井岡弘樹の2階級制覇から20年

 今から20年前の今日91年12月17日は元WBCストロー級王者の井岡弘樹
が17回防衛中だったWBAのJフライ級王者・柳明佑に判定勝ちして2階級
制覇に成功した日である。

 88年にナパ・キャットワンチャイに敗れて王座を失い89年6月のリターンマッチ
でも完敗した井岡はJフライ級にクラスを上げて7連勝で1位にランクを上げ、
所属していたGツダジムも大鵬健文と徳島尚を‘露払い’として韓国で柳に ぶつ
けて満を持しての挑戦となった。

‘ソナギラッシュ’と呼ばれる猛烈な連打を誇る王者を井岡が長いリーチを生か
して捌けるか?が焦点となった試合。

 前半は井岡のジャブで柳の接近を許さずに しっかりと距離を取っていたの
だが、6Rあたりから柳のプレッシャーに押される場面が増え9Rと10Rは完全
にペースを握られてしまう。

 ところが11Rに意を決した井岡は自ら攻勢をかけて打ち合いに応じハッキリと
ポイントを挙げ、これが結果的に勝敗を分けた形(115-113)となり2-1ながら
判定勝ちで柳の連続防衛記録をストップさせると共に2階級制覇を達成したの
だった。

 ただし これが井岡のベストファイトになってしまう。

 というのも判定勝ちで2度の防衛に成功したものの3度目の防衛戦は柳との
約1年ぶりの再戦となり、今度は接近戦に巻き込まれて判定負けして返り咲きを
許してしまったのだ。

 そこで体重苦を理由に井岡は3階級制覇を目指すべくフライ級に上げたのだが
デビット・グリマン、セーン・ソーンプルンチット、ホセ・ボニージャ相手に いずれも
TKO負けで奪取ならず最後はJバンタム級に上げて飯田覚志に挑戦したものの
僅差の判定負けで3階級制覇に失敗したのだった。

 もともと井岡は長いリーチを生かしたアウトボクシングは得意だが、接近戦に
弱いタイプだった。

 ところがフライ級に上げた頃から胸囲や背筋力がアップしたなどという報道で
特に右ストレートの威力が増大したといわれ‘KOでの3階級制覇’という見出しが
躍っていた。

 だから長いリーチを生かしたジャブとストレートで距離を取りながらアウトポイント
すれば少なくともセーンやボニージャには勝てたと思うのだが、決して打たれ強く
ないのに なぜか自ら接近戦を挑み打ち負けて・・・・という展開ばかりだった。

 そういう意味で最終ラウンドTKOで李敬渕を下して故エディ・タウンゼントに捧げ
たストロー級初防衛戦の試合も劇的だったが、柳明佑をポイントアウトした20年前
の第1戦こそが井岡のベストファイトだと思うのだ。

 それから20年後の今、甥っ子の井岡一翔が叔父の持っていたWBCストロー級
王者なのだから時の流れを感じてしまう。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
対飯田戦 (屯田兵由紀夫)
2011-12-18 03:13:28
彼は栄光、栄光で来て挫折ってものがあんまりなかったの
だけどフライ上げてから挫折続きでそんな姿みての
飯田への挑戦だったからね

ゴング鳴る前サラスが井岡にはっぱかけてる姿みて「泣けて泣けて仕方なかった」

減点1なきゃ引き分けだったのだから大阪でやれば井岡の勝ちの内容 同じ日本でも地元判定が露骨にありましたね
 
 
 
あれは議論を呼びましたね (こーじ)
2011-12-19 00:12:55
>屯田兵様
 たしかに あの判定は議論を呼びましたね。
 減点がなければ・・・などと考えましたが、でも目を切った事で飯田がペースダウンをしたので今となっては
どっちがよかったのか?

 サラス氏とは この試合からの縁で甥っ子も見てもらってますし、氏も飯田戦の無念が甥っ子を見ようという姿勢になっているのかもしれませんね。
 
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