旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

青い森鉄道に乗って 特別感スペシャルツアー11 「みちのく潮風トレイルトレッキング」大須賀海岸~種差海岸インフォメーションセンター

2018-12-14 11:23:15 | 青い森鉄道に乗って 特別感スペシャルツアー
 バスは、左手に大須賀海岸を見ながら南下します。


 JR八戸線妻の神踏切の手前で左に曲がり、大須賀海岸の南端に位置する「白浜海水浴場」に沿うように、「みちのく潮風トレイル」のコースと同じように進みます。






 バスは一旦県道1号に出て、深久保漁港に向かいます。
 深久保漁港にはゲートはありますが、脇から入ることが出来ます。


 ここから再び歩きます。


 ここからは、松林の中に遊歩道が整備され、木々の間から海岸の荒々しい風景を望むことができる「淀の松原」です。


 三陸ジオパークのジオポイントになっている「白岩」。 ウミネコや海鵜の産卵場所になっていて、糞で白白くなったことから、このような名前で呼ばれるようになったそうです。


 周りには他にも岩があるのですが、この岩は大きくて人や動物がよじ登ることができないので産卵場所に選ばれたのでしょうか。


 今までの平坦な遊歩道から、少し登ることになります。




 見る角度によって、こんなに白く見えます。


 この先に「地獄穴」があるそうです。
 底があまりにも深く、どこまで続くのか誰もわからないので、どこまで続くのか確かめるために、犬の尻尾に松明を結びつけ、穴の中に放したところ戻ってこなかったそうですが、ある日、その松明をつけた犬が突然、今の宮古市に現れたという言い伝えがあるそうです。そして、宮古市にも「八戸口」と呼ばれる洞窟があり、今は「青の洞窟」という観光スポットになっているとのことです。


 「石割桜」と言えば、盛岡市を思い浮かべる方も多いでしょうが、淀の松原の中程にもあります。ここの石割桜は野生種だそうで、満開になる時期は通常の桜より2週間ほど遅く、白っぽい花が特徴だそうです。


 草の陰でよく見えませんが、ビックリするくらい近いところを八戸線が通っています。


 この高さまで登ってきました。


 「仙人窟」。この岩に住み着いていた仙人伝説ではなく、太平洋戦争中から戦後にかけて、ここから見える景色が好きで、この岩に住み込んだ人が居たそうです。「三度の飯より好き」と言ったどうかわ分かりませんが、戦後「三度のメシよりこの絶景」というタイトルでその暮らしぶりが新聞で紹介されたそうです。そこから、「仙人窟」と名前が付いたようです。
 広さは大人が3~4に座ることが出来るかどうかの3畳程だそうです。




 コウモリが住んでいたと言われる「コウモリ穴」。
 看板をよく見ましょう。写真正面の穴がたくさんある岩を、「コウモリ岩」と勘違いしている人が多いようです。実際ネットにはこの岩の写真を紹介している人が居ます。


 矢印の先に歩いて行くと「「コウモリ岩」を見ることができます。


 なお、ビューポイント10ヶ所では、FMラジオを88.0MHzに合わせると音声ガイダンスを聞くことができます。


 深久保漁港からゆっくり歩いて、景色を楽しみながら50分。
 視界が開け、芝生が広がってきました。


 戦災復興後の昭和30年代に入り、庶民にも「旅行ブーム」が広がりました。そのために作られた観光案内図や観光地が描かれた絵葉書に鳥瞰図が使われたことを記憶しています。
 その鳥瞰図画家で、大正から昭和にかけて活躍した吉田初三郎氏は、日本全国、そして、中国や朝鮮半島までの景勝地を巡り絵を描いた方です。その吉田初三郎氏が「全国各地の名勝地を見たが、今までにこんな絶景を見たことがない、恐らく(日本)八景の室戸や海金剛(和歌山県の海金剛ではなく、朝鮮半島の景勝地である金剛山の海金剛(ヘクムガン)を指していると言われています。)にまさる景勝地で、私は種差をして日本一の海の名勝と折紙をつける」と言ったといいます。そして、鳥瞰図に「陸奥金剛」と記したとされています。










 目的地に到着です。
 向かって右の建物が「種差海岸インフォメーションセンター」。左の建物が「種差海岸休憩所」です。


 ここで休憩、昼食です。

 つづく。

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