旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

大雪です

2014-12-23 17:19:42 | 日記
 先週のゲリラ低気圧の時は、風は強かったのですが、雪はさほど降りませんでしたが、今週は月曜日から雪が休むことなく降っています。
 12月の大雪。ホワイトクリスマスなんて暢気なことは言っていられません。雪かき、雪かき。

普通列車で往復する東京の旅2~野辺地駅から盛岡駅まで

2014-12-23 16:43:28 | 普通列車の旅
 7月28日。野辺地駅を6時20分に出発して、上野駅に19時10分に到着予定の12時間50分、691㎞の普通列車の旅の始まりです。
 6時20分、701系1000番台2両編成の八戸行き普通列車。


八戸には7時8分到着のいつも下田まで通勤に使っている電車で出発。
 出発時は、昨日の雨がうそのような青空の見える良い天気でしたが、乙供が近づくにつれ、一面真っ黒な雲に覆われ今にも雨が降りそうです。
 三沢からは夏休みというのに、部活や講習に行く高校生でいつものような混み具合です。
 この三沢駅、2008年の一日平均乗降客が1462人と野辺地・八戸間では、八戸に次ぐ多い駅ですが、駅の歴史から見ると、明治24年9月1日、東北本線が開通した当時はまだありませんでした。開通当時からある駅は、八戸(当時、尻内)、上北町(当時、沼崎)、野辺地、小湊、浅虫温泉(当時、浅虫)青森。次に出来た駅が下田。開通した年の12月20日に出来ています。下田は、歴史のある地域だということがうかがわれます。
 さて、いつもは降りる下田からも多くの高校生を乗せ10分ほどで八戸に着きますが、下田、陸奥市川からの乗客で車内は立錐の余地もないほど。
 八戸で次の青い森鉄道への乗り継ぎ時間は5分。以前、愚息が同じように東京に行ったときは、高校生に気後れし、まごついて乗り遅れたことがあるのでちょっと大丈夫かなと、心配になりました。
八戸は3番線に7時8分の到着。橋を渡って1番線へ行かなければなりません。
 高校生の動きも2通り、同じホームの隣に止まっている八戸線に乗り換える子と下車する子。


 下車する子がすさまじい動きをする。特に、バスに乗り換える子がかき分けるように進む。こちらも負けてはならぬと、進む…。
 しかし、その先にはエスカレーターが。そのスピードに任せるしかない。
さすがに、青い森鉄道に乗り換えたのは私一人。いや、もう一人。リュックを背負った青年?(年齢不詳)1名が私の後についてきました。
 八戸からは、7時13分発青い森鉄道・いわて銀河鉄道盛岡行き普通列車。いわて銀河鉄道の登記上及び鉄道事業許可上の社名は「アイジーアールいわて銀河鉄道株式会社」。これはすでに「いわて銀河鉄道」が商標登録されていたたため、「アイジーアール」を付け加えたとのこと。先頭の「アイジーアール」は「IGR」と略して記述しています。ただ一般的には「IGR」を略しても通用しているのが現状です。
 今日乗る車両は、いわて銀河鉄道の車両、7000系2両編成。ワンマン運転。


 車内に入って、ビックリ。ロングシートの電車と思いきや、片側はロングシートで、反対側がボックスシート。


 私が乗った車両には高校生5人、通勤客3人、そしてリュックを背負った青年。
 これだけ?という感じ。おかげで、進行方向に向かって右側のボックス一つを独り占めにして出発。
 出発してまもなく「この列車は、青い森鉄道・いわて銀河鉄道…」と、ワンマン運転の特徴である、顔の見えないお姉さんのきれいな声での、停車する主な駅とワンマンの降り方の案内の声。
 ここまではおきまりで良かったが、続いて聞こえてきた声は、なんと男の声。
 主な駅の到着時刻を案内し始めました。え!、バスみたいに運転士さんが放送するの?JRのワンマン運転では聞いたことがないぞ。
 実はこの列車、ワンマン運転なのだが、車掌さんが乗っていたのです。そして、案内放送の後、乗車券を拝見と車内を回ってきました。
 でもワンマン運転なのです。駅員のいない駅では、入口は一つだけ、降りるときも運賃箱にお金や切符を入れないといけないのです。
 乗客は、各駅で高校生を中心に乗ってきました。どういう訳か、南部工業高校の男子が多かったような気がします
 その乗客も三戸でほとんどが降りてしまいました。
ふと、ホームの駅名票を見たら、なんとJR東日本のコーポレーションカラー緑のものをそのまま使っているではありませんか。新緑をイメージした緑なんですが、色がさめていました。八戸のものと比べるとよく分かりますね。


 やはり第三セクターになると、経営が厳しいのですかね。
 八戸・青森間もあと一年ちょっとで、青い森鉄道になるのですが…。
 そういえば、このいわて銀河鉄道も鉄道事業だけでは厳しいのでしょうね、車両の広告に、「いわて銀河鉄道不動産部」という部署のものがありました。


 三戸を出て、馬淵川を左右に見ながら三つの鉄橋と二つのトンネルを過ぎると、目時に着きました。時刻は7時39分。


 駅名票の色は青ですが、青い森鉄道の青ではなく、いわて銀河鉄道の青が使われていました。 
ここまでが青い森鉄道で、次の金田一温泉からいわて銀河鉄道になります。
 つまり、ここまでが青森県。出発して1時間19分で青森県を後にすることになりました。
 上野駅まであと、11時間31分。 
 金田一温泉からは岩手県!いわて銀河鉄道に会社が代わりました。一般的には、会社が代われば乗務員も交代するのですが、代わらないようです。
 ここから乗ってきたのは、高校生。男子はほとんど見えません。女子高校生の制服から2つの高校のようです。高校生の他には、中年以上と思われるご婦人方が多く、私の隣にもご婦人が座りました。
 金田一温泉を出発すると、女性の声で「この電車には、アテンダントが乗車しております…」との車内アナウンス。
そういえば、以前新聞に載っていたことを思い出しました。
高齢化社会を迎え、盛岡市内の総合病院を受診する高齢者が今後増加することが見込まれるので、「通院」を通勤・通学に並ぶ輸送の柱として位置づけて、列車に乗りなれていない人や、体調に不安を感じる人が安心して利用してもらえるようにアテンダントが乗務すると。
 アナウンスを聞いていると、2両目の車両の全座席を通院者の優先席とするので、ご協力をお願いしますとのことでした。
 アナウンスの後、車内を回って通院のお客様はいませんかと、声をかけているアテンダントを見て、体調に不安を感じる人が安心して利用してもらうためのアテンダントにふさわしい方だなと、納得しました。
 光の加減か、黒に見えるネクタイとスカートの高校生は二戸で降り、リボンとチェックのスカートの高校生は一戸で降りました。
 どちらの女子高生にも共通していたのは、スカートの丈が膝上で、極端に短い子がいないということでした。
 高校生に代わって乗ってきたのが、通院や買い物で盛岡まで行くと思われる人たち。それでも、座席にはまだ余裕がありましたが、小鳥谷から2人のご婦人があいていた私の前の座席に座りました。
 「夏休みというのに大変ね。」「椅子が堅くていやなの。」「来年まででいいんでしょ。」「年も年だから、来年どうなっているか分からないから。」「あと10年もないのに。」等々。
 こんな会話から、教員免許更新講習のために盛岡の大学に行く、学校の先生方だと思われました。
 この後も、聞き耳を立てていたわけではないのですが、あと10年もない方々の声ですので、自然と聞こえてくるのでした。
 「やっぱり、帰るんだって。青森に。」「30日も31日も都合つかない人もいるって。」「だから、まだ決まっていないんだって。」
 どうも、青森県出身の講師が退職して帰るので、送別会をどうするかという話のようです。
 その間に電車は十三本木峠を越えて奥中山高原に到着。天気は今にも雨が降りそうです。
 ここから一気に下って、盛岡を目指します。
 途中、好摩・渋民・滝沢と乗客が増え、結構な混み具合。厨川・青山でさらに増え、八戸と同様に盛岡での乗り換えが心配になってきました。6分しかないのです。
 盛岡には定刻の9時に0番線に到着し、すべてのドアから乗客が「はき出された」の表現がふさわしいほど、ホームには人がたくさん。出口の改札口が2つなので人が流れない。
 やっとの思いで改札口を出たら、今度は階段を上って駅ビル2階へ、そして北改札口から入って5番線へ。それ急げ!

 つづく

普通列車で往復する東京の旅1~旅のきっかけ

2014-12-23 16:35:49 | 普通列車の旅
 平成21年7月29日(水)から31日(金)まで、東京で開かれる研修会に自費で参加する事になったのですが、ちょうどその頃は毎日電車通勤をしているため、自然と駅のポスターやパンフレットに目が向きます。その中で7月20日から9月30日までの期間限定で利用できる「北海道&東日本パス(普通列車限定)」というものが発売されていることを知りました。
 そしてもう一つ。JR北海道は、各支社で特色あるツアーを企画しているのですが、次の新聞記事を目にしたことも、今回の旅の引き金になりました。


 そこで、公務出張ではないので、28日は1日移動日に使っても良いし、帰りは週末なのでこれまた自由になることから、「北海道&東日本パス(普通列車限定)」を使って東京往復をすることにしました。

 稚拙な文章に加え、旅の記録をまとめるつもりで出かけたわけでもなかったので、写真も少なく、おもしろみのないものですが、
 これが、普通列車を乗り継ぐ旅を始めるきっかけ、旅の記録をまとめるきっかけになった、題して「普通列車で往復する東京の旅」の始まりです。