個人的多言語学習についての文章で、話の流れで「フランス語をやっていてー」と書くたびに、ためらいというか気恥ずかしさを感じる。
理由は主にふたつ
1.「うーむ、なんか、ロシア語は初心者だけど、フランス語はずーっとできるのよ、みたいな印象を与えないか? いやいやもう全然まだまだなんですよー。でもさー『初心者ではない』というプライドはあるわけよー。要するに中途半端なんだけど。でも、ロシア語だのドイツ語だの始めたら、フランス語はどんどん忘れちゃって簡単な単語も出てこなかったりするからなー・・・」
という、主に実力の問題。
2.「フランス語学習者にもいろんな人がいるというのは、実際関わっている人は分かっていることだけれど、一般的に『フランス語』といえば、独特のイメージがあるじゃない? すみませんすみません、私は、全然、小粋なオシャレさんでもないし、エレガントなライフスタイルを楽しむセレブマダムでもないのですー。滝川クリステルさんみたいな美人さんでも当然ないしさー。ほんとにねぇ、こんな私がフランス語なんてねぇ、ええもうがっかりさせてごめんなさいねー」
という、主に、ステレオタイプにたいする個人的感情問題。
この2.は、しばしば、私のフランス語学習意欲の妨げになっているような気がする・・・
一方、フランス語力向上によって、このステレオタイプの呪縛から解き放たれることも、学習の醍醐味かもしれないとも思う。
(あ、これは、どの言語に関しても言えることかも。どの国や文化も、知れば知るほど、ひとつのイメージでくくれなくなるものだし。が、フランス語ってひときわステレオタイプの呪縛が強い気がするんだよね~。私が田舎育ちだからかもしれないけど)
私自身が、フランス語学習者の新しいタイプを確立すればよいのだ!そうすれば、イメージに囚われて敬遠していた潜在学習者も、きっと意欲を喚起されるに違いない!
と、書いているうちに新たな野望が生まれてきましたが、フランス語関連諸団体・愛好者からはお断りされそうな気もしないでは、ない・・・
(上記1.に関して一応追記:仏検についていえば、2004年に準1級を取って、それっきり・・・それも、最寄りの金沢では2次試験がなくて、わざわざ京都まで行ったので、それを考慮して合格させてもらったような気がしてならない^^;)
理由は主にふたつ
1.「うーむ、なんか、ロシア語は初心者だけど、フランス語はずーっとできるのよ、みたいな印象を与えないか? いやいやもう全然まだまだなんですよー。でもさー『初心者ではない』というプライドはあるわけよー。要するに中途半端なんだけど。でも、ロシア語だのドイツ語だの始めたら、フランス語はどんどん忘れちゃって簡単な単語も出てこなかったりするからなー・・・」
という、主に実力の問題。
2.「フランス語学習者にもいろんな人がいるというのは、実際関わっている人は分かっていることだけれど、一般的に『フランス語』といえば、独特のイメージがあるじゃない? すみませんすみません、私は、全然、小粋なオシャレさんでもないし、エレガントなライフスタイルを楽しむセレブマダムでもないのですー。滝川クリステルさんみたいな美人さんでも当然ないしさー。ほんとにねぇ、こんな私がフランス語なんてねぇ、ええもうがっかりさせてごめんなさいねー」
という、主に、ステレオタイプにたいする個人的感情問題。
この2.は、しばしば、私のフランス語学習意欲の妨げになっているような気がする・・・
一方、フランス語力向上によって、このステレオタイプの呪縛から解き放たれることも、学習の醍醐味かもしれないとも思う。
(あ、これは、どの言語に関しても言えることかも。どの国や文化も、知れば知るほど、ひとつのイメージでくくれなくなるものだし。が、フランス語ってひときわステレオタイプの呪縛が強い気がするんだよね~。私が田舎育ちだからかもしれないけど)
私自身が、フランス語学習者の新しいタイプを確立すればよいのだ!そうすれば、イメージに囚われて敬遠していた潜在学習者も、きっと意欲を喚起されるに違いない!
と、書いているうちに新たな野望が生まれてきましたが、フランス語関連諸団体・愛好者からはお断りされそうな気もしないでは、ない・・・
(上記1.に関して一応追記:仏検についていえば、2004年に準1級を取って、それっきり・・・それも、最寄りの金沢では2次試験がなくて、わざわざ京都まで行ったので、それを考慮して合格させてもらったような気がしてならない^^;)