良駅に出て案内所で情報を集め、三重県に出て高山を目指します。

例によって県境では少し歩きますが、梅の名所月ヶ瀬を経て、三重県伊賀市「上野市駅」にお昼過ぎに到着します。この案内所で「名古屋行の高速バスはここから関バスセンターまでは、下道というか一般国道を走りますので、この区間は路線バスといっていいのではありませんか」というアドバイスを受ける。これを利用し、関バスセンター(鈴鹿市)に 15 : 06 に着いた。

そこから 7km 歩き亀山駅前に、さらに平田町駅に 19 : 27 に着き、ホテルキャッスルイン鈴鹿に宿泊した。

(芭蕉の生誕地伊賀市は、 558.17 ㎢もある広い都市で、奈良県、京都府、滋賀県と接していた。いつか行ってみたい)

 

     第二日(名古屋市金山行を教えられる)

平田町駅  8 : 18 出発。四日市駅~桑名駅~たちばなの里~(徒歩で愛知県に入り)~近鉄蟹江駅前から、少し歩いて名古屋行のバス停を探しているところで、(バスのツウ)とでもいうべき男性に、名古屋金山行の市営バスの戸田停留所を教えられ、一気に名古屋に入る。金山着 16 : 57 。

 

「タビリス」鎌倉淳さんは、桑名に着く前の近鉄六把野駅から(あるいは桑名からでも)岐阜を目指していれば、名鉄岐阜に 17 : 39 に着くルートのあったことを検証しておられる。(確かに、こちらの方が楽だ)

 

実際には、名古屋を北上し小牧に進み、知り合った高校の校長という人の勧めで、尾張一宮まで行き、ホテル東横イン一宮駅前店に投宿することになるが、午後 11 ; 00 過ぎ。

 

     第三日(美濃太田駅案内所にて活路を見出す)

尾張一之宮駅前 6 : 58 出発。遅い到着、早朝出発、連日の長距離の歩きで疲労困憊の筈。9 : 09 に着いた岐阜バスターミナルで、イラついたマドンナが「決め手がないと乗らないんですか?」「来たバスに乗っちゃうぐらいの勢いで勝負をかけていかないと進まないですよ」と、決断のつかない田中、羽田レギュラーを牽制する一幕もあったようだが、その後 15 : 45 に到着した美濃太田駅で、案内所係員の「八百津~下河原を経て福地峠を越えていくルート」が紹介され、行くべきルートが決定した。

「タビリス」鎌倉淳氏は、「丁寧に対応してくれた案内所係員のクリーンヒット」と称えている。

この日は「まつや旅館」(岐阜県加茂郡八百津町)に宿泊。

 

     第四日(薄氷の勝利)

高山濃飛バスセンターに 17 : 31 到着できたのだからいいのだが、鎌倉淳氏が「薄氷の勝利」というのは、全体で 46,6 km も歩いたし、三重県から直接岐阜に入らず、尾張一宮経由にしたこと、特に最後の詰めの部分、高山線白川口駅から一区進んだバス停「三掛」から、飛騨川べりの国道 41 号線を 12.5 km 歩き、やっと着いた焼石駅前から下呂駅、あとは、一気に高山に入ったそのゴールの仕方が、もう少し楽なルートが数本検証できただけに物足りなく感じたのだろう。

飛騨川は、今年七月上旬の豪雨で氾濫し、下呂市が水害に見舞われたことは記憶に新しいが、昭和 44 年(1969 )8 月 18 日には、未曽有の惨事を引き起こした。それは、白川口駅近くの国道 41 号線路上で集中豪雨を避けて避難していた観光バス 2 台を、近くの山から流れ落ちた土石流が、濁流渦巻く飛騨川に押し流し、乗客乗員 104 名の命を奪った事故だ。それは、日本バス事故最大のものであった。

ところで、到着地の高山市の面積は、2, 179.35 ㎢ で、これは東京都の面積に近い。それでいて人口は 10 万人に満たない。日本は大都市に人が集まり過ぎ、過疎地は益々過疎になっていく。  

 

 


七月の柏の葉公園にて

2020-07-19 20:11:41 | つれづれ

 

7 月 19 日(日)久しぶりの晴天。コロナ禍の柏の葉公園ですが、かなりの人出でした。

 

 

広々とした空間は緑が美しく、心が広々とします。

「たらよう」の木を見ました。

 

 

案内状を頂いていたので、柏の葉公園センター緑のギャラリーでの「野草展」に行きました。

 

 

 

受付の会長さんは、参会者の検温をしたり、コロナ対策を怠りなくなさっていました。

会のご発展をお祈りします!

 

 

兎も角、梅雨空の続く昨今、久しぶりに青空が見られ気分が晴れやかになりました。

 

 

 


ゴーヤ&紫陽花&2020 年の梅雨

2020-07-17 11:39:28 | つれづれ

 

我が家のプランターでゴーヤが実った。

4 月 24 日、近所の種苗やで 4 本苗を買って、一つのプランターに一本ずつ植えた。

 

 

こちらは、我が家に一叢あるあじさい、根元に海苔の乾燥剤に使われた石灰を蒔きアルカリ化を狙った。

その成果かどうか分からないが花が赤くなったようにも思われる?

 

 

 

ところで、今年 2020 年の梅雨はいつまで続くのでしょうか?

昨年は、7 月 29 日に明けました。今年は 7 月に入って今日は 17 日ですが太陽を二度しか見ていません。 7 月 2 日と 12 日です。それも、午後には梅雨空に戻ったのです。九州を始め、各地で河川が氾濫し死者も多く出ました、

一昨年 2018 年は、6 月 28 日に梅雨が明け、 7 月は連日真夏日、猛暑日も 3 日あり、特に 23 日は 37 ℃ でした。

ちなみに、今年は 17 日現在、7月での真夏日(最高気温が 30 ℃以上 35 ℃未満)は 2 日だけです。 

 

 


ジョギングコース

2020-07-12 18:11:02 | 柏(大津川流域)を歩く

7 月 12 日(日)今年初めてアブラゼミの声を聴いた。

        柏市大津ヶ丘前原公園にある古墳の前セミの穴

      これは、セミではなくカラスだ。セミの写真は撮れなかった

        一周してみようかなと思いました

         下っているのでゴールから出発です

            100 m ごとに標識が立っています

          少女の虫かごには蝶が入っていました

        テニスコートは三面あったと思います

           プールは今年から廃止です

       日曜日ですが少年野球場はひっそりしていました

         大津ヶ丘団地ができたのは 42 年前と分かります

        国道 16 号に沿った直線コースです

   写真を撮りながらぶらぶら歩き早くもあと 100 m を残すのみとなりました

     スタートから歩きなおせば 2000 m になるのですが今回はここまで

         気温は 28 ℃ 水分補給です

 

3 . 3 haの公園にうまく作ったジョギングコースと改めて感心しました。

       


ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z第 5 弾 四国ぐるり一周城めぐり

2020-07-07 19:56:12 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

徳島城(ここはかってかって空襲で天守閣を失った)鷲ノ門に集められた、バス旅レギュラー田中要次、羽田圭介・マドンナ小野真弓の三人に与えられた使命は、「四つの城(丸亀城、松山城、宇和島城、高知城)の敷地内に入り三人一緒に天守閣を入れた記念写真を撮る」三泊四日のバス旅だ。さあ、どうする。一行は、どこからどこ行きのバスが出ているのかさえも分からず、地図を手に困った様子!

 

この旅が行われたのは、2018 . 2 . 25 ~ 2 . 28 で、私はこの再放送をBSテレ東「ローカル路線バスの旅z 第五弾」2020. 7 . 06 で見たのだ。

 

 

     第一日(完璧なスタート)

徳島駅に出て(頼もしき援軍)バス案内所で情報を得て、鳴門駅前➡弘田駅前➡高松駅➡高松空港➡丸亀駅と進み、ここで石垣の高さ日本一の名城・丸亀城をバックに一枚目の写真をゲット。

時刻は 18 時を過ぎ、とっぷりと日も暮れているので丸亀市泊。(空港に出て一気に丸亀市に来たのが良かった)

 

     第二日(22kmの歩き)

 

丸亀駅の案内所 8 時オープンを待ち構えるようにして情報を求めるも、はかばかしくいかず、善通寺ICバスターミナルにくるが、ここでも結果は得られない。9 : 03 。

そして、壮絶な歩きが始まる。

バスターミナル・・・2.5 km ・・・善通寺駅・・・1,5 km・・・車仙遊町駐車場前

駐車場前から旧西碑殿公民館前前まで 19 分はバスに乗るものの、ここから三豊市役所までの 6,5 km を歩き、観音寺駅~三豊総合病院まではバス。そこからは、・・・7 km ・・・道の駅とよはま・・・4.5 km ・・・川之江駅と歩いたのだ。

「バスが出ているのに何で歩くんですか、路線バスの旅ですよ!」待ち時間が多く、歩いたほうが早いと判断して歩きにした場面での、マドンナの叫びは、テロップで流れた。

「タビリス」の鎌倉淳さんによれば、後に羽田さんがスポニチの記事に次のような談話を寄せたそうだ。

「マドンナの、小野真弓さんから色々なことを学ばせてもらいました。等身大のご自身を無防備なほどにさらけ出すカッコよさが 4 日間続いていました」

羽田さんはむしろこう言うべきだった。

「僕の判断で、小野さんを思いっきり歩かせることになってごめんなさい」

 

     第三日(一日の半分以上もバスに乗った日)

 

大化の昔から四国の交通の要衝だった川之江(四国中央市)を 7 : 48 に出発。

イオンモール新居浜(ここで唐突に降りる必要は全くなかった)~新居浜~住友病院前~大街道~松山城 と進んできた。

このころ、夕闇は迫っていたが、松山城のケーブルカーは営業中で、三人は、松山城天守閣の撮影に成功、目標の 2 つめをゲットした。

道後温泉で宿泊かと思いきや、この旅はそんなに甘くはない、さらに大洲~宇和島とバスを乗り継ぎ、宇和島バスセンターに着いたのは、すでに 21 : 58 。それから、宇和島城のもう閉じている門の前まで行き、翌日の入場時刻を確かめた。

 

     第四日(最終目標高松城を目指す)

 

宇和島城のオープンは午前 6 時。 3 人は、この時刻に城に一番乗りをし、三番目の城との写真撮影。そして、宇和島バスセンター発宿毛駅行き 6 : 41 に乗車した。

8 : 28 に到着した宿毛(すくも)は高知県。ここにおいて、徳島県を出発した一行は、香川~愛媛を経て高知に達し、「四国ぐるり一周」を達成した。あとは、高知城記念写真撮影のみだ。

TV を見ていて、楽勝と思われたが、ここからのバス乗り継ぎが大変だった。

宿毛~中村駅(四万十市)~佐賀駅(黒潮町)~窪川(四万十町)~大野見(旧大野見村)~久礼(旧中土佐町)~須崎(須崎市)と来てやっと

高知城前に着いた。時刻は 19 :10 。城に入場できるのか?

城の坂道を上り、門前についてみると、木戸は開放してあった。めでたし、めでたし。そして、お疲れ様。

見ているだけで疲れるが、このシリーズは追っかけてみようと思う。地理の勉強になる。タビリスの検証記事も参考にする。

 

 

 


手賀沼の変

2020-07-04 13:33:08 | 手賀沼  夏

令和 2 年 7 月 2 日(木)の手賀沼ですが、例年と風景が変わっています。

 

 

 

お気づきでしょうか?

昨年まで繁茂していた蓮が、見られないのです。

半世紀以上に渡り増殖し続け、沼を埋め尽くしてしまうかと思われ、毎年 7 月末から 8 月初旬にかけて花盛りとなったのに、人為的に駆除したわけではないのに、見事になくなってしまうとは!

私の知る限りではまだこの謎は解かれてはいません。市民団体が原因調査中との記事はみたような気がしますが・・・。

 

北岸に回ってみました。

 

 

こちらは、さほど変わりは見られません。

 

 

コブハクチョウが、水田に入り込むのを防ぐためのネットが張られたことぐらいでしょうか。


路線バス乗り継ぎの旅z 第四弾 岐阜城~鳥取砂丘

2020-07-01 17:41:41 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

ロケ 2017. 11. 15 ~ 11. 18     放送 2017. 12. 16  BS テレ東での 2020. 6. 29 再放送を観て。

 

     第一日

岐阜県公園歴史博物館を 8 : 50 に出発。(この時点では”麒麟が来る”岐阜大河ドラマ館はオープンしていない)

岐阜駅に出て、関ヶ原間間交差点から歩いて滋賀県に入り、柏原~近江長岡と東海道本線に沿って進み、長浜駅からは琵琶湖を北上。木之本バスターミナル着 18 : 01。「草野旅館」泊。

 

     第二日

木之本バスターミナル発 8 : 02 。

若狭湾に臨むJR小浜駅に 11 : 50 着 という快挙(絶妙な乗り継ぎ)をとげる。

(タビリスの鎌倉淳氏の分析によると、ここから舞鶴までのバスがつながらない 20 km を歩いていたらゴールできたそうだが)一行は、羽田さんの主張に従い近江今津駅に戻り、京都コースをとることにした。

結局この日、11. 7 km 歩き、湖西線安曇川駅から朽木学校前 に18 : 06 着。民宿「安曇川荘」宿泊。

朽木(くつき)は、鯖街道が村を縦断するものの、平成 17 年までは県下唯一の村であった(現在は高島市)。面積 165. 77 ㎢ 人口 2489 人 人口密度 15 人。 

 

     第三日

朽木支所前 8 :35 発の高島市営バスに 17 分乗って梅の木というところまできて、あとは、三千院のある京都大原までの 7 km を歩かねばならなかった。大原着 12 : 29 。

ここからは、観光客に交じって京都駅前~亀岡市~南丹市と来た。南丹市の「園部」から福知山市行が出ている。しかし、一行が 15 : 13 園部駅に着いた時、福知山行は終わり、途中の桧山行しかなかった。

園部で宿泊するか、宿があるかどうか不安だが桧山まで足を伸ばすか、ここで、三人の意見は分かれた。

「桧山に宿がない場合の引き返す便がある以上園部に留まるという論理は弱い」との羽田さんの主張が通って、というか、羽田さんがさっさとバスに乗り込んだので田中さん、マドンナ村井美樹さんも従った。

 

     第四日

幸い桧山で宿泊でき、7 : 09 の始発に乗り、福知山には 8 : 09 に、そして、9 : 08 山陰本線上夜久野駅に到着した。

あとは、和田駅、八鹿駅とつなげば、そこから、夢千代日記の湯村温泉に進み、そこからは、いっきに鳥取砂丘に出られる。成功は目前だった。

 

しかし、一日に数本しかないバスを捕まえるのは至難の業。玉置というバス停付近で八鹿行のバスを逃がしてしまった。

結局、この日は11 km 歩き、やっとバスをとらえて湯村温泉に到着したのは 16 : 25 。鳥取砂丘行最終バスは 15 : 05 だった。この旅はここまで。旅は不成功に終わった。

 

マドンナ村井美樹さんは悔し涙を流し、その強い達成意欲を見せつけたが、後年、テレ東「バス VS. 鉄道対決旅」が企画され、鉄道チームのキャプテンとなり鬼軍曹として活躍することになる。(時刻など、タビリス鎌倉淳氏のレポートから引用させていただきました)