宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

昭和は遠くなりにけり

2019年05月10日 | 日常の記録
改元に関するニュースのひとつに恩赦の話があって、「新しい時代が 始まったから♪」と忌野清志郎さんの歌(『恩赦』)を思い出したことであった。
(私はCDアルバム『矢野顕子、忌野清志郎を歌う』の中の1曲として知ったわけだけど)

一般名詞として気にしていなかったけど、昭和から平成に変わった頃につくられた歌だったりするのかな。

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4月中の平成回顧の波に乗り遅れてしまったが、今更ながら書いておこう。
「平成」という元号が発表されたとき、自分はどんな感想を持ったのだったかなと、当時の日記を読んでみたが、案の定、当日の記述は何もなかった。
当時の私は19歳のダメ学生。
自分のことにかかりきりで、世間一般のことにもほとんど興味がなかったのであった。
しかし、改元後の1月10日に長文が書いてある。
「『この先一生私の胸から消えることはないだろう』という小学生の時読書感想文の結びに書いたような恥ずかしい言い回しを使ってもかまわないくらい、なにか、残るものがあった。」
とまで書いてあって、そうそう忘れてはいけないとがんばって書いたんだということを思い出したが、日記を読み返すまでそのことをすっかり忘れていたことに呆然というかがっかりというか・・・

1月10日は火曜日、冬休み明け最初の週、3コマ目は一般教養のフランス語の講義であった。
担当の先生は昭和元年生まれで、まさに昭和とともに生きてこられた方だった。
戦争が終わってそれまでの価値観が激変したその時に、それまでの教育を身に着けて自己をほぼ確立しようとしていた学生だった、そういう人が目の前にいるということに当時の私はびっくりしている。
淡々とお話される内容は、ダメ学生の私には咀嚼しきれず、今も手短に再録することはできそうにないんだけど、「『私たちの世代はおとなしいといいますか、ものを言わないんですね』とおっしゃった」、そういう方がおられて、終戦時の先生とほぼ同じ年の学生が、ダメなりにお話を受け取ったことを、やっぱりあらためてここに書いておこうと思ったのだった。

さてこの日の4コマ目は同じく一般教養(というのは今はないんでしたっけ)の「医学概論」。この日は「ストレス」についての話、とあった。
印象深かった話として
「現在50-60代の人は昭和20年代には価値観の変化に自分が対応することができず、それがストレスとなって自殺したという人が多い世代で、また、この世代の人は民主主義教育を受けておらず、人に従うように教えられてきたから、現代の世の中ではストレスが多くたまり、自殺する率が高い・・・ということである。」
とある。
これはまさに3コマ目のフランス語の先生の世代の人々のことで、日記の記述によると、この話をした先生は「民主主義教育一期生」らしく、「世代間の違いを感じた」。
・・・当時もあまり好きな講義ではなかったけれど、あらためて、なんだか上の世代への敬愛が感じられない冷たい説明・・・理科系の先生だからこんなものか・・・
昭和から平成の変わり目は、大学に「民主主義教育前」と「民主主義教育後」の教官が並存した最後の時代だったのだなと思う。(フランス語の先生はたしか2年後に退官された)

今にして思うに、戦後生まれで当時大学教授になってる人は、学生運動などにも関与せずノンポリ(っていうのかな)だったのだろうし、世代間のギャップも相当大きかったのではないか。当時はよく分からなかったけど。

戦後生まれから下は(戦前生まれでも終戦時子供だった人もたぶん)今に至るまで大きな価値観の違いはないように思うけれど、水面下ではいろいろあるのかもしれずよく分からない。個人の違いも大きいと思うし

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