函館からの列車は、10時44分発森行普通列車。ボックスシートのディーゼルカー。さすが北海道。扇風機が付いていました。スイッチの付け方を見ると、後付けのようです。
函館と森の間にはいくつかのルートがあって、函館本線の列車は、その種類や上り下りの違いによって通るルートが違います。
今回の下り普通列車は、特急列車とは一部異なるルートを通ります。
時刻表の地図を見ないと気がつかないところです。
函館から洞爺方面に向かう特急列車は、渡島大野と仁山をを通らない下り専用の通称「藤城」線を通ります。普通列車には、特急列車と同じ藤城線を通るものと、私が乗った列車のように、渡島大野、仁山を通るものがあります。
七飯から仁山にかけては、函館山を遠望できる絶景ポイントと言われています。
仁山を過ぎて、峠下トンネルを抜けると、目の前に小沼が広がり、遠くに駒ヶ岳が見えました。
駒ヶ岳は見る場所によってその姿を変えると、特急列車の放送やバスガイドさんが案内しています。
列車の旅の楽しみは、車窓の景色を楽しむほかに、食べる楽しみ(飲む楽しみも)があります。
今回は、お昼に森駅に着くので、森といったら「いかめし」を食べようと思っていたのですが、万が一の売り切れに備えて、函館駅で駅弁を調達しておきました。
一つは「鰊みがき弁当」。青函連絡船の頃からある、函館の名部いつ駅弁の一つ。
ご飯の上に、鰊の甘露煮、味付け数の子、磯わかめがのって、大根味噌漬けがついたもの。
最近、磯わかめの占める割合が多くなってきました。以前は、磯わかめは数の子の下に隠れていたのでしたが。
連れ合いの弁当は、正統派の駅弁ではないのですが、函館駅のキヨスクで売っている弁当です。
毎日10時30分から、10食だけ販売する、湯ノ川にある「竹葉 新葉亭」の「懐石弁当」です。
献立表によると口取として、鰻巻玉子、紅鮭京風漬、牛八幡巻、海老芝煮、丸十レモン煮、アスパラベーコン巻、京蕗味噌漬、野沢菜ちりめん、岩のりくらげ、烏賊しゅうまい(辛子醤油)、蟹東寺揚げ、椎茸。
煮物が、メークイン酪農揚げ、筍の土佐煮、南瓜旨煮、鰊旨煮、ささぎ・パプリカ、甘鯛真丈風味。
ご飯は二色ご飯。帆立ご飯に煎玉子のせたものと、枝豆ご飯に小梅をのせたものでした。
車窓を楽しんで、弁当を楽しんでいるうちに森駅が近づいてきました。
森駅のホームに列車が入るときに、海の中に立つ碑が目に入ってきます。森駅にはほとんどの特急が停まるので、かなりスピードが落ちているのですが、どのくらいの人が気がついているでしょうか。
碑の名前は「明治天皇御上陸記念碑」。
明治14年、明治天皇が北海道御巡幸の時、室蘭から海を渡り、当時あった森・室蘭間の定期航路の桟橋に上陸したそうです。今は、橋脚のなごりとその先に記念碑があるだけです。
さあ、森駅に着きました。
ホームには、夏に運転される「SL函館大沼号」が発車するときだけ鳴らされる鐘がありました。
森駅で目指すのは阿部商店の「いかめし」。キヨスクで「いかめし」を買おうとしましたが、売り切れ。駅前の柴田商店でも売っているとのことでしたが、ここも売り切れ。残念。5連休の昼時なのに…
さて、次に乗る列車は、森発13時24分発長万部行き普通列車。1時間18分の待ち合わせ。
森の駅前からも、駒ヶ岳が見えましたが、これといった休む所もなく、再び駅に戻って気がついた、駅ナカピザ屋さん。
なんと、森駅の中にはそば屋ではなく、「10.4」がありました。
焼きたてを食べられるということで、「いかめし」の代わりに「生ハムビザ」をお持ち帰りすることに。お持ち帰りといっても、ホームに停まっている列車までですが…
今度乗る列車は、函館から乗ってきた2両のうち、1両は函館に戻り、もう1両が長万部行きになるというものです。
森までの車窓のメイン駒ヶ岳が後方の去り、ここから先は噴火湾に沿って走ります。
正しくは内浦湾なのですが、江戸時代後期にイギリス人船長が湾の両側に見える、駒ヶ岳と有珠山が噴煙を上げるのを見て、「volcano bay」と名づけたそうです。
北海道といえば、なかなか読めない読めない「難読地名」が多いと言われているのですが、駅名の由来と生い立ちが複雑な所もあります。
石谷駅は、地名は本茅部なのですが、隣接する石倉・蝦谷の合成した駅名。
石倉駅は、明治初期に南部藩の石倉三左衛門らが入植した功績にちなんだ地名の駅名。
落部駅は、アイヌ語の「オ・テシ・ウン・ペッ(川尻に鮭の梁を仕掛けた川)」(落部川)が由来の駅名。
山越駅は、元は山越内駅。アイヌ語の「ヤム・クシュ・ナイ(栗を拾うため渡る沢)」が由来の地名の駅名。
近くには松前藩が作った日本最北の山越内関所がありました。幕府はここを蝦夷地との境界にし、南を和人、北をアイヌの住む所と決めたそうです。
八雲が近づいてくると、平野とまではいわないけれど、ようやく北海道らしさを感じさせる風景が広がります。
八雲は、元々は「ユー・ラップ(温泉が流れ下る)」。という地名で、今でも遊楽部川、遊楽部岳にその名が残っています。
八雲に変わったのは、明治維新後に、尾張徳川藩士が開墾のため入植し、旧藩主の徳川慶勝が古事記の「八雲立つ出雲八重垣つまこめに八重垣つくるその八重垣を」(国を作って宮殿に何重もの垣を作ったという歌?)にちなんで、八雲と命名したことによるそうです。
このように、駅名にもいろいろあります。
なお、この徳川さん。後にヨーロッパに行った際、木彫りの熊をお土産に持ち帰って、八雲に住むアイヌの生活のために作らせたのが、北海道の木彫り熊の始まりと言われています。
地理的には、この八雲町は唯一、太平洋と日本海に面した町です。
長万部の一つ手前の中ノ沢駅。車掌車だった物を、車輪をとって待合室にしたもので、手足をとられたことから、だるま駅とも言います。
ここは、元々は紋別川(「モ・ペッ(小さな川)」の南側にあったので、地名も駅名も「紋別」でしたが、北海道内には紋別の地名が複数あることから、駅が紋別川とワルイ(和類)川の中間にあるので、中ノ沢駅と変えました。その後、地名まで中ノ沢に変えたそうです。
なお、紋別という名の駅、旧名寄線の紋別駅、室蘭線の伊達紋別駅は、中ノ沢駅よりも歴史の浅い駅です。
14時41分。長万部に到着しました。
つづく
函館と森の間にはいくつかのルートがあって、函館本線の列車は、その種類や上り下りの違いによって通るルートが違います。
今回の下り普通列車は、特急列車とは一部異なるルートを通ります。
時刻表の地図を見ないと気がつかないところです。
函館から洞爺方面に向かう特急列車は、渡島大野と仁山をを通らない下り専用の通称「藤城」線を通ります。普通列車には、特急列車と同じ藤城線を通るものと、私が乗った列車のように、渡島大野、仁山を通るものがあります。
七飯から仁山にかけては、函館山を遠望できる絶景ポイントと言われています。
仁山を過ぎて、峠下トンネルを抜けると、目の前に小沼が広がり、遠くに駒ヶ岳が見えました。
駒ヶ岳は見る場所によってその姿を変えると、特急列車の放送やバスガイドさんが案内しています。
列車の旅の楽しみは、車窓の景色を楽しむほかに、食べる楽しみ(飲む楽しみも)があります。
今回は、お昼に森駅に着くので、森といったら「いかめし」を食べようと思っていたのですが、万が一の売り切れに備えて、函館駅で駅弁を調達しておきました。
一つは「鰊みがき弁当」。青函連絡船の頃からある、函館の名部いつ駅弁の一つ。
ご飯の上に、鰊の甘露煮、味付け数の子、磯わかめがのって、大根味噌漬けがついたもの。
最近、磯わかめの占める割合が多くなってきました。以前は、磯わかめは数の子の下に隠れていたのでしたが。
連れ合いの弁当は、正統派の駅弁ではないのですが、函館駅のキヨスクで売っている弁当です。
毎日10時30分から、10食だけ販売する、湯ノ川にある「竹葉 新葉亭」の「懐石弁当」です。
献立表によると口取として、鰻巻玉子、紅鮭京風漬、牛八幡巻、海老芝煮、丸十レモン煮、アスパラベーコン巻、京蕗味噌漬、野沢菜ちりめん、岩のりくらげ、烏賊しゅうまい(辛子醤油)、蟹東寺揚げ、椎茸。
煮物が、メークイン酪農揚げ、筍の土佐煮、南瓜旨煮、鰊旨煮、ささぎ・パプリカ、甘鯛真丈風味。
ご飯は二色ご飯。帆立ご飯に煎玉子のせたものと、枝豆ご飯に小梅をのせたものでした。
車窓を楽しんで、弁当を楽しんでいるうちに森駅が近づいてきました。
森駅のホームに列車が入るときに、海の中に立つ碑が目に入ってきます。森駅にはほとんどの特急が停まるので、かなりスピードが落ちているのですが、どのくらいの人が気がついているでしょうか。
碑の名前は「明治天皇御上陸記念碑」。
明治14年、明治天皇が北海道御巡幸の時、室蘭から海を渡り、当時あった森・室蘭間の定期航路の桟橋に上陸したそうです。今は、橋脚のなごりとその先に記念碑があるだけです。
さあ、森駅に着きました。
ホームには、夏に運転される「SL函館大沼号」が発車するときだけ鳴らされる鐘がありました。
森駅で目指すのは阿部商店の「いかめし」。キヨスクで「いかめし」を買おうとしましたが、売り切れ。駅前の柴田商店でも売っているとのことでしたが、ここも売り切れ。残念。5連休の昼時なのに…
さて、次に乗る列車は、森発13時24分発長万部行き普通列車。1時間18分の待ち合わせ。
森の駅前からも、駒ヶ岳が見えましたが、これといった休む所もなく、再び駅に戻って気がついた、駅ナカピザ屋さん。
なんと、森駅の中にはそば屋ではなく、「10.4」がありました。
焼きたてを食べられるということで、「いかめし」の代わりに「生ハムビザ」をお持ち帰りすることに。お持ち帰りといっても、ホームに停まっている列車までですが…
今度乗る列車は、函館から乗ってきた2両のうち、1両は函館に戻り、もう1両が長万部行きになるというものです。
森までの車窓のメイン駒ヶ岳が後方の去り、ここから先は噴火湾に沿って走ります。
正しくは内浦湾なのですが、江戸時代後期にイギリス人船長が湾の両側に見える、駒ヶ岳と有珠山が噴煙を上げるのを見て、「volcano bay」と名づけたそうです。
北海道といえば、なかなか読めない読めない「難読地名」が多いと言われているのですが、駅名の由来と生い立ちが複雑な所もあります。
石谷駅は、地名は本茅部なのですが、隣接する石倉・蝦谷の合成した駅名。
石倉駅は、明治初期に南部藩の石倉三左衛門らが入植した功績にちなんだ地名の駅名。
落部駅は、アイヌ語の「オ・テシ・ウン・ペッ(川尻に鮭の梁を仕掛けた川)」(落部川)が由来の駅名。
山越駅は、元は山越内駅。アイヌ語の「ヤム・クシュ・ナイ(栗を拾うため渡る沢)」が由来の地名の駅名。
近くには松前藩が作った日本最北の山越内関所がありました。幕府はここを蝦夷地との境界にし、南を和人、北をアイヌの住む所と決めたそうです。
八雲が近づいてくると、平野とまではいわないけれど、ようやく北海道らしさを感じさせる風景が広がります。
八雲は、元々は「ユー・ラップ(温泉が流れ下る)」。という地名で、今でも遊楽部川、遊楽部岳にその名が残っています。
八雲に変わったのは、明治維新後に、尾張徳川藩士が開墾のため入植し、旧藩主の徳川慶勝が古事記の「八雲立つ出雲八重垣つまこめに八重垣つくるその八重垣を」(国を作って宮殿に何重もの垣を作ったという歌?)にちなんで、八雲と命名したことによるそうです。
このように、駅名にもいろいろあります。
なお、この徳川さん。後にヨーロッパに行った際、木彫りの熊をお土産に持ち帰って、八雲に住むアイヌの生活のために作らせたのが、北海道の木彫り熊の始まりと言われています。
地理的には、この八雲町は唯一、太平洋と日本海に面した町です。
長万部の一つ手前の中ノ沢駅。車掌車だった物を、車輪をとって待合室にしたもので、手足をとられたことから、だるま駅とも言います。
ここは、元々は紋別川(「モ・ペッ(小さな川)」の南側にあったので、地名も駅名も「紋別」でしたが、北海道内には紋別の地名が複数あることから、駅が紋別川とワルイ(和類)川の中間にあるので、中ノ沢駅と変えました。その後、地名まで中ノ沢に変えたそうです。
なお、紋別という名の駅、旧名寄線の紋別駅、室蘭線の伊達紋別駅は、中ノ沢駅よりも歴史の浅い駅です。
14時41分。長万部に到着しました。
つづく