ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
辰吉丈一郎8戦目の戴冠から20年!
今から20年前の今日91年9月19日は辰吉丈一郎がWBCバンタム級タイトル
に挑戦し王者のグレグ・リチャードソンに10R終了TKO勝ちしてプロ入り8戦目で
世界王者になった日である。
デビュー前から‘日本チャンピオンクラス’と言われていた辰吉は4戦目に日本
王者の岡部繁を4RTKOで下すと6戦目にWBA7位のアブラハム・トーレスと
対戦。
トーレスの回転の速いパンチに手こずって苦戦し終盤の反撃で引き分けに持ち
込んだ後にWBA:Jバンタム級2位のレイ・パショネスを完封して世界へGO
サインが出る。
王者のリチャードソンは屈指のテクニシャンで強打のラウル・ペレスからタイトル
を奪い、これが3度目の防衛戦。
KO数こそ少ないが豊富なキャリアをバックボーンにした‘負けない’スタイルは
これまで日本人ボクサーにとっては苦汁をなめさせられた嫌な相手が多く、事実
持ち前の勢いを殺され判定負けというケースを多々見ていたので侮れないと
思っていた。
試合が始まると辰吉の左が面白いようにヒット。
ジャブで突き上げ返しの右を打ち込んで かわされると左フックのボディブローが
ヒットするなどラウンドを重ねるごとにキャリアで大きく勝るリチャードソンを圧倒
していく。
ところが7Rになると辰吉は集中力を切らしてリチャードソンのジャブからの
右ストレートや右アッパーなどを無造作に貰ってしまうので流れがリチャードソン
に行くのでは?と危惧されたものの8Rに左フックのボディブローをヒットして
流れを引き戻す。
そして迎えた10R残り5秒で左フックから右の返しでロープに吹っ飛ばして集中
打を浴びせると場内の大歓声でラウンド終了のゴングが かき消され(この試合を
裁いたTペレスは具志堅-マルカノの2戦目でも同じくラウンド終了のゴングを
聞き落としている)10秒近く辰吉の猛攻が続く。
そして11Rのゴングが鳴ってもリチャードソンはコーナーを出ずにギブアップし
具志堅用高の9戦目よりも1試合早い8戦目での世界タイトル奪取となったわけ
である。
ただし残念な事に世間をうならせて世界に名を残すスーパースターになると
思われたスタイルで戦った辰吉の試合は これが最後になってしまった。
というのも初防衛戦前に辰吉は左目の網膜裂孔を発症して1年のブランクを
作ったため手術で回復したとはいえ利き目の左目視力減退が攻防一体という
辰吉のスタイルの根幹を揺るがし、以後は打ちつ打たれつの激闘型になって
しまったのだった。
昭和の‘天才’海老原博幸は強打ゆえの度重なる拳の骨折に大成を阻まれた
のだが、辰吉も2度にわたる目の手術さえなければ攻防一体のスタイルを完成
できた可能性が高いだけに残念でならない。
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辰吉といえば薬師寺です。かつてはスパーリングで痛めつけていた辰吉でしたが試合では完敗(の印象です)。しかし試合後に薬師寺を抱え上げて祝福したシーンは実に感動的であり彼の男気を見たようにも思いました。近年だったか後輩選手に’世界チャンピオンになりたいちゃうで。世界チャンピオンになる~!‘や。と激励していたシーンもさすがでした。岡山出身で関西弁は完璧でない「浪速のジョー」もいつしか40代。まさに光陰矢のごとしですね。
ジャンボ鶴田が世に召されてもう10年余りなのも早いですが、彼と工藤政志に親交があったのですね。ともに違った世界で王座を獲得したことは素晴らしいですし、案外鳴り物入りでスタートするよりも違った感覚を採り入れることでオンリーワンのスタイルが出来上がるのだと思います。あの日拳の達人の渡辺二郎にしても高校時代は水泳、大学で初めて武道を志したわけですからね。大橋が150年に一人の天才なら、二郎は300年に一人といえる超天才ではないでしょうか?何せボクシング丸3年で世界王座を獲得したのですから‥☆
辰吉のガードについては、どうしても避けながら打つスタイルに特化したため始めた頃から低かったようですね。
それが網膜はく離などで一気に状況が悪化し、ろくに試合もできなくなったためガードを上げるスタイルに切り替えられなかったようですよ。
ちなみにジムの先輩である二郎さんについては後日扱いますので、それを楽しみにしてください。
76・77年版は私も購入しました。
あのシリーズはスグレ物ですね。
辰吉-シリモンコン戦は輪島功一が柳済斗から奪回した試合を思い出しましたから、リチャードソン戦以上に劇的な試合でした。
当時2度ほどボクシングマガジンに辰吉ネタで投稿し
掲載された事がありました。
ジョーの入場テーマは死亡遊戯でしたね。