日々の記憶
建築家 筒井紀博のブログ
KIHAKU's blog



連休中、写真家の木田さんのオススメもあり、新潟にあるワイナリー「カーブドッチ」を訪れました。

新潟にワイナリー?
恥ずかしながらワイン事情に疎いので、新潟にワインのイメージがありませんでした。
しかし訪れてみると、来場者の多さにびっくり。

カーブドッチが誕生したのは1992年。
ブドウから自家栽培、自家醸造している純国産のワインを作っています。
今では年間30万人の訪れる人気ワイナリーとなっており、ワイン好きで知らない人はいない存在となっているそうです。
同時にカーブドッチ周辺にも少しずつワイナリーが増えはじめており、いまや新潟が一大ワイン産地になりつつあります。

ワインを楽しめる空間、というコンセプトの元つくられたカーブドッチでは、ワイナリーの他、レストランやカフェ、スパやホテルまで併設され、敷地全体が独特の雰囲気を醸し出していますね。

ワインの味は、一口目ではあまり何も感じなかったのですが、飲むにつれ癖になるというか・・・味わい深いワインでした。

大量生産ではなく個性豊かなワインを作る考え・・・建築に対する考えと同じなんですよね。
いろんな意味で共感することのできるワイナリーでした。

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休日、象のはな子に会うべく、井の頭自然文化園へ。
今月頭、はな子が65歳になったニュースを見て以来ずっと気になっており、ようやく念願かないました。

はな子は戦後初めて日本にやってきた象。1949年の事です。
65歳となった今年、国内飼育最高齢記録の象にもなりました。

実は、はな子とは約30年ぶりの再会。
小学生の頃に何度か井の頭自然文化園に訪れており、当時のはな子は堀の向こうで鎖に繋がれていたような・・・。
子供心ながらに少しかわいそうに思えた記憶があります。
(以来、動物園はあまり好きではなく・・・)

しかし今では鎖もなく、のんびりと。
思わず駆け寄るとはな子も近づいてきてくれて、堀の対岸まで。
その距離は3メートルほどに。
年甲斐も無く「はな子~!」などと呼んでみて、赤面するシーンもありつつ(笑)

30年の時を経て、はな子の目はより優しくなっていた気がします。
いつまでも元気でいてほしいですね。

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月曜日の祭日に急遽思い立ち、愛車ジュリアスーパーと共に鎌倉へ。

1970年式の車がゆえに錆が怖く、普段はあまり海辺をドライブしないのですが、今回は特別に(笑)

相模湾に夕陽が沈む姿が美しく、ひたすら海岸線を走り、逗子・葉山を抜け三崎の方まで。

40年以上も前に製造されたクルマですが、現代のクルマでは味わえないドライビングプレジャーがあります。
人馬一体ならぬ人車一体の感覚。

遮熱性能皆無のウィンドウは透明度が高く、車外の光景を鮮明に伝えてくれます。
カーオーディオも無いがゆえに、同乗する家族との会話も多く、波の音も聞こえます。
(エンジン音がうるさいという噂もありますが)
路面の凹凸がステアリング越しに伝わり、気密性の低い車内には潮の香りも。

五感を刺激するクルマ。

人それぞれ価値観はあると思いますが、移動の手段としての車の価値とは異なる・・・小さな幸せを感じさせてくれるこのクルマとは今後も長い付き合いをしていきたいですね。

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東日本大震災から7ヶ月。
被災地でボランティア活動をしている方からの要望があり、有志2名の計3名(設計士2名、設備技師1名)で石巻、女川へ。

当初は石巻市内の津波で半壊住宅となってしまったものを、どうにか住めるようにアドバイスできないか?とのことで、その調査兼相談で行きました。
訪れた当日、ちょうど現地の方々とボランティアの方々が東北名物の芋煮会をやっているというので、恐縮しながらも参加。

その後、実際に1階を津波でやられてしまった住宅を2軒ほど調査。
同時にさまざまなお話も伺う事ができました。
世界各国からは今もボランティアが多く、住宅の改修工事も彼らが中心となって進んでいるようです。
ただ、どうしても行政の動きが鈍く、すべてが後手後手に。
さらには自らの手で住宅を改修しようとしている方達へも今後の都市計画でどうなるかわからないから修復するのは待ってるように・・・といったことが。
直接的な言葉ではないにしても、遠回しにそのような動きがあり、被災者の方々もなかなか踏ん切りが付かない様子。
我々が見たところ、ボランティアの方々の頑張りもあって、多少のお金で住める家にすることはできそうなのですが・・・。

その後は実際に仮設住宅で住んでる方のお宅を訪問。
報道でよく見る断熱工事前の仮設住宅でした。
鉄骨の柱などが室内にむき出しで、外壁も薄く、シングルサッシ。
東北で暮らすには寒いですが、この断熱工事は現在急ピッチで進められており、町中でもチラホラ見かけることができました。

陽が落ちかけたところでボランティアの方から、被害のひどかった女川を案内してもらうことに。
石巻から車で30分ほど。
町には灯りは無く、闇。
車のライトだけがまばらに点在し、そのライトに映し出される光景は現実のものとは思えないものでした。

翌日もまずは女川を訪れ、20mを超える津波があった町を視察。
建物が玩具の家のように横倒しになり、町全体の地盤が下がったのか、漁港付近は海水が堤防をこえてる箇所も多かったです。


住宅街であったであろう場所には基礎だけが残り、各区画の中には花があったり仏像が置いてあったり。
中には子供の遊び道具が綺麗に並べてあったり・・・いかに多くの方がこの地で亡くなったのか、まざまざと思い知らされました。




その後は以前勤めていた事務所で設計監理したサンファン館へ。

ここも海岸沿いに建つ展示棟は壊滅状態です。
ただ、幸いなことにここで亡くなった方はいないとのこと。

社会人になったばかりの頃、サンファン館の現場でわけもわからず先輩の手伝いをし、その後も取材があるとよく訪れていた建築。
その当時の華やかな雰囲気は今は無く。
自分が設計に携わった建築のここまで変わり果てた姿を見たのは初めての経験です。


今回の視察、報道されていない現実をまざまざと見せられ、多くの方からのお話を伺い、様々な情報を得ることができました。

では次に何をするか?

帰りの道中、同行した仲間とも多くの議論を交わしましたが、まだ結論は出ていません。
ただ、今やるべき事、自分たちの職能を活かした支援活動、これらを中心に考え、早急に今後の動きをまとめ、次につなげて行こうと思います。

今後の動きはまたこのブログにて報告させていただきます。

また、今回の我々の動きに対して支援して下さった方々へ厚く御礼を申し上げます。


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ふと自然と触れ合いたくなり高尾山へ。

1時間足らずで気軽に足を運べる高尾山。
幼少の頃からよく訪れた場所です。

とは言っても、中には意外とハードなトレッキングコースもあり、普段、身体が怠けてしまっている者にとってはなかなか大変。

今回はあまり時間も無かったので、30分ほどの2号路をチョイス。
最近では現場以外でほとんど土すら踏まなくなった都会人にとっては、山道はとても新鮮です。

見上げれば新緑の葉を通して澄んだ空が見え・・・。

人工的な建造物では決して味わえないこの感覚。
ただ、より自然を際立たせる空間を創ることは可能です。

建築と自然の融合。

より多く自然と接することによって、その有り難みを理解し、建築にも反映する。
自然を尊重し、共存を目指す。。。

そこに以前から考えている「必然性をもって生まれる空間」の解のひとつがあるのだと思います。

(写真は蛸杉)

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