前回からの続きです。
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【恋愛における愛と性について】
このオペラ「ドン・ジョバンニ」は、人間の内面世界を様々な角度から
分析し、構築したスケールの大きい作品である。
そこには、多くのメッセージが込められているが、その中でも性と愛は、
「死」と共に、重要なメッセージとなっている。
大変興味深い人、ドンナ・エルヴィラという女性のエピソードがある。
彼女はこのオペラの中で、大変重要な役割を演じている。
ドンナ・エルヴィラは、ドン・ジョバンニの「愛」という言葉を信じて彼に
身を任せるのだが、わずか三日で捨てられてしまう。
哀しみに沈む彼女に、ドン・ジョバンニの召使いのレポレロは、自分の
主人がどんな男であるかを言って聞かせる。
それが、レポレロの歌うアリア、「カタログの歌」である。
「奥様、これが恋人のカタログ………イタリアでは六四〇人、ドイツでは
二三一人、スペインでは一〇〇三人……冬には太った女、夏は
やせた女、美人もブスも、相手を選ばず……。」
ドン・ジョバンニは女性を口説き、自分の手中に落ちた女性を名簿に
つけて、人数を増やす事ばかり考えている。
そんな彼は、自分の行っている事に対して、全ての女性を愛するのだ、
と言ってのける。
しかし、彼の言う愛とは、官能的欲望以外の何ものでもない、
だから、彼に騙されて傷ついたエルヴィラは怒り、復讐を誓うのだ。
彼女が望んでいたのは、純粋な愛だったからだ。
私も元来、非常に恋しやすいたちなのだが、いつも誰かを好きになる
たびに、悩み始めることになった。
その湧き上がる情熱が愛なのか、それとも官能的な欲望でしか
ないのか、自分でも判らなかったからだ。
そこである時期、割り切って、官能的な快楽を満たすことに徹した
事がある。
しかし結局判ったことは、私が求めているのは、これではないという
ことだ。
快楽は一時的なものでしかなく、私の魂の渇望を満たしてくれるもの
ではなかった。
ベートーヴェンは、次のように言っている。
「魂の結びつきのない官能の楽しみは
ただ動物的であるにすぎぬ。
事が終わって、何の高貴な感情のあともない。
むしろあるのは、悔恨だけだ。」
(ベートーヴェンの音楽ノート/猿田悳訳より)
愛は、魂の清らかな結びつきである、とも言われる。
そのような男女の気高い愛については、オペラ「魔笛」で描かれているが、
その話しは次の機会に譲って、エルヴィラの話しに戻ろう。
騙されて復讐を決意した彼女だが、まだ心のどこかでドン・ジョバンニに
魅かれるのを感じている。
するとそこにドン・ジョバンニはやって来て、涙声で、「今は後悔している、
本当に愛しているのだ。」と、今度は彼女の感情に訴える。
それが、彼女の中の恋の残り火をかき立て、またもやドン・ジョバンニの
手中に落ちてしまう。
再び騙された事を知った彼女は、前よりも更に酷い、絶望のどん底へと
突き落とされる。
しかしその時、彼女の内面で、一つの変革が起こる。
求める愛から、与える愛へと変わるのだ。
苦悩の中で、彼女は祈る。
救いようのない男、ドン・ジョバンニの魂の為に祈るのだ。
そして彼女は、騙され、傷つく中で、代償を求める事のない、純粋な
愛に目覚めていく。
彼女はドン・ジョバンニの死後、尼僧院へ向かう。
それは、万物への無限の愛を象徴するのだろうか。
エルヴィラは、真実の愛に気がついた女性であるが、このような愛を
求める心は、誰もが持っているに違いない。
しかしその一方で、我々の内面世界には、ドン・ジョバンニという、
悪魔的な力も存在しているのだ。
愛は官能的な欲望ではない。
また、単なる憧れや感傷的な気分でもない。
エルヴィラは、その二つを排除した。
慈悲心によって、ドン・ジョバンニに悔い改めるよう、涙ながらに訴える。
「この虐げられた魂は、
あなたから御恵みを求めません。」
真実の愛とは、このような犠牲的な献身であり、決して代償を求めない
ものだ。
私もそのような愛にようやく気づき始め、そこへ少しでも近づきたいと
考えている。
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この続きは、他日とさせて頂きます。
以下、ノーシスの「アストラル・トリップ(幽体離脱)」のためプラクティスの
一つです。
【瞑想を利用して、泡の中に入る】
①床や椅子に、背骨をまっすぐにして座り、肉体は完全にリラックスさせる。
②次に、「般若心経」の最後の部分、
「羯諦(ぎゃてい) 羯諦(ぎゃてい) 波羅羯諦(はらぎゃてい)
波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい) 菩提薩婆訶(ぼじそわか)」
を、何度と無く繰り返す。
瞑想に入っても、少しの間は、頭の中で唱え続ける。
そして段々、深い瞑想に入っていく。
③次に、頭のてっぺんから、泡が出て行くのを思い浮かべる。
そして自分のアストラル体が、松果腺を通って肉体の外に出、その泡の中に
入る様子を、ありありと感じる。
④泡の中に入ったまま、宙に浮かび始める。
部屋の中をふわりふわりと浮いている間、下に静かに瞑想している
自分の肉体が見えるだろう。
⑤なお、この訓練では「般若心経」の代わりに、こおろぎや鈴虫の泣き声を
録音したテープ(本物がいれば、それに越したことはない)を聞くのもよい。
瞑想しながら、虫の声を、頭の中で共振させるのである。