今から40年前の今日77年2月13日にプエルトリコのサンファン
で行われたWBCライト級タイトルマッチで、4位のバズソー山辺は
王者のエステバン・デ・ヘススに6RKO負けし3度目の世界挑戦に
失敗した。
前年の4月と7月に1階級落としWBC:Jライト級王者のアルフ
レッド・エスカレラに挑戦して失敗した山辺は、本来の階級であるラ
イト級に戻しての挑戦だった。
一方のヘススは前年の5月にガッツ石松をプエルトリコに招いて
挑戦し大差の判定勝ちでタイトルを奪い迎えた2度目の防衛戦で、
当時無敵だったWBA王者ロベルト・デュランに勝った事がある実
力者だったため敵地という事もあり山辺には厳しい一戦との予想。
王者になって貫禄を増したヘススは1Rに右の強打を決めていき
なりダウンを奪いペースを握ると、以後も山辺を翻弄して迎えた6R
に右で2度倒しストップ勝ちで2度目の防衛に成功した。
石松戦を見た限りではヘススは速い足とカウンターが特徴だから
得意の打ち合いに持ち込んで、強打を決めるしか勝ち目はないと思
われたがヘススは打ち合っても強く王者になってさらに進化してい
たのだ。
山辺陣営としたらエスカレラに連敗した事からベストウェイトの
ライト級に上げて挑戦したいもののWBAが‘石の拳’ロベルト・
デュランだったので、打ち合いに持ち込めば何とかという事から
ヘスス挑戦となったのだろうが正しく役者が違ったというべきだ
ろう。
ちなみに この頃Jライト級はWBAがサムエル・セラノでWBC
がエスカレラ、WBCライト級がヘススとプエルトリコ勢が優勢
だったしエスカレラには柴田国明や山辺がセラノにはアポロ嘉男や
丸木孝雄らが苦杯を舐めていたわけでプエルトリコ勢との世界戦は
全敗だったわけだ。