ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

献体に際して感じたこと 前

2017-09-07 07:29:05 | エッセー
 私は先日ある大学に献体の登録をした。
親友はそれを知ると「どうして?それを知っていたら私絶対に反対したのに」と言った。でも死んだ体は単なる物体でしかないと思うし、もしも
私の体がこれからの医学のための研究材料になるなら、たとえ切り刻ま
れてもかまわないと思っている。などと言うと余程強そうだが、私は実は
あまりに怖いものが多く臆病だ。過去に献血を167回もしたのに、まだ
生まれてから自分の体に注射針を刺したのは、怖くて一度も見た事もないし、テレビで動物に注射するのも見られない。
※ パリオランジュエリー美術館の早朝の行列

 以前はアイバンクに登録していたが、家族の承認が必要で、夫はノウと言ったので、確か息子に頼みこんで登録した。献体は昔から考えていたが
家族の気持ちを思うと言えずに黙っていた。でもこの年齢になると、夫も
子供達の考えも変わりOKしてくれたので早速申し込みし、昨日その登録書
とご挨拶状が届いた。今日親戚の葬儀に参加して、最後のお別れするときに、会葬者が一人一人が棺全体を埋めるようお花を入れた。
 棺はまるでお花畑のように、華やかで美しくなった。
それぞれが涙をこぼしながら花を入れている姿を見て、家族や友人達に一つの心の区切りとしての「お別れの儀式」も必要だと感じた。
※冬の風物詩大観覧車から見た風景

 献体する場合は、こちらから連絡するとお迎えの車が来てくれるそうだが、火葬はしないでそのままお別れし、お骨になって帰るのは半年から2年後だそうだ。私を愛してくれた家族、また親しい友人達にも、心の区切りとして「それなりのセレモニー」をしなければと気づいた。
 実は事情があり私達夫婦は、下北沢の小池家の菩提寺ではなく、新宿区
のお寺のお納骨堂に二人で入ることになっている。
 私達は僧侶による供養などいらないが、一般常識ではお坊さんが来るのが当然で、そのためのお寺に詳しく聞くことも欠かせない。
 お迎えに来るのは多分ストレッチャーだと思うし、その具体的な内容も
献体した大学にもう一度問い合わせ、家族が困らないようにしなければならない。遺影も必要なので、79歳の誕生日に主婦の友社「ゆうゆう」誌の
メークモデルの写真にすることに決めた。


コメント
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