宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「月が昇って」

2004年12月04日 | Weblog
短歌、物語、行事などを考察する時、日本人がいかに細やかな感性をもって
月を重んじてきたかが感じられる。
以前日本の何かの書籍で読んだのだが、日本人とスイス人のビジネスマンが商談を
終え互いに親交を深めていた夕べの中に美しい月が姿を現し、感慨深げにそれを
眺めていた日本人を、スイス人が奇異の眼差しで見たという話しがあった。

スイス人は思ったに違いない。「月など毎日見られるものではないか。それが
自然だ。一体何を珍しがる必要がある。いつもと同じ月ではないのか。」
その点はホワイト・アングロサクソン・プロテスタント(WASP)も違いはない様
に感じる。落ち着いたくつろぎの中で長く月を観賞するアメリカ人は、現在まで
「きれいなマンツキダネ」と言って戸外に出た配偶者以外には見た事がない。

わたくしなども特に日本では理由なく暫く月を眺めていたものだった。そこには
一つの衛星の存在だけではなく、神秘的な思いが存在する。

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