旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

普通列車で往復する東京の旅7~水戸駅からいわき駅まで

2014-12-28 03:46:29 | 普通列車の旅
 水戸からは、17時35分発いわき行き普通列車です。
 小山から乗ってきた電車が、17分に発車した後に同じホーム3番線に入ってくるので、少し時間がありました。
 そこで、水戸と言ったら、「水戸黄門」「偕楽園」「梅」「納豆」。今日の晩ご飯は、水戸駅の駅弁「印籠弁当」にするため弁当屋さんを探しました。
 弁当屋さんを見つけたものの、お目当ての弁当は売り切れ。残念。
 そこで買ったのが、「納豆弁当」。
納豆を白飯で包み高菜で巻いた納豆巻きが2つ、カレー風味と青海苔風味の揚げ納豆の軍艦巻きが各1つ、手まり寿司が1つ。それに、こんにゃくと漬物という内容でした。



さて、今回常磐線を通りたかった理由ですが、初めて東京に行った時に通ったのが常磐線でした。その常磐線で、確かめたいことがあるのです。
 昭和37年。小学校1年の夏休みでした。当時は、東北本線は勾配がきつく、距離も長いことから、青森から上野に行く列車のほとんどは、常磐線経由でした。これは、東北本線が青森まで複線・電化されるまで続きました。
 その時のことで覚えていることは、列車の座席を確保するために青森に出て、午後3時頃発車の夜行急行に乗ったこと。上野に朝9時過ぎに着いたこと。その年にあった三河島事故の茶色い電車が線路脇にあったこと。東京では上野動物園に行ったこと。
 そして、東京に行ったことを作文に書いたら、校内のお話大会に出て、町の大会までいったこと。
 お話大会のことで今でも覚えていることは、作文の内容では、「朝、目がさめたら左に大きな太平洋、右に水芭蕉が」という一節と、担任の先生に、大きな太平洋の所は、手を広げて大きさを表現するようにと指導されたこと。そして、町の大会の後、演台を前にして教頭先生に写真を撮ってもらったことです。
 ということで、今回常磐線を通りたかったのは、作文に書いた場所はいったいどこで、今はどうなっているのか見てみたいと思ったからです。
 海が見えるところなので、おそらく日立周辺ではないかと予想されるのですが…
 最初の計画では、水戸に泊まりたかったのですが、どこのホテルもシングルが満室ということで、足を伸ばしいわきに泊まることにしたので、水戸発17時35分常磐線普通列車いわき行きに乗ります。
 正面の行き先表示は。忘れているのか表示されていませんが、横にはいわきと表示された411系ロングシート8両編成。



 ここでも発車までは、冷房効率を高めるため真ん中のドアだけを開けて後は閉めていました。
 3番線からの発車で、発車メロディーは琴の音で短いリズムを繰り返していました。偕楽園をイメージしているのか、日本っぽい曲でした。
 水戸駅は、新宿・渋谷と並んでJR東日本として初めて発車メロディーを使った駅です。
 茨城県の三大名物「日立電気」「干しいも」「原子力」と言ったら叱られるかな。
 次の勝田から日立までは、日立の関連工場が並びます。途中には原子力の村、東海村。昔は干しいもの産地だった佐和もあります。
 時間帯も通勤時間と重なり、停車する毎に混んできました。
大甕は、日立の研究所もあるせいかスーツを着てカバンを持った研究者といった感じの人、いかにも技術者といった作業服を着た人など、多くの人が乗ってきました。
 日立を過ぎても、立っている人が多く、ロングシートのため車窓を楽しむことは出来ません。
 日立と次の小木津の間には、上野方面から来て初めてのトンネルを通りました。
 ここから鹿島に至るまでは、ほとんど駅毎に短いトンネルがつづくはずです。
 高萩までで多くの人が降りて、立っている人はいなくなりました。いわきまで約40分ですが、上野まで直通の電車が走っているのは、この高萩までです。
 おそらくこの車両も、運用次第では上野まで行くこともあるのでしょう、車内の路線図は首都圏のものでした。


 磯原は、野口雨情の生まれたところとあって、発車メロディーは「七つの子」でした。それにしても常磐線は、発車メロディーの流れる駅が多いです。
 またこの辺は、常磐炭田の中心炭鉱があったところですが、今はその面影を車窓からは見ることが出来ませんでした。
 磯原と大津港の間で、初めて海が迫ってくる景色を見ることが出来ました。これからが楽しみです。
 しかし、時刻は18時40分。曇りのせいで薄暗くなり、美しい景色を楽しむとはなりませんでした。
 大津港と次の勿来の間が、茨城県と福島県の県境。そして、白河(福島県)、念珠(山形県)と並ぶ奥州三関の一つ、勿来の関です。
 このあたりも、時々開けて海岸風景を見ることが出来ました。
 勿来、植田まで来ると車内は、座席の4分に1の乗客。辺りも暗くなり、ローカル線という雰囲気です。
 湯本は、常磐ハワイで有名になった、湯本温泉の玄関口。ここの発車メロディーは、「シャボン玉」でした。湯本を出ると間もなく終点のいわきに着きます。


 つづく


普通列車で往復する東京の旅6~上野駅から水戸駅まで

2014-12-27 07:19:47 | 普通列車の旅
 7月31日。3日間の研修も終わり、復路になりました。


 今日は、福島県いわき市に泊まります。
 さて、いわきまで行く人は常磐線を使うのが一般的です。
 券売機でグリーン券を買っていたら、水戸まで行く老婦人に乗車券とグリーン券の買い方を訪ねられ、思わず常磐線経由でいいんですよね、と尋ねたら変な顔をしていました。
 今日は、宇都宮線(東北本線)で小山まで行き、小山から水戸線に乗って、友部から水戸に出て、いわきまで行きます。


なぜ水戸線に乗るのか。
今までに乗った(通った)ことがないのと、今年は水戸線開業120周年ということ、などなど…
 帰りの最初の電車は、上野13時51分発通称宇都宮線宇都宮行き普通列車。E231系1000番台15両編成。7番線からの発車です。


 お昼に買ったのは、「上野弁当」。最近、上野から駅弁を買って乗ることがないので、「上野駅限定」という言葉につられました。
 その内容はごく普通の幕の内でしたが、上野弁当ということで、とんかつが入っていました。
 一説によると、上野がとんかつ発祥の地と言われています。確かに、上野駅周辺にはとんかつ屋さんがたくさんあります。それに対して、銀座が発祥の地という人もいます。どちらも本当のようです。
 とんかつを初めてお客さんに出したのが銀座の店で、メニューに「とんかつ」という名前を初めて出したのが上野の店のようです。
 但し、どちらも明治初期の頃の話ではっきりとした記録が残っていないようです。



 今から30年以上前、上野駅が東北への玄関口として賑わっていた頃の話です。東京駅で売っている同じ弁当でも、上野駅で売る弁当の味付けは濃くしていたそうです。そうしないと評判が悪く売れなかったそうです。最近はそういうこともないようです。
目がテンという番組でやっていました。駅弁がおいしく感じるのは、車窓の動く風景が関係していると。
 しばらく食事タイム。
 車窓を楽しむと行っても、大宮までは都会の風景。大宮を過ぎ、元荒川を渡り久喜周辺になると何となく関東平野と思われる田園風景が見られました。動く電車から見ても、すでに穂が出て、少し垂れているのが分かりました。青森県とはかなり気温と日照時間が違うのだろうと思いました。


 小山までの車窓で一番見たかったのは、JRと東武日光線の特急が相互乗り入れをしている栗橋駅です。
 相互乗り入れをしているのですが、JR栗橋駅にも東武栗橋駅にも停まらない。では運転士さんたち乗務員は交代しない?
 写真のようになっていました。


交代する乗務員用の短いホームが造られていました。納得。
 栗橋を出ると、利根川を渡って茨城県へ。
この利根川に架かる最初に出来た鉄橋は、明治18年7月の大宮・宇都宮間の開通に間に合わなく、1年ほど渡し船でお客さんを渡したというエピソードが残っています。
 小山15時12分。11番線に到着。


 小山15時36分発水戸線、常磐線直通高萩行き普通列車。ロングシートのE501系5両編成。16番線からの発車。



15時27分到着の勝田からの電車の折り返しと言うことで、時間があるので水戸線開通120周年に関係する掲示物でもあるのかと、ホームを見渡せど皆無。
 それでは水戸線の紹介を。
水戸線は、1889年に水戸鉄道により小山・水戸間が開通しました。その後1892年に日本鉄道に買収され、1906年には鉄道国有法によって買収・国有化され、友部・水戸間が常磐線に編入されたため、小山・友部間が水戸線となりました。その後水戸線は、線名の変更が行われていないため、水戸線と名乗りながら水戸市を通らない、水戸駅にも行かない路線となりました。
水戸線は単線ながら電化されているので、電車です。外見もシートも都会っぽいものでした。
 電車が入ってきて、ある程度乗降が済んだところで、冷房効率のため3ドアのうち1つだけ開けて、あとは閉めるとのアナウンス。
 1両に20人弱の人を乗せ定刻に出発。
 小山を出発したところにデットセクションがあるため、左に大きなカーブをゆっくり進み、直線に入ってやっと電車らしい音を出して走り出しました。
 まもなく、栃木県から茨城県に入り、最初の駅は無人駅の小田林。地名は「おだばやし」駅名は「おたばやし」だそうです。小川原駅みたいなものですね。
 でも、無人駅ながらSuicaで乗降できるように、タッチセンサーがありました。ビックリ。


 次は、結城紬で有名な結城、東結城。このあたりまで線路はほぼ一直線。
 東結城を過ぎて、鮭が遡上する南限とされる鬼怒川を渡って川島、玉戸と過ぎると次は下館。
 左には、真岡鐵道。右には、関東鉄道常総線。どちらにも、カラフルな車両が停まっていました。  
下館は、第三セクターの栃木県茂木町までの真岡鐵道と、茨城県取手市までの関東鉄道常総線への乗り継ぎ駅です。常総線に乗ると、途中の守谷でつくばエクスプレスに乗り換えて、秋葉原まで行くことが出来ます。
 下館から4~5人の中年男性が乗ってきました。水戸へ飲みに行くらしくラフな格好なのですが、一人だけネクタイを締めていました。
 話を聞いていると、この男性の町内は今日がお祭り。ちょうど御神輿が通る時間帯なので、町内の人に、ちょっとまじめな会合に出るという雰囲気を漂わせて、家を出てきたようです。
 下館を出ると、新治、大和、岩瀬、羽黒、福原を通って、稲田に到着。
 「稲田御影」と呼ばれる花崗岩の産地で、都電の敷石に使われたことで有名です。又、浄土真宗発祥の地としても有名です。
 次の笠間では、電車行き違いのため3分間の停車です。 
発車するときには、ローカル線には珍しく、発車メロディーが流れました。曲は一般的な「一滴の風」と呼ばれるもので、青森駅と同じです。
 そう言えば、水戸線は今までの駅でも結構発車メロディーが流れていました。
次は宍戸。発車メロディーがなぜ流れるのか。分かりました。
 ホームの端にボタンがあって、車掌さんが押しているのでした。
 水戸線はすごいな。東北本線青森・八戸間で発車メロディーが流れるのは、青森と八戸だけなのに。ちなみに、八戸の発車メロディーは「水の冠」と呼ばれるもので、「一滴の風」と似ていると感じる人もいるようです。
次は、水戸線の終着駅、友部です。
この電車は、常磐線直通なので乗り換えることなく水戸まで行きます。
 友部では結構人が乗ってきました。縁日でもあるのか浴衣姿の人も見られます。
 「幸せなら手をたたこう」の発車メロディーが流れ、友部を発車し、内原、赤塚を通り、左に大きくカーブして偕楽園を左に見て、定刻17時1分に水戸駅3番線に到着しました。


 つづく

普通列車で往復する東京の旅5~黒磯駅から上野駅まで

2014-12-26 03:52:50 | 普通列車の旅
 黒磯は、交流と直流の切り替え駅。新幹線が通るまでは一部の電車特急を除いてすべてが停車した駅でした。
 そのため、結構人気の駅弁がありました。高木弁当の「あゆづくし」、アイスクリームで有名なフタバ食品の「九尾寿司」。今はその駅弁も無くなり寂しくなりました。 
いよいよ最後の電車は、黒磯16時35分発通称宇都宮線(正式には東北本線なのです)上野行き通勤快速列車。E231系1000番台10両編成。1番線からの発車です。



 この電車には、2階建ての自由席グリーン車が2両ついているのです。
首都圏の快速・普通列車のグリーン料金は、指定・自由席に関係なく同額。但し、乗車前に買うのと乗車後買うのでは250円違うので、朝、野辺地で買っておきました。


 黒磯を定刻に出発。上野駅まで、あと2時間35分。
黒磯を出てまもなく、交流と直流が切り替わる所、デットセクションを通過して、一時的に車内の電気は非常灯だけになりました。
 しばらくして、グリーンアテンダントが車内改札を兼ねながら、かごに入れた冷たい飲み物などの車内販売にやってきました。いわて銀河鉄道のアテンダントとはやはり違う。「ビール下さい。」
 宇都宮まで約50分。今日の夕食は宇都宮の駅弁「駅弁発祥地より汽車辨當」の予定。
 ビールも無くなった頃、宇都宮に到着。


 ホームに降りてみたものの、売店がない。隣のホームにも売店がない、各ホームにあるのは立ち食いそば・うどんの店だけ。
 首都圏の県庁所在市の駅と思って油断した!黒磯の売店で駅弁ではないが、お弁当や総菜セットが売ってあったのに、残念。
 上野駅まで、あと1時間36分。ビールで頑張るぞ。
 黒磯から数人だった、私が乗っている5号車2階もほぼ半数の席が埋まりました。通勤快速というだけあって、ほとんどスーツ姿の男性。トイレに立ったときに観察したら、ほぼ全員が「プシュッ」。
 雀宮でカシオペアとすれ違いましたが一瞬。
 曇りのため暗くなるのも早いのか、車窓の景色も見づらくなった頃、栃木県から茨城県へ。とは言っても、茨城県の駅は古河だけ。利根川を渡ってすぐ埼玉県に入り、久喜、大宮、浦和と停車し、荒川を渡って東京都へ。
 赤羽、尾久と停まって、定刻19時10分に上野駅8番線に到着。
 ドアが開いたら、そこには折り返しの電車に乗る通勤客の列。そして、蒸し暑さ。
 12時間50分、691㎞の普通列車の疲れより、この人と暑さの方が疲れるな。やっぱり田舎者だな。明日から3日間頑張るぞ!

 つづく

普通列車で往復する東京の旅4~仙台駅から黒磯駅まで

2014-12-25 04:44:46 | 普通列車の旅
仙台からは、13時1分発5番線からの東北本線福島行き快速列車、仙台シティーラビット4号。719系4両編成。


ここで初めて、ロングシートではない電車になりました。先頭にはヘッドマークをつけて入ってきました。


 さてここで、一ノ関で買った想い出の「かにめし」を食べることにします。


 大学時代4年間で、名古屋と野辺地を30往復以上しましたが、そのほとんどは名古屋に向かう時は、授業の始まる前の日の昼の特急。野辺地に帰る時は最後の授業を受けて大学からまっすぐ帰るので、上野から夜行。というのが多かったような気がします。
 その中に上野発11時半頃の急行十和田5号というのがありました。これに乗ると翌朝7時頃に一ノ関に停まります。ちょうど朝ご飯にと当時の「三陸かにめし」を買いました。他のかにめしと違って味が濃くないので、人によっては味が薄くておいしくないと言う人もいますが、私は好きでよく買いました。余談、私は長万部のかにめしはあまり好みではありません。
 名古屋の友達と一緒に帰る時、偶然にもY.Hで知り合った「一夫ちゃん」(八戸の漁業無線局に勤めていた方)と一緒になり、ごちそうになったこともありました。そんなこんなで、想い出の「かにめし」なのです。
 当時との違いは、おかずが笹かまぼこがすり身の揚げ物に代わったのと、エビフライが無くなったぐらいだと思います。想い出に浸りながら食しました。 
 食べ終わり、白石を過ぎる頃になると車内は3分の1程度の着席乗車。ここで車内改札するとの放送。
 越河・貝田と通過しましたが、貝田から福島県に入りました。今回の旅で一番天気の良かったのが、藤田付近。ここだけでした。福島までは山の裾野を縫うように走ります。クロスシートなので、目は車内より車窓の方に行きます。


 藤田の次は桑折(こおり)です。このあたりは昔養蚕が盛んだったための地名だそうです。
 槻木から福島まではの東北本線の線路は今通っているところではなく、第三セクターになった阿武隈急行(国鉄時代の丸森線)の場所を通したかったそうですが、桑の木が蒸気機関車の煙で被害を受けると反対され、勾配のきつい今の所を通っているそうです。東北本線が開通してから80年ぐらいたってから、槻木から丸森を通って福島につながる丸森線が通ったそうです。
 この話は、Y.Hで知り合って一緒に旅をしたことがある、桑折町に住む吉川さんから教えてもらった話です。
きっかけは、学生時代に鶴岡のY.Hで一緒になり、「桑折」を「くわおり」と読んだことから、桑の話になって、その後いろいろと話をし意気投合し、鶴岡Y.Hから南蔵王Y.H、松島Y.Hと一緒に旅をしたのでした。
 昔のことを思い出しているうちに、14時16分。福島駅3番線に到着。


 次の電車は同じホームの2番線から3分後に発車する郡山行き普通列車。
 上野駅まであと、4時間51分。
 福島14時19分発東北本線郡山行き普通列車。一ノ関から乗ったのと同じロングシートの701系1500番台2両編成、ワンマン運転。
 発車3分前ということに加え、仙台からの電車から乗り継ぐ人も結構いて、満員状態。座ることが出来ませんでした。
 福島を出発して、南福島から二本松にかけては勾配がきつく、複線といっても上り下りが並行して走るのではなく、複線化にあたって上りの勾配を押さえるために、至る所で迂回しているため、単線区間のような車窓が続きます。吊革につかまっているため写真が撮れなかったのが残念です。
 金谷川からは雨が降りだしてきました。
 金谷川から次の松川の間には、占領下の鉄道事故下山事件、三鷹事件に並ぶ松川事件の場所がありますが、今ではその事件すら忘れ去られています。
 松川で一緒になった上下線も、再び離れたり一緒になったりと郡山まで続きます。車内の混雑も、降りたと思えば乗ってくる。の繰り返しで一向に空いてくる気配はありません。
 最近の中高齢者の登山やハイキングのブームのせいか、リュックを背負って旅をしている人が車内にも結構いますが、目の前の席が空けば隣に明らかに高齢者と分かる人が立っていても、席を譲ることなく座る人の多いこと。確かに、福島・郡山間は48分しかかからないのですが、なんか変だな。
 次は、郡山。ワンマン運転のための運賃表は、初めて見る液晶でした。東京に近いからかな。


 郡山15時7分4番線到着。
 次の列車は、郡山15時20分発東北本線黒磯行き普通列車。ロングシートの701系100番台2両編成、ワンマン運転。
同じホームの5番線からということですでに電車が入っていました。
福島からの電車同様に込んでいてここでも座れません。
私と同じ電車から乗り継いできた高齢者の方も座ることが出来ないようです。
 目の前に高齢者が立っても席を譲らない、高校生だけではありません。若い人も大人と言われる人もです。
 これって、福島県人の県民性。
白河、新白河で多くの人が降りてやっと座ることができました。
 座ってまもなく、白坂と豊原が、福島と栃木の県境。
 車内に目をやると、トイレの案内マーク、半自動ドアの開閉に関する注意ステッカーも、所変われば品代わるの感がありました。



 もっと驚いたことは、ワンマン運転なので無人駅で乗る場合は、1両目の後ろのドアから乗って整理券をとるのですが、15人ぐらい乗る駅では運転士さんがわざわざ電車から降りて、一番前の降りるドアから乗せていました。
 こうして乗った人は、整理券をとっていないのです。降りるとき困らないのかなと思いました。
 そうこうしているうちに、黒磯16時23分4番線到着。

 つづく

普通列車で往復する東京の旅3~盛岡駅から仙台駅まで

2014-12-24 03:41:01 | 普通列車の旅
 電車に乗って時計を見たら9時4分20秒。
 盛岡からは、9時6分発東北本線一ノ関行き普通列車。通勤電車と同じロングシートの701系1000番台2両編成、ワンマン運転。
荷物を網棚に載せ、腰を下ろしたら電車は出発。乗客はほぼ座席が埋まる程度で、立っている人はいません。
 仙北町の手前でとうとう雨が降り出しました。
仙北町を過ぎると、進行方向左側に新幹線の高架が日詰の手前までほぼ直線で平行しました。


 日詰を過ぎた頃には雨も上がり、乗客も半減しました。
 花巻空港駅といっても、空港と隣り合っているわけではありません。私が大学生で名古屋と野辺地をよく往復していた昭和の時代は、二枚橋という名前の駅でした。
 駅の手前にある空港に着陸しようとしていた飛行機を見つけて撮った写真ですが、飛行機は写っていませんでした。やっぱり飛行機は速い。


 花巻。乗ってきました「鉄ちゃん」。男です。一般的には、「鉄道マニア」「鉄道オタク」「鉄道ファン」と言われますが、「鉄道マニア」「鉄道オタク」は蔑称とされ、このように呼ばれることを好まないようです。漫画『鉄子の旅』の影響で、女性の鉄道ファンを「鉄子」と呼びます。
 「鉄ちゃん」は、荷物を置くと前の車両に行ってなにやら観察。戻ってくとるとなぜか「関東・中部自動車地図」を出して、それに挟んである紙を取り出し、今度はその紙になにやら書き始めました。 
真向かいに座っていたので、はっきりは見えないのですが、下のような図を書いていたようです。


 つまり、いろいろな列車に乗ってその編成を記録する趣味でしょうね。そういう人を「乗り鉄」とも呼びます。
 さて目の前の「鉄ちゃん」。一通り書いた後はスケジュールの確認をしていました。どこまで行くのかな。
 一ノ関到着2番線。10時33分。
 4番目となる今度の列車は、一ノ関発10時54分。乗り継ぎに時間があるので急ぐ必要はありません。
 1番線からの発車という案内を聞いて、ゆっくり跨線橋を渡っていきました。
 一ノ関は新幹線が停まる駅ですが、新幹線側でない在来線の改札口がある西口は、昔の面影が残っていました。


 まだ、次の電車は入っていません。
 そこで、今回のおめあての一つ。想い出の「三陸かにめし」を探しました。
 ありました。ホームのそば屋さんに。でも、名前は「かにめし」にかわっていました…。上野駅まであと、8時間37分。


 一ノ関10時54分発東北本線仙台行き普通列車。通勤電車と同じ系統のロングシートの701系1500番台2両編成、ワンマン運転。
 10時36分に着く仙台からの普通列車の折り返し運転。


 ロングシートの向かいに座ったのは男の人。八戸から乗った年齢不詳の青年でした。
 話を聞けば、千葉まで行くために昨夜10時札幌発の急行はまなすの自由席に乗って出発。早朝、青森で特急つがる2号に乗り換え、なんと、野辺地から同じ電車に乗っていたとのこと。
 花巻から乗ってきた「鉄ちゃん」は、同じ車両の半ばに座ってなにやらメモをしています。
 発車間際に、隣に「ギャル」という言葉がぴったり合いそうな女の子が座り、座ったと思ったら、おきまりの化粧を始めました。
 途中花泉から、友達と思われる女の子1人が乗ってきて、2人で化粧をする。結局、松島の手前まで約1時間。揺れる電車の中で化粧を続けました。あのまつ毛に塗るのもやっているのです。これはすごい集中力というか、根気強さだと思いました。仙台まで乗っていきましたが、残念ながら2人は隣に並んで座っているので、出来栄えというか完成度というか、仕上がりを見ることが出来なかったのが残念でした。
 さて電車は、清水原まで山越えをするため大きくカーブして進みます。そのため次の駅、有壁で一度宮城県に入りました。油島を過ぎた頃から青空がのぞき始めました。油島を出て、石越の手前でそんなに大きくはない夏川を渡りました。ここが岩手と宮城の県境です。
 石越を過ぎると、白鳥の飛来地としてよくテレビで紹介される伊豆沼を右手に見て、線路は右左にカーブしながら瀬峰を通って、小牛田に着きました。
 小牛田では前に2両増結するとのことで、ゆっくりホームに入り、いったん停まった後、ゆっくりそして、ゴッツン。増結した後、ドアが開きました。小牛田では7分間の停車です。
 ホームに降りてみると、端っこの線路には陸羽東線の気動車やいろいろな車両がとまっていました。小牛田は、石巻線と陸羽東線に分かれる駅。石巻からは小牛田で陸羽東線に乗り換え、新庄で陸羽西線に乗り換えることによって、日本海側の余目・酒田に行くことが出来ます。つまり、本州横断鉄道の交差点なのです。


 小牛田からは、車掌さんが2人乗ってきてワンマン運転ではなくなりました。
仙台まで45分。仙台の生活圏ということもあって、降りる人はなく、乗ってくる人ばかりで、松島では立っている人も見られるようになりました。 野辺地を出てから、奥羽山脈に沿うように南下してきて、初めてというか、一度だけ海が見えるのが松島を過ぎ、塩釜トンネルに入るまでの2分ほど。左手に松島湾が見えてきました。
塩釜の次の、国府多賀城駅は平成13年にできた比較的新しい駅。駅に隣接して東北歴史博物館がありました。


まもなく仙台。12時38分、4番線に到着。

 つづく