今日の詩  “サーディの薔薇”

2010-03-11 | Weblog







マルスリーヌ デボルト-ヴァルモール (1786-1859)



破産した父親の元、不運と赤貧の中で育ち苦労して歌手、俳優となったが
初恋は実らずその後に結婚した相手も無力な俳優で人生苦は一生ついて廻った。
そのつらい日々の暮らしに耐えつつ詩作にうち込む。




サーディの薔薇
  

今朝、あなたに薔薇をお届けしようと思い立ちました。

けれども結んだ帯に、摘んだ花をあまりたくさん挟んだため、

結び目は張り詰め、もう支えきれなくなりました。


結び目ははじけました。薔薇は風に舞いちり、

一つ残らず、海に向かって飛び去りました。

潮のまにまに運ばれて、はや二度と帰ってはまいりません。


波は花々で赤く、燃え立つように見えました。

今宵もまだ、私の服はその薔薇の香に満ちています.....

吸ってください、私の身から、その花の芳しいなごりを。









減量

2010-03-10 | Weblog







ケアーンテリアとミニチュアプードルのあいの子として生まれたヴェスパー
が日ごとに大きくなっていくような感じがしたので月に一度くらい体重を計って比べていたところ確実に体重が増えいわゆる“ペアシェィプ”下半身デブちゃん気味になってきた。

ケァーン テリアの標準体重は7から8キロくらい
ミニチュアプードルの標準体重も同じくらい、
そこから生まれたヴェスパーも同じくらいの体重だろうと思っていたが
見る見るうちに大きくなりだしもっとも重い時で14,3キロにも達していた。

人間の食卓からは食べ物は全く与えないしおやつも少なめにしていたのだが
去勢をしているためかそれが原因だと思う。
あまり太ってもかわいそうなので今までのドッグフードをダイエットフードに変えてみたところひと月経った今みごとに500グラム減量されていた。








バラード

2010-03-07 | Weblog





クリスティーヌ ド ピザン (1363-1400)



ピザンという人は父上がシャルル5世に使えていたことから生まれ故郷のヴェネツィアを幼少の時に去りパリで育つ。
若くして夫と死別、3児を抱えて文筆に生活の資を求めた。





 Ballade     バラード


私はひとり   ひとりのままでいたい

私はひとり   やさしいあの人は残していった

私はひとり   連れもなく かしづくべき人もなく

私はひとり   嘆きにくれ 身も世もあらず、

私はひとり   やつれるまでに胸がふさいで

私はひとり   誰よりも寄るべをなくして

私はひとり   友もなく取り残されて。



私はひとり   戸口でも 窓辺でも、

私はひとり   物かげに人目をのがれ、

私はひとり   われとわが涙に溺れ、

私はひとり   嘆くにつけ 和むにつけて

私はひとり   それだけが身にふさわしく

私はひとり   この部屋にこもったまま、

私はひとり   友もなく取り残されて。



私はひとり   どこにいても 何から何まで、

私はひとり   行くにせよ とどまるにせよ、

私はひとり   地上のどんなものよりもひとり

私はひとり   誰からも見捨てられて、

私はひとり   手ひどくうちひしがれて、

私はひとり   泣き沈むこともしばしば、

私はひとり   友もなく取り残されて。




殿よ、いま   私の苦しみははじまりました、

私はひとり   ありとあらゆる悲嘆にさらされ、

私はひとり   桑の実よりもなお蒼ざめて、

私はひとり   友もなく取り残されて。
                          
                       安藤元雄 訳


「百のバラード」からの一つ
原語では行の末尾がすべて韻をふまれ流れるように読まれたのだろう。

この詩は今の僕の心情とはいえないが、
気持ちが低迷している時はこんな詩を読み自分の人生と対比させて見ると
いかに自分が幸せであるか思い知らされるというもの。
中世期に37歳という生涯は短かったのか十分長かったのかははかりしれない、
600年という永い年月が過ぎた今でもこうして一人の人間の感情を揺さぶることができることだけでも彼女の人生は十分に人間としての価値があったいうものだ。








春にむかっていく頃

2010-03-05 | Weblog



最近手に入れたフランス詩集の中から数多くの感銘できる詩を見つけた、
恥ずかしいことに学生時代は教科書に抜粋された物以外まったくといっていいほど文学作品を読んではいなかった。
この詩集はフランスで中世期から20世紀にかけて高く評価されてきた詩人達の代表作が載っている。

ここから気に入った詩を載せてみようと思う。


シャルル ドルレアン(1394-1465)

王族の一員(シャルル6世の弟の子)として生まれたが、権力争いのなかで父を暗殺され、
自らも百年戦争で捕虜となり、25年間をイギリスですごす。
この長い虜因生活の憂いさを詩作に打ち込んで紛らし、数々の傑作が生まれた。

帰国後はブロワの居城で多くの文人を庇護し、歌の会もたびたび催した、
フランソワ ヴィヨンもその集いに加わったことがあると言われる。



Rondeau  ロンドー

季節(とき)がマントを脱ぎ捨てた  

風と寒さと雨とのマント、   

そして縫い取りを身につけた

澄んで輝く日ざしの縫い取り。



獣も鳥も声を揃えて

それぞれの言葉で歌い叫ぶ。

季節(とき)がマントをぬぎすてた!と。

川も、泉も、せせらぎも


綺麗な揃いのお仕着せか、

水滴の銀の細工を身にまとい

誰もが衣を改める。

季節(とき)がマントを脱ぎ捨てた。

安藤元雄 訳


3行目は原語では 「Et s’est vestu de brouderie」 というように表現されているが
フランス語辞典で調べても意味が解からず和訳も抽象的な表現でよくわからない。

「季節がマントを脱ぎ捨てた」とはいえ今年は格別厚手のマントを羽織っていたロンドンはいまだに寒いけれど
クロッカスがけなげに顔を出し
アジサイの若葉も吹き出し始めた、
ゆっくりではあるものの確実に春に向かっているのだろう。