旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅3~一路 洞爺湖へ Ⅱ

2014-12-29 05:18:05 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 函館からの列車は、10時44分発森行普通列車。ボックスシートのディーゼルカー。さすが北海道。扇風機が付いていました。スイッチの付け方を見ると、後付けのようです。



 函館と森の間にはいくつかのルートがあって、函館本線の列車は、その種類や上り下りの違いによって通るルートが違います。
 今回の下り普通列車は、特急列車とは一部異なるルートを通ります。
 時刻表の地図を見ないと気がつかないところです。


函館から洞爺方面に向かう特急列車は、渡島大野と仁山をを通らない下り専用の通称「藤城」線を通ります。普通列車には、特急列車と同じ藤城線を通るものと、私が乗った列車のように、渡島大野、仁山を通るものがあります。
 七飯から仁山にかけては、函館山を遠望できる絶景ポイントと言われています。


 仁山を過ぎて、峠下トンネルを抜けると、目の前に小沼が広がり、遠くに駒ヶ岳が見えました。
 駒ヶ岳は見る場所によってその姿を変えると、特急列車の放送やバスガイドさんが案内しています。




 列車の旅の楽しみは、車窓の景色を楽しむほかに、食べる楽しみ(飲む楽しみも)があります。
 今回は、お昼に森駅に着くので、森といったら「いかめし」を食べようと思っていたのですが、万が一の売り切れに備えて、函館駅で駅弁を調達しておきました。
 一つは「鰊みがき弁当」。青函連絡船の頃からある、函館の名部いつ駅弁の一つ。
ご飯の上に、鰊の甘露煮、味付け数の子、磯わかめがのって、大根味噌漬けがついたもの。
 最近、磯わかめの占める割合が多くなってきました。以前は、磯わかめは数の子の下に隠れていたのでしたが。



連れ合いの弁当は、正統派の駅弁ではないのですが、函館駅のキヨスクで売っている弁当です。
 毎日10時30分から、10食だけ販売する、湯ノ川にある「竹葉 新葉亭」の「懐石弁当」です。
 献立表によると口取として、鰻巻玉子、紅鮭京風漬、牛八幡巻、海老芝煮、丸十レモン煮、アスパラベーコン巻、京蕗味噌漬、野沢菜ちりめん、岩のりくらげ、烏賊しゅうまい(辛子醤油)、蟹東寺揚げ、椎茸。
 煮物が、メークイン酪農揚げ、筍の土佐煮、南瓜旨煮、鰊旨煮、ささぎ・パプリカ、甘鯛真丈風味。
ご飯は二色ご飯。帆立ご飯に煎玉子のせたものと、枝豆ご飯に小梅をのせたものでした。



車窓を楽しんで、弁当を楽しんでいるうちに森駅が近づいてきました。
森駅のホームに列車が入るときに、海の中に立つ碑が目に入ってきます。森駅にはほとんどの特急が停まるので、かなりスピードが落ちているのですが、どのくらいの人が気がついているでしょうか。
碑の名前は「明治天皇御上陸記念碑」。
明治14年、明治天皇が北海道御巡幸の時、室蘭から海を渡り、当時あった森・室蘭間の定期航路の桟橋に上陸したそうです。今は、橋脚のなごりとその先に記念碑があるだけです。


さあ、森駅に着きました。
 ホームには、夏に運転される「SL函館大沼号」が発車するときだけ鳴らされる鐘がありました。


 森駅で目指すのは阿部商店の「いかめし」。キヨスクで「いかめし」を買おうとしましたが、売り切れ。駅前の柴田商店でも売っているとのことでしたが、ここも売り切れ。残念。5連休の昼時なのに…


さて、次に乗る列車は、森発13時24分発長万部行き普通列車。1時間18分の待ち合わせ。
 森の駅前からも、駒ヶ岳が見えましたが、これといった休む所もなく、再び駅に戻って気がついた、駅ナカピザ屋さん。
 なんと、森駅の中にはそば屋ではなく、「10.4」がありました。
 焼きたてを食べられるということで、「いかめし」の代わりに「生ハムビザ」をお持ち帰りすることに。お持ち帰りといっても、ホームに停まっている列車までですが…




 今度乗る列車は、函館から乗ってきた2両のうち、1両は函館に戻り、もう1両が長万部行きになるというものです。


 森までの車窓のメイン駒ヶ岳が後方の去り、ここから先は噴火湾に沿って走ります。


 正しくは内浦湾なのですが、江戸時代後期にイギリス人船長が湾の両側に見える、駒ヶ岳と有珠山が噴煙を上げるのを見て、「volcano bay」と名づけたそうです。
 北海道といえば、なかなか読めない読めない「難読地名」が多いと言われているのですが、駅名の由来と生い立ちが複雑な所もあります。
 石谷駅は、地名は本茅部なのですが、隣接する石倉・蝦谷の合成した駅名。
 石倉駅は、明治初期に南部藩の石倉三左衛門らが入植した功績にちなんだ地名の駅名。


 落部駅は、アイヌ語の「オ・テシ・ウン・ペッ(川尻に鮭の梁を仕掛けた川)」(落部川)が由来の駅名。
 山越駅は、元は山越内駅。アイヌ語の「ヤム・クシュ・ナイ(栗を拾うため渡る沢)」が由来の地名の駅名。
 近くには松前藩が作った日本最北の山越内関所がありました。幕府はここを蝦夷地との境界にし、南を和人、北をアイヌの住む所と決めたそうです。


 八雲が近づいてくると、平野とまではいわないけれど、ようやく北海道らしさを感じさせる風景が広がります。


 八雲は、元々は「ユー・ラップ(温泉が流れ下る)」。という地名で、今でも遊楽部川、遊楽部岳にその名が残っています。
 八雲に変わったのは、明治維新後に、尾張徳川藩士が開墾のため入植し、旧藩主の徳川慶勝が古事記の「八雲立つ出雲八重垣つまこめに八重垣つくるその八重垣を」(国を作って宮殿に何重もの垣を作ったという歌?)にちなんで、八雲と命名したことによるそうです。
 このように、駅名にもいろいろあります。
 なお、この徳川さん。後にヨーロッパに行った際、木彫りの熊をお土産に持ち帰って、八雲に住むアイヌの生活のために作らせたのが、北海道の木彫り熊の始まりと言われています。
 地理的には、この八雲町は唯一、太平洋と日本海に面した町です。
 長万部の一つ手前の中ノ沢駅。車掌車だった物を、車輪をとって待合室にしたもので、手足をとられたことから、だるま駅とも言います。


 ここは、元々は紋別川(「モ・ペッ(小さな川)」の南側にあったので、地名も駅名も「紋別」でしたが、北海道内には紋別の地名が複数あることから、駅が紋別川とワルイ(和類)川の中間にあるので、中ノ沢駅と変えました。その後、地名まで中ノ沢に変えたそうです。
 なお、紋別という名の駅、旧名寄線の紋別駅、室蘭線の伊達紋別駅は、中ノ沢駅よりも歴史の浅い駅です。
 14時41分。長万部に到着しました。

 つづく

世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅2~一路 洞爺湖へ Ⅰ

2014-12-29 05:14:08 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 一路、洞爺湖へ。とは言っても、普通列車の旅。
 5連休の2日目、9月20日晴天に恵まれて出発。
 最初の電車は、野辺地発6時39分発青森行き普通電車。通勤でおなじみの701系ロングシート。
 乗った車両には約20名近い人たちが乗車。ほぼ全員が旅行といういでたち。
 狩場沢、清水川とそれぞれ1人ずつの乗車。
小湊の手前で、進行方向右側に広く開けるところがあります。国道4号でいえば「浜子」。
太平洋戦争が始まった当時、青函連絡船は北海道から本州へ石炭を運ぶ大事な航路でした。しかし、青森桟橋の岸壁が少ないため、昭和18年に桟橋不足を補うために、新たに小湊に岸壁を建設することにし、突貫工事が行われたそうです。しかし、昭和20年の終戦とともに、工事は中止となりました。
 ここ浜子は、完成したときに貨車の操車場となるところでした。
 また、私が高校生の頃までは、列車から小湊桟橋の可動橋を見ることが出来ました。
 なぜ、小湊港に桟橋を作ろうとしたのかと言えば、いろいろと理由があるようですが、その一つとして、東北本線が青森まで開通する2年前の明治22年、今の小湊駅と小湊港の間に線路が作られ、東北本線の青森県内の工事用資材は、すべて小湊港に陸揚げされ、この臨港線を使って運ばれて行ったそうです。
 小湊・西平内と、ここでも1人ずつの乗車。
浅虫温泉に近づくと見えてくるのが、「裸島」に「亀島」。確かに姿形はそうなのですが、「亀島」は正しくは「鴎島(別名ごめ島)」と言います。


 「裸島」は元々陸続きだったものが、浸食によって陸と切り離された島です。なお、駅の正面に見える島は「湯の島」。
休日といっても、この電車には普段は高校生や通勤客を多く見るのですが、今日は非常に少なく、これから旅行に出かける人が多く見られます。
 矢田前から1人、小柳から3人、東青森から4人。同じ車両に乗ってきました。
 同じ車両のほとんどの人は函館行きに乗るのかな?
 青森駅3番線に定刻通りに7時25分に到着。
 次の電車は7時30分発白鳥41号。6番線からの発車。跨線橋を渡り6番線へ。
 発車まで5分しかないので、2両しかない自由席には座れるとは思ってはいませんでしたが、予想以上の混み具合でデッキまで人・人・人。
隣の5番線に7時27分に着いた、碇ヶ関からの普通電車から降りた人は、どこから乗ればいいのか、右往左往。
 本来、混んでいても自由席特急券では指定席車両には入れないのですが、グリーン車を除いた指定席車のデッキだけでは収まらず、通路まで立っていいとの車内放送。それだけ混んでいました。
 結局、2分遅れて出発。
 快速を含む普通列車しか乗れない切符の旅なのになぜ特急?
 青森と函館の間には、普通列車が通っていないので、特例として蟹田と木古内の間だけ乗る人は特急券なしで自由席車に乗れ、青森から函館まで乗る人は自由席特急券だけ買えば乗れるのです。
 最初の停車駅蟹田でも、自由席車が止まる位置で待っていた人が、乗れる車両を探して、右往左往。3分遅れて発車。
 トンネル2つを通って、津軽今別に停車。
 北海道新幹線工事のため、すでに青函トンネルでは新幹線用のレールを敷いているため、左右にレールの山とロングレールの作業場所が見えました。
 普段はあまり人の乗る駅ではないのですが、数えた限りでは7人乗車。
 付近に人家の少ない駅ですが、冬期間は別として金木方面の人たちは函館に行くのに、駐車場や時間的なことの理由で結構この駅を利用しているという話を聞いたことがあります。
 4分遅れて発車。8時15分、津軽今別を出て7つのトンネルを過ぎて入るのが青函トンネル。青森から数えて10番目のトンネルです。
 竜飛海底駅を20分に通過。中央部が26分の通過。今は新幹線工事の基地になっている吉岡海底駅を30分に通過し、8時41分にトンネルを出ました。
知内にも津軽今別と同様に、新幹線用のレールが山積みされていました。
この駅は、海峡線が出来た当時は「新湯の里信号所」と言って、トンネルないで何かあったときのための、機関車をおいたところでしたが、今は朝夕2往復停まる駅で、建物は「道の駅しりうち」と一緒です。
 北海道新幹線が出来ると、止まる電車のない駅になるのですが…
 木古内を5分遅れて発車しました。
木古内を過ぎると、進行方向には海を挟んで函館山を見ることが出来ました。


 一見、海に浮かんだ島のように見える函館山は、元々噴火で出来た島で、長い年月を経て陸続きになったところです。こういう所を「陸けい島」と言うそうです。
 函館山は別名、牛がふせているようなに見えるので臥牛山。どこから見るとよく分かるのかな?
 五稜郭を5分遅れのままで発車し、函館駅8番線に9時30分の到着。


 函館では、1時間少々時間がありました。
函館港も開港150周年。ホームの自販機もラッピング。


北海道の自動販売機には北海道限定というものが結構あります。代表的なのは「ガラナ」ですが、キヨスク限定のお茶「うらら」もありました。


 次回からは写真も多くなります。

 つづく 

世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅1~旅のきっかけ

2014-12-29 05:07:17 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 平成21年8月下旬、次のような新聞記事を読みました。


 「ジオパーク」?早速インターネットで調べたら、日本ジオパーク委員会事務局の参考資料「ジオパークについて」という資料がありました。以下は、その抜粋です。
■ジオパークQ&A■
Q: ジオパークとは何ですか?
A: 地層、岩石、地形、火山、断層などの大地の遺産をふくむ公園です。ジオは地球を意味します。
   大地の遺産を保全しながら、研究・教育・普及に活用し、新たな地域資源として、大地の成り立ちとしくみを知る旅ジオツーリズムに生かし地域
振興を図ります。
Q: ユネスコとジオパークの関係を教えてください
A: ユネスコが支援する世界ジオパークネットワーク(GGN)が推進しています。GGN事務局はパリのユネスコ本部の中にありますが、別組織で
す。GGNの審査を通って世界ジオパークネットワークへの加盟が認められると、「世界ジオパーク」を名乗ることができます。
Q: 世界ジオパークは全部で何カ所ありますか?
A: 18ヶ国に58ヶ所の世界ジオパークがあります。洞爺湖有珠山、糸魚川、島原半島の三つの日本ジオパークが、日本初の世界ジオパークを目指
して現在GGNの審査を受けており、平成21年8月23日ないし24日に審査結果が発表されます。
Q: 世界遺産とはどう違いますか?
A: 世界遺産は遺産の価値とその保全に重点があります。ジオパークは、大地の遺産の価値が評価の約1/3で、それに加えて遺産の保全活動、その
  遺産をわかりやすく学んで楽しむジオツーリズムの活動、そしてそれらの活動を行うための人作り・組織作りが評価の対象です。
   世界遺産は場所と保全、ジオパークはそれに加えて人と活動です。また、世界遺産は条約に基づく仕組みで、トップダウン的な仕組みです。ジオ
  パークはボトムアップで、自治体と住民が自ら行う活動です。

<洞爺湖有珠山地域>
 2008年7月にサミットが行われた洞爺湖は、10万年前の爆発的な噴火でできたカルデラ湖で、その時の火砕流は洞爺湖の周辺を広く厚く覆っている。1944-45年に畑が盛り上がって400mを越える山となった昭和新山と、最近100年で4回の噴火があり最近では2000年に噴火した有珠山が洞爺カルデラの南側にある。昭和新山の噴火活動を観察し、私費で買い上げて保全した三松正夫氏の活動と、その意志を継いで三松正夫記念館で防災啓発活動を続ける三松三朗氏の活動は、ジオパークの理念の先駆けとなるものである。火山の噴火の被害を受けた道路や建物、そして美しい湖と山の景観を眺め、洞爺湖温泉につかって、自然の恵みと災いについて考えることのできるジオパークである。


 このことを知った我が愚妻は、小学校時代の修学旅行が函館・恵山の2泊3日で、未だ洞爺湖に行ったことがないので、シルバーウィークに行こうと言い出しました。
 言い出したのは良かったのですが、なんと、「北海道&東日本パス」。つまり普通列車で行こうというわけです。 
 えっ!何時間かかるの?と、思いながらも2泊3日で「いこうにいこう」と、張り切って行ってきました。親父ギャグ分かったかな。
 ちなみに、シルバーウィークとは、和製英語で5月の休日が多い期間のゴールデンウィークに対して、秋の休日が多い期間のこと。
 今年初めて日付の並びなどで9月に5連休の大型連休になったため、初めて使われる言葉です。

普通列車で往復する東京の旅9(完)~仙台駅から野辺地駅まで

2014-12-29 03:32:27 | 普通列車の旅
 仙台からは、10時40分発東北本線一ノ関行き普通列車。到着したホームの2番線からの発車です。
 日本で駅弁の種類が一番多いとされる仙台駅で、お昼に食べるこけし弁当を買いました。


仙台からの電車は、おなじみのロングシート701系4両編成。福島から来た仙台止まりが、そのまま一ノ関行きに。


知らないで一度降りた人が乗って来たり、後ろ2両が小牛田で切り離されるので、前に移る人とか結構人の動きがありました。
 落ち着いたところで 車内を見渡すと、いました。原ノ町で時刻表1冊を片手にした彼女。この電車に乗ってきました。他にも、リュックを背負った青年。缶ビール片手に駅弁を広げるご夫婦。どこまで行くのでしょうかね。
定刻に発車した電車は、結構立っている人がいました。松島、塩釜と降りる人より乗る人が多く、また土曜日ということで、家族連れも多く乗っていました。
小牛田到着して結構降りたと思ったのですが、乗ってくる人も多くいました。駅構内で車両祭をしていて、それに来た家族連れのようです。
石越のあたりで、立つ人も見られなくなり、12時18分定刻に一ノ関1番線に到着。
次の列車は、一ノ関12時23分発東北本線盛岡行き普通列車。橋を渡って2番線からの発車です。


乗ってきた電車は、階段の手前に停まったので、降りるなり、階段を目指して走り出す人もいました。暢気に写真を撮っている場合ではないのです。5分しかないのです。
通勤電車と色まで同じ、ロングシート701系2両編成。
車内を見渡すと、原ノ町からの女性、まだ乗っています。どこまで行くのでしょうか。仙台からの缶ビールにお弁当のご夫婦、まだ乗っています。わざわざ普通列車ということは、1万円の切符。それとも青春18切符。松島から乗った、サンダルを履いてリュックを背負ったおじさんもいます。スニーカーにリュックの青年も。結構な人数が乗り換えたようです。
それでも車内は、座席が埋まる程度の混み具合で出発しました。
原ノ町からの女性は、前沢で降りました。旅行?仕事?何だったのでしょうね。
仙台からのご夫婦は、花巻で降りました。時刻はまだ13時15分。釜石・宮古方面にでも乗り換えたのでしょうか。
一度少なくなった乗客も、北上あたりから少しずつ増え、盛岡近くなると結構な混み具合。盛岡は今日からさんさ踊り。参加するのか黄色の着物を着た高校生らしき子が、岩手飯岡から乗ってきました。
 13時57分盛岡到着。今度の青い森鉄道・いわて銀河鉄道八戸行きは、14時10分発車。青い森鉄道の車両でした。
運転士は女性。途中好摩から三戸までは、ツーマン運転。
 スニーカーを履いた青年も、八戸まで乗ってきました。
 八戸16時6分1番線到着。ようやく、八戸まで戻ってきました。
 
最後の列車は、八戸17時11分東北本線青森行き普通列車。の予定でしたが、早く帰ることにしました。
 17時7分発東北本線・津軽海峡線函館行き特急スーパー白鳥21号。
 野辺地到着17時36分。あー長かった。

 おしまい。

※ 3日間の実乗車時間は、1日目の野辺地から上野までは、11時間27分。2日目の上野からいわきまでは、4時間21分。3日目のいわきから野  辺地までは、8時間24分。合計24時間12分。
  3日間の交通費は、北海道&東日本パス10,000円、黒磯から上野までのグリーン券950円、上野から小山までのグリーン券950円、八戸  から野辺地までの特急券950円、八戸から下田までの乗車券230円(北海道&東日本パスでは特急に乗れないため、別に乗車券が必要。下田・野  辺地間は定期券)。合計13,080円。

普通列車で往復する東京の旅8~いわき駅から仙台駅まで

2014-12-29 03:22:09 | 普通列車の旅
 いわきに1泊し、今日8月1日はいよいよ最終日。
 いわき6時58分発常磐線線原ノ町行き普通列車。昨日と同じ411系1000番台ロングシート4両編成。3番線からの発車です。


 この電車も、正面の行き先表示は真っ白でした。  
 いわきの発車メロディーは、クラシック曲でした。
 土曜日ということもあって1両に7人の乗車。1人は、朝まで飲んで帰るおじさん。ペットボトルの水を片手に千鳥足で乗ってきて、そのままロングシートにゴロン。


 いわき駅は、平成に入ってからの駅名。以前は、平と言いました。
 田んぼの中にある草野駅を過ぎ、四ツ倉駅からは海岸線が迫ってきました。
 久ノ浜を過ぎると、末続まで短いトンネルが4つ。トンネルを出るたびに、三陸のリアス式海岸を思わせるかのように、海岸線が迫ってきます。
 末続から広野までは、短いトンネルが6つありました。
 最後のトンネルを抜けると、「広野」の名の通り広々とした田畑が広がっていました。
 文部省唱歌「汽車」の一節、「とんねるのやみをとおってひろのはら」は、ここをうたったものだという説もありますが、実際に見てみると、次の木戸駅の手前がふさわしいような気がしました。
 木戸駅の名物はホームにあるミニのお城。写真が不鮮明でよく見えませんが、左上に写っているお城は、職員が仕事の合間に作った物で、五層の天守閣の屋根には鯱がのっていて、コンクリートでできた石垣の回りには、堀を思わせる池がありました。
 写真の隅に写っているペットボトルは、酔っぱらいのおじさんの物。まだ寝ています。


人の乗り降りがほとんど無かった車両に、竜田で高校生が乗ってきました。
 富岡では、普通列車と行き違いのため4分停車。
 富岡から夜ノ森にかけて、海に向かうように大きくカーブし、海が正面に見えてきました。小学校1年生の時に見た景色はここかなと思いました。
 夜ノ森は、ホームの両側の斜面300mぐらいにツツジの木があり、土手の上には桜の太い木がたくさんありました。4月か5月に来てみたいものだと思いました。 
 夜ノ森で7~8人乗ってきて、車内は18人。空いています。
 双葉で、高校生のほとんどが降りて、車内は10人に。
 次の浪江で、酔っぱらいのおじさんが降りて、高校生14~5人を含む20人ほどが乗って来ました。
 桃内で、普通列車と行き違いで3分停車。
 次の小高では、特急列車との行き違いで4分停車。間もなく、原ノ町です。 


原ノ町8時30分定刻、2番線に到着。
 今度の列車は、原ノ町8時53分発常磐線仙台行き普通列車。到着したホームの3番線からの発車です。
 8時48分到着の列車の折り返しということで少々時間がありました。
 ここでは、あるものを探していました。目に入ったのは、向こうのホームに見えるポスター、五所川原立佞武多。


 でも探していたのは、ポスターではありません。
 ホームで待つのをあきらめ、買いに行こうとした時です、来ました。目立つ蛍光色のジャンパーを着た弁当屋さん。
 ここ原ノ町は、東北地方で唯一、昔ながらに箱に入れての駅弁の立ち売りがある駅です。
 普通列車にも弁当の立ち売りをするのにはびっくりしました。


目立つといえば、同じ電車から降りて仙台行きを待っていると思われる女性。年齢30歳前後、身長170㎝前後で容姿端麗。しかし、作業服に見えるグレーの上下を着て、首に白いタオルを巻き、手には時刻表一冊。よほどのことがないと、手に持ち歩く時刻表は小型の物なのですが、手にしている物は大判の物。何とも目立つのです。
列車が入ってきました。E721系クロスシート4両編成。



 1両に12人ほどの乗車で、定刻発車。
 東北本線と分岐する岩沼までは、単線です。
 早速先ほど買った、「浜のかにめし」を食べることにしました。
 かにのフレークを炒めているという点では、長万部のかにめしと同じですが、味付けが中華風のように感じました。


 ちょうど食べ終えた頃、相馬で7~8人乗ってきて隣にも座りました。
 駒ヶ嶺、新地と過ぎ宮城県に入りました。
 この頃には、朝から曇っていた空も青空が広がり、日も差してきました…
 気がついたら、名取を出たところでした。30分ほど居眠りをしたようです。その間に前の座席にも人が座り、車内は立っている人もいて満員状態になっていました。
 仙台10時8分2番線到着。

 つづく

 ※ この旅の1年7ヶ月後、平成23年3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震に伴って、福島第一原子力発電所事故が起こり、常磐線は現在も  竜田駅・原ノ町駅間と、相馬駅・浜吉田駅間が普通になっています。