昭和の名横綱 死す

「土俵の鬼」初代若乃花、花田勝治さん死去(読売新聞) - goo ニュース

 土俵の鬼と言われた昭和の名横綱・初代若乃花の花田勝治氏が亡くなったというニュースを見て驚くと同時に‘来るべき時が来た’と思ってしまう。
 82歳だったという事で元横綱としては歴代2番目の長命だったらしいので、
年齢的には不足はないだろうし実弟である初代貴ノ花の方が早死にだった
ななどと考えた。

 また元気なら不祥事続きの相撲界に どんな厳しい言葉を投げかけるのかと思ったりしていた。

 身長179センチで体重が105㌔だから軽量力士という事になるが、にも拘
らず強靭な足腰をベースにした呼び戻しなどの豪快な技を連発して横綱に
までなり栃錦と並んで栃若時代を築いていた。

 99年の暮れにBSで大相撲の歴史のような特集で初代・若乃花の取り口を
見たのだが、確かに土俵際の粘りで足腰の強靭さが分かるし これが猛稽古
で作り上げられたものと実感していた。

 そして引退後は二子山部屋を興して2代目・若乃花や隆の里の2横綱や
初代・貴ノ花に若島津の2大関を育てるなど指導者としての腕も素晴らし
かったし、理事長時代は栃錦の春日野親方と共に両国国技館の建て直しに
尽力していた。

 個人的には貴ノ花の実兄というイメージだったのだが相撲中継のゲスト
解説では‘最近の子供は いりこなどの小魚を食べないから骨が
もろい、私達の頃などオヤツ代わりに小魚を食べていた’
と食生活
からの改善をアピールしていたのを思い出すし、もともと いりこなどは好き
だったが この話を聞いていりこを意識して どんどん食べるようになった。

 おかげで46歳になっても幸いにして骨折はない。

 そして最も印象的だったのが小5だった75年の春場所で優勝決定戦の
末に北の湖を破って初優勝を飾った実弟の貴ノ花に優勝旗を贈呈する
シーンだ。

 当時なかなか優勝できない貴ノ花に何としても優勝させてやりたいという
ムードが高まっていただけに貴ノ花の優勝は家族全員で喜んだし若乃花の
実弟だというのを初めて知ったのもこの時だった。

 今頃は三途の川で鬼を観客に永遠のライバルだった栃錦や実弟の貴ノ花
と一緒に相撲を取っているのだろうか・・・・・

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
この方は (屯田兵)
2010-09-02 01:37:21
先代(栃錦)とにらみ効かせてた時がヨカッタ時だよね

そのあとからだよ・・・・・墜ちていったのは

あの当時も輪島とか双羽黒の問題児もいたけどね
 
 
 
出羽一門が主導権を (こーじ)
2010-09-02 23:03:29
>屯田兵様
 輪島や双羽黒は土俵上での素行は悪くなかったですからね。

 やはり出羽の海あたりが理事長になったぐらいから
おかしくなってますよね。
 
 2代続けて理事長は出羽一門でしたから。
 
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