NHK連続テレビ小説『らんまん』6月14日放送分にて、主人公槙野万太郎が日参する東京大学植物学教室の学生さん(波多野と藤丸)の台詞
「万さん見てたら、人生って僕が思っているよりもずっと濃くて、たくさんのものが入る器だなって思えて。その器をぱんぱんにしていくことが、生きてるってことなのかなって」
「なんでも入れられる器なのに、俺らスカスカだよな」
「それが怖くて。もし生ききれないまま死んじゃったら」
そう、そうなのよ! と奮起したいところなのだが…
この6月の湿度と気圧のために、う、動けないー
そして老婆心ながら、器が割れないように気を付けることも大事だよと言いたくもあった。人生長期戦だし。
齢50を過ぎて学生さんの言葉に共感している自分が言っても説得力ないかと思わないでもないけれども^^;
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たまたま録画しておいたNHK『氷上の表現者 高橋大輔~NHK杯フィギュアの歩み~』を少しずつ観る。
2020年制作の再放送とのことで、アイスダンス転向後のプログラムがなかったのは残念だけど、NHK杯初出場からソチオリンピック前までの演技をあらためて堪能した。
驚いたのは、16歳のちょっと苦いNHK杯デビューからの、翌・翌々年の伸びしろ。そして、この年が最高と思っていた2010-11シーズン(マンボとピアソラの年)の翌年、2011-12シーズンに、さらに滑りと動きがぐんと洗練されていたこと。「基本の滑りを見直しました」というアナウンサーの言葉があったけど、成果が如実に表れていたのだなー。まとめて観たことで進化がよく分かった。
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『街とその不確かな壁』(村上春樹 新潮社)読了。
またあらためて書くかもしれないけど、ここは箇条書きでさらっと。
2000年以降の長編ではいちばん好き。自分は買わないけど10万円の愛蔵版があってもいいんじゃないかと思えた。
何が違うのか考えるに、近作の長編はちょっと図式的すぎるというか、具がごろごろ大きいシチューみたいだったけど、今作は丁寧にかくはんされたポタージュのようというか。粒子が細かい感じがする。
と、自分はこんなヘタクソでちょっと違うなという比喩(たとえ)しかできないが、村上春樹氏はやっぱり比喩表現がうまいなぁと思った。ひとつひとつがしっくりきて実感を持たせてくれる。しかし昔はその比喩が「春の熊」みたいに失笑するようなのもあった気がするけど、そこは作家の円熟か、または読者の自分が現実を結構生きてきて、比喩表現が実感としてよく分かるようになったためもあるかなぁと思った。
ステキな台詞
「ひとつには、こうしてスカートをはいておりますと、ああ、なんだか自分が美しい詩の数行になったような気がするからです」
いいなぁ。
この、子易さんという登場人物がスカートをはくようになった経緯、ちょっと村上春樹氏自身がラジオDJを始めたり、それまでの印象からすると「変わったな」と思ったこととかぶる。そういえば「ライブラリー」の開設もそのころだったか。
「イエロー・サブマリン」のアニメは観たことがないので気になる。なんというか物語世界にとまどいを感じる人への「なるだけ分かってもらえるように」という春樹氏の心遣いというかサービスのようにも思う。
ざっくりしすぎだけど、NHK大河ドラマ『葵 徳川三代』になぞらえると、「春樹三代」ということなのかなぁ…上は影響を受けた先人とかこうありたい理想の姿、下は新しく知ることになった若い読者の姿やこうだったかもしれない自分、も混じっていると思うけどー
と、ちょっと批評記事をチラ見した影響で書いてしまったが、そんなことは考えず物語と文章そのものを受け取ればいいんだと思う。とりあえずブルーベリーマフィンとFM放送のジャズとか(知らないから apple music で検索してみたり)
…さらっとのつもりが長くなった。項を分けたほうがいいかもしれないけど、時間がなくなったので、とりあえず。
あ、にわかに「村上春樹ライブラリー」を訪問したくなったので、リマインダーにメモしておこう。
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