甲斐国に浅間明神を祀ったのは、「日本三代実録」貞観七年(865)十二月の条に「勅。甲斐国八代郡立浅間明神祠。列於官社。即置祝禰宜。随時致祭」とあり、この時であろう。しかし、これは「北口本宮富士浅間神社」のことではない。「甲斐国志」では二社候補を挙げる。「小室浅間明神」であり、河口の「富士浅間神社」である。
「北口本宮富士浅間神社」はこのうち「小室浅間明神」を勧請した。その社殿が現在の「東宮本殿」である。永禄四年(1561)武田信玄造営とのことである。
東宮本殿
西宮本殿は文禄三年(1594)、当時の谷村城主の浅野氏重造営である。
西宮本殿
現本殿は元和元年(1615)鳥居成次の造営だが、この前に鳥居成次は富士御室浅間神社の本宮(山宮)本殿を慶長十七年(1612)に造営している。
拝殿
本殿
それぞれの世代の本殿を残し、三代が並立する形となっている。初代は武田氏が小山田氏を支配下においた時、次代は豊臣政権下、そして徳川政権下となる。前代より大型化、且つ装飾も華麗になっている。明らかに前代を凌駕することを意図しているようである。破却することなく並立させている。前代を否定してはいない。それぞれの世代が御師の取り込みを図ってのことか。
(注)2014年11月撮影
「北口本宮富士浅間神社」はこのうち「小室浅間明神」を勧請した。その社殿が現在の「東宮本殿」である。永禄四年(1561)武田信玄造営とのことである。



西宮本殿は文禄三年(1594)、当時の谷村城主の浅野氏重造営である。


現本殿は元和元年(1615)鳥居成次の造営だが、この前に鳥居成次は富士御室浅間神社の本宮(山宮)本殿を慶長十七年(1612)に造営している。


それぞれの世代の本殿を残し、三代が並立する形となっている。初代は武田氏が小山田氏を支配下においた時、次代は豊臣政権下、そして徳川政権下となる。前代より大型化、且つ装飾も華麗になっている。明らかに前代を凌駕することを意図しているようである。破却することなく並立させている。前代を否定してはいない。それぞれの世代が御師の取り込みを図ってのことか。
(注)2014年11月撮影